一番星の王子さま 作:160万のワインを飲み損ねた
闘技者の年間平均仕合数は八.五。表世界最大の格闘技興行であるアルティメットファイトが年平均一.六試合であることを考えると、その過酷さがわかりやすい。出場選手も全員がクリーンなわけではなく、表では反則とされる行為、例えば金的や目潰しなども是とされる仕合ではリング禍も起こりやすい。そんな中とりわけ大事にもなっていないのだから、一番ではないが、割と自分は強い部類に入っているのだと否が応でも自覚する。置かれた環境に感謝しなければならない。
五仕合目。TDLでのデートから一月後に組まれた仕合は、八卦掌の使い手だった。
八卦掌は武術の宝庫である中国大陸に伝わる一派で、太極拳、形意拳と合わせて内家三拳に数えられるもの。その動きは八卦に基づいた技術理論をベースにしており、拳ではなく掌を使う。流麗な動作は水天の脱力に似たものがあり、震脚を利用した発勁は、まともに受ければ内臓破壊は免れなかっただろう。
六仕合目。五仕合目から三週間後に組まれた仕合は郊外の工業建設地で行われた。相手はヘビー級ボクサーで、五仕合目に反してド突き合いとなった。グローブのない打撃は凄まじい。重りがない分より素早く、クッションがない分より硬く。ジャブの一発であっても油断はならなかった。
どちらの相手も強かったが、終わってみれば結果は勝利。八卦掌には決め手の発勁に対して操流ノ型の絡みでそのまま相手に返し、ボクシングには殴り合いで生まれた隙を突いて締め技で落とした。
七仕合目。こちらは特出すべきことは無い。初参戦の相手に対して、難なく勝利で終えた。
アイは相変わらず多忙なようでほとんど会えていない。代わりに、ここ最近はテレビで彼女をみる機会が多くなった。料理企画は案の定なく、ドッキリであったり、歌番組に出演したり引っ張りだことなっている。普段会うアイと、テレビで見るアイドルとしてのアイはやはり違って見えた。
ほぼ月一ペースで実施した仕合数は年の瀬には二桁目前に来ていた。おそらく今年最後になるであろう仕合、相手はまた初出場の闘技者だった。
俺も相手も造られたリングに立つ。廃工場のため明かりもなく、車のライトで四方八方から照られていた。足元の影が幾重にもなり、万華鏡を見ているような気分になる。
闘技者の紹介がされた。相手は張虎春。身長は同程度、体重も体つきを見るにさほど変わらないだろう。
始まる前、何かを言われる。
「……はあ?」
おそらく中国語。意味は判らない、闘争心とは違う剥き出しの敵意から何を伝えたいかは理解できた。
「何言ってんのかわかんねえから日本語で話してくれよ」
構えを取る。
開始の合図とともに攻めてきたのは相手だった。動きは俊敏だが、大ぶりのストレート。捌いてカウンターを入れようと拳に触れた瞬間、どこか違和感を覚える。空いている左腹部に一撃入れた際にも同じ感覚。連打を当てていることも意に介さず、相手は重いボディブローを入れてくる。
金剛ノ型の基礎技である不壊でダメージを減らし、バックステップで距離をとる。疑念がようやく確信に変わった。
バカみたいに硬いし、俺の攻撃ほとんど効いてねえな。金剛ノ型に近い……ってか、そのものか?
また何か言葉を発している。お前の攻撃なんて効かねえ、的な事を言っているのだろう。
審判が再開を促し、相手はひたすら攻めてくる。
金剛ノ型は肉を引き締めることで肉体の硬度を上げる技。攻撃にも防御にも相手に大きなアドバンテージを取れるが、本来は張の様にずっと使用し続ける技では無い。
最初の攻撃の時のように当てる瞬間にだけ締めれば良いのに、あえてなのか常に使い続けている。当たればでかいが、そんな大ぶりで何度も当たるわけがない。
膝を曲げて拳を頭の上で通過させ、膝を伸ばすと同時に顎に掌底で一撃を入れる。相手がのけぞり数歩後退した。
「肉締めても脳は揺れるだろ?」
どうせ言っても伝わらないが。
張の使い方はまさに悪い手本のそれだ。仮に使っている技が不壊だとして、長時間使い続けるのは不可能。頭部も筋肉量の関係で、体や手足よりも防御力は格段に落ちる。
体力も普段より使う。単調になり読みやすくなった攻撃は、もはや捌く為に触れる必要もない。見てから躱すでも十分だ。ラッシュが途切れるのを見て、鉄砕・蹴を相手の左膝関節に直撃させる。いくら肉体を固めても、関節自体の強度は変わらない。
大きく身体が傾いた。
頭の位置が下がってくるところを左ハイで的確に蹴り抜く。仕合終了のコールはまだない。
ハイキックの運動量をそのまま転換。体を回転させ、右足で顔面を踏み抜く。
操流・火天ノ型、不知火
コンクリートにヒビが入り、張の状態を見た審判から仕合終了の合図がされた。
「次やる時までに参った、くらいは日本語覚えておいた方がいいんじゃねえの」
何仕合も経験して、護衛者たちの層の厚さと強さがどれほどかを改めて理解した。一般的な闘技者に比べれば、彼らは最低でも二回りは強い。そんな彼らと訓練をさせてもらっているのだから、こんなところで躓いてはいられない。
「今回もお疲れさん」
「どーも。最近よく仕合組んでくれますけど、何かあったんですか?」
「ちょっと狙ってることがあってな。その下準備だよ」
「そうですか。そしたらじゃんじゃん使って下さいよ」
「そのつもりだが、限界が来たら言えよ」
「大丈夫ですって。で、そちらの方は?」
ヨレヨレのシャツに片手には小さい酒瓶。酔っているのか顔が赤く酒臭い。言い方は悪いが、その辺の酔っ払いにしか見えなかった。
「こちらは義伊國屋書店の大屋会長だ。以前から仕合見られていて今回お声をかけてくださってな」
「ど〜も〜。いやあ、キミ若いのに強いね〜気に入っちゃったよ」
義伊國屋といえば、誰でも知っている様な日本書店業界のトップ企業。バシバシと背中を叩いてくるこのおじさんがそうだとは思いもしなかった。
「ありがとうございます。苺プロ闘技者の日向です。あの、なんでまた社長と? 何か仕事の話ですか?」
「おい、失礼だろ。すみません大屋会長、まだ礼儀がわかってないもんで」
「いーのいーの。斉藤社長とは仕事の話をしてたんだよ。斉藤社長、詳しい話はまた今度って事で」
キミも頑張ってねえ、と言い残して、大屋会長はフラフラとした足取りで帰っていく。仕事と言っていたがアイドルと書店でどんな繋がりがあるのか想像がつかなかった。
「拳願会って言っても誰が聞いてるか分からねえんだ。こういう大っぴらな所で仕事の話はしないんだよ」
「そういうもんですか、気をつけます。……?」
視線を感じて振り返るも、その方向には誰もいなかった。
「どうした?」
「いや、なんでもないです」
気のせいだろうか。いや、間違いなく誰かが見ていた。
「それより腹減ったんで、何か食って帰りましょうよ」
帰りの車内で仕事の話を聞いてみれば、B小町の写真集を販売する予定で、義伊國屋書店の大型店舗でCDともに特設コーナーを設けて販売してくれるらしい。小さな箱でのライブがスタートだった事を考えると、改めてすごいところまで来たなと感慨深くなってしまった。
家まで送ってもらった後、そのまま寝る気にもなれずに散歩をすることにした。この時期になれば涼しいを通り越して寒く感じる様になり、吐く息はすっかり白んでいた。
公園に入り、ベンチに座る。一撃もらったところをさすれば少し痛むが、決して長引くダメージではない。
「よお、お前が日向桂か?」
不意に声をかけられた。
「そうですけど……そういうあんたは?」
白い短髪を逆立てた、猫の様な目をした大男。纏う気配は常人とはかけ離れている。
「十鬼蛇二虎」
「!? あんた、師匠の言ってた二虎の一人か」
師匠が言っていた事が正しければ、四か六の二虎だ。
「なんだよ、三のやつそこまで言ってたのか。まあ、なんだ。三のやつの弟子がどんなもんか見てみたくてな。仕合を見させてもらったが、あいつじゃまるで相手にならなかったな」
「今日の相手、もしかしてあんたの弟子ですか」
「弟子? まさか。ちょっと基礎技の不壊を教えてやってやっただけだ。もう少しできると思ったんだが、結果はあの様さ」
「じゃあ、もう少しまともな相手用意してくださいよ」
「言うじゃねえか。あいにく今はちょうど良いのがいなくてな。一人面白い奴を見つけたが、アイツはイカれてるし、お前に興味は示めさねえ……いや、よく見ると……まあ良いか」
まるで全てが目的のための捨て駒かの物言い。何が面白いのか、二虎は笑みを崩さなかった。
「あんたが相手してくれるんですか?」
底が見えない相手。全力を出しても届くかどうか。いざという時に備えて、重心をわずかに変える。
「俺じゃあ役不足だろうよ」
「そしたらまたの機会って事で」
「悪いがそうはいかねえんだよなあ。お前の本気を見てみたいんだ。どうしたら良いと思う?」
回りくどい言い方をして楽しんでいる。
「仕合に出れば良いんじゃないですか?」
「それも悪くねえが、もっと良い方法があるんだ。例えば、お前が入れ込んでるあのガキの生首でも持ってきたら本気になっーーー」
一瞬で血が茹る。
心臓の鼓動を何倍にも加速させる。
座っていた椅子を吹き飛ばし、二虎が言い終えるより先に殴りかかる。何かが起こる前に、差し違えてでも殺す。
「やればできるじゃねえか」
不意打ちにも関わらず、俺の拳は届いていない。手首を掴まれた腕はびくとも動かない。
「冗談だよ冗談。人の趣味を邪魔するほど無粋じゃねえよ」
相変わらず表情が崩れない。誰にも見せたことのない状態でのこの攻撃も、想定の範囲内とでも言うのだろうか。
「それが使えるって事は三から教わってんだろ? ほら、さっさと解かねえとイカれちまうぞ」
二虎が俺の手を離した。どこまでもいけ好かないが、言っている事は正しい。
「……結局何がしたかったんだよ」
どっと疲労が出てくる。呼吸が荒くなり、肩で息をしてしまう。
「言ったろ? 本気が見たいって。もし使えなけりゃあ教えてやろうと思ったが、使えるならそれで良い」
二虎流奥義、憑神。
意識的に心拍数を高めることで血流を加速させ、発生した熱量を運動能力に変換させる奥義。攻撃のスピードなど、攻撃力を向上させる一方で多くの欠点を抱える難しい技だ。
「お前も『虎の器』の資格がある」
「虎の器? 何言ってんだ?」
「ニ虎流の真の後継者の事さ。器になれば、紛い物じゃない二虎流の全てを引き継ぐことができる」
師匠は憑神まで教えた後、全ての技を伝えたと言った。あれが嘘だとは思えない。師匠と目の前の二虎、どちらを信じるかなど決まりきっている。
「拳願会でお前が器にふさわしい事を証明してみせろ」
何より、嘘に関しては近くにプロがいるのだ。他人に対しては完璧でなくとも、ある程度はわかる。
「興味ねえよ。今は俺の二虎流だ。紛い物とか器とかどうとかは勝手にやってろ。ただ、仕合に関してはあんたの希望通り勝ち続けるさ」
「悪くねえ。考えなしの馬鹿じゃなさそうだな」
何が面白いのか、二虎はくつくつと笑っている。
「もし力が欲しければ俺のところに来な。強くしてやる」
悠々と去っていく二虎の後を追う気にはならなかった。