一番星の王子さま 作:160万のワインを飲み損ねた
「前回の検診からも空いていますので、こちらでも改めて検査してみましょうか。準備をしてきますので少しお待ちください」
検診は今の時期だと四週に一度。前回のタイミングを考えてもちょうど良いタイミングだ。雨宮先生は検査準備のために一時離席をする。
「ったくお前は、その癖やめろって言ったろ」
「上の空だったんで、つい」
まだ問診の間ではあったが、集中力を欠いた状態で検査をして万が一があったら困る。
「ついじゃねえんだよ」
「ケイの噛みつき癖?はなかなか直らないもんねー。一度慣れちゃえばそんな事ないのに」
「アイもちゃんと躾けとけよ、飼い主だろ」
「はーい」
「色々言いたいことあるけど、まず犬扱いを辞めてくれ」
頑張ろうねー、なんて言いながら人の頭をくしゃくしゃにする。ただでさえ癖毛なのだから余計に捻れてしまう。いや、それよりも犬扱いの方をやめて欲しかった。まあ、確かに。初対面で好印象を抱いたことは少ないかもしれないが、そんな狂犬のような事はしていないはずだ。
「ってかあの先生、たぶんアイのこと知ってますよ」
問診の中でアイが帽子を取った時にあからさまに表情が硬直した。そのあと悟られないように表情を無理やり固めようとしたのもわかりやすい。
「やっぱり? 若い先生だったもんね。もしかして私のファンだったりして?」
自信家な発言だが様になっている。
奥の部屋で何かをぶつけたような音が聞こえた。仕合で聴くような、頭を硬い物にぶつけた時の音に似てるかな。
「いくら院長が緘口令を敷いたって、医者やスタッフ全員が徹底できるかはまた別だからな。一応、このあと改めてお願いしておくか」
一部の熱狂的なファン、と言った良いのかわからないが、彼らからはまだ事務所に無言電話や脅迫文のようなものが届いているようだ。そういったファンにバレる事は避けたい。東京から宮崎までわざわざ、と思うかもしれないが、覚悟を決めた人間の行動力は侮れない。
「お待たせしました。検査室にお入りください。荷物はその場に置いておいて構いませんので」
「じゃあ行ってきまー」
最後まで言い切らず、アイは検査室へと入っていった。
双子が順調に育っている事はわかっているが、それでもソワソワしてしまう。血液検査とエコー検査だけだったこともあり、すぐに終わる。
アイが戻ってきてから、結果が出るまで少し待つ。
「すでに検査いただいていた通り、双子ですね。一人は男の子と、もう一人はちょっと見えにくいですが、女の子の可能性があります」
男女の性別は、例のブツがあるかどうかを目視して判別される。中には巧妙に隠されていて、生まれてきたら男の子だった、という事もゼロではないらしい。写真を見た限り、確かに足で隠れていてどちらかは分かりにくい。
「出産をご希望とのことでしたので、こちらとしても全力でサポートさせていただきます。奥さんと旦那さんのお二人には、当院で両親学級を開いておりますので、妊娠や出産はどういうものか、どうしていくのが良いのかを理解頂くためにも是非ご参加下さい。あとは、受付でもされたように入院中も偽名を使うのが良いでしょう。田舎とは言え気づく人は気づくでしょうから、不要な混乱を避けるためにも、可能であれば変装などをしておいた方が良いかもしれません」
診察が終われば、そのまま入院の手続きに入る。本来、妊婦がこの時期から入院する事はほぼない。よほど悪阻がひどい人や、後期に切迫早産の可能性がある人などは入院するケースは見られるものの、アイはどちらにも当てはまっていない特例での入院となる。
負担にならないようにゆっくりと部屋へと移動する。
病院の最上階、その角部屋。個室の中でも少しグレードの高い部屋で、一見すればホテルの一室のようにも見える。シャワーもトイレも付いているため、プライベートはしっかりと確保できそうだ。
「俺は夜の便で東京へ戻るが、大丈夫か?」
「大丈夫だよ。ケイはいてくれるんでしょ?」
「勿論。ここから一番近いホテルも押さえてるから、夜中でも電話くれたらすぐに駆けつけるよ」
社長も忙しい身だ。定期的にミヤコさんと入れ替わりで来てくれるようだが、入院期間中ずっと一緒にいるわけにもいかない。そばにいて支えるのは夫としての役割。
「良かったあ。……やっぱりちょっと疲れたみたいだから、ちょっと寝るね」
アイはふわっとあくびをして目を擦る。気を張っていれば疲れて当然だ。
いつものように手を差しだすと、短くありがと、と言ってアイは手を握った。そのまますっと眠りに入る。
「俺は先生ともう一度話してから戻る。何かあったら連絡くれ」
起こさないように社長が声量を落とす。
「わかりました。色々とありがとうございます」
「お前ら二人には苦労かけられっぱなしだ。ちゃんとその分は働いて返せよ」
小さく笑いながら俺の肩を軽く叩いて社長は部屋を出て行った。
アイの寝顔を見る。無防備な寝顔、見ていると不思議と癒された。
数時間程度は寝ただろうか。あまり寝過ぎても、そのせいで夜寝れなくなっても困るため起こすことにした。軽く肩を叩く。まだ寝ぼけているアイに一言かけ、ベッドのリクライニング機能を使って楽な姿勢になるように背もたれを傾けた。
徐々に目が覚めてきたのか、半開きだった目もちゃんと開いてきた。
「少しは疲れ取れた?」
「うん、楽になった。ゴツゴツしてる手だけど、握ってると安心するんだよね」
小さな時から拳を作り、殴ってきた手。すっかり無骨な物へと変わっており、綺麗な手からは程遠い。アイの小さな手と比べるとその違いは顕著だ。
「そりゃあ何より。何か飲み物はいるか? 必要なら買ってくるけど」
「それくらい自分で行くよ。それより屋上行ってみない? 綺麗な夕日だし星が見れるかも」
振り返れば確かに綺麗な夕焼けだった。都会と違ってビルがなくて空が広い分、まるで風景画のようにも見える。
「じゃあ行ってみるか」
マタニティシューズを履かせて、手を支えながら立たせる。忘れそうになっていた帽子を被せて、アイの歩調に合わせながらゆっくりと屋上へと向かった。
階段を登って扉を開けると、窓から見た時よりもさらに広大な空が迎えてくれる。上空の青黒い夜空から地平線の茜色へのグラデーションが実に鮮やかだ。星も既によく見えた。
どうやら先客がいるようだ。白衣を着る後ろ姿に覚えがあった。扉の開閉音が聞こえたのかその人が振り返る。スマホの光が見えた。休憩中だっただろうか。
「あ、先生だ。サボり?」
「診察が終わったので休憩ですよ。お二人はどうしてこちらに?」
「アイが星を見たいって言うんで。ここなら辺りで一番高いところにあるし、綺麗に見えるかなと思いまして」
「まだ夕暮れなのに星がこんなに見えるなんて凄いよね。東京だと全然見れないから、ここにして良かった」
夏の星空、詳しくはなくとも夏の大三角は有名だ。昔の人はよくこの星空を見て星座を思いつたものだ。俺には明るさが違うだけで同じに見えてしまう。
「それは良かった。……斎藤さんから改めて他言無用で、と念押しをされましたが、やはり貴女は」
「そだよ。もう辞めちゃったから元だけど、先生の考えている通りのアイであってるよ。いぇい⭐︎、なんてね。やっぱ私のこと知ってたかー」
アイドル時代のポーズをその場でしてみせた。
「昔、患者に君の熱心なファンがいてね。その子がよく話をしてくれたんだ」
どこか懐かしむように先生は呟く。敬語がなくなり、医者としてではなく先生個人の言葉で話しているように感じる。
「そっかあ、そのファンは今の私の姿見たら幻滅しちゃうかもね」
「……いや、そんなことは」
「先生は嘘が下手だね。これがファンからどう思われてるかは、いくら私だってさすがにわかるよ。別にその人たちに分かってもらおうって訳じゃないんだけど、これは私たちがほんとに望んだことなの」
にわかには信じられないだろう。多分俺がファンの立場でアイの相手が別にいたとしても、そう思うはずだ。どうしても多数を是としてしまう世の中において、未成年での出産は異端に映る。
「先生は正直どう思いますか?」
俺の言葉に少し考えた先生は、眼鏡の位置を指で正した。
「若すぎる。診察の時にも言ったように、十代はどうしても子宮や骨盤が十分に成長していないし、妊娠や出産はどうしたって母子共にリスクが伴う。医療が発展している今ではほとんどないけれど、もしものことがあった場合、辛いのは残された方だ。本当に合意の上だったとしても、あと数年は待つべきだったと思う」
お互いにその辺りは考えていたようで浅かったことは否めない。
「勿論最大限のサポートはさせてもらうけど、その後の事はしっかりと考えてるか? 君も見た感じまだ学生だろうし、子供を育てると言うのは思っている以上にお金も時間もかかる。命を育むことは大変なことで責任も重大だ。自分のことは二の次にしなきゃいけない」
自分を犠牲にしてでも子供と向き合えるか。そう問われていた。
楽しんではいるものの、元よりアイのために拳願会の門を叩いた。今はアイだけでなく、散々迷惑をかけた苺プロのためにも、そしてこれから生まれてくる子供のためでもある。
綺麗事だけではなく正直なことを言ってくれた先生は、きっと真摯な人なのだろう。
「と、厳しくは言ったけど、これはあくまで医者として、一人の大人としての見解だ。俺個人の意見とすれば応援してるよ」
「そう、なんですか?」
前半の言葉が真っ当すぎて、あとに続いた先生の言葉は俺からすれば意外なものだった。
「カルテを見れば早期に診断していることもわかる。若い子達の中には中々両親や誰かに言い出せない人も多くて、初診が遅れることが多いんだ……。それにまだ今日会ったばかりだけれど、仲が良好なのは見ればわかるし、色々と勉強して来たんだろうなって事もわかる」
学がないなりに、色々と調べて勉強をした。必要な物を揃えて、身体の負担にならないように注意して家事なども引き受け、寄り添うようにして、結局できることは限られていたけれど、それが外から見てわかると言われるのは嬉しい。
「だから医者としても個人としても、安全に元気な子供達を産ませるためにも君たちのことはしっかりとサポートさせてもらうつもりだ」
「よろしくお願いします。あと失礼なこと考えていてすみませんでした」
アイと一緒に頭を下げた。
先生はさらに雰囲気を崩してより親しみやすいものとなり、軽く息を吐いた。
「ならこれで合格か? 斉藤さんから言われたよ、おっかないのがいるから気をつけろって。最初は何のことかわからなかったけど、日向君、キミのことだろ?」
「あはは、社長ってばまだケイのことそう思ってるんだね」
「納得いかねえ。別に誰それ構わず噛み付いたりしねえよ」
本当に人のことをなんだと思っているんだか。軽い冗談だと信じたいが、他人にそれを言うのはどうなのか。今度しっかりと話さないといけない。