一番星の王子さま 作:160万のワインを飲み損ねた
仕合とかは時間を置いて書こうと思います。
申武龍との決戦から数年後。
夜間、一台の車が街灯の光をボディで鈍く反射させながら進んでいく。
ハンドルを握る壱護はミラー越しに後ろを覗いた。少し緊張したような面持ちのメムと、すっかり慣れた様子のミヤコが乗っている。
有馬かながB小町を卒業後、メンバーの追加が行われ新しい体制でスタートを切っていたものの、グループとしての色やメムの年齢もあり彼女が引退。そのままプロデューサーへの転身となった。それ自体に後悔はなく、メムとしても新たな一歩だと張り切っていたものの、社長と社長秘書からの呼び出しは肝が冷えた。
「あのー、私はこれからどこへ?」
窓越しから見える景色から都内という事はわかるものの、行き先不明の状態にメムはついに口を開いた。
「行ってからのお楽しみよ。B小町のプロデューサーを志願してくれた時に本当は話そうかと思っていたんだけど、どうせなら本格的にウチの裏方業務を手伝って欲しくてね。公にはできないから、こうして夜中に来てもらったの」
それを聞いて、メムは心の中で悲鳴を上げた。
芸能界。表にできない、イコール裏の危ないこと。
メム自身もそこで活動してきた身としては、綺麗事だけで済む世界ではない事は重々理解をしていた。活動期間中は幸いにもそういった話もなくどこか他人事のように思っていた所で、今回の仕打ち。自然と嫌な汗をかいてしまう。
「そんなに緊張しなくても、何かするわけじゃ無いわよ。ただ事実を知った上で、その後どうするかを決めて欲しいの」
「……ちなみに断ったりは?」
「勿論大丈夫よ。そのままB小町のプロデューサーとして頑張ってもらうだけ」
その言葉が逆に不安を煽った。
自身の激しく鼓動する心音をBGMにしながら、ようやく壱護が運転する車が目的地に到着したため、車のエンジンが落とされた。
メムも諦めて車を降りれば、周りには見ただけでわかる高級車がずらりと並んでいる。周りの人間の身なりも一流。壱護とミヤコに挟まれる形でメムは進んで行った。
次第に聞こえてくるのは、千や二千といった数字。
食肉として出荷をされる家畜はこういう気分なのか、とそれを聞いたメムは全てを諦め悟りをを開きそうになった。
だが、いくら待っても動きはない。壱護やミヤコは他のお偉方と都度話をしていたが、何の事かは理解できずにいた。
『皆様長らくお待たせいたしました。本日の拳願仕合、一仕合目を開始いたします』
よく通る声でアナウンスが入る。スポットライトが当たり、ようやくリングのような何かがあることに気づいた。
『両闘技者ッ! 前へッ!!』
聞きなれない言葉にメムは困惑していると、人集りの中から見知った人物がリングへと上がった。
『龍王』臥王龍鬼
『拳眼』成島光我
どちらもメムが知る人物であった。特に龍鬼に関しては一時期事務作業の手伝いとして働いていた事もあり、少し変わってはいるものの好青年だった事は記憶に新しい。メムの認識では割と文学系のイメージが強かったものの、壇上に上がっている彼の肉体は、それを改めさせる程に完成されていた。
双方を鼓舞する声が上がる。それを受ける両雄に剣呑な雰囲気はない。距離と歓声でメムには聞こえないが、何かを話していて握手を交わしていた。
『両者構えてェ! ……始めッ!!』
合図と共に先ほどまでの友好的な空気から一変し、激しい攻防が始まる。格闘技に明るくないメムにはそれがどれだけ高度なやり取りかはわからないものの、直で見る事で迫力ははっきりと伝わっていた。
しばらくの観戦していくと怯えは徐々に消失し、未だなぜ戦っているのかは疑問として残りながらも仕合に見いるようになった。
この日を境に、彼女は裏格闘技の存在や苺プロが他に類を見ないほど急速に成長した理由を知る事となる。
「やっぱりここにいたか」
アクアは探し人がようやく見つかった事に安堵しながらも、呆れ半分で聞こえるように言った。
「あ、センセ」
少女は少し罰が悪そうにしながらも、そこから動く気配はなかった。かつて、とある患者から呼ばれていた呼び方に懐かしさを覚えるアクアは白衣を羽織っており、顔立ちもかなり大人びたものとなっていた。
高校卒業と同時に芸能界を引退。帝都大学医学部に進学したアクアは留年もせずにストレートで卒業。そのまま帝都大学病院に研修医として勤務し、初期研修を終えて専門研修に入っていた。
「病室を抜け出したらダメだろ。これから検査だってのに」
アクアの言葉に、少女は言葉を返さなかった。少し不貞腐れたような、申し訳なさそうな表情を見て、理由は告げられずともわかっていた。少女は心臓に病を抱えていた。幼少期は何事もなく過ごしていたが、小学校に入った際に検診で指摘され、病院での精密検査を経て入院となってた。投薬治療では根治せず、人工心臓への心臓移植が必要と判断されたことで国内随一の医療機関である帝都大学病院へと転院された。アクアとその少女が出会ったのはそれからの事で、まだ数ヶ月の付き合いでしかないものの、どうにもかつての彼女の姿と被ってしまい世話を焼いてしまっていた。
「やっぱり怖いよな」
「……うん」
「そうか、そうだよな。でも今回執刀してくれる先生は、俺が知る中でも世界一の腕前だ。絶対成功する」
変人ではあるが、とは続けて出かけたが、ぐっと飲み込んだ。アクアが知る老化を抑える呼吸法を使っていないに関わらず彼の容姿がほとんど変わっていない事を知った時、アクアは己の中での認識を書き換える必要があった。
「……センセが良かった」
「俺はまだ研修中だからな。補助にはつけても執刀医にはまだなれないんだよ」
「それならそれまで待つもん」
かと言って、あと数年待てるかと言われれば厳しいものがあった。数年経てばさらに技術は向上するが、それまでに彼女の心臓が保たない。どうしても一度は手術をする必要があった。それを正直に伝えた所どうにもならない事を、アクアは理解していた。
「なら代わりと言っちゃなんだが、頑張ってちゃんと手術を受けたら、一つだけ何でも言う事聞いてやるよ」
「……何でも?」
わかりやすい飴ではあったが、成功でもなく手術を受けるだけと言うところに少女は食いついた。
「さすがに俺にできる事に限るけどな」
子供のお願いなんて可愛いもの。かつて、と言っても雨宮吾郎としての際にはさりなに結婚を迫られた事もあったが、仮にそうであっても法律を盾にすれば良い上に、退かないようであれば一時凌ぎの嘘を吐いても良いと考えていた。
じゃあ、といって恥ずかしげにスマホを見せてきた。覗き見防止のフィルムが貼られていて見にくく、アクアは少し覗き込むようにして画面を見た。
「これってーーー」
「B小町ってアイドルグループ知ってる? B小町のライブに行ってみたい。オンライン配信は見たことあるけど生は倍率すごくて見れたことなくて。友達はネットにたまにチケット出てるって言うんだけど、すごく高いらしくて……」
「よく知ってるよ。誰推しなんだ?」
アクアが芸能人として活動していのは十年ほど前になる。少女の年齢を考えればアクアが芸能活動をしていた事を知る可能性は低く、アクア自身隠していた訳ではないが、あえて話す事もないと思って聞かれるまでは誰にも話さない事が多かった。
「ルビーちゃん! いっつも笑顔ですっごく可愛いんだよ!」
その姿に、かつての患者の姿が重なる。
「……そうか。ルビーが好きか」
双子ゆえにアクアと年齢が変わらないルビーは、あれから変わらずアイドルを続けていた。巷では昔と容姿が変わらないため実はどこかでクローンに切り替わっているのではないか、不老不死になった、などと惜しいような惜しくない説も出ていた。
「呼び捨てにしないで」
「良いんだよ、俺は。兄貴なんだから」
「誰の?」
「ルビーの。双子の兄なんだよ」
「さすがに嘘だってわかるよ。全然似てないもん」
「双子でも二卵性だからな。俺は年取ってだいぶ父親に似てきたし、ルビーは母親似なんだよ」
筋肉のつき方は違うが、背丈も顔つきも、当時の桂を知る者からすればだいぶ似ていると答えが返ってくるだろう。
「って、まだ信じてねえな」
写真を見せても、最近はAIの写真加工で簡単に偽造できる。ませた子供に見せてもそう言って否定してくる事は容易に想定できた。
アクアとしては別にこのまま信じられなくとも良かったが、少しでも手術に前向きになればと思ってルビーにビデオ通話をかける。スケジュールに関しては今は把握していないため出るかどうかは運次第ではあったが、数コールの後にルビーが電話に出た。
「悪いな。仕事中だったか?」
『移動中ー。どうしたの?』
どうやら天はアクアに味方をしたらしい。事情を話すと、目的地に着くまでならと快諾をしてもらった。スマホを少女に渡すと二人での会話が始まる。
初めは脳の処理が追いつかずテンパっていた少女も、興奮は冷めぬものの少しずつ現実を理解して楽しそうに話していた。
『じゃあ手術終わったらライブに招待するから。チケットはお兄ちゃんに渡しておくからちゃんと受け取ってね』
どうやらそろそろ時間のようで、画面越しにルビーは通話が切れるまで手を振っていた。
通話が終わった後も少女はじっとスマホの画面を見続けていた。憧れの存在との思いがけない対話。名前まで呼んでもらい、次のライブは招待をしてくれると言う。負担になるであろう激しい鼓動が、今回ばかりは生きるために動いている実感を得ていた。
「手術、頑張れそうか?」
うん、と言うよりも前に首が縦に動いていた。それを見てアクアがつい笑ってしまい、少女が膨れっ面をした所で、探し回った末にようやく少女を看護師が、怒った表情をしながらアクア達に近づいてきた。病室を抜け出した事、見つけたのに連絡しなかった事に対しての怒りに、二人は共犯者のように感じていた。
「センセ、ありがとう」
「ああ。頑張れよ」
看護師と少女をその背が見えなくなるまで見送る。彼女はアクアに対しては文句をぶつぶつ述べていたが、医者の卵と長らく前線で働いてきた看護師の立場故に何もいえなかった。
一息ついた所で、ひらり、と黒い羽が落ちてきた。視線の先にはどうやって来たのか一つの影がある。
「夢は叶った?」
「アンタか。なんて言うか、人間みたいに成長すんだな」
かつては不思議な幼女だった自称神は、すっかり見た目麗しく成長していた。
「言ったじゃないか。この躯は君たちと同じく人間のそれだって。成長くらいはするさ。それとも前の方が良かった?」
「どっちでも良い。ジャッキーさんが全然老けなかったのにアンタは老けるんだなって思っただけだよ」
「……。アレと一緒にしないでほしいな」
「本当に嫌いなんだな」
露骨に嫌そうに顔を歪める姿を見て、相変わらずだと思ってしまった。神出鬼没のこの少女は願流遊戯にも姿を現したが、それ以降はアクア達の前には姿を現さなかった。それでも同一人物だと気づいたのは白髪赤眼の容姿と独特の雰囲気があったからだろう。
「何でも良いか。で、夢が叶ったかどうかだったか? これからだ。きちんと心臓外科医になって、たくさんの人を救って、それでやっと夢が叶ったって言える」
「そう。君はこれからなんだね」
ひと足先にアイドルとして第一線で活躍しているルビーをはじめ、アクアの周りには自身の夢を叶えた人々は大勢いた。それが少し羨ましく思ってしまう事もあったが、後少しの所までようやくたどり着き、芸能活動中ともまた違った充足感に満たされていた。想定していた通りとは言え、忙しい事だけは難点ではあったが。今も休憩時間を少女の捜索に充ててしまったため、もう戻らなねばならなかった。ちょうど恋人から届いたメッセージを見るのはまた先になりそうだった。返事が遅いと文句の一つでも出てくるな、とアクアは思ってしまうが、長い付き合い故小言の一つや二つ慣れたものだった。
「時間が無いから俺は戻る。要らない心配だと思うが、気をつけて帰れよ」
返事はない。
待つ必要もないと判断したが、気になっていたことを聞くべきかとの思いが足を止める。
「そういや聞きたいことがあった」
「なんだい?」
「なんで俺達をそんなに気にかけるんだ?」
昔会った際には、彼女の事をアクアは自身とルビーを転生させた側だと思っていた。埒外の事をする存在ならば、態々不定期とは言え顔を見せる事なくこちらを観測できるのでは、とも。会いにくる以上はそれなりの理由があると考えていたが、答え合わせをする機会には中々恵まれなかった。今更ながらどうで良い事ではあったが、これから先にあるかどうかはわからないため、とりあえず聞いていることにした。
「……それは、君たちが知る必要のない事だよ」
予想通り答えは返ってこない。ほとんど変化のない表情からはあまり考えは読み取れないが、決して悪い理由ではなさそうだとアクアは判断した。
「そうか。ーーーまたな」
会うこともねえとは思うけど、少し毒を続け様に吐いたものの次を示すような言葉に、名を持たない少女は少しばかり驚いたように目を見開いた。とはいえ、すでにアクアの視線は向いておらず気づくことはなかった。
「幸せそうで良かったよ」
風で上書きされてしまうほどの小さな声で、彼女はそう呟いた。
「ねえ見て見て。またカナちゃんが記事になってる」
「ハリウッドねえ。随分と出世したじゃねえか」
アイが見せたスマホには、有馬かながアメリカ最大手のオンデマンドストリーミングメディアサービスが手掛けるドラマシリーズの撮影に専念するため、一年間渡米する事が記事になっていた。アイドルを卒業してから役者業に再び専念する事となった有馬ではあったが、決して順風満帆な道のりではなかった。同年代に黒川あかねや不知火フリルがいた事もあり、メジャーな役を取ったり取られたりが続いていたものの、不知火が結婚を機に後腐れなく芸能界を去って行った事で二強時代に突入。若手の台頭や、自身の一般人、と言う名の長ハイスペック男との熱愛報道も当人達が思っていたよりもインパクトが大きかったが、ようやく密かに望んでいたハリウッドデビューを果たすこととなった。
かなとライバル、不仲、とひたすらに比べられがちな黒川あかねは二年前にハリウッドデビューを果たしており、その記事には後追いと書かれていたことは、それを読んだかな本人に火をつける事となっていた。
余談ではあるが、あかねの方は一度関わってしまったが故か今尚拳願会との繋がりが残っており、本人の意図しないところでスペシャルアナリストとして一部の経営者からは金を払ってでも会いたい存在になっていた。尚、しれっと窓口となっていた片原滅堂からそれを引き継いだ烈堂は、それらを一切合切無視している。
「なら次はまたアメリカにでも行くか? 確かロサンゼルスとか近かったろ?」
「良いね。せっかくだから一番良い時期に行こうか」
願流仕合を最後に引退した桂を追うように、アイもまたその年に引退。自由な時間が手に入り、初めの方はひたすら旅行を繰り返していた両名だが、ある機を境に飽きたと言って再び自宅での生活がメインとなった。それ以降は年に一、二回、国内外問わず興味のある所に行く程度まで落ち着いており、今回のロスへの旅行が実現すれば三年ぶりにはなる。
リビングのソファで肩を寄せながら談笑する姿はもはや熟年夫婦のそれ。しかしながら、ルビーと同じくヨーガの呼吸をマスターしたが故は二人の容姿は何も変わっていないに等しかった。あと十年もすれば、そっくりさんと思われる事もなく変装も不要になるのでは、などとアイは考えているが、似た顔のルビーが活躍し続ける以上儚い夢に終わりそうではあった。
桂のスマホが振動する。会員と闘技者たちのみ使用可能なアプリ。リリース当初は対戦情報程度であったが、今はそこから賭けさえも可能になっていた。
対戦カードは『阿修羅』十鬼蛇王馬と『タイの闘神』ガオラン・ウォンサワットと出ており、オッズは王馬が有利になっていた。
「オーマさん、まだ仕合やってるんだ」
「頻度はそこまでだが、定期的に出てるみてえだな」
スマホをのぞか桂の顔をアイは横目で捉える。
「別に戻っても良いんだよ」
「戻る気はねえよ。やる事はやったさ。ただそうだな……社長がどうしてもって泣きついてきたら考える」
桂の引退に伴い、苺プロの拳願仕合成績は勝率が著しく低下。ほぼ十割の勝率は六割となった。桂の通算仕合は一六〇勝一敗。特殊だった最後の仕合を除き、負けたのは絶命トーナメントでのアギト戦のみだった。苺プロとしては出せば勝てるカードを失い、派遣討議者のみでの勝負となった以上、致し方ない事ではあった。
最後の仕合は決戦エリアまで進んだ後、申武龍との一騎打ちで善戦したものの敗北。上限を知り強くはなったものの、何千年と言う長い年月を積み重ねてきた厚みを突破することは叶わなかった。悔しい反面、満足感もあった。元々の目的だった王馬、龍鬼も無事な以上、桂の目的は達成したと言えた。
「アイこそ芸能界は良いのかよ。ダメ元でもオファーはちょくちょく来るんだろ?」
「私も良いかなー。なんとなく始めて、そこそこ楽しんでやって。やりたい事は大体できたし」
「そうか。じゃあ老兵は余生をのんびり過ごすか」
「そんなにまだ老いてないけどね。芸能界の方はルビーが、私の世代はニノが私の分も頑張ってくれるよ。今度母親役やるんだって」
アイが文句を伝えるために体重をかけるも、桂の体は巨木の様に微動だにしない。それに対して可愛げがないと思ったアイはさらに体重を加えてまるがびくともしなかった。仕合からは離れてもトレーニングだけは適度に続けており、少し体重は落ちたが依然としてアイの二倍近い体重があった。
「役の方が先に来ちまったか」
「本人の前で言ったら怒られるよ」
「……失言だったな。黙っといてくれ」
「良いよー」
少しバツが悪そうにする桂を見ながら、アイは声を抑えて笑う。
何度か機会はありながら、ついぞ結婚とはならなかった新野だが、周囲には仕事が恋人と言っているものの今はまた新しい恋人ができていた。それを知るのは長年苦楽を共にしたアイ位なもので、桂は一才知らない。家に来て二人で話すから退けと桂に言えるのも、彼女くらいのものだ。
開けていた窓から、カーテンを揺らしながら風が入り込む。年々、温暖化の影響なのか春と秋が短くなっていくため、心地よさを覚える気候は年々減少している。
「ドライブにでも行くか」
「そだね。せっかくの良い天気だし」
ソファから立ち上がると、戸締りをして二人して玄関へと向かう。
靴を履き替え、外に出て鍵を閉めた。
車に乗り込み、開閉式の屋根を開けてから走り出す。行き先は特に決めていなかった。周りの音をBGMにして、気の向くままに走らせる。
二人のうちどちらが言い出したのか、車の行き先は懐かしい場所へと向かっていた。
「なんだ、まだあったのか」
車を止め少し歩いた先にあったのは、かつて二人が過ごした孤児院だった。
「そうだね。でもなんか新しくない?」
「誰かが金でも出してくれたんだろ」
桂はなんとなく想像はついて通り、片原滅堂による多額の募金受けて改修工事が行われて、今なお存続できている形となっていた。滅堂からすれば、息子と彼の嫁の出会いの場であり、当人たちを差し置いてその施設に思うところがあったようだった。
「子供たちも何人かはいるみたいだね」
「親がまともでも不慮の事故でってケースもあるしな。仕方ねえよ」
場合によっては、施設に入った方が幸せな子供もいるだろう。親全てが子に対して愛情を注げるほど人間は完璧ではなく、どうしても一定数は虐待やネグレクトを受ける子供たちは存在している。
桂が無言で差し出した手を、アイは迷わず握り返す。
「誰か受け入れる?」
「まさか。爺ちゃんや社長じゃねえんだからそんな度量はねえよ。なんとなく寄ってみただけだ」
三人目の子供を、とはならなかった。子供が嫌いという訳でもないが、アクアとルビーが成人となって独り立ちをした状態で今更というのもあったが、新しい命を授かり育むよりも二人の時間を優先した。
アイは外に出ている子供達を見つけた。少年と少女、ちょうどあの時のアイ達と同じくらいの年頃であり、つい二人の過去を重ねてしまった。
「どうした?」
反応のなかったアイに問いかける。
「あの二人見てたら、そういえば私達の関係もここから始まったんだなーって」
「そうだな」
ここで出会っていなければ、王馬や龍鬼を見るに、おそらく自身は独り身だったと桂は考える。今ほどの強さも当然なく、二虎流を習って半端にグレて浅瀬で遊んでいるか、拳願会か煉獄に入ったとてそこそこの強さで終わっていたか、最悪利用されて早々に死んでいた可能性もある。運命という不確かなものを信じるつもりはなかったが、こればかりは感謝する他なかった。
「帰るか」
「うん」
踵を返して車に戻り、再び走らせる。
「晩ご飯どうする? 買って帰る?」
「時間はあるしな。食材だけ買って適当に作るか。食いたいもんあるか?」
「そう言われると難しいんだよねー。ケイが食べたい物で良いよ」
「ならスーパー寄った時の気分次第だな」
仕合もない。仕事もない。ただただ自由な時間。かつては忙しく思うように過ごせなかった時間を取り戻すかの様に、たわいのない会話を交わしながら二人だけの時間がゆっくりと進んでいった。
長らくご愛読ありがとうございました