一番星の王子さま 作:160万のワインを飲み損ねた
ムカつく。ムカつく! ムカつく!!
あのすけこまし三太夫は、未成年にも関わらずそういう店に姫川大輝と行ったらしい。何か気落ちしながらも言いたそうなことがあるみたいだから親切な私が聞いてあげたら、申し訳なさそうに報告してきたのがそれだった。隠さなかった事は良しとするけど、それはそれ、これはこれ。怒鳴り散らさなかった私は天使だと思える。
……別に、私はアイツの彼女でもないし、ルビーに聞いたように両親に叱られてるなら、私が何か言うのはお門違いなのかもしれない。けどやっぱりイライラする。ふざけんなよアイツ。
ストレス発散目的でひたすらミットを打つ。当たった時の音がちょっと爽快感を上げてくれる。
元々は役作り目的で始めたこれも、カロリー消費にも良い高強度トレーニングだってことあるし、今回の件みたいにストレス溜まった時は発散目的でやる事がある。最初はパンチだけだったこれも、気づいた頃にはキックもできるようになってた。できるようになるのは楽しいし、何よりタダなのが良い。他所のジムに行けば会員費払う必要はあるけど、福利厚生の一環で事務所内にあるから払う必要はない。今回に限っては相手も相手でアクアに似てるから一層力が入る。
これまでは良い音だったのに、ポスっと、なんとも力の抜ける感触に違和感を覚えた。私の意識も少し外に向いて、ふとどれくらいのやってたんだろうって考えが過った。
「一旦ストップ。ちょい休憩な」
ダイエット目的だと時間とセット数を予め決めるけど、今日はストレス発散のためだから、特に時間指定せずにひたすら打ち続けた。ストップと言われて集中力が切れたのか、結構汗をかいているのもわかってくる。
どれだけムカついてんのよ私は。こう言うところが自分でも嫌になる。
端に移動して、グローブを外てから置いあるタオルを取って汗を拭う。息を整えながら床に腰を下ろす。ドリンクを飲もうとして思ってた量が入ってなくて物足りなさを覚えた。さっきの休憩の時に買っておけば良かったな。一度座っちゃったから、また立つのが面倒。
「水分足らねえだろ。ぶっ倒れる前に飲んどけ」
「……ありがとうございます」
どこからか持ってきた、自販機に売ってないペットボトルの水。冷えてないから裏とかに常設してるんだろうか。喉も乾いていたし、少し力を入れて蓋を開けて飲む。
こっちが汗でびっしょりなのに、何気なく視線を向けた日向さんは汗一つかいてなかった。
「今日はやけに力入ってたな。ストレスそんなに溜まってんのか?」
アンタの息子のせいですけど!
なんて言いたかったけど、言い出せなかった。
「あー良い良い、無理に言わなくて。俺じゃなくたって他の言いやすい奴にでも言えば良い」
……はぁ、父親はこうして気を遣ってくれるのに、なんであのすけこましはああなんだか。
年の功ってやつ? いや、でも確かまだ三十半ばとかよね。今回の東ブレのプロデューサーとか脚本家と近いはず。あの片原家の義理息子って言ってたし、本物の金持ちの息子となると落ち着いてくるのかしら。何か言われても貧乏人が何かほざいてるわ、的な感じで。
それにしても、よく芸能人が一般人と結婚する時ってIT系の社長だったり、良いところの企業の重役だったりするけど、アイさんはまさにそれね。アイさんが結婚したのってアクア達の年齢を考えたら一六年くらい前だから今の私とそう差はない……え、早くない?
結婚か、私もいつかはするんだろうか。相手はーーー。顔が熱くなる。もしそうなったら、なんと呼べば良いんだろう。ルビーはルビーのままで良いとして、アイさんはお義母さん? 日向さんはお、お義父さん? 誰かをお父さんと呼ぶなんて、そんな自分がイメージできなかった。最後にそう呼んだのはいつだったか。
「本当に大丈夫か?」
怪訝そうな表情。アクアと似てるようで、やっぱり違う顔。
と言うか、つい考えすぎて答えてなかった。これじゃ本気で悩んでるみたい。いやまぁ、悩んでると言えば悩んでるんだけど。
「すみません、ぼーっとしてました」
「なら今日はここまでにしとくか。ストレス発散で体壊したんじゃ意味ねえからな。舞台も公演そろそろだったろ」
日向さんは立ち上がって片付けを始めようとする。
「あ、いえ、ちょっと考え事してだけで……って、東京ブレイド見に来るんですか?」
「そりゃあな。アクアも出るし、かな嬢とあかね嬢も出るなら見に行くさ」
初公演まで二週間を切っている。本当はこんな事で悩むべき時じゃないのもわかってる。癪だけど、黒川あかねは天才。演技のスタンスは違うしそりも合わないけど、こればかりは認めるしかない。私にはない才能で、あの一件以降それが顕著になってる。元々顔は人形みたいに整った顔をしていたから、一般人の手のひら返しも早かった。きっと男の人は、私のような毒舌女よりもthe清純派みたいな黒川あかねのようなタイプの方が好きなんだろう。
だけど、それを理由に負けて良い理由にはならないし、負けたくない。演り合う機会はあまりなくて、今回の機会は私としても願ってもない機会。
「……実は、共演者の中に負けたくない人がいまして。相手は才能もあるし、どうすれば勝てるか考えてたんです」
変に心配されてしまっても申し訳ないから、例の件とは別の事を言ってみた。
「ああ、あかね嬢か。同い年だしそりゃあ意識するよな」
「まぁ、そう、ですね」
濁したつもりだったけど、向こうとも面識あるならわかっちゃうか。
「演技の事はそんなにわからねえけど、才能って面じゃ負けてねえだろ」
「そうですかね」
「アイが言ってたんだから間違いねえよ」
「あー、なるほど」
「俺に言われるより信用できんだろ」
申し訳ないけどそれはそう。でもアイさんが私の事をそう言う風に言ってくれてたんだって思うと嬉しい。
「才能は同レベル、キャリア的にはかな嬢の方が上か? それでも今の評価としては、元天才子役と現天才女優ってところか」
痛いところをついてくる。
なんなら私は役者の視点から見たら、かつて売れた元天才子役で今はアイドルをやってるよくわからない役者、かもしれない。別に自分の選択には後悔してないけど。
「参考になるかわからねえが、そういう相手に勝つためなら自分の土俵に持ち込みな」
「自分の土俵、ですか?」
「そうだな、例えば、ボクサーのガオラン・ウォンサワットと柔道家のテディ・ネルネールっているだろ、二人が戦ったらどっちが勝つと思う?」
「……他の例えないんですか?」
なぜに格闘技になるのか。名前はわかるけど詳しい事はよく知らない。
「他か、そうだな……じゃあプロレスラーのーーー」
「すみません、やっぱりそのままで良いです」
考えても格闘家しか出て来ないんかい。余計にわからなくなるわ。この前のコラボで大変なのはわかってるつもりだけど、プロレスだって脚本あるみたいだし、結末とか決まってるんじゃないの?
「そうか? まぁ、同じようにそれぞれの頂点に立つボクサーと柔道家が戦ったらどっちが勝つと思うかって話だ」
「よくわからないですけど、ボクシングだったらボクサーが、柔道なら柔道家が勝つんじゃないんですか」
素人的な意見だけど、それが当然のことだ思う。
「そうなるよな。演技に関しては何を持って勝敗をつけるかわからねえけど、勝ちたいなら自分の得意な分野に持ち込めば良いんだよ。才能込みで実力もそう変わらねえだろうしな」
「負けてるなんて思った事は一度もないです」
才能があるのも、天才だって言われる実力があるのも、私が元天才子役と呼ばれてる事も認める。けど演技で負けていると思った事はない。今の黒川あかねの演技からは、私が正しいという圧をすごく感じる。それがまだムカつく。
「ならやるしかねえだろ」
「そうは言っても、みんながみんな好き勝手やったら作品がダメになっちゃいますよ」
誰かが目立つなら誰かが受けをやらないと。
「周りを見れんのは良い事だと思うが、それで勝てそうなのか?」
「それは……」
引っ込んで勝てるほど甘い相手じゃない。そんな事はわかってる。でももし好き勝手動いてあの時みたいになったら。あの時とは違って今は大手に籍を置いているから、以前ほど簡単に干されないはずだとは思っていても、ついその考えが過ぎる。
「まあ、最後に決めるのは自分自身だしな。本当に納得できるならそれで良い。ただ仮に好き勝手やって滅茶苦茶にしたって、仕事がなくなる事はねえさ」
その言葉に、つい下がっていた目線が上がる。
「万が一無くなったら、食っていくには困らねえ分の仕事くらいなら取ってきてやるよ」
どうやって仕事を取ってくるつもりなんだろうか。その辺はマネージャーとかの仕事でしょ。でも、自信満々に言われるとなんだか本当にとって来れそうな気はする。実家のパワー? それはそれでコネだって言われそうだけど、無いよりは良いか。
「そしたら、ちゃんと女優業とか取ってきて下さいね。変なコラボとかじゃなくて」
そっち系は十分にやってるからもうお腹いっぱい。
「なら主演級の仕事取ってきてやるよ」
もし本当なら今回の東ブレ関係なく欲しいところだけど、私のやる気出すための方便でしょうね。
「ちょっと気になったんですけど、なんで私なんかにそこまで?」
ルビーとアイドルやってるからってのもあるかもしれないけど、それを含めても面倒見てくれる気がする。今日のもわざわざ付き合ってくれたし。
「家族が世話になってんのもあるが、必死に頑張ってる奴は応援したくなるもんだろ。俺の見えてる範囲では、今一番努力してんのはかな嬢で間違いねえよ」
「……ありがとう、ございます」
お世辞が入ってるのはわかってる。努力なんて表に出して声高らかに言うものでも無いけど、素直に褒められると恥ずかしいし嬉しい。
大人にこんな風に言ってもらったのはいつ以来だろう。こんな事でやってみようかなんて思えるんだから、我ながら本当にチョロい。
あの家族は、こうやって頻繁に褒められているんだろう。羨ましい、なんて思ってしまった。