一番星の王子さま 作:160万のワインを飲み損ねた
「あれ、あんた今日休みだろ? なんで来てんの」
それは出産予定日だからもしもの時に備えて。
「あーあ、ついてないねえな」
顔が見えない。誰だこいつ。でもどこか聞き覚えのある声だ。
頭に衝撃を受けた。いきなり、なんの躊躇もなく殴りかかってきやがった。体が思うように動かない。当たりどころが最悪だ。頭から熱を帯びたドロっとしたものが流れてくる。
なんとか目線を動かし、下手人を見る。光の加減か、ようやくその顔を拝めた。
え……俺?
「殺す気なかったけど、見られたんじゃ仕方ない。自分の不運を呪いな」
再び凶器が振り下ろされた。
嫌な夢を見た気がする。内容は覚えていないが、たった今起こった時のように、その恐怖は身を震わせ大量の汗をかかせていた。着替えてしまいたかったが、赤子となった今では自由にそれもできない。
「どしたのアクア? すっごい汗だね、怖い夢でも見たの?」
この体の父親にお願いしたかったが、運悪く今回は母親である日向アイの当番だった。
俺には前世の記憶がある。なんなら、この体を産む手伝いをしていたのが当時産婦人科で勤務していた前世の俺である雨宮吾郎だ。
あの時のことは覚えている。まさか年末のドームライブで推しであるアイが引退したと思えば誰かに告白を行い、その数ヶ月後には婚約と妊娠が公表された。不思議なことにテレビでは一切の報道がなかったが、俺が特別入れ込んでいるだけで、取り立ててニュースにするほどではないと判断されたのかもしれない。
立て続けの出来事に加え、当の本人がまさかの俺が勤務していた宮崎にある病院にまで診察に来るとは考えてもいなかった。初めはそっくりさんが来たとは思ったけれど情報があまりにも似通っていて、本人だと分かった時は思わず壁に頭を打ち付けてしまった。いや、本当は認めたくなかっただけで最初から気づいていたのかもしれない。
未成年の妊娠は、大半が知識不足から望んでいなかったタイミングでできてしまうことが多い。孕った子は親にも言い出せず、適切に対処すれば間に合う時期を逃してから初診に来ることが多いのだが、彼女のカルテにはこれまでの診察履歴もしっかりと記載されていた。
初診は妊娠から六週目で、まだお腹の膨らみさえわからない時期だ。その後も定期的に通っていることから、二人の間ではその辺りをわかっていた上での行為だったことがわかる。
相手の男の子はアイの一つ上の、おそらくは学生。隣に彼女がいたからか、やけにガタイが大きく見えたし、なんというか、常人にはない圧を感じた。
特別に入院していたため、彼女たちとの付き合いは長いものとなった。アイとも日向くんとも随分と打ち解けたように感じたし、アイの年齢がかつての患者と同じだったため他の患者よりも親身になってしまった。決して、推しだったからではない。
サポートを続けて、いざ出産予定日となったその日、呼び出されてもいつでも駆けつけられるようにと病院の近くを散歩していた時だった。怪しい人影を見かけて、声をかけた時にいたのは俺自身だった気がする。正直、この辺りの記憶は曖昧だ。都市伝説にもあるようなドッペルゲンガーだったのかもしれないし、本当は別人で俺がしっかりと覚えていないかもしれない。
気づいた時には俺は既に赤子になっていて、推しであるアイの子供になっていた。言えるのはそれくらいだ。生まれ変わりなのか転生なのか、脳移植はサイズ的にありえないが、いずれにしてもこの事実は変わらない。盛大に推しが甘やかしてくれるこの現状は、日々激務にあった俺の心にスッと染み込んでいく。
もちろん、問題もいくつかある。
一つ目は名前だ。当時彼女たちからも子供達の名前が決まったと言われたが、あの時どうして止めなかったんだと後悔してしまう。いざ自分の名前になってみて、前世が吾郎という一般的な名前だったこともあり余計に違和感を覚えた。
二つ目は、俺が赤子であること。甘やかしてくれることはこの上ない極上のひと時なのだが、赤子というのは考えていた以上に自由が効かない。授乳させること、オムツを変えてもらうことに関しては、大人として意識があるせいで、越えてはいけない一線を越えてしまう気がして辛い。首が座るまでは俺も意識がなかったので母乳を飲んでいたようだが、意識が目覚めてからは哺乳瓶でもらっている。オムツに関しては、もう諦めた。赤子の回数は非常に多く我慢もできない、すべてを日向くんに変えてもらうのは不可能で、今みたいに全身を拭かれることもある。
「大丈夫だよアクアー、怖いものなんてここにはないよー」
優しさが沁みる。
三つ目の問題は、俺が前世の記憶があることが日向くんにバレたら、おそらく殺されるんじゃないかということ。あれだけアイを溺愛しているのだ。生まれてきた子供の中身が大人だとわかれば、弁明の余地なく即死刑であってもおかしくない。
当時も思っていたが、あの鍛え抜かれた体は絶対に一般人ではない。アイとの会話で時折仕合が、という言葉が出てくるから、格闘家の可能性が高い。
いや、本人の名誉のために言っておくが普段から怖いわけではない。彼も存分に甘やかしてくれるし怒ることはない。育児にも積極的で、メモには以前俺が助言したことも書かれていたのは純粋に医師として嬉しかった。けれど、それと命の危機は別。なんとしてもこのことは隠し通そうと思う。
子供の体感時間は大人のそれより長い。年齢に反比例するとのことだが、その例は俺にも当てはまるようで、1日1日が長く感じる。早く大人に、とは言わないが、自由が効く年齢まで成長したいものだ。
ハイハイができてもおかしくない時期になると、多少は部屋を自由に動き回れるようになった。これだけでもだいぶ違う。離乳食も初め、排泄の間隔が長くなったことも俺としてはだいぶ好ましいことだ。
母さんは今はリビングで気持ちよさそうにうたた寝をしている。
父さんは例の仕合とやらで出かけていて不在だ。
テレビでは昔のB小町のライブ映像が延々と流れていた。リモコンを握るのは俺ではなく、双子の妹であるルビー。昨夜からアイが映るシーンをひたすら巻き戻して見返しては絶賛する事を繰り返している。
「なあ、なんでそんなに父さんを嫌ってるんだ?」
もう今の状態に関しては受け入れた。何をどう頑張ったところで超常現象に勝てるわけでもないし、今さら雨宮吾郎に戻りたいとは思っていない。色々小さいが故に不便はあるが、ここには欲しかったものがあるのだから。
嫌いという理由も、前世が今世と同じように女だった場合は想像がつく。血縁上は親であっても身も知らない男に色々と世話されるの堪えるものがあるのだろう。
「アイに男がいるなんてありえない。しかもそのせいでアイドル辞めたってもっとありえない」
思っていた方向とは違っていた。
ファンによる解釈の不一致というやつだろうか。その後も次々と毒を吐くルビーはよほどアイドルだったアイに魅せられていたに違いない。
俺がそうであるのだから、ありえない話ではない。ルビーもまた前世の記憶を持つ人間だった。自分の事を棚に上げるが、母さんには普通の子供を産ませてあげたかった。
「いい? ママは顔はもちろん、スタイルも良いし歌も上手い。十年に、いや百年に一度の逸材なの! ドームだってアイドル続けてたらきっと」
「ドームは母さんが一六歳になる時にもうやったよ。見てなかったのか?」
「ええ!? なにそれ知らないんだけど」
「時期順に並んでるなら、DVDケースの最後にそれがあるはずだけど」
ルビー俺の言葉に従いそれを探し始める。
というか、今のは失言だったな。ドームを知らないということはそれよりも前にルビーの前世である誰かは亡くなった事になる。死因はわからないが、自分の死因なんて話したくないし思い出したくもないはずだ。
「結成して四年でドームってやば! 世間がアイの才能認めちゃった感じ? 順追って見てこうと思ってたけど即見なきゃ!」
ルビーの反応を見てると気にしすぎかもしれないが、今後も気をつけるとしよう。
目的の物を見つけて、まだ小さい手を器用に使ってDVDを入れ替える。まだ俺もルビーも入ったことのない部屋から持ってこられたDVDセットは、おそらく父さんがずっと集めていたグッズの内の一つ。他にも色々なグッズが置いてあるだろうから、そこは俺としても興味がある。ドアノブにまだ手が届かないのが歯痒い。
ライブ映像は購入特典としてライブ前のメンバーの映像も入っていたりする。今回はここのメンバーの簡単なインタビューと、開演前の円陣にて母さんがメンバーに愛していると告げるシーン。
ライブが始まる。
ルビーは母さんを起こさないように気を付けながらもライブに熱中している。だんだんと声量が上がってきているが起きた時にどうするつもりなのか。仕方ない。兄としてサポートしてやるか。
ライブが終わり、アイの引退宣言が行われている。ファンへの愛してる、そして当時はわからなかったけれど父さんへの愛してる宣言。ルビーはライブ中に反して静かになっていた。アイドルとして推していたのであれば、受け入れるのに時間がかかるのかもしれない。俺だってそうだった。
「どういうこと? アイドル続けるよりも大事だったってこと?」
ポツリと溢れた声。やはりすぐに理解して納得するのは難しい。
「……ルビー? アクア?」
何か言おうとするも、アイが起きてしまう。俺たちは慌てて口を噤む。大丈夫バレていない。それよりあくびをする姿も可愛い。伸びをして、大きな目をぱちくりさせると、俺たちがみている物に気づいた。
「あれ、これ流してたんだっけ? もしかして自分たちでできたのー? すごいねー」
散らかるDVDを他所に、テレビの近くで見ていた俺たちは回収されてソファの上に座らされる。
「もう一年以上前なんだね、懐かしいなあ」
アイは少し巻き戻しをして途中から再開させる。若いなーなんて呟くが、今だって十分に若い。
「ここでパパに告白したんだよー。パパの方からはずっと前から貰ってて、やっと返事できたの」
初耳だったけれど、あの性格ならあり得る話。アイドルをやる前から面識があったようだが、当時の二人がどんなだったのかはちょっと気になるところではある。
「私もケイも両親がいないから家族が欲しくね、アイドル続けながらってのも考えたことはあるんだけど、それだと子供ができた時に色々と大変でしょ? 胸を張ってあなたたちの親だよーって言いたいの。だから、ここでアイドルはお終いにしたんだよ」
ルビーを抱えて頭を撫でながらアイは俺たちに語りかける。ルビーは不服そうだったけれど、撫でられているこの状況は嬉しいのか破顔していた。
「って二人にはまだわからないよね、ごめんごめん。でも二人はちゃんと望まれて生まれてきたんだよ? パパもママも二人のことは愛してる」
アイの、いや母親のと言うのが正しいのだろう。愛している、という短い言葉には魔法でも込められているかのように、その暖かさが真っ直ぐ伝わってくる。
きっとこれは、ルビーにも伝わっているだろう。