エクスシア艦橋にて、新聞の電子版が大型モニターに映し出される。
『人類初! 横浜ハイヴ奪還成功!』
『帝国軍の英雄達が歴史を変える』
『BETAに初の決定的勝利』
艦橋に沈黙が流れた。
ライが新聞を眺める。
もう一度眺める。
さらにもう一度眺める。
「俺達の名前、一文字も載ってねぇな」
「当然でしょう」
ソファに腰掛けたミストレスは優雅に紅茶を口に運ぶ。
昨日まで死地を駆け回っていたとは思えないほど落ち着いていた。
「よろしかったのですか?」
恭子が尋ねる。
「あなた方の功績です」
「構いませんわ」
あまりにも即答だった。
「むしろ好都合です」
ミストレスはカップを置く。
「神の遣いが現れました」
「異世界の技術を持っています」
「たった二人でハイヴを攻略しました」
「そんな話、貴女なら信じます?」
恭子は言葉に詰まる。
信じない。
昨日の自分なら絶対に信じなかった。
「でしょう?」
ミストレスが微笑む。
「ならば今は日本の勝利で良いのです」
「ですが…」
「各国は慌てておりますわよ」
その笑みが少しだけ悪戯っぽくなる。
「ハイヴ攻略技術を日本が独占したと思っておりますから」
「……」
「今頃、各国の諜報員が東京へ向かっておりますわ」
恭子の頬が引き攣った。
容易に想像できる。
アメリカも。
ソ連も。
欧州も。
中国も。
全てが動くだろう。
「大変ですわね」
「他人事みたいに言わないでください……」
「他人事ですもの」
悪びれない。
ライが吹き出した。
「お前、本当に性格悪いな」
「褒め言葉として受け取っておきますわ」
「褒めてねぇ」
恭子は頭を抱えた。
この女、絶対に分かっていてやっている。
表向きは日本の勝利。しかし裏では違う。
各国が日本へ接触する。
↓
日本は調査する。
↓
ピリオドの存在に気付く。
↓
日本が窓口になる。
↓
余計な混乱を防げる。
全て計算済み。
「それに」
ミストレスが窓の外を見る。
「人類が初めて勝ったのです」
その声だけは真剣だった。
「誰の功績でも構いません。皆が希望を持てるなら…」
新聞には歓喜する人々の写真。
涙を流す兵士達。
抱き合う家族。
万歳を叫ぶ群衆。
その光景を見ながらミストレスは静かに微笑む。
「ようやく一歩目ですわ」
その横顔を見て、恭子は初めて理解した。
この人は英雄になりたいのではない。
英雄が必要なくなる未来を作ろうとしているのだと。
だからこそ、自分の名前が歴史に残らなくても気にしない。
ただ、その代償として寿命を削りながら戦っていることを除けば。
恭子は小さく溜息を吐いた。
(本当に厄介な人ね……)
だがその顔には、いつの間にか薄い笑みが浮かんでいた
◇
静かな和室。
障子越しに差し込む陽光が畳を照らしている。
煌武院悠陽は手元の報告書へ静かに目を落とした。
横浜ハイヴ奪還。
その文字だけでも十分に歴史を変える出来事である。
しかし実際に書かれている内容はさらに衝撃的だった。
「それで、実際はその『ピリオド』という組織が奪還したと」
向かいに座る鎧衣左近が頷く。
「それも、たった二人です」
常識ならば笑い飛ばす話だった。
だが現実にハイヴは崩壊している。
戦果も確認済み。
否定のしようがない。
「こんな事実を公表すれば、軍の存在意義が問われかねませんな」
左近は苦笑した。
「現場の指揮官も苦渋の決断だった事でしょう」
悠陽は静かに頷く。
彼女自身も同じ結論に至っていた。
もし帝国軍数万名より、正体不明の二人組の方が圧倒的に強い。
などと発表すればどうなるか。
兵士達の士気。
国民の信頼。
軍の権威。
全てが揺らぐ。
だからこそ真実は伏せられた。
少なくとも今は。
「貴方から見ていかがですか?」
悠陽が問う。
「彼らの人柄でしょうか」
「それとも科学力でしょうか」
左近は少し考え込んだ。
「両方です」
即答だった。
「人柄は…少なくとも正規軍人らしくありません」
報告書を閉じる。
「これだけの武勲です」
「自慢の一つでもしたくなるでしょう」
「ですが、それが無い」
「金銭要求も無い」
「地位も名誉も望まない」
「補給路の確保ばかり気にしております」
そこで左近は小さく肩を竦めた。
「聖人ですかな。あるいは大馬鹿者か」
悠陽の口元に僅かな笑みが浮かぶ。
「では科学力は?」
「そちらの方が恐ろしい」
左近の声が低くなる。
「少なくとも地球上であれを秘密裏に開発するのは不可能でしょう」
「試験場」
「資材」
「人員」
「研究施設」
「どれを取っても痕跡が残る。しかし存在しない」
報告書の一文を指で叩く。
「光学迷彩」
「対レーザー防御」
「新型動力炉」
「未知の戦術機」
「空中戦艦」
「どれも国家規模の開発計画です。それが何の痕跡もなく現れた」
左近はゆっくり息を吐いた。
「つまり?」
悠陽の問い。
「地球外から来たか、あるいは――」
左近は苦笑する。
「本当に神の遣いかもしれませんな」
冗談のような言葉。
しかし誰も笑わない。
笑えない。
横浜ハイヴは消えた。
それだけが絶対の事実だった。
しばしの沈黙。
やがて悠陽が静かに口を開く。
「いずれにせよ」
「横浜を奪還してくださった事は事実です」
「ならば我々が為すべき事は一つ」
その紫の瞳には将軍としての決意が宿っていた。
「彼らを恐れるのではなく」
「見極める事」
「敵か味方かではなく」
「何を望み、何を成そうとしているのか」
左近も深く頷く。
「同感です」
「幸い、今のところ敵意は見受けられません」
「むしろ好意的なくらいです」
「ならば――」
二人の意見は一致していた。
「今しばらくは日本に留まっていただきましょう」
もし彼らが真に人類の味方ならば。
それは日本だけでなく、人類全体にとって計り知れない希望となる。
そしてもし違うのなら、今のうちに見極めなければならない。
だが悠陽はふと報告書の最後の一文を思い出した。
『補給が尽きれば我々も戦えません』
それを読んだ時、彼女は少しだけ安心した。
神の遣いを名乗る者達もまた、万能ではないのだと。
だからこそ、どこか人間らしいのだと。