一番星の王子さま 作:160万のワインを飲み損ねた
「お疲れ様でした」
収録も終わって局を出る。今夜は少し冷えるのか、吐く息は白んでいて季節の移ろいを感じさせる。
表向きは変わらない日常が続いているが、裏では拳願会と蟲が仕合をすることとなり大きな動きを見せていた。まだ確定ではないが、少なくともこれまでの仕合とは形式が変わりそうだと烈堂さんから聞いていた。
タクシーに乗り込み、スマホを開く。
いくつか連絡が入っていて、家族のグループチャットに追加で肉を買ってきてくれとのメッセージが届いていたので、了解と返して運転手さんには行き先を変えてもらった。
タクシーから降りて、スーパーへと足を運ぶ。外に出る時は今みたいに帽子とマスクで軽く変装はしているものの、もしかして、と声をかけられる事も昔に比べたら増えてきた。嬉しい反面、その都度イメージを壊さないように丁寧に対応するのは少し煩わしい。昔取った杵柄、と言うのも辺なのだろうが、こう言う時は患者に接する時のモードに切り替えるのが楽だった。
今回はチラチラ見られる事はあっても声まではかけられなかった。早々に買い物を済ませてスーパーを出れば、自分の失態に気づく。
「タクシーに待ってて貰えば良かったな」
軽く辺りを見ても止まっているタクシーは見当たらない。時間も時間だからか、道路を走るタクシーも乗車と表示されていて空車は見当たらない。少し駅に近づけば捕まるかと思いながら、普段しないミスに疲れてるなと分析をしつつも向かう。
「あ……」
「ん? ああ、何だお前か」
俺も日本人の中じゃ大きいそうだが、目の前の二人組は俺よりも目線がさらに上にある。二メートルはあるだろう。
「頭領、知り合いスか?」
片方は蟲の頭領だが、ジャッキーさんの保護者みたいな夏厭さん。隣は初めて見る人だった。厭さんよりも縦も横幅も更にある上に、人となりを知らないからどうしても威圧感を覚えてしまう。
「知り合いって言えば知り合いか。前に話したろ、繋がる者が孫みたいだって言ってた」
「ああ、なるほど」
今更だが、俺は関係としてはジャッキーさんの孫なのか。父さんがジャッキーさんのクローンって考えたら、甥っ子って事もあり得そうだが……いや、どうでも良いか。
「お初にお目にかかります、お孫様。頭領直属兵兵長の符と申します」
「ご丁寧にどうも。俺はーーー」
名乗ったところで我ながら何をしてんだと思ったし、相手も俺の名前を聞いて少し驚いたような顔をした。そこは触れてくれるな。
「って言うかこんな普通に話してて良いの? 繋がる者の孫とは言え、一応敵対関係なんでしょ?」
「まぁそうだな。でもコイツは俺達に取って貴重な情報源だからな」
「人をスパイみたいな言い方しないで下さいよ。ジャッキーさんの居場所たまに教えてるだけでしょ」
割とウチに遊びきてるとはいえ、この人たちもジャッキーさんがウチにいる事にだいぶ違和感を覚えなくなっている。
「ジャッキーさん?」
「ああ、あの人コイツらにはジャッキー・リーって偽名使ってたんだよ」
「なるほど。それで情報源ね」
「そう言う事。で、まさかとは思うが今そっちにいるか? 俺が電話してもでねぇんだけど」
「いますよ。焼肉やってて肉足りないから買って帰る事になってます」
「……。……はぁ……。後で回収に行く」
ずいぶんと重いため息だった。本気で苦労してるなこの人。
「一緒に行かないんですか?」
悪人は悪人だが、手当たり次第何かをする人でもない。今は仕合の調整中と言うことを考えれば、動きは一層制限されるはずだ。
「ある程度満足しないと不貞腐れるんだよあの人。お前らの所に行ってるなら適当に過ごせば満足するだろうから、少し経ったら回収しに行く。どこか行きそうなら足止めしといてくれ、マジで」
基本的にはジャッキーさん至上主義というか、全肯定ファンというか。何というか、組織的にやっている事は悪で間違いないにも関わらず、頭の片隅にジャッキーさんのファンクラブなんじゃないかって考えが時折ちらつく。
「わかりました。ある程度膨れたらまたゲームでもして時間稼ぎます」
「おう、よろしく頼む」
ただ、こちらとは一線を引いているのは間違いない。あくまで俺達にはジャッキーさんが好意的だからであって、そうでなければすぐに引き金を引きそうだ。
「ほら、さっさと行った行った。あんまりあの人を待たせんなよ」
場所がわかったなら俺達も帰るか、なんて厭さん達は言っている。心なしか安心しているようにも見えたが、ウチに来ない事も多いからその時はどうやって探しているんだろうか。正直ジャッキーさんが連絡をマメにするとは思えないから、探すだけ探して見つからないとかもありそうだ。
俺も言われた通り早く戻らないとか。
タクシーを再び捕まえて、近くまで行ったら降りて徒歩で。別に知られたところで、そもそも本当に悪い奴らには知られていると言うのもあるが、日常的な迷惑さは厄介ファンの方が度が過ぎている事も多い。
家に帰れば庭から音がするから、肉を焼いているのは庭だろう。一度家の中には入らず、そのまま庭へと向かった。
「ただいま。追加の肉買ってきた」
「アクアおかえりー。お肉ありがと、そのままあそこに追加しといて」
焼くのは外で、部屋の中でも食べてんのか。部屋の方を見ればルビーと黒川がいる。特に約束はしてなかったはずだが、ルビーに用があったのか?
「わかった。ジャッキーさんは知ってたけど、黒川はどうしてウチに?」
「ううん。演技の事で相談したいって前から言われてて、今日がアカネちゃん時間取れたから来てもらったの。そしたらその内ジャッキーが来てお肉焼き始めちゃって、帰るタイミング逃しちゃったからそのまま一緒にって流れ」
「そう言う事か。せっかくの休みだっただろうについてないな」
人気は水物。それをわかっているからこそ、売れている時期にひたすら仕事を入れ込む、また入れ込まれるのはよく見る後継だ。休みなんて露程にもなく、たまの休みも役作り等で消えていく。用が済めば帰って寝て体力回復に努めたい所だろうに、多分黒川の性格上言い出しにくいだろう。ルビーと談笑している黒川を見て、タイミング見計らって帰らせるようにサポートする事を決めた。
武術に関して話しているジャッキーさんと父さんの前に肉を置いて、一言残してリビングの空きっぱなしなった窓からリビングへと入る。
「あ、お兄ちゃんおかえりー」
「おかえりなさい。お邪魔してます」
「ただいま。黒川も忙しいのに付き合ってもらって悪いな。明日も仕事だろ? 響かないようになるべく早く帰れるようにするから」
「大丈夫だよ。明日に響きそうな時間になったらちゃんと帰れるから」
「えー、泊まっていけば良いのに」
「急に泊まっていくってなっても色々必要なものがあるだろ」
「服のサイズはだいたい一緒だから私の着れば良いよ」
「趣味が合えばな」
「どう言う意味?」
「そのまんまの意味だよ。趣味違うだろ」
寝巻ならまだしも、外を出歩く服はちゃんと好みの服を着たい。サイズだけあってても趣味じゃない服は俺でも着る気は起きないんだから、そう言うのは女子の方が強そうなもんだが。季節的に汗をかきにくくても、これだけ肉を焼いていれば服にも匂いは残るし、それを着回すのはさらに無理だ。
誤解してプンスカ怒っているルビーとそれを宥める黒川を他所に、一旦冷蔵庫から炭酸水を取り出して、再び庭に出る。夕飯がまだだったから、どうしても足先が肉の焼ける匂いのする方への向かってしまった。
「アクアの分は焼けてんぞ。どんどん食えよ」
網の端に、極力焦げないように置かれな肉があった。
「サンキュー」
この身体の空腹には肉に限る。
牛肉の他にも豚や鶏もあって、鶏を食べようとしたジャッキーさんが、まだ焼けてねえから止めとけ、と父さんに止められる。ちょっとした疑問だが、この二人は食中毒になるんだろか。
「アクア君は飲まないのかな?」
「飲めないんだよ。まだ二十歳になってないんで」
「この国では二十歳からなのか。なら仕方ないな」
確か、中国では一八歳からだったか。いずれにしても、高校二年生の俺は法律上は飲めない。
「そう言や、仕合することになったがそっちの希望はあんのか?」
「希望か。いや、特にはないな。一対一でも一対多でも、楽しめるならそれが良い」
「一対多ってのはあんまりやらねえな。サシでやる方が楽しいだろ」
「それはそうなんだが……あ、この前黒木君とサシでやった時は面白かったよ。彼は強いな」
「黒木さんと? 珍しい事もあるもんだな」
「泊まっているホテルに遊びに来てくれてね。楽しくてついうっかり壁を壊してしまったんだ」
「うっかりで壁は壊れねえよ。何やってんだよ」
絵面が思い浮かばないが、遊びに来たよりも暗殺に来たと言う方がしっくり来る。いや、それでも遊びに来たと言えるほどまだ差があると見た方が良いんだろう。この人と仕合をして、誰が勝てるんだろうか。
「つい興が乗ってね。その後は誰かが来て有耶無耶になってしまったんだが、また遊びたいものだ」
「誰かって?」
「この国の偉い人達だった気がするんだが……」
「……それ、もしかしたら私の父かもしれません。この前官房長官と警視総監と一緒で大変だったっと珍しく家で愚痴を溢していたので」
ちょうど肉か野菜を取りに来た黒川が答える。
「確かに黒川と名乗っていた男性がいたような。そうか、あかね君のお父上だったか。よく見れば似ているような気もするよ」
後半の言葉は絶対適当だ。
にしても、よくわからないが想像してもカオスな現場だ。おそらく、黒川の親父さんはちょっとした繋がりがあるから警視総監に連れ出されたんだろう。その時の心情はわからないが、どうしたって不憫に思えてしまう。
「そう言えば、あかね君はプロファイリングが得意だったね。私に対してもできるかな? ちょうど先日、山下さんが私の目的を言い当てたんだ。もともと隠す必要もなかったんだが、折角だから君のプロファイリングでどう捉えるか気になってね」
ジャッキーさんは突拍子もない事を言い出す。山下さんが言い当てた目的とやらは近い内に会員達には共有されるはず。わざわざ黒川がプロファイリングを披露する必要もないのだが、個人的にも興味はあった。
「えっと、実は少しだけもうやってて、それで良ければですけど」
「構わないよ。ぜひ聞かせて欲しい」
黒川は空いている椅子に座ると、それじゃあと言って考察を語り始め、俺たちはそれを黙って聴く。
要約すれば、あくまで目的が記憶の継承とした場合、膨大な量の記憶を継承する以上、記憶力の優れた個体を成功体とする。王馬さんと龍鬼さんがどちらかがスペアなのではなく、二人ともが成功体なのであれば、継承元は二人はいるはずだと。
「素晴らしいな。山下さんは少ないヒントと観察力でたどり着いたが、あかね君は私との接触回数が少ないにも関わらず大した考察力だ。二人いる、と言うのはほぼ正解だ。より正確に言えば、私の中に『もう一人いる』わけだが」
ただ真実は、にわかには信じ難い荒唐無稽なものだった。
「二重人格って事ですか?」
「いや、二重人格ではないよ。信じ難いだろうが、私達の脳は完全に独立していてこの体を器として共存していて、今は二人に戻りたいんだ。そうだな、どこから話そうか……
『繋がる者』は遥か昔から存在していて、代々近縁者に回生をして擬似的な転生を続けてきた。それこそ何千年とね。ただ先代の申武龍はその方法ではなく、より完璧な転生を求めてクローン製造に踏み切ったわけだ。だが繋がる者の遺伝子は特別なのか、私がイレギュラーなのか、クローンであっても先代と私達は異なっていてね。全く同じとはならなかった。更には神の悪戯か何かで私達は気づいた時には二人になってしまったんだ。表に出ているのが基本的に私で、便宜上もう一人の彼を『虎』と呼んでいるが、正直な所どちらが本物の繋がる者なのかは定かではない。そもそも、どちらが本物なんて事は私達にはどうでも良い事だがね。時間はたくさんあるから、虎とは何度も話したよ。そうしている内に、二人になってしまったのだから互いのクローンを作ってそれぞれに転生して戦おうと言う考えに至ったわけだ。そうやって作り始めたクローンは、先の話と私達が二人いる事もあって難しくてね。案の定、一人目のクローン体である羅漢のDNA配列は私達とは異なった。羅漢は羅漢で私達の物とは全く異なるから、それをクローンと言うと少し語弊があるかもしれないが、まあそれはどうでも良い。そうして研究を続けていく内に作られた内の一人が桂君だが、君も私達の望む器ではなかった。それから程なくして虎のクローンである王馬君が、何年か経った後に龍、つまり私のクローンである龍鬼君が作られた。ようやく近い条件で『二人』が揃って、あとは方法だけになっている訳だが、こちらは想像つくかな?」
「うーん、回生ではないんですよね? 今からやってもそれだけの量ならきっとすごい時間がかかりますし」
「うん。それもあるが、回生は初めから使うつもりはなかったんだ。今回はもっと先進的な手段を取ることにしているよ」
嬉々として告げられた真実に動じず、黒川は方法を考え始めていた。
「そう、ですね。現段階で言えるのは、方法の目星は付いていてもまだ実行はできないやり方。そうなるとすぐに思いつくのはいくつかあって、一つは電脳化。アンダーマウント社が掲げていた二本柱の内、IT部門では確か脳についても研究をしていたはずです。そう考えれば、電脳化をする事で将来的には記憶をデジタル情報として取り込む事ができるようになるはず。ただこれは個人的な見解ですけど、まだまだ時間がかかる技術だと思っています。もう一つは……」
そこで黒川は一回言い淀んだ。考えが途切れたのではなく、言い出しにくい事なのだろう。それでも、黒川はグッと何かを飲み込んでから言葉を続けた。
「もう一つは……先ほど仰っていた脳が完全に独立しているという言葉から、脳移植、つまりは物理的に脳ごと取り替えてしまう方法……」
「無理だ。まだ実験段階で現代の医療技術じゃ到底実現できない」
反射的に否定を挟んでしまう。
ラットの実験でさえ行われていない初期段階じゃ、人間の脳なんて到底不可能だ。しかも独立しているとは言え従来とは異なる脳を扱えるはずがない。いや、そもそも出来たとして、王馬さんと龍鬼さんはどうなる。回生で洗脳をするのとは違って、生物学的にも二人は死ぬ事になる。
「確かに現代の技術ではまだ無理だね。だがあかね君の説は正解だよ。今は無理でも将来的には可能になる。私の見立てでは、あと五〇年もすれば実用化段階になると思うんだ。老化に関しても、二人にもヨーガの呼吸を覚えて貰えば今の私か、それより少し老いたくらいに落ち着くはずだからね」
医者か、別の意味で期待してしまうな。
昔言われた言葉を思い出す。あれは、人道的な側面から言われた言葉ではなく、少しで実現可能な時期を早めてくれるんじゃないかって言う技術的な物だったんだ。人と同じような見た目で会話もできるが、全く異なる倫理観や価値観を持っている。目的を知った今、初めてジャッキーさんが恐ろしいナニカに見えてきた。
「二人とも心配すんな。今すぐって訳じゃねえし、山下さんからもそれに対して何か言われたんだろ」
前半は俺と黒川にかけられた父さんの声。後半はジャッキーさんに向けられた。
「そうだね。山下さんに言われて、初めて二人が死んでしまう事に考えが至ったよ。だから二人に脳移植をするのを辞める代わりに、ある条件を出したんだ」
「……条件?」
「時間がかかっても良いから遊び相手を用意して欲しい。私達が全力で戯れる相手がいれば、私達は二人には手を出さない、とね」
どこまでも自分本位。今は良い方向に進んでいるようにも思えるが、彼の匙加減一つでまた全てが変わってしまう。それが堪らなく恐ろしく感じた。今日初めて、俺は本当の意味でジャッキーさんの危険性を認識したのかもしれない。