一番星の王子さま 作:160万のワインを飲み損ねた
相手の動きを誘うためにあえて隙を作り、勝機を急いで思惑通り乗ってきたところをカウンターで仕留める。
体格差なんて関係ない。
急所はどの人間も共通で、脳を一定以上揺さぶれば脳震盪で倒れる。生物である以上避けては通れない摂理だ。特に反射で衝撃に対して硬直してしまうため、的確に当てればミドル級以下であってもヘビー級を倒すのは難しいことではない。もしも骨が硬くなかなか内部まで振動が行き届かない場合、脱力を極めて衝撃を散らしきってしまう場合はまた違った工夫が必要になるが、闘技者と言えどもそれらができるのは極々一部。大半は鉄砕の威力に耐えられずに撃沈する。
「勝者、日向桂!!!」
そのコールを聞いたのは有に二〇を超え、三〇勝も見えてきた。身長の伸びも落ち着いてきたことで、地に足がついたと言うべきか、型や技の安定感やキレが確実に上がってきている。
これだけ戦えば拳願会の中でもファンというのは出てくるもので、自身の企業所属ではないのに毎回律儀にベットしてくれる人たちもいる。最初ほど倍率は高くないから手堅くなってしまっているが、応援されるのは嬉しいものだ。脂の乗ったおじ様方がメインだから少しアイとは違うかもしれないが、なんとなく推される感覚は理解できた。
仕合が遅い時間に指定されていたので、今日の帰りは遅い。帰りの車内で時間を確認しれば既に深夜になっており、アイと子供たちはもう寝ているだろう。
「そういやルビーに中々懐かれないんだってな」
仕合にも買って資金も貯まっているだろうに、社長は今もドライバーを雇わず自分で運転を続けていた。そんな社長が、半分笑いながらルームミラー越しに聞いてくる。
「アイから聞いたんですか? 前に比べたらちょっとずつですけど改善してきてますよ」
「嫌になんねえのか?」
「なんでです? 俺とアイの子ですよ? 素直にいうこと聞いてくれるでも、いやいやされるでも可愛いに決まってんじゃないですか」
懐いて欲しいというのはあるが、懐かなかったからといって嫌いにはならない。大切な子供には変わらないのだから。
アイがそうであったように、俺も自分の家族を持つことに憧れがあったのだろう。大変なことは多いが、それ以上に楽しいし幸せだ。
「すっかり子煩悩になっちまってよお。最初に会った時はお前が十二、三の時だろ? あのクソガキがまあすっかり変わったもんだ」
「そりゃあ来年には二十歳ですからね。変わりもしますよ」
「お、ついに二十歳か。成ったら酒でも飲みにいくか?」
「良いですね。美味そうなところ連れてってくださいよ」
最初に飲んだ時はまだ子供だった。はっきり言って美味しいとは思えなかったが、二十歳になれば少しは酒の味がわかるかもしれない。
師匠とは結局連絡を取ることはなかったし、結婚することを一報入れようと聞いていた番号にかけてみたが繋がらなかった。出自が出自だから『中』に戻ったか、どこか遠くへふらふらしているのかもしれない。
『中』といえば、雨宮先生だ。念の為先生について調べもしたが、どうやらアイが出産をしたその翌日には東京へ来ており、『中』へ入ったのが最後の情報となっている。
『中』の正式名称は、不法占拠地区。二三区郊外にあるそれの歴史は古く、幕末ごろからそれは作られた。日本政府が一九XX年に事実上放棄して歴史から抹消、表向きは有毒ガスが広範囲に発生しているため住民はごくわずかとして情報統制を行い、巨大な壁を周囲に建てて一般人は決して近づけないようにされている。けれど実際には有毒ガスなどはなく、治外法権と化したその場所には師匠曰く、人種も言語も想像以上の数で、多く人間が生活をしているちょっと危ないところらしい。
先生がなぜ知っているのか、なぜそこへ行ったのかはわからない。接している分には良い人だったけれど、何か打ち明けられない闇でもあったのだろうか。あるにしてもなぜあのタイミングだったのか、わからないことが多い。
もしも、ということで会長から教えてもらったのは『蟲』と呼ばれる組織のことについて。裏の中でのさらに奥深くに潜み、数千年もの間、戦と政の陰で暗躍してきた秘密結社。諜報的な行動が多い組織のようで、会長も全容は掴みきれていないとのこと。規模がデカすぎて今一ピンと来ていないが、もし先生が蟲の一員であったのであれば、気になるのは理由だ。宮崎に目的があったのか、初めからアイか俺を狙っていたか。俺であれば中で生まれた二虎流を使うからだろうか。それとも、ありえない話ではあるが俺自身か。
「良いところか、たまに接待で使うクラブでも行くか?」
社長の言葉に現実に戻される。
「クラブ……? 酒飲むところなんですか?」
最近勢いづいているゴールドプレシャスグループがいるナイトレジャー業界の一部だろう。若い女の人が集まって、社長が言ったように接待するイメージしか無い。
「ああ知らねえのか。結局男なんてバカだからよ、若くて綺麗な女が好きなんだよ。特に金持ってる奴らなんかはな。ホステスはプロだからくだらない自慢話も興味深そうに聞いてくれんだよ。そこに酒でもあれば大抵の男は気が良くなる。そうなりゃ、酒の力もあって取引もスムーズにいったりするもんだ」
そうは言いながらも自分も楽しんでいるやつだ。社長の声のトーンはそう感じさせるには十分なものだった。ミヤコさんに怒られないのだろうか。そう言えば、そもそも二人はどこで出会ったのだろう。
「いや、普通に洒落たバーとかに連れてって下さいよ。家に帰ればアイがいるから他のところ行く必要ないんで」
「そこは変わらねえな。安心したようなつまんねえような……。まあ、美味い酒出してくれる店には連れてってやるよ。楽しみにしとけ」
「はあ……。まあ、そう言うなら」
そんなことを話している内にマンションに着く。社長にお礼を言って帰ろうとしたところで、紙袋を渡された。企業ロゴ付きてMETSURDと書かれている。
「これは?」
「アイに渡しといてくれ、今CMの話を進めていてそのサンプルだ。実際に使ってみてレビューが欲しいんだと」
アイの復帰はまだではあるが、それも終わりに近い。コスメや化粧品を老若男女、普段使い品からラグジュアリー品まで取り扱うMETSURDからシャンプーのCMオファーが来ていると言ってい他ことを思い出した。
了承の旨を伝えて社長とは別れた。
エントランスに入るのに一回、エレベーターを使うのに一回、自室の玄関で一回鍵が必要となるトリプルセキュリティで、防犯カメラも設置されている物件だ。
目的の階で降り、鍵を開け、静かに扉を開ける。部屋の明かりは付いたままだった。内鍵までしっかりと施錠し、音を立てないようにリビングへと移動する。
リビングには子供たちはいなかった。いつも通り寝室で寝ているのだろう。一方でアイはソファで寝ており、掛けていただろうブランケットが床に落とされていた。
起こさないようにそっと掛け直す。社長からもらった紙袋は一旦テーブルに置くことにした。
寝室を静かに覗いてみると、アクアとルビーはぐっすり寝ている。初めは数時間おきに起きては泣いての繰り返しだった子供達も、最近は朝まで寝れることが増えてきた。あと数ヶ月で一歳。少しずつ言葉を話すようにもなってきたので、成長は早いものだと実感する。
音を立てないように扉を閉めた。
シャワーを浴びて部屋着に着替える。寝支度を済ませてリビングに戻ると、アイが起きてソファに腰掛けていた。
「おかえりー。今日も勝ち?」
「待っててくれてありがとな。おう、もちろん勝った」
「さすがは私の旦那様だね。お疲れ様」
アイの横に腰を下ろした。まだシャワーの熱があるから、少し距離を空ける。
「社長からそれ渡しといてくれって、商品サンプルだってさ」
「そんなこと言ってた気がするなあ。ありがと、あとで見ておくね」
アイがぴたりとくっつく距離に移動する。それに応えるように、腰に手を回す。
「ねえ見て見て。アクアとルビーの一歳の誕生日なんだけど、こんなのどうかな?」
アイが持つスマホには、一歳児への誕生日のお祝いの仕方について書かれているページが表示されていた。子供達よりも先にアイの誕生日があるのだが、そちらに関してはすでに準備は済ませている。伊達に長い付き合いではない。何が欲しいかは普段の会話の中からある程度わかるので、直前でそれがなかった場合に備えて早めに手配しておくことが多い。
「良いんじゃん。部屋飾りつけて写真撮ってーーーケーキってもう食えんの?」
画面上には随分と豪華なケーキが載っている。まだ離乳食期間中には、少しヘビーすぎる印象だ。
「一歳児用のがあるんだって。それか手作りとかでも材料気をつければ良いみたい」
アイが画面を変えると、手作り感のあるケーキ群に変わり、中にはクオリティの高いものもあった。一様に数字の一を模した蝋燭も使われており、いかにも一歳のお祝い用といった感じだ。
「なら一緒に作ってみるか。手作りの方が特別感出るだろうし」
手作りというものに特別感を覚えてしまう。いまだに初めて作ってもらったカレーの味は覚えている。あれから定期的に色々作ってもらったし、誕生日にはそれこそケーキを作ってもらったことがある。料理の最高のスパイスは愛情なんて言葉があるが、それは本当のことと思えた。
「良いねー。写真撮ってケーキ作って、あとはプレゼントどうしよう?」
「外にも出て歩き出せるだろうし靴とかは? あとはルビーだったらアイのグッズあげたらすげえ喜ぶと思うけど、アクアはまだ何が好きかわからないんだよなあ」
アクアもライブ映像とかを見て喜んで入るが、グッズをあげたら喜ぶかと言われるとちょっと違う気がする。
「逆にルビーがはっきりしすぎてると思うけどね。でも靴は良いかも。家族四人でお散歩なんかしてさ、もうちょと大きくなったらピクニックなんかもしてみたいよね」
「ピクニックか。会長のところの庭借りるか?」
「会長さんのところ大きいもんね、初めてみた時お城みたいな大きさでビックリしたよ。もしできるなら良いかもだけど、できるの?」
借りるにしても冬は寒いので、気温を考えれば春先くらいだろうか。桜でも咲いていれば、将来的に覚えていなかったとしても良い体験になるはずだ。
「新年の挨拶しに行くんだし、その時に聞いてみるよ。多分NOとは言わねえと思う」
我が家の年末年始の予定は慌ただしい。まずアイの誕生日とクリスマスがあって、年末は社長たちと年越し、年始は会長のところへ行ってルビーとアクアの顔見せも兼ねて新年会が予定されている。そのあとは二人の誕生日。
二人を会長のところで皆に会わせるのは楽しみな反面、強面が多いから泣き出したりしないか心配でもある。
「すっかり子煩悩になっちゃったねえ」
アイがスマホの画面を切る。
「お互い様だろ」
視線が合う。アイの瞳には星を宿したような美しさだけでなく、見る者を惹きつけるような、不思議な魅力がある。
「良い親できてるかな?」
「できてると良いけどな。二人が大きくなった時に聞いてみるか」
「そだね。大きくなった時が楽しみ」
こうした時間は久方ぶりだ。二人が生まれてからは、どうしても父と母という側面が強く出ていた。けれど、今は二人だけ。少しの間だけ、夫と妻に戻っても良いだろう。今はお互いに互いのことしか見ていない。
音を立てないように気をつけながら、夫婦としての甘い時間を過ごした。