一番星の王子さま 作:160万のワインを飲み損ねた
今日はここにきて正解だったな。と内心で思いながら、ジャッキー・リー基、申武龍は地上に出て夜道を歩いていた。
飯も美味く、仕合を見ながら飲むビールは大人達がナイターを現地で見る感覚に近いものがあった。仮に自分の方が圧倒的に強くとも、闘争を感じさせる白熱した仕合は実に面白いものだった。決勝戦、理人とコスモの仕合見届けてから、今日出会ったばかりではあったが魂の友とも呼べる成島丈二達と別れを告げてきた所だった。大陸の山奥でのんびり暮らすのも悪く無いが、こうした刺激のある日々も良いものだとしみじみと感じていた。あまり変わり映えのしない山奥と違って、下界は発展、変化が目まぐるしい。以前降りた時とは科学技術のレベルが格段に上がっていた。それに期待したからこそ一度はデジタル化を目論みはしたが、そのレベルに達するにはもう少しだけ時間がかかりそうだった。釣りとは違って我流でやってみるわけにもいかない。
ふと、彼の鼻腔を刺激する良い匂いがあった。キョロキョロと見てみればどこにでもある二四時間ずっと店がオープンしているコンビニエンスストアで、匂いに釣られて自然と足が動いたので中に入ってみる。ちょうど出来上がりだったのか陳列棚には肉まんがたくさん入っており、良い匂いをさせていたのは君か、などと思いながらそれらを買い占めた。コンビニを出て歩き出すと、まずは一つ紙袋と包装を剥がして食べてみる。どうやったらこれだけの肉汁が閉じ込められるのかと真剣に悩んでしまうほどの熱々のそれが、彼の口の中に広がった。
「……しまった。ビールを買い足せば良かった」
軽い火傷をしながらも、後悔はかぶり付いた事ではなくビールを買い忘れた事だった。振り返ればまだそこにコンビニはあるのだが、戻る気もなかったため二口目を頬張りながらも宿泊しているホテルへと向かう事にした。
しかし、やはり闘争は良い。私達も早く生死をかけた闘いをしたいものだ。
口にはせずとも同意は得られたが、残念ながら今すぐにとはいかない。何を持って、もしくはそれこそ神の悪戯か、これまでの回生ではどうしようもなくなってしまった以上、待つしかない。
圧をかけて急かせないのは、長年回生を続けてきた影響やヨーガの呼吸で人よりも老化が緩やかだからだろうか。時間は誰にでも平等にも関わらず、彼だけはそれに抗おうとしているからか。いずれにしても、退屈は感じるし、待つなら待つで、楽しみながら待ちたいと思うのは当然。
また桂君の所に行こうか。
そう考えるのは、昨今の行動を鑑みれば自然な流れだった。まだ満足のいくレベルではないが、軽く身体を動かす程度にはなる上に、未経験だったゲームなるものもできる。周辺の環境も良い。これまで中々接してこなかったタイプの人々との会話は何だか新鮮だった。
ポケットに入れたスマホが振動し、着信を告げる。見ればルビーからで、簡単なメッセージ共に、大会の後観戦席に座っていたメンバーで写真を撮ったものだった。あまり口を大きく開けて笑うものではないないからわかりにくいが、武龍は確かに自分が笑っていると理解した。
基本的には闘争こそが全てだった。ただ強くなるために記憶を継承し、数えきれないほどの年月繋いできた。きっとどこかでは本気で愛した人もいたのだろう。アイを見て抱く感情は、おそらくはそれ由来だ。友は比較的いた方か。今も昔も。こう言うのも悪くはないと感じていた。八十五年前はクローン研究が理由で裏切られ仕方なく手にかけたが、今回はそうならないよう切に願う所だった。
目的のホテルへは着実に近づきつつも、ふと気になった物があればそれを気にして立ち寄り、ある程度満足できれば再び歩き出すを繰り返していく内に、公園へと着いていた。街灯がある分多少は明るいものの、木々が生い茂る箇所は闇。
「君と話すことはあまりないんだが?」
視線の先には人はいない。けれど、少し上の方から声だけが返ってきた。ちょうど枝に跨れば近しい高さになる。
「私もないよ。ただ一言伝えておこうかと思ってね。君、自分のクローンから裏切られてるよ」
「なんだ、そんな事か。好きにさせておくさ。アレは私の敵になり得ない」
アレのためにわざわざ自分が動くのが面倒なのが一つ。仮に謀反を企てていたとしても、所詮は敵ではない事が一つ。そもそも忠誠心のかけらもない事は以前からわかっていた事であり、何を今更と言うのが武龍としては正直なところだった。
「なら追加してあげる。ーーー」
戦鬼杯が終われば、あの時の熱気が嘘のように鳴りを潜めて日常に戻ってくる。俺も仕事をこなしながら、気がつけば夏も終わりを迎えていた。台風が普段より早く発生して、運の悪い事に日本列島をなぞるようなコースで北上。関東に上陸したために、今まさに目の前の窓には風呂場の鏡にシャワーをかけるかのような強い雨が打ち付けられていた。あれこれ言われて鬱陶しかったからあえて元の色に近い色に染め直した髪も、夏と雨の湿度を受けていつも以上にうねっている。こうもなると髪が邪魔に感じてヘアバンドかカチューシャで固定したくなってしまうが、あいにく手持ちにはなかった。とりあえず前髪をダメ元でかき上げてみるが、すぐに戻ってしまってやはり効果はない。
場所は事務所。一応仕事の予定が入ってはいたのだが、この天候という事もあり直前まで粘ったもののバラシとなった。一昔前は意地でも出社、なんてこともざらにあったが、昨今は安全を優先するため仕事でも出社禁止とする企業が増えてきているようで、芸能界も早くその流れに乗れば良いのにと思ってしまう。表に映る煌びやかな部分に反して、裏は昔ながらの体育会系の要素が強く残っている。現に事務所にはスタッフさん達がほぼいつも残りの人数がいて、忙しなく働いている。俺は帰っても良いのだが、タクシーもこの悪天候で中々捕まらないため、少し落ち着くまでは事務所にいることにした。幸いにも夕方には東京は抜ける予定、折角なら勉強しておきたい気持ちもあるが運のない事に持ってきていなかった。
「あれ、アクアは仕事じゃなかった?」
唯一手持ちにあった本でも読むかと思ったところで、ダンボールの箱を何個も重ねて運ぶ龍鬼さんが話しかけてきた。
「この天気なんでキャンセルになったんです。タクシーも中々捕まらないんで、少し落ち着くまで待とうかと思って」
「そっか、外での仕事だと中止とかもあるんだね」
「そうなんですよ。暇なんで運ぶの手伝いましょうか?」
「大丈夫だよ。これ運んじゃえば終わりだし、そんなに重くもないしね。本読んでたならそのまま読んでてよ」
「ならそうさせて貰います」
じゃあ、と言って龍鬼さんは確かに重さを感じさせない動きでダンボールを運び始めた。
もしかしたら、仕事をしていた方が落ち着くのかもしれないな。
戦鬼杯が終わって怪我も完治した頃、龍鬼さんは『中』へ一人で帰ろうとしたらしい。育ての親である臥王鵡角さんと会って、協力を仰ぐついでに色々と話をしようと思ったそうだ。それを社長やミヤコさんに話したら猛反対されたようで、「女の人にあんなに怒られたの初めてだった」と龍鬼は参ったと言わんばかりに話してくれた。二人とも詳細は知らないだろうが多少は龍鬼さんから『中』の事を聞いていて、危険すぎると判断したんだろう。三人でどんな話をしたかはわからないが、護衛を兼ねて複数人で行くことになったようだった。『中』出身の王馬さんと氷室さんが一緒に行くと言い出し、内情を探ってくれた烈堂さんも合わせて四人で行ってきたらしい。数日間いくつか知っている限りの根城を探したが臥王鵡角は見つからなかったようだ。どうやら十に区分けされた地区がそれぞれ日々勢力争いをしていて、特に最近は激化していて、龍鬼さんと臥王鵡角の二人にしか読めない暗号をいくつかの拠点に残して切り上げてきたらしい。龍鬼さん曰く、寿命以外で死ぬのが想像できないから、新しい拠点を作ったか入れ違いなだけでその内暗号を読んで連絡を寄越すはずと信じていた。個人的には会った事もないからなんとも言えないが、高齢という事もあれば病気等も懸念してしまう。
とりあえず、本読むか。
こればっかりは俺が考えても仕方のない事。思考を切り替えて、買うだけ買って読めていなかった本を読み始めた。
何度も人が行き来する気配を感じながらも、視線は活字から離れなかった。
誰かが近くに座る。フリースペースだから勿論どこに座っても自由だが、他の席も空いているのに何故という疑問が浮かんできた。用があるなら話しかけてくるはずだがそれもなく、何ならこっち見てるのか視線を感じる。段々と気になってきたので区切りの良いところで確認することにした。
「なんだ、有馬か」
こいつの髪は羨ましい事に湿度とは無縁なようだ。
「誰だと思ってたのよ」
「誰でも。誰かが近くに座って見てるのがわかったから誰か気になっただけだ。有馬こそ何か用があったんじゃないのか?」
「特にないわよ。暇してたからここに来たらアンタが居て、いつ気づくかなーと思って近くに座ってただけ。結構読み続けてたけど面白い?」
「面白いよ。お前が近くに座って人の集中力乱してこなければ読み続けられた」
「そりゃあ悪かったわね。読み終わったら貸してよ」
あっさりと人の嫌味をスルーしてくる。
「読み終わったらな」
本の貸し借りは昔から良くやっている。俺が小説を好むのに対して、有馬は知識をつけるためにその手の本を読む事が多い。
「っていうかアンタ仕事だったんじゃないの? 台風でバラシ?」
「この天気だしな。有馬はレッスンか?」
「そんなところ。なし崩し的に始めてはみたものの、終わりも見えてくるとちょっと感慨深くもなるものね」
「ユーチューブでも結構残念がるコメントもあったんだってな」
「まぁね。辞めた後ファンを続けてくれるかはわからないけど」
「春男さんは続けるってよ」
有馬がアイドルの引退表明をした際、それはもう春男さんのメンタルの落ち込みようは酷かったらしい。しばらくはプロレスラーとしての練習もまともに身が入らず、食欲も落ちたことで数日間でかなり体重が落ちたと聞いた。
「そう、ありがたい事ね」
あっさりした返事に有馬の内心はわからないが、父さん経由で春男さんにメッセージを送ったとは聞いている。これを口にすると色々煩くなりそうだから、伏せておくに限る。
この話題を切ろうとしたのか、有馬はリモコンを手にしてテレビをつけた。
『繰り返しお伝えします。シリア政府は先ほど蟲に占拠されていた一部地域を政府軍が奪還したと発表しました。またイギリス政府によりますとロンドンにーーー』
速報が流れてくる。この夏で、一気に蟲の排除が世界的に進んでいる。
その目まぐるしい功績には民間軍事企業が関与していてると報道していて、その企業名はデス・ディーラーズ。
「全く、最近はこんなんばっかりで嫌になるわね。早く終われば良いのに」
「そうだな……」
これで終わるとは思えなかった。ジャッキーさんは相変わらず遊びにくるし、厭さんの話も聞く。なんというか、いらなくなったから捨てるというか。何か裏があるようにしか思えない。
「ここの社長、確か申羅漢って言ったか?」
「そう言ってたわね」
「その人、前会った時にルビーの事姪っ子って言ってたんだよな?」
「言ってたわね」
「父さんに似てたか?」
「似てる、と言われれば似てたような気もするけど、どうだっかしら。サングラスと似合ってないヒゲのイメージが強くてそこまで覚えてないのよね」
十中八九ジャッキーさんの関係者。何なら同じクローン体だろう。クローンがかなりいて、それぞれが自由に暮らしていて、たまたま軍事企業のトップになったと考えるよりも、裏で繋がっていると考えた方がよほど筋が通る。それならそれでルビー達に会いに来たタイミングか謎だが、その辺りも含めての調査は烈堂さんや乃木さん達に任せるしかない。
「ねぇ、それより約束覚えてる?」
「心配しなくても覚えてる。どこ行きたいとか何したいとか決まったのか?」
「それは、まだ決めてないけど……ちゃんと覚えてるか確認したかったのよ」
「約束は忘れないようにしてる。アイドル引退までは時間あるし、決まったら教えてくれ」
黒川との共演が決まった時、こいつの機嫌取りは大変だった。ルビー達にも迷惑がかかると思って、とりあえずアイドル引退後に一日だけ有馬に付き合う事になったが、どこに行かされて何を買わされるのやら。幸いにも蓄えはあるから、よほど非常識な買い物でもしない限りは奢ってやろうとは思っていた。