一番星の王子さま 作:160万のワインを飲み損ねた
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アイドルを引退したこともあり、アイの仕事は以前に比べてかなり落ち着いた。絶対的なエースだったとしても、アイドル業界全体でではなくB小町の中での話。彼女もまだB小町の、の枕詞がつく一人でしかなかったということだろう。これから新しくタレントとして売り出していくのであれば、これからまた大きな頑張りが必要となるだろう。
もっとも、売れない、なんて事は微塵も考えてない。本来持つスター性、アイドルとして培ってきた技術は必ずしも無駄にはならない。まだ世間もアイドルを辞めたその瞬間に大々的に告白した彼女を、どう扱うか測りかねているだけのはずだ。仮に千に一つ、万に一つアイが芸能界でやっていけなかったとしても、そこは俺が稼げば良いだけの話。
様々な意味で伝説となったドームライブによって、苺プロの名前は誰もが知るところとなった。アイドルの応募や、事業の問い合わせの電話も数多くきている。社長としては、アイドルは現状のB小町でやれるところまでやり切り、他は昨今成長目覚ましいネット関連でタレントを発掘しようとしている。うまくいけばパイオニアとなり、さらに大きくできると意気込んでいた。
社長やミヤコさん、B小町のメンバーには、事務所に行ってアイと婚約したことを告げた。アイはアイドルを辞めると決めた時にこちらの話もだいたいしていたようで、想定していたよりも驚かれる事はなかった。祝福される中、これ見よがしにアイが左手薬指に付けられた指輪を見せびらかすので、女性陣はやれどこのブランドだ、どんなプロポーズされたのかなどで盛り上がっている。だんだんと話がエスカレートしていき、だんだんと男性陣には肩身の狭い話になってきたので、俺と社長は一旦別の部屋へと移動した。
社長はあれにいくら掛けたんだとこっそり引き気味に聞いてきたが、せいぜいファイトマネーの一、二試合分。アイがブランド嗜好ではない事は知っていたけれど、せっかくの人生の一大イベントに普段特に使い道もない金を使ったとしても問題ないはずだ。
最近導入されたコーヒーサーバーにて入れられたコーヒー手渡され、向かい合うように設置されたソファに腰を下ろす。少し無言が続いた。
扉の向こうではまだ盛り上がっている。
沈黙を破ったのは社長だった。
「昔、会員権を賭けた仕合の帰りのこと覚えてるか?」
「不幸にしたらぶっ殺す、ってやつですか。忘れるわけないじゃないですか」
「そうだ。あれは今でも本気だからな」
懸念がないわけではない。仕合には常に死のリスクがある一方で、二虎の存在を考えれば、仕合に出続ける方がアイの安全は保てる。ただ以前と今では状況が違うから、心持ちも必然的に変わってきていた。
「ただまあ……なんだ、その……義娘を頼んだ」
婚姻届を出すまではまだ婚約期間であり、正式にはまだ夫婦ではない。婚姻届にも証人欄に成人二人分が必要になる。本来はそれぞれの両親が記名するが、俺たちの場合はおそらく社長と会長の名前が書かれることになるだろう。
「任されましたよ、お義父さん」
約束は違えない。
「誰がお義父さんだ。まだこんなでけえガキいる歳じゃねえ」
むず痒そうな顔をしながら、それを誤魔化すように社長はコーヒーを煽る。
「そのうち孫もできるかもしれませんよ」
足跡が近づいてきた。
「あ、こんなところにいた。二人で何話してたの?」
アイが入ってくると、座ってる背に引っ付いてくる。
「男と男の話、かな。改めて意思表示的な?」
「なにそれ? ねえ、みんなで部屋見てるからケイも見ようよ!」
アイとは一緒に住む部屋を探そうと話をしており、今日も報告ついでに空いているパソコンを借りて調べようと思っていたところだ。特に場所にこだわりはないが、セキュリティは万全なところが良い。あとは、日当たりは気にした方が良いか。
「分かった。社長、コーヒーごちそうさま」
短い返事を受けて、俺はアイと一緒に戻る。
待っていたのは、先ほどは一転した視線の数々。行きたくないと体が拒否反応を示して足が止まる。
袖を引かれたので、アイと同じ視線の高さになるように体を屈める。耳の元でとんでもないことをアイは口にした。
「仕合のことは言ってないよ?」
逆に言えばそれ以外は言ったのか、とは喉元まで出かけて口からは出てこなかった。視線で察したのか、えへへ、と笑って誤魔かしている。マジで言ったのか。
その後俺は複数の視線に刺され続けながら、部屋を探し始めた。
部屋に関してはその日だけでは不十分で、その後も探し続けることとなった。いろいろ調べてみて思うのは、都内の物件の値段の高さ。当然と言えば当然なのだろうが、新しいほど、階層が高いほど、都心に近いほど高額になっていく。賃貸契約をする際にも職業欄などを書く必要があるため、そこも考えなければならない点だ。流石に職業欄に闘技者などと書くわけにもいかない。
ふと、とある企業の名前が目に入る。義武不動産。たしか拳願会に所属する一企業だったはずだ。扱っている物件は一流のため高額ではあるのだが、個人情報の点に関しては融通が効くかもしれない。
義武不動産に絞ったことである程度新居の候補も見えてきた。年明けに社長経由で繋いでもらい、いくつか候補も貰ったことで決めやすくなった。どれもセキュリティは最高水準、場所が異なる位で、間取りも設備レベルもある程度似通っている。最後は内見をして、アイが気に入ったところに決めた。
心配なのは、少しアイの体調がすぐれないことだ。普段はよく食べ、よく笑い、よく眠るのが彼女の常ではあるが、少し食欲がない。熱は平熱よりも少し高め、どうしようもなく心配になる。
「あのね、アレが来ないの」
春先のある日、そんなことを告げられた。調べれば、アイの症状とその言葉はある事と結びつけるには十分だった。
診察を受けるにもまずは検査キットで確認が必要とのことで、それから確認をする。結果は陽性。合意の上で避妊はしていなかったのだから、いつか来るとは思っていたことだ。
「陽性……えへへ、できちゃったね」
「マジか、やったな!!」
思わずその場でアイの体を抱え上げ、小躍りするほど喜んだ。
社長とミヤコさんにもすぐに報告をした。分かりきっていたのか、俺のせいで変な耐性がついてしまったのか、そこまで驚きはしておらず改めて祝いの言葉をくれた。
陽性確認から一週間経たないと診察できないとのことで、その間に会長にもこの件を、電話ではなく直接伝えた。忙しい身であるとこは百も承知だが、そうした方が良いと思ったからだ。会長はめでたい事だと大笑いし、例の如く後ろに控えている三羽烏の三人からも激励の言葉をもらう。
アイは豪邸のデカさに驚いていて、ずっと辺りをキョロキョロしていた。
ちなみに加納さんからは伝統工芸品とガラス細工のペアグラスをすでに貰っており、護衛者連名で調理器具一式と商品券をいただいている。出産祝いにはまた、との事でいつか落ち着いたタイミングでお返しをしないといけない。
一週間が経ち、ようやく病院へと向かった。
診察を受け、結果を待つ。
「妊娠していますね。おめでとうございます」
妊娠六週目、まだ確定ではないが、エコー検査によると双子の可能性が高いとも告げられた。
「双子……」
子供は二人は欲しいね、なんて話をしていたが、まさか一度に二人も授かるとは思ってもいなかった。また抱きしめたくなるのはグッと我慢する。
定期的な検診の行っていく上で、双子だということが確定した。初めはまだ点のような存在だった二人も、どんどんお腹の中で成長を続けている。
ただアイの年齢や体の大きさを考えると、双子という事もあり場合によっては入院して母体と子供の健康に気を遣った方が良いとの助言を受けた。
何より無視できないのは、身内ではなく外部への妊娠報告。そもそも論を言ってしまえば報告義務などはないのだが、SNS等が急速に発展している現代においてはいつどこから情報が公になるかはわからない。仮にバレた場合、未成年ということ、現在も活動中のB小町へやそれを抱える苺プロへの影響は無視できないことから、対応については何度も話し合いが行われた。
ドームでの公開告白の件もあることを踏まえ、下手に隠してバレた時のダメージよりも早期報告が望ましいと結論づけられた。事前に可能な限り表と裏の双方から根回しを行い、それに伴い仕合もいくつか組むこととなったが、そこには何も思うことはない。俺のやるべきことだ。ただ、奔走してくれた皆には本当に頭が上がらない。
アイが安定期に入ったことを確認し、関係各所に、苺プロの公式HPにて時系列をはっきりさせた上でアイの婚約と妊娠が報告される。報告上はアイドル引退後に、双方の両親の許可の下で、相手は同じく未成年の一般男性となっている。
祝福の声や素直に開示したことで認める声もある一方で、未成年者の妊娠に対して苺プロの管理問題を糾弾する声も勿論あった。テレビ報道こそ仕合の頑張りによって止められたが、ネットニュースになることまでは流石に止められなかった。予想した通り炎上したが、三日もすれば他の記事に埋もれることとなった。
病院に関しては、都内にある病院も最後まで候補にはあったが、万が一に備えて出産までは都心を離れて、宮崎にある拳願会とも繋がりがある病院で過ごすことを決めた。ちょっとした雲隠れの意図もある。
おそらくは根回しの件の意趣返しか単なる嫌がらせだろうが、移動日の前夜に急遽仕合が組まれることとなった。拳願会最大勢力とも言われている百人会の一社が突然仕合をけしかけてきたらしい。闘技者は俺一人しかいないため出場せざるを得ない。社長には謝られたが、社長は悪くない。豪雪のように積もる苛立ちは、対戦相手へとぶつけた。
仕合開始後、三秒で相手を沈める。
現時点での最短決着記録とのことだが、そんなことはどうでも良かった。
当日の移動はリスクとしてエコノミー症候群や吐き気や腰痛、不特定多数の目に留まる可能性もあったものの二時間で到着できる空路を選択。無事に到着した後はタクシーを使って一時間程度で目的の病院へと向かう。予定通りのフライトだっ事もあり、予約を入れている午後の診察には間に合う。
受付を済ませて順番を待つ。
アイの本名は一般公開されていないが、可能な限り身バレを防ぐためにも星野アイの名前は使わないようにしている。見た限りご年配の方々が多いが、アイの可愛さからいつ気づかれないとも限らない。できる限りのことはしたい。病院側へも事前に連絡済みで、将来的に名乗るのだからとアイの希望もあって日向姓で呼んでもらうこととなっていた。
「疲れてないか? これが終わったら今日はゆっくり休もう」
「うん、大丈夫だよ。あ、今お腹蹴ったかも」
今は妊娠二〇週目。アイのお腹も順調に大きくなってきており、変装も兼ねて全体的にゆとりのある服装を着ている。パーカーは以前俺が着ていたもので、袖の長さなどはだいぶ余っていて、リブがなければ手は完全に隠れてしまうほど。
「本当だ。確かに今動いたな」
アイのお腹に耳を当て、中の音を確認する。まだまだ小さいけれど、ちゃんと二人分の音が聞こえた気がした。
「二人も頑張ってるんだねえ。遠くまで来たのわかるのかな?」
「それなら尚更母親が休まないと。子供達も休めないだろ」
「ふふ、パパは心配性でちゅねー」
「心配するさ。これに関してはサポートすることしかできねえしな」
軽んじた表現にはなるが、所詮は男は種を蒔くだけ。運良く結びついて芽が出始めて、女性は体内で約四〇週も子をその身に宿して育む。その間はホルモンバランスも崩れるし、体調や栄養管理にも普段以上に気を使わなければならない。アイはそこまで酷くはなかったが、悪阻も酷い人は相当らしく、好き嫌いが反転する人もいるようだ。そうして身を削りに削った上での出産。母子共に体力を相当使うらしい。痛みも男では気絶をするとまで言われるほど。どれ一つとっても代わりにすることができるため、俺ができるのは少しでも負担を和らげるために常に支えること。
名前を呼ばれて診察室へと入る。アイと社長を座らせようとするも、社長からはお前も当事者だからと座らされた。
居たのは看護師さんだけで、本来座しているはずの席に先生は見当たらない。看護師さんが気を利かせて社長の分も椅子を持ってきてくれる。
少し待てば、奥から引き戸が開き、ペタペタとスリッパで若干すり足になっている音が聞こえてくる。
「お待たせしましたっと」
思っていたよりも若い先生だ。
「……星野さん、ではなくて日向さんでしたね。以前通われていた病院から、こちらに移られてきたとか」
「はい」
先生は問診票と紹介状に目を通しているも、どこか上の空で集中していないように見えた。手抜いた状態でやるつもりかと思うと腹が立ち眉間に皺が寄る。
横からアイの肘打ちが脇腹に、後ろから社長の小突きが頭に同時に飛んでくる。余計なことするなと訴えられた。
「えっと……何か?」
エアコン効きすぎか、なんて独り言を呟いた後、こちらを見ていなかった先生は不思議そうに尋ねてくる。
「いえいえ、気にしないで続けて下さい」
「そう、ですか。では続けてーーー」
アイが促すと、先生は問診を再開した。
これが、今後お世話になる雨宮先生との出会いだった。