静寂が部屋を包む。
煌武院悠陽の前に立つ二人――ミストレス・マーキスとライ・ロアノークは、恭子から教わった作法に従い深々と頭を垂れた。
「御尊顔を拝し奉り、恐悦至極に存じます」
その姿を見つめながら、悠陽は静かに頷く。
「此度の働き、誠に大義でした。この国に住まう者として感謝します」
柔らかな声だった。
しかしその瞳には確かな意志が宿っている。
「しかし……」
言葉を濁した悠陽に、ミストレスは微笑した。
仮面の奥からでも分かるほど穏やかな笑みだった。
「この仮面のことでございますね」
「……」
「ご無礼をお許しください。私達もまた、軽々しく外すことのできない身なのです」
悠陽は首を横に振る。
責めるつもりなどない。
それでも。
「ですが」
ミストレスは続けた。
「悠陽殿下の御前であれば、それも許されましょう」
隣のライが僅かに肩を竦める。
「やれやれ」
そう呟くと同時に、二人は仮面へ手を伸ばした。
静かに外される仮面。
長い金髪が揺れる。
その下から現れた顔立ちに、悠陽は思わず目を見開いた。
月詠真那も。
鎧衣左近も。
背後に控える二人でさえ、一瞬だけ息を呑む。
美しい。
そんな陳腐な言葉では足りないほどの気品がそこにはあった。
だが悠陽はすぐに表情を整える。
その顔を忘れぬよう、静かに胸へ刻み込んだ。
そして。
「こちらこそ、ご無礼をお許しください」
深く頭を下げる。
今度はミストレスの方が驚いた。
一国の将軍が、自分達へ頭を下げたのだ。
「悠陽殿下……?」
「あなた方がどれほどの重荷を背負っているか、私には分かりません」
悠陽は顔を上げる。
「ですが私はこの国を守る義務を負う者です」
真っ直ぐな視線。
逃げることも誤魔化すこともない。
「国民のためにも、命を預け合う相手を知らねばなりません」
その言葉に嘘はなかった。
利用するためでも。
弱みを握るためでもない。
ただ信頼したいからこそ知りたい。
そう願う心だけがあった。
しばしの沈黙。
やがてミストレスは微笑む。
先程までの仮面越しの笑みではない。
どこか年相応の、柔らかな笑みだった。
「仰る通りです」
その瞬間。
この場にいた誰もが理解した。
神の遣いを名乗る彼女達もまた、人であるのだと。
◇
帝都城。
将軍との会談を終えたミストレスとライは、用意された客室へと戻っていた。
窓の外には夕焼けに染まる日本の街並みが広がっている。
「これで当面の補給路は確保できたな」
ライは椅子へ腰を下ろしながら呟いた。
悠陽の許可により、日本政府は正式にピリオドへの支援を約束した。
これを機に呼称もP.E.R.I.O.Dに改めた。
本来なら喜ぶべき話である。
しかし。
「問題はここからだ」
盛大な溜息が漏れる。
「規格が合わん」
「合いませんわね」
ミストレスも同意した。
戦術機用の部品。
燃料。
電子機器。
整備設備。
どれもこれも根本的な技術体系が異なる。
日本が善意で物資を提供しても、そのまま使える物は殆ど存在しなかった。
「本当にゼロからだな」
「ゼロからですわね」
二人は揃って遠い目をした。
横浜ハイヴを攻略した時より頭が痛い。
「やれやれ……次に全力で戦えるのはいつになるのかね」
ライがぼやく。
トールギスの整備。
エクスシアの補給。
薬品の生産設備。
考えるだけで胃が痛い。
しかしミストレスは優雅に紅茶を口へ運んだ。
「そう言わないでくださいまし」
「言いたくもなる」
「ですが悲観する必要はありません」
カップを静かに置く。
その瞳にはいつもの余裕が宿っていた。
「今は技術提供の時間ですわ」
「……始まったな」
ライが額を押さえる。
この顔は何か企んでいる時の顔だ。
ミストレスは机上の端末を操作する。
そこへ表示されたのは一機の黄金色の機体。
「まずはこちら」
「百式か」
「ええ」
ミストレスは満足そうに微笑んだ。
「日本の皆様にはお勉強していただきましょう」
「解体ショーの始まりだな」
「素敵な響きですわね」
全然素敵ではない。
ライは思った。
だが口には出さない。
どうせ止めても無駄だ。
「マグネットコーティング」
「ムーバブルフレーム」
「全天周囲モニター」
「リニアシート」
ミストレスは指折り数える。
「彼らにとっては宝の山ですわ」
「整備班が過労死するぞ」
「頑張っていただきましょう」
さらりと言い放った。
そして端末に映る百式を眺める。
その姿はまるで新しい玩具を与えられた子供のようだった。
「楽しみですわね」
「何がだ」
「日本中の技術者が頭を抱える姿が」
「性格悪くないか?」
「褒め言葉として受け取っておきます」
そうして紅茶を一口。
横浜ハイヴを落とした英雄は。
人類の未来を左右する技術革命の第一歩として。
まず百式をバラバラに解体することを決定したのだった。
◇
帝都郊外――日本帝国軍技術廠。
巨大な格納庫の中央に鎮座する黄金色の機体を見上げながら、技術者達は言葉を失っていた。
百式。
私設武装組織P.E.R.I.O.Dが提供した未知の戦術機。
いや、戦術機などという言葉では説明できない異形の兵器だった。
「……本当に解体するんですか?」
若い技官が恐る恐る尋ねる。
「当たり前だろ!」
主任技師が怒鳴った。
「こんなもの丸ごと置いておいてどうする! 解析しろ! 分解しろ! ネジ一本まで調べろ!」
周囲の技術者達も興奮を隠せない。
「装甲材質のサンプル採取急げ!」
「内部フレームの写真撮影班を呼べ!」
「駆動系統の図面を起こせ!」
「慎重にだ! 傷を付けるな!」
まるで宝の山を前にした考古学者のようだった。
その様子を二階の見学室から眺める二つの影があった。
「ふふっ」
窓際に立つミストレス・マーキスが小さく笑う。
白磁のカップから立ち上る紅茶の香り。
仮面に隠された表情は見えないが、その声音にはどこか楽しげな響きがあった。
「ずいぶん盛り上がってますわね」
「そりゃ盛り上がるだろ」
隣でコーヒーを飲んでいたライ・ロアノークが肩を竦めた。
「あいつらからしたら神様の遺物みたいなもんだぞ」
「大袈裟ですこと」
「お前の基準で考えるな」
ライは呆れたように言う。
その視線の先では既に百式の右腕が取り外されていた。
巨大クレーンによって慎重に運ばれ、別区画へ搬送されていく。
「主任! フレームが見えました!」
「写真だ! 全角度撮れ!」
「すげぇ…なんだこの構造…」
「信じられん…」
格納庫中に歓声が響く。
ミストレスは紅茶を一口飲みながら微笑んだ。
「良い事ですわ」
「機体がバラされてるのに随分余裕だな」
「元々そのために持って来たのですもの」
当然でしょう? とでも言いたげな口調だった。
ライは苦笑する。
普通のパイロットなら愛機を解体されれば複雑な気持ちになる。
しかし目の前の女にはそういう感覚が薄い。
百式は手段でしかない。
人類を前進させる為の教材。
それ以上でもそれ以下でもなかった。
「ところでライ」
「ん?」
「補給の件はどうなりました?」
ライの顔が一瞬で曇った。
「……あー」
「どうなりました?」
「そのですね」
「どうなりました?」
優雅な笑顔。
だが声色だけは妙に圧がある。
ライは視線を逸らした。
「ミサイル生産ラインはまだ時間が掛かるそうです」
「まあ」
「推進剤も規格が違うらしくて」
「まあまあ」
「あと交換部品も……」
「まあまあまあ」
ライは悟った。
怒っている。
もの凄く怒っている。
見た目は淑女。
口調も淑女。
だが中身は戦場を駆け回る武人である。
補給不足は死活問題だった。
「お前さ」
「なんですの?」
「百式よりトールギスのミサイルの方が気になってるだろ」
「当然ですわ」
即答だった。
「今後の作戦に出られなくなりますもの」
「だと思ったよ」
再び格納庫を見る。
今度は胸部装甲が外されていた。
技術者達の歓声がさらに大きくなる。
「出た、ムーバブルフレームだ!」
「骨格だけで自立しているぞ!」
「どういう設計思想なんだ!?」
「理解が追いつかん…」
「記録! 全部記録しろ!」
ミストレスは満足そうに頷いた。
「頑張っておりますわね」
「そうだな」
「この調子なら数年後には立派な新型機が完成するかもしれません」
「その頃まで人類が持てばいいけどな」
ライの言葉に僅かな沈黙が落ちる。
窓の向こうでは、なおも解体作業が続いていた。
黄金の装甲が一枚ずつ剥がされていく。
それは機体の死ではない。
未来への投資だ。
人類がBETAに抗う為の礎。
ミストレスは静かにカップを傾けた。
「どうか余すところなく学んでくださいまし」
彼女の視線の先で、百式は少しずつその姿を変えていった。