一番星の王子さま 作:160万のワインを飲み損ねた
1
神田明神。社伝によれば天平二年に創建され、元和二年に現在の位置に遷座された。そこからさらに百年ほど経ったあたりからは、拳願仕合会場として幾度も使用されてきたらしいある種の聖地。余談だが祀られている神は三柱おり、縁結び、商売繁盛、除災厄除を司っているらしい。以前宮崎に行った際に訪れた天岩戸神社の祭神とは、それぞれ国つ神系と天つ神系とで大括りに分けられるようだ。
仕合会場は煉獄所有コロシアム「ザ・コア」。拳願会と煉獄の対抗戦会場となった神殺ドームと対を成すように完全に覆われた空間で、まさかの神田明神から地下百メートルほどの掘り進んだ場所にある。かつての冷戦時代にお偉方の核シェルターとして建設され、無用となった今代で豊田さんが買い取り管理しているらしい。神社の下に作るってどうなんだ。たまに日本人は信心深いのかそうじゃないのかわからなくなる。
本戦ルールは予選と同じく拳願仕合ルールではあるが、煉獄のルールにあるリングアウトを追加した物となっており、個人的にはありがたい事に不殺へと大きく舵を切った印象を強く抱かせた。
各グループの予選を勝ち抜いた八名は、今日一日で決勝まで、最大三仕合を実施する事となる。コロシアムの中央にある円形リング、その上部に取り付けられたモニターには、出場選手の紹介Vとトーナメント表が映し出されていた。
第一仕合
今井コスモ vs レオナルド・シウバ
第二仕合
アダム・ダッドリー vs マーク・マイヤーズ
第三仕合
理人 vs 鎧塚サーパイン
第四仕合
臥王龍鬼 vs 成島光我
四仕合目とは言え、いきなりの龍鬼さんと光我さんの戦い。決勝で当たらなかった事を嘆くべきか、一回戦故に全力でぶつかることができる事を喜ぶべきか。二人はどう考えているのだろうか。
「この椅子ふかふか! なんか囲われてるみたいで面白いね」
「背もたれに寄りかかると周りの声もちょっと遮られるし、自分の声も少し反響して面白いね」
「パパこれ買ってよ」
「買ってどこに置くんだよ」
「リビング?」
「いらねえ。ソファあれば十分だろ。だいたいいくらすんだこれ」
「高そうだよね。形は特徴的だから後で調べたらわかるかな。ここ深すぎて電波届いてないみたいだし」
「だとよ。欲しけりゃ自分で買いな。最近少しは稼げてきてんだろ? 自分で買うなら文句は言わねえよ」
「そうだけど……あ、前にMEMちょが動画にしたら経費で落ちるって言ってたからそれしようかな」
緊張感まるでないな。俺が真面目に考えてんのに。
「……経費って言ってもタダになるわけじゃないぞ。課税所得が減ってその分支払う税金、所得税とか住民税とか個人事業税とかが減るだけだ」
「え、そうなの?」
「タダになるわけないだろ……。まぁ、動画の収益次第じゃプラスになる事もあるかもしれないが、三人で割ってる時点でなかなか無いだろうな」
「なんだー。じゃあいいや」
「お前な……」
絶命トーナメントは元より、対抗戦ももっと殺伐とした雰囲気はあったが、今回の戦鬼杯はそれが感じられない。今回は父さんが出場しないのもあって、俺としても気が楽なのかもしれない。もしくは、敵が明確に蟲となっており、拳願会と煉獄の共生をアピールするための大会だからか。
蟲と言えば、一時期活発に動いていたものの現在は急におとなしくなっている。嵐の前の静けさ、とも取れるが、少なくとも今日この場においては安全だろう。
身を乗り出し、父さんの方を見る。俺の隣からルビー、母さん、父さんとなって、ジャッキーさんが座っている。前列には社長やミヤコさん、山下さんが座っていた。
「さあ、仕合を肴に飲もうか」
「既に一本飲み終わってから言うセリフじゃねえんだよな……。まあ良いか、一本くらいは俺も貰うか」
「アイ君はどうする?」
「私も一杯くらいは戴こうかな」
母さんもジャッキーさんから一缶受け取る。ジャッキーさんは前に座る社長たちにも配って、そのまま大人組は乾杯を始めた。
何本持ってきてるんだ。と言うか、もはやいる事に違和感ないんだが。本当にこの人蟲の親玉なのか。
「……大人達ってお酒好きだよね。そんなに美味しいのかな」
他には聞こえないように声量を落としてルビーに答える。
「味で言えば美味しくはない。大人になると味覚とか嗅覚が鈍くなって、苦味とか渋味を感じにくくなるからその代わりに美味しく感じたりするんだ。ただそれを楽しむ雰囲気とか、ほど良く酔った時の感じが好きって人の方が多いと思う」
酩酊からの二日酔いとかは二度と飲まないとは思っても、気づいたら飲んでる時はあった。ストレスから多飲する人も、酔っている間はストレス源の事を忘れられるから量もどんどん増えていくのだろう。一度は医療を齧った者からすれば、飲まない方が良いことはわかってはいるんだが。
「そうなんだ。どんな味なんだろう……今度は飲めるかな。ねぇ、最初飲む時は一緒に飲んでね」
「勿論。飲み方含めて色々教えてやるよ」
俺からしたら二十歳になればただ飲めるだけの行為でも、ルビーからしたら、以前には経験できなかった事の一つなのか。かつてはできなかった事を一つずつ経験していると思うと、ある種儀式的な事でも非常にめでたい事のように思えてしまった。飲む時はレディーキラーをはじめとして気をつけた方が良いことも含めて色々と教えよう。大人になれば、いつまでも俺がそばにいる事はできないから、早めに教えられる事は教えておかないとな。
そんな事を考えていると、いよいよ一仕合目が始まろうとしていた。
リングに立つ二人の体格差は歴然。
一七一センチ六九キロのコスモさんと、一八四センチ九三キロのシウバさん。向かい合って立つとその差は数値以上に見えた。レジェンド闘技者と超新星の一戦は、新旧闘技者の闘い。
「柔術対決か。スタイルは違えが面白い仕合になりそうだな」
「スタイル?」
父さんの言葉に思わず聞き返してしまう。
「シウバは打撃をほとんどしねえ超防御型だ。相手の攻撃をひたすら捌いてカウンターで決めるタイプ。コスモは打撃も積極的に取り入れて、作り出した隙を見つけて絞め落とす攻撃型。まあアイツはカウンターも一流だが。いずれにしても寝技に持ち込むまでの方法が違うんだよ」
「そうなのか」
「どっちが勝ちそう?」
素人考えだと攻める方が有利そうだが、その分カウンターを取られるリスクも上がる。互いに虎視眈々と技をかけるタイミングを狙う事になるのだろうか。
ルビーが難しい事を聞いてきた。
「やってみないとなんとも言えねえが、付き合い長えコスモの方を応援したくはなるわな」
「前はウチに来て護身用の柔術とか教えてくれたよね」
母さんが懐かしむように呟く。
「なんでやらなくなったんだ? コスモさん真面目だし人気出そうな気はするが」
年上に可愛がられるタイプに思えた。初見さんみたいに下心もなさそうだし。
「実際人気はあったんだけど、アイツがあんまり女性慣れしてなくて根を上げたんだよ。西品治曰く年上の女性が好みだったらしくて、余計に意識してダメだったんだろうな」
「コスモさんそんなに初心だったんだね」
「……本人の前では言わないでやれよ」
ルビーに釘を刺す。ずっと仕合のために修行を続けていたら接点も少ないだろう。西品治さんは遊び慣れてそうだからそっちも教えてると思ったが、どうやら違かったようだ。
レフェリーが声を上げる。いよいよ開始。両者似たような構えを取り、始めの合図で動き出す。
最初に動いたのはシウバさんの方だった。父さんの説明に反して速攻とも取れるタックルを仕掛けてた。
「あんまり攻撃しないんじゃなかったの?」
「……普段はな。速攻って言うよりも攻め急いでる感じだ。アイツ、怪我でもしてんのか?」
「左の第七か八肋骨だな。一歩目が二歩目以降に比べてやや不自然だったのを見るに、重症ではないが罅が入っている。悪化する前に勝負を決めたい算段だろう」
「今のでそこまで見えてんのか」
「私の場合は経験則もあるがね。視覚に限らず、五感全てで拾える情報は拾った方が良い。情報は知識や経験となり、君を強くする糧になる」
父さんと母さんのやりとりにジャッキーさんが入る。
父さんはケガという予測でしかなかったが、ジャッキーさんは部位まで見切ってきた。実際のところはわからないが、ほんの一瞬でも得られる情報にここまで差があるってことか。
仕合展開は攻めるシウバさんとそれを躱すコスモさんと、聞いてきた情報とは逆の展開になった。ある程度の打撃ではそのまま突っ込み込みそうな勢いはこちらにも伝わってくる。体重差を考えたら、多少無理してでも捕まえた方が勝利に持って行きやすいって事か。
二回目のタックルをコスモさんが躱し、狙い澄ましたような一撃を放つ。俺が思っていたよりも威力が高いのか、巨体がそれを受けて傾く。それでも追撃は当たらず、体勢を立て直して捌いていた。
そこからは事前情報通りと言うか、攻めるコスモさんと捌いて気を窺うシウバさんの構図になる。
打撃を見切ったのか、右ストレートを流れるように左手で捌き、そのまま左手でコスモさんの右手首を掴んだ。シウバさんは右掌底でコスモさんの肘に当てに行く。筋が伸びる技、力の差が大きければそのまま折ることもできるはずだ。
痛みから解放されるために腕を振り解いての後退。そこに付け入るようにシウバさんが身を屈めて三度目のタックルに入る。今度はようやく捕まり、二人はグラウンド戦へ。二匹の蛇が絡まるかのように次々と体勢が変わり、腕や首を狙いに行く。俺ではどちらが有利かがわからない。ただ聞き齧った程度では、下にいるから劣勢というわけでないようだ。下から攻める技術がかなり発展していて、ガードポジションからでも極める事はできるらしい。
グラウンドでの攻防は突如として終わりを迎えた。
慌てたようにシウバさんが離れ、脇を押さえるような仕草をした。
『肩甲骨を剥がそうとした』と、実況席に座るスペシャルゲストの関林さんが何があったのかを解説してくれる。表格闘技では反則技のようで、クリーンなイメージが強かったコスモさんとしては以外な技に思えた。
再びスタンドでの戦いになるかと思いきや、そこからは一瞬だった。
両者同時に駆け出す。交錯すると思った瞬間、簡単にコスモさんが後ろを取った。そのまま押し潰すようにバックチョークをかける。完全に極まったのだろう。十秒もせずにノックアウトされる。
「タックルを決めるために意識が集中した瞬間を狙ったのか。素晴らしいじゃないか」
「あれを意図的に出来んのはコスモだけだよ。シウバの奴も最後は焦ったな、これまでと比べて単調な分余計に見極めやすかった」
「やはり観に来て正解だった。君との遊びも悪くないが、私も仕合に出てみたくなったよ」
「……流石にそれは無理じゃねえか? もうちょっと待ってろよ。後少しで遊びじゃなくて闘いになるようにするさ」
「それは楽しみだ」
今更ながら、ジャッキーさんと稽古みたいな事してる父さんはどれくらい強くなっているのだろうか。元々がトップ層にいたこともあり、仕合でも明確な差がわからない。このまま強くなっていくと実はそれが回生で、みたいな事はないのか……いや、ないか。あまり奸計を巡らせる人には見えない。腹の中なんてわからないが、もしかしたら単に誰かと戦いたいだけなのかもしれない。
「山下社長。一緒に飲みましょう」
シウバさんが運ばれて、コスモさんが歓声に応えながらリングを降りていく中、左目に掻傷がある男性が近づいてきた。個人的な付き合いはないが、確か光我さんの叔父さんの成島丈二さんだったはず。山下さんはどうぞどうぞと歓迎して、成島さんが隣に座ろうとしたところで、後ろに座るジャッキーさんと目があった。何かに気づいたような二人はしばらく互いを凝視し、
カンっと互いの手に持つビール缶をぶつけ合って無言で乾杯した後、一気にそれを飲み干した。
……なんなんだこの二人。