一番星の王子さま 作:160万のワインを飲み損ねた
その幼女に名前はない。
戸籍制度が整う以前、庶民の間では決して珍しい事ではなかった。制度が制定されて以降、初めて全国民に名前が正式に与えられる事となったが、例外もある。例えば、特的の宗教的な理由で名付けられない場合。仏教や神道においては、名をつける事は俗世に入る事とされ、意図的に名をつけない期間がある場合がある。
だが、彼女の場合はそれとは別の理由だった。
人間が、神に名前を付ける事など烏滸がましい。
産まれは格式高い社家。肉体は人のそれ。人と同じように成長し、同じように果てる。ただ異なるのは中身。その家では代々、古くから続く言い伝えがあった。器に神が宿ると。器の定義はされていない。何年周期で生まれるのか、どんな特徴があるのかも不明。それ故に、その家では代々産まれた子供を器として祭り上げた。当然大半がただの人間ではあるが、時折そうでない個体が産まれる。信じる者も減り始めた現代において、彼女が産まれその目を開いた際に彼らはそれを理解させられた。
当然それは公にされる事はない。幾重にも情報が規制され、ブラフが用意された。奥底まで調べなければ、大抵はオカルトに傾倒した家系、と言う答えに辿り着く。『神の軍勢』、『救世界』のようなカルトではないため、マークはされても英はじめの様なエージェントが派遣されることもない。
「お前だな。二人を転生させたのは。不干渉が常のお前達にしては随分と珍しい事をする」
己の本名を告げられた事で、申武龍は彼女が特別な存在である事を理解した。だからと言って、警戒心を表にする事はない。どこまでも自然体で、ただ見るために視線だけは外しはしなかった。
神、と呼ばれる存在を武龍は知っていた。遥か遠い昔、確かに彼らはいて、一時は同じ時を過ごしたものだ。何かをしたいがために、なんとか再現性の高い擬似転生方法も身につけた。
「見ていたのは知っていたが、それほど二人は君にとって特別なのかな?」
彼女は常にアクアとルビーを見てきた。ただ、一から十まで全てを知るわけでもない。情報は彼女の周りに集まっているカラスが集めるため、建物の中の会話などは映像としては見ることができても、音は聞こえない事が多かった。
「君には関係のない事だよ」
彼女の視座も人とはかけ離れていた。根底にあるのが二人のためと言う思いだとしても、それがそのまま二人にとっての利する事には繋がらない。時には残酷とも取れる事もあるだろう。
「随分と嫌われたようだな。まあ、それはどうでも良いが、一応言っておくと二人をどうするつもりも私達にはないぞ」
「信用できないと言っている。どこまでも自分本位な上に、仮に君はそうでもクローンは違うでしょ」
「彼らもそこまで……ああ、
武龍のクローンは、成功体の王馬と龍鬼を作り出すために多数の失敗作が生み出された。羅漢と呼ばれた男も、特殊ではあるがその一人。
「話聞いてた? そもそも君にも近づくなって言ったんだけど」
「……? なぜだ? 二人は桂君とアイ君の子供だ。桂君は私のクローン故に間柄はどう表現すべきか微妙なところだが、私は祖父のような立場だろう。長年生きてはいるが中々こう言った立場は経験がなくてね、個人的にも楽しんでいる」
武龍としても、あの家は退屈しない良い場所だった。心底わからないと言った表情の武龍に、彼女の苛立ちが増す。他者をイラつかせる事に関しても右に出る者はいなかった。
「あ。もしかして私が転生方法を聞くために何かすると思っているのか? であれば杞憂だ。彼らが何かを思い出して伝えてくれる事はあるかもしれないが、私からこれ以上聞き出す事はない」
所詮は洗脳でしかない回生よりも、アクアとルビーの転生は本来の言葉通りの意味を持っている。単にそれを目的とするのであれば、もう少し興味を持って調べる事もあっただろう。だが、今の武龍の目的を叶えるためには、一度死ぬ必要があるこの方法は懸念点がいくつかある。
成功率はどれほどか。
純粋な人とは言い難い繋がる者に適応されるか。
仮に適用できても、その中でも更に特殊な今代にはどうなるか。
転生にあたり、何か制約はあるのか。
検証するにあたっても、武龍の特異性が仇となりサンプル数が足りない。それであれば現在のメインプランの方が時間はかかるが確実であるが故に、仮に全貌を知ったとしてもメインになる確率は限りなく低い。
「不安なら、君が全てを話してくれても良い」
それならば尚更私から聞くことはない、と武龍は言葉を重ねた。
上からの物言いに苛立ちながらも、彼女はどうするのが最善かを考える。知られた以上は隠しきれない。格は上であっても、その肉体は子供のそれ。武術の心得もなく、物理的な戦闘能力の差は、考えるまでもなく歴然。仮になんらかの動きを見せれば、正当防衛として動かれかねない。
先のアクアとの会話で、武龍は能動的に人を殺めた事はないと言った。それは間違いなく事実ではあるが、殺しに対して忌避感を持っている訳ではない。受動的に、理由さえあれば殺す事に躊躇いは無くなる。
非常に不服ではあったが、彼女は感情を飲み込んで答えてやることにした。
「……生者には無理だよ。仮に君が死んだ後、別の人間に転生させるのは可能だろうね。やらないけど」
「やってくれないのか?」
「しつこい。できるとやるは別だし、そもそも私が君のためにやる理由もない」
「それもそうだな。うん、五〇年後位にはもしかしたらまた頼むかもしれないが、その時はよろしく頼むよ」
その頃には答えも出ている目算だった。クローン体で良いのであれば、あと半世紀もすれば技術レベルは向上し、今よりも確実に成功体が作れるかもしれないと武龍は考えていた。
「君の関心がアクア君とルビー君にしかないのは分かった。……そうだな、今後会う事もないとは思うから、私からも言っておこう。お前の理由や目的はどうでも良いが、私の遊び場には踏み込むな」
自分が狙われる事はどうでも良い。何なら久しぶりに面白い戦いができるかもしれないと迎合するだろう。だが、自分の遊び場に土足で踏み入ることは許容できない。そこが互いに不可侵でいられるラインだった。
「ん〜」
悩ましい。こんなに悩んだのは久しぶりかも。
「どうしたの。あんたさっきから上の空だけど」
「ごめんごめん。ちょっと考え事してて」
ニノと飲んでる時にもついつい考えちゃって、それを指摘された。もう何杯か飲んでるから酔いが回ってるのもあるんだと思う。ほんのり赤らんだ顔は色っぽく見える。
「なに、三人目でもできた?」
「できてないよ」
「なんだ。相変わらず仲良くてまだ若いんだから、三人目だって作っても良いのに」
「そうなんだけどね。まずはアクアとルビーをちゃんと育ててからかな」
二人を産んだ時はまだ子供だった。今の私の年齢で初めて子供を授かるママさん達の方が多いと思う。相変わらずケイの事は好きだし、やる事はやってる訳だからその気になれば多分授かる事はできる。でもそうなると、何だかこれまで家族に向けてきた分の愛情が生まれてくる子の分減っちゃう気がして、何だか最後の一歩が踏み出せなかった。後は、単にまたあの痛みを経験すると思うとね。それに生理は来なくなるから生理痛がないのは良いんだけど、結局お腹大きくなる痛みとか悪阻とか代わりのがいっぱいあるし。
「もう一六になるなら、だいぶ大人になったと思うけど」
「あ〜うん、そうなんだけどねー」
そこなんだよなー。
「二人に何かあったの?」
「別に喧嘩とかじゃなくてね、なんて言うか……仲が良すぎる的な?」
「何それ。仲が良いなら良い事でしょ」
「そうなんだけど……ニノって兄弟いたっけ?」
「いないけど?」
「なんて言うのが適切なのかわかんないんだけど、兄妹って距離感じゃないと言うか。アクアはあんまり変わらないんだけど甘くなったような気がして、最近ルビーがアクアにくっつきすぎと言うか。アクアに恋してるの? って言うか」
「え、あの二人そんなインモラルな関係だったの?」
「違……うと思いたいんだけどね」
言い切る自信がない。
仮にそうだったら私はなんて言うのが正解なのかな。
ニノはグラスに注がれたお酒にまた口をつけた。
「私達の時もそうだったけど、恋愛禁止はしてないとは言っても表立って彼氏作ったとは言わないでしょ。今なんて特にSNSでいつでも誰でも情報提供者になれるから、バレる確率は高くなった訳で、そう考えると彼氏作ってバレて炎上する位なら、擬似で誤魔化す子も出てくるんじゃない」
「アクアを彼氏に見立ててるって事?」
二人を孕ってた年齢と同じだから、異性に興味を持つのはおかしくない。
「実の兄なら言い訳もできるしね。まぁ、私はルビーちゃんじゃないからわからないけど。でもほら、あんた達の子供なだけあってアクア君も顔は良い訳だし、その辺の男じゃ物足りないって思ってもおかしくないかもよ。もしくは逆に言い寄ってくる男が多いから敢えてそうしてるのかもしれないし」
「そうなのかなー。でもそうだとしたら家の中でやる必要なくない?」
「でしょうね」
「まぁ、アクアもルビーも顔が良いのは私達の子なんだから当然なんだけど」
「その言葉は腹立つけど認める。ルビーちゃんは最近益々あんたに似てきたし、ウィッグでも被ったらそっくりに見えるかもね」
「えー、私そんなに若く見えるかなー。まだ金髪もいけちゃう?」
照れちゃうね。呼吸の効果が早速出てきたかな。
「そうは言ってない。だいたい何でアイが被る前提なのよ」
「昔デートする時とか変装で被ってたから」
懐かしいよね。もう結婚してる事も、アクアとルビーと親子って事も公表してるからウィッグ被る程変装した事はない。また今度やってみようかな。
「何その情報。あんたと旦那がどうデートしてたかなんてすごい要らない上にどうでも良いんだけど」
「うわっ、辛辣」
「って言うかいつも一緒の旦那はどこ行ってんのよ」
そんなに一緒にいるかな。
「カウンターにいるよ。あそこのバーテンさん、ヒムロさんって言うんだけど知り合いなの」
視線に気づいたのか、ケイがこっちを振り返って見てくる。軽く手を振ったら振り返してくれてた。
「私じゃなくて旦那と先に話したら?」
「話してるよ。二人じゃ頭パンクしたからニノに話したんだよ」
「なるほど。でもよりによって私に聞くかな」
「えー、親友でしょ?」
「そうだけど、私子供どころか結婚もしてないんだけど」
「そう言われちゃうとそうなんだけどさ」
センシティブだから中々人を選ぶ。ミヤコさんもこれ以上余計な事増やすとパンクしちゃいそうだし、理乃さんは「あらあら」って言いながら受け入れちゃいそうだし。そう考えると難しくて、裏の事は無理だけど、一番何でも話したり相談できるのは、私の中じゃニノだった。
「私じゃ答えは出せないけど、家族なら素直に聞いちゃうのが早いんじゃない?」
少し待ってると、ニノが答えてくれた。
「色々考えるのはそれからでも良いと思うよ」
「うん、そうしてみようかな」
ありきたりなアドバイスってニノは付け加えたけど、悩んでた私に取ってはすごいありがたい事だった。
「……昔は思わなかったけど、そうやって家族の事で悩んだりしてるとアイも普通の人なんだなって思うよ」
「私は可愛いだけで普通でしょ? って言うのは冗談で、私はただ嘘が上手なだけだったんだよ」