Muv-Luv 戦場に咲く雷花   作:マルク

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09交渉

 

 

帝都近郊、帝国陸軍技術廠。

 

本来ならば最新鋭戦術機の研究開発が行われる施設の一角に、異様な存在感を放つ黄金色の機体が鎮座していた。

 

百式。

 

横浜ハイヴ奪還後、P.E.R.I.O.Dから日本へ技術供与された機体である。

その機体の前で、帝国陸軍技術廠第壱開発局副部長――巌谷榮二中佐は深々と頭を下げた。

 

「はじめまして。私は帝国陸軍技術廠第壱開発局副部長、巌谷榮二中佐です」

 

対するミストレス・マーキスは柔らかく微笑む。

 

「ミストレス・マーキスです。本日はお招きいただきありがとうございます」

 

仮面越しでも分かる気品に、巌谷は内心で感心した。

戦場で見せる鬼神の如き姿と、こうして向かい合う姿がどうにも結びつかない。

 

「ご足労いただき誠にありがとうございます」

 

「いえ、お気になさらず」

 

そう答えた後、ミストレスは周囲を見回した。

百式の周りには技術者達が群がり、工具や測定機器を手に忙しなく動いている。

その様子を見て彼女は首を傾げた。

 

「ですが、こうして呼び出されたという事は何かトラブルでも?」

 

巌谷は眉間を押さえた。

 

「それが……どこぞの諜報員に嗅ぎつかれましてな」

 

「あら」

 

「君達の存在が各国へ知れ渡る事になりました」

 

思わず溜息が漏れる。

 

「奴さん、自国だけでは力不足と考えたようです。他国と口裏を合わせ、日本を揺さぶってきました」

 

「どのような?」

 

「日本は技術を独占する気か、とな」

 

ミストレスは小さく目を細めた。

予想の範囲内だった。

むしろここまで時間が掛かった方が不思議なくらいである。

巌谷は苦笑する。

 

「ご存知かと思いますが、日本は島国です」

 

「ええ」

 

「BETAの脅威に晒されながら、一国のみで生きていけるほど強くはありません」

 

周辺諸国との関係。

資源供給。

物流。

それらを無視して国家運営はできない。

 

「それで……」

 

巌谷は一瞬言葉を選んだ。

 

「他国への技術開示について、貴方方の許可を頂きたいのです」

 

技術者達の動きが止まる。

誰もがミストレスの返答を待っていた。

百式はP.E.R.I.O.Dの財産だ。

日本へ譲渡されたとはいえ、無断で技術を流す訳にはいかない。

数秒の沈黙。

そして。

 

「結構ですわ」

 

あまりにもあっさりとした返答だった。

巌谷が目を見開く。

 

「よろしいのですか!?」

 

「ええ」

 

「しかし、貴方方のアドバンテージが……」

 

「問題ありません」

 

ミストレスは即答した。

 

「私達は日本にお世話になっている身です」

 

穏やかな声音。

だがその言葉には確かな誠意があった。

 

「大家が困っているのなら、店子はある程度合わせるべきでしょう」

 

その場にいた技術者達が顔を見合わせる。

横浜ハイヴを攻略した超戦力。

神の遣いを名乗る存在。

そんな相手の口から飛び出したのは、あまりにも庶民的な例えだった。

巌谷も思わず苦笑する。

 

「店子、ですか」

 

「間違っておりますか?」

 

「いえ。むしろ分かりやすい」

 

二人の間に小さな笑いが生まれた。

だがミストレスはそこで話を終わらせなかった。

 

「ただし」

 

その一言で空気が引き締まる。

 

「せっかく得た手札を、ただ配るだけでは勿体ありませんわ」

 

「……と、言いますと?」

 

「交渉なさってください」

 

巌谷の目が鋭くなる。

 

「他国は技術を欲しております」

 

「ええ」

 

「ならば対価を求めるべきです」

 

彼女は当然のように言った。

 

「資源でも結構」

 

「軍事協力でも結構」

 

「食料支援でも結構」

 

「日本が必要とするものを要求なさいませ」

 

技術者達がざわつく。

それは軍人の発想ではなかった。

外交官。

あるいは国家指導者のそれだ。

 

「善意だけで渡す必要はありません」

 

ミストレスは静かに続ける。

 

「人類の未来のために技術を共有する事と、日本が損をする事は別問題ですわ」

 

巌谷は思わず唸った。

この女は恐ろしい。

力を持つ者は往々にして力で物事を解決しようとする。

しかし彼女は違う。

国家間の駆け引きを理解している。

しかもそれを当然のように口にする。

 

「上の方々にお伝えください」

 

ミストレスは微笑む。

 

「きっと良い交渉材料になりますわ」

 

巌谷は深く息を吐いた。

目の前にいるのは英雄か。

戦士か。

それとも外交官か。

いや、どれも違うのかもしれない。

横浜ハイヴを単騎攻略した怪物でありながら、国家の利益まで見据えて動く存在。

 

「承知しました。必ず伝えましょう」

 

巌谷は深々と頭を下げた。

ミストレスは満足そうに頷く。

そして何気ない口調で百式へ視線を向けた。

 

「ところで」

 

「はい?」

 

「解析はどこまで進みましたの?」

 

その瞬間。

周囲の技術者達が一斉に顔を逸らした。

巌谷は額を押さえる。

 

「正直に申し上げますと」

 

「ええ」

 

「何一つ理解できておりません」

 

数秒の沈黙。

そしてミストレスは紅茶を吹き出しそうになった。

 

「まあ」

 

「全天周囲モニターの時点で頭を抱えました」

 

「それは申し訳ありません」

 

「ムーバブルフレームで徹夜が確定しました」

 

「頑張ってくださいまし」

 

「そして今はジェネレーターを開けるかどうかで会議中です」

 

ミストレスは口元を押さえた。

笑いを堪えている。

巌谷は確信した。

この女。

絶対に面白がっている。

その頃、技術廠の奥では百式の内部構造を前にした技術者達が、

 

「なんだこれは……」

 

「理解できん……」

 

「神様は頭がおかしいのか……」

 

と頭を抱えていた。

人類史を変える技術革命は、こうして悲鳴と徹夜の中で始まろうとしていたのである。

 

 

首相官邸。

 

執務室に響くのは時計の針の音だけだった。

内閣総理大臣・榊是親は机の上に積み上げられた報告書を見つめながら深い溜息を吐いた。

 

「まったく……」

 

疲れた声だった。

横浜ハイヴ奪還。

人類史上初となるハイヴの完全制圧。

本来ならば国を挙げて祝うべき快挙である。

実際、日本国内は歓喜に沸いていた。

だが。

 

「その代償がこれか」

 

机上には各国から届けられた抗議文や照会書が並んでいる。

内容はほぼ同じだった。

 

『技術情報の共有を求める』

 

『横浜奪還に使用された兵器の開示を求める』

 

『人類共同戦線の理念に反する独占行為を憂慮する』

 

どれも丁寧な文面だ。

しかし本音は透けて見える。

 

寄越せ。

 

それだけだ。

 

「日本はいつから独走する気になったのか、か」

 

榊は報告書を机に放り出した。

 

「人類は一丸となってBETAと戦わねばならない」

 

別の書類を手に取る。

 

「技術を独占するのは利己的行為である」

 

さらにもう一枚。

 

「国際協調精神に欠ける」

 

思わず笑いが漏れた。

乾いた笑いだった。

 

「よく言う」

 

誰もいない執務室に呟く。

横浜ハイヴが存在していた時、日本は最前線に立たされていた。

 

京都も。

横浜も。

幾度となく血を流した。

その時、彼らは何をしていた。

援助は確かにあった。

だが日本人が払った代償を肩代わりしてくれた訳ではない。

そして今、突然現れたP.E.R.I.O.Dが横浜を奪還した途端にこれだ。

 

「恥を知れと言いたいのはこちらだ」

 

榊は額を押さえた。

もちろん各国の事情も理解している。

理解できるからこそ厄介だった。

技術が欲しいのだ。

それも当然だろう。

エクスシア。

トールギス。

あの映像を見て欲しがらない国など存在しない。

もし自分が外国の指導者でも同じことを考える。

だから感情論で切り捨てる訳にもいかない。

 

「結局は政治か……」

 

横浜を奪還した英雄達ですら解決できない問題。

 

国家間の利害。

資源。

軍事。

外交。

そういった泥臭い世界の話だった。

不意に扉が叩かれる。

 

「どうぞ」

 

入ってきた秘書官が一礼した。

 

「総理。P.E.R.I.O.Dのミストレス・マーキス殿より伝言です」

 

「ほう? 何と?」

 

 

榊は眉を上げる。

秘書官は手元のメモを確認した。

そして少し苦笑しながら読み上げる。

 

「せっかく得た有力な手札です。どうか安売りなさらぬように、とのことです」

 

一瞬の沈黙。

やがて榊は大きく息を吐いた。

 

「まったく……」

 

思わず笑みが零れる。

 

「こちらが気を遣う立場だと思っていたのだがな」

 

横浜を奪還した怪物。

神の遣いを名乗る謎の集団。

そのはずなのに、時折見せる感覚は妙に人間臭い。

 

「彼らは本当に変わった連中だ」

 

窓の外を見る。

夕日に染まる帝都。

その空のどこかに、白い戦艦エクスシアが停泊している。

榊は静かに呟いた。

 

「さて、店子殿に恥をかかせる訳にもいかんか」

 

各国が求めるなら応じよう。

だがただでは渡さない。

日本はようやく、自らの血で勝ち取った交渉材料を手に入れたのだから。

そう決意すると、総理大臣は再び書類の山へと手を伸ばした。今度は先ほどよりも少しだけ晴れやかな表情で。

 

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