一番星の王子さま 作:160万のワインを飲み損ねた
高千穂で白骨死体が発見されたニュースを見た。
身元はまだ分からないけれど、場所からしてもきっとそうだと直感が告げている。わかっていた事だ。俺がこうしてここにいるんだから、
……せっかく勉強してたのにな。やっぱり、テレビなんてつけてやるもんじゃない。
集中力が完全に切れてしまった。解き途中だったが、今更再開する気にもならなかった。やってもただやるだけで身になるわけじゃない。これ以上は無駄だと判断して、赤本を閉じた。
「休憩? お茶飲む?」
社長の家でやっていたから、近くで本を読んでいた龍鬼さんが変化に気付いたのか、読んでいた手を止めて気を使ってくれた。
「ちょっと疲れたんで、休憩って言うよりも終わりにするつもりです」
「ずっとやってたもんね。やっぱり医者になるための勉強って難しいの?」
「まぁ、それなりには。せっかくだから解いてみます?」
「折角だからやってみようかな」
赤本を渡してみると、龍鬼さんは興味深そうにページを捲る。聞いた話だと読み書きも完全ではなかったらしいが、本人の努力でかなり上達したらしい。多分だけど、父さんよりも勉強できるんじゃないだろうか。
しばらくページを捲っていたが、解けそうな問題を見つけたのか手が止まる。
「ダメだ。こんなの解けるなんてやっぱりアクアは頭良いね」
「得意だったんですよ、昔から」
他にやることがなかった、と言うのもあるだろう。物心ついた時には祖父母は年金が主な収入源だった上に、学費に食費、その他の生活用品など、子供を一人育てるのには想像以上のお金がかかる。決して余裕がある訳でもなく、気まずさもあったからか、あまり物ねだらないようにしてきた。だから、よく図書館などの公共施設に行って本を読んだり勉強をしたりした。単に、わからない事がわかっていく感覚が好きだったのもある。おかげで産医には成れたのだから、あれは決して無駄ではなかった。
「へぇー、小さい時から演技もやってたのに凄いね」
小さい時の見たよ、なんて言ってくれるが、個人的には始めたての頃は基礎のきの字も分からず下手な演技だったから、あまり素直に喜べなかった。出来るのであれば、あれは知人には見せたくない。
「龍鬼さんはどうだったんですか?」
「俺? そうだなあ、気付いた時から最近まで爺ちゃんとずっと『中』にいたから、アクアからしたらあんまり聞いてて楽しい話じゃないよ」
昔からずっとあった。上京した時も『中』は有毒ガスが蔓延していて危険だからと言われ、俺も特にそれ以上知ろうともしなかった。まさか巨大な塀の中で人が暮らしているとは思ってもいなかった。
龍鬼さんは父さんと同じクローンで、けれど成功体らしい。それが中にいたってことはそこで作られたんだろうか。
ちなみに、王馬さんにも龍鬼さんにも、その話は伝わっている。二人して「ああ、そう」位の感想しか出てこなかったのは、二人とも似てんなとついつい思ってしまった。
「それでも気になるんで、龍鬼さんが良ければ」
「そう? でも本当にそんなに話す事はないよ。『中』って一括りに言っても十区画に別れてて、結構治安も違くてさ。俺と爺ちゃんは定期的に隠れ家を移って過ごしてたんだ。色んな人種の人が生きてるし、変な言葉で喋る奴らもいたよ。一応お金での売買はあるけど、奪う奪われるも当然あった。物騒な所だから学校みたいな所なんてなかったし、生きていく上で必要な事は全部爺ちゃんに習ってね、名前からわかると思うけど臥王流も爺ちゃんに叩き込まれたんだ」
俺が考えている以上に、大勢の人が住んでいるのかもしれない。龍鬼さんの言う通りなら日本人だけではなく、おそらくは何らかの理由で亡命した人達も住み着いているのだろう。色んな言語が飛び交うものの、教育機関はないから自然と言葉が混ざって変わっていき、クレオール言語と化している事もある、と言う事か。
「お爺さんって、確か臥王鵡角さんでしたよね?」
「そうだよ。爺ちゃんってもう年なのにすげえ強くてさ、鍛錬する時は毎回ボコボコにされてたし、殺しの技を教え込むために鎖で繋がれて、十日間くらいその場で放置された事もあった」
それは虐待だろ。
「……よく生きてましたね」
環境やその時の水分量でも変わってくるが、飲まず食わずであればどんなに保っても一週間。
「うん。だから足の骨外して抜け出して、死なない程度に水分だけ摂ってたりしたよ。あの時が一番ヤバかったかな」
「なんでそこまで?」
爺ちゃんから全部教わったと言うのは、比喩ではなく言葉通りの意味なのだろう。言い方は悪いかもしれないが、洗脳に近かったはずだ。逃げようとは思わなかったのか、とは聞くに聞けなかった。
「その時は爺ちゃんの言うことが全部で、何もかもが正しかった。もしかしたら、認められようと必死だったのかも。だから考える事もなく言われるがままに飲み込んで……殺す事だって、つい最近まで悪い事だなんて思わなかった」
何か言おうとする前に、でも、続く。
「でも、外に出てきて、光我と知り合って。まあ最初は嫌いだったんだけど」
「そうなんですか? てっきり初めから仲良かったのかと」
「俺も俺だったけど、光我も最初は酷かったんだ。いきなり初対面で蹴り込んでくるし、あの頃は弱いのによく吠えて、正直相手にする必要もないって思ってた。けど、実際は思ってたのとは違って、一緒に過ごす内に大切な人になっていった。初めてできた親友だよ」
そもそも同年代で会話をする相手と言うのも、もしかしたら光我さんが初めてだったのかもしれない。にしても、王馬さんもそうだけど最初は喧嘩腰がデフォルトなのか?
「親友、か。良いですね、そう言うの」
「アクアはいないの?」
「友人知人はいますけど、親友とまで呼べる友人はいないですね。小さい頃から役者やってたのもあって、学校行事とかも全部出れたわけでも無いんで。それに、あんまり仲良くなりすぎて拳願会の事バレるリスクも、できるだけ避けたかったですし」
そもそも親友の定義もわからん。毎日話してたら親友か? 隠し事せずに付き合えたら親友か? 心理的な壁を作っていたのは俺の方だから、親友ができないのも無理はないが。
「芸能人も大変なんだね」
「楽しんでやってますけどね。龍鬼さんは事務仕事手伝ってみてどうです?」
「これまでやったことがなかった事が多いけど、俺も楽しんでるよ。皆俺には勿体無い位良い人達で、全然物を知らなかった俺に色々教えてくれて。最近、やっぱり俺は間違ってたんだなって思うようになってきた」
ほんの少しだけれど、表情には隠しきれずに悲痛の色が浮かんでいた。これまで自分の中で培われてきた物が間違っていたとなったら、そう思うのも仕方のない事なのかもしれない。
「……臥王鵡角さんの事はわからないですけど、何でもかんでも間違ってたって事はないと思いますよ」
なんと言うか、それはあまりにも辛すぎる。
会った事もないからわからないが、全てが善意ではないにせよ、わざわざクローンの龍鬼さんを、方法はさておき大人になるまで育て上げたんだ。
「確かに殺しはダメだって思いますけど、教わったのってそれだけじゃないと思うんです。生きるために必要な事だってあるだろうし、殺しに関する事だって使い方次第じゃ逆の使い方もできるはずで。だから、どっちかが一方的に正しいとか、全部を一か〇かで判断する必要はないんじゃないかって。常識なんて、場所が違えば違うなんてよくある話ですよ」
「ありがとう。アクアは優しいね」
優しさなのか、嫌われる勇気がないからか。先の話ではないが、あと一歩を踏み出す勇気がないから親友がいないとも取れる。
「どこかで『中』に戻って、爺ちゃんと話さないといけないかなって思ってたけど、もう少し考えて、ちゃんと自分の中で答えを出してからにするよ」
「その方がきっと良いですよ」
タイミングを見計らっていたのか、ちょうどランチョンマットとカセットコンロが運ばれてくる。
「話が終わったら飯にすんぞ」
「ありがとう壱護さん。やっぱり俺も手伝おうか?」
「たまには休んどけよ」
「そうよ。龍鬼君は休んでて」
言葉は頼もしいのだが、社長はここ二日間、家事は龍鬼さんと俺に任せ切りだった。ミヤコさんが帰ってきてふとした事からそれが露呈し、少しはお前も動けと言われての三日目の夜。口には出さないが、エプロン姿は実に似合っていなかった。
淡々と鍋の準備を始める姿は、とても大企業の社長とは思えない。完全に妻に尻に敷かれる夫の図。親しみやすいのは個人的には良いのだが、他の社員とか所属タレントには見せられない気がする。
食べ始めてしばらくして、二缶目のビールが開いた頃、社長が話題を変えた。
「そういや今日は拳願会の会合があったんだが、まだ時期は確定してないがトーナメントをやる方向で話がまとまった」
「またやるんですか?」
「絶命トーナメントは絶命トーナメントである。まだ噂レベルだけどな。今回のはそれとは別で、煉獄との共同開催だ。そこまで規模のデカい物じゃねえが、優勝者には賞金も出る予定だし、若手に取っては名を売るチャンスだろう」
若手というと、おそらくは絶命トーナメント以降に参戦した闘技者や闘士達か。乃木さんが会長になってからは拳願会も不殺に力を入れているからそこは外さず、後は煉獄と拳願会のルールをどう擦り合わせるかと言ったところか。
「トーナメントかあ」
「龍鬼も興味あるか?」
「ちょっとだけね。でも出場枠も決まってるだろうし、俺よりも他にやる気がある人が出た方が良いよ」
「枠を超えたら予選が設けられるだけだろうな。その辺の議論もまだできてねえから、とりあえず出る出ないはそれが決まってからでも良いだろう」
色んなところで修行をしている光我さんは、そろそろ本格的なこう言った仕合にも参加しそうだ。多分、龍鬼さんもそれが分かったからこそ少しだけ気が向いたのだろう。
逆に企業お抱えの闘技者達は、絶命トーナメントがあるのであれば参戦を控えるかもしれない。いわゆるレジェンド達はそこまで出てこない気がした。