一番星の王子さま 作:160万のワインを飲み損ねた
アイが着替え終えるのを待つと、事務所の近くにある大手ファストフード店であるボスバーガーに入る。俺はボスバーガーセットを二つ頼むが、アイはシェイクしか頼まなかった。店内は時間帯もあって混雑しているが、席にはまだ余裕がある。奥側の端の席が空いていたため、そこを取った。
結成したてのグループとは言えアイはアイドル。念の為身バレ防止のためにキャップは目深に被ったままだ。
「それだけで足りるか?」
「足りるよ。逆にケイは夕飯前に食べ過ぎじゃない? 太るよ?」
「普段から動いてるから問題ない。育ち盛りだし、これくらい食べても全然太らねえよ」
体をデカくするにはとりあえず食べる、というのは重要だ。もちろん遺伝子上ある程度は定められているのだろうが、だからと言ってそれに甘んじるつもりもない。食べて動いて寝る、といつのは人間の原始的な行動だ。
「うわっ、たった今世の女の子すべてを敵に回したね。女の子は大変なんだよー、スタイル維持しなきゃいけないし、それでいてタンパク質は何グラムとれとか、脂質と糖質は控えろとか、言われるの」
脂質、糖質。俺の目の前で飲まれているその飲み物はそれらの集合体ではないのか。俺の視線はアイが飲んでいる飲み物に注がれる。
「あ、何その目! 何思ってるかわかるけど、これは別なの」
「わかってるわかってる、別腹だろ。別腹ついでに一本だけでも食うか?」
カリカリに揚がったポテトを一本アイに向けた。少し悩んだのち、アイは小さな口を開けてそれを食べた。
「美味しい」
「だろ? ほら、もっと好きに食っていいぞ」
容器を逆さまにして中身をトレーに広げる。塩が振られているが、調味料としてケチャップやマヨネーズもあり、バスバーガーとしてはマヨネーズを推している。個人的にはそのまま塩で食べるのが好きだ。
「うー、ケイに太らされる」
「もしそうなったら社長のとこ行って謝るよ、無理矢理食べさせちゃいましたすいませんって」
「それ謝る気ゼロのやつじゃん。でも、そういうことならもう少し食べちゃお」
そう言って二本目を摘む。何が思いついたようなシェイクの蓋を開けるとポテトを生クリームにつけて食べた。
「あ、これも美味しい。ケイも食べてみなよ」
アイは食べかけのポテトの先端を再びつけると俺に食べるように促す。食べると程よい塩味と甘味が広がった。
「うまいなこれ」
「でしょー。良い組み合わせ発見しちゃったな。さすが私」
結局二人で分け合ったポテトはあっという間になくなっていく。ハンバーガーはひと足先になくなり、あとはドリンクだけ。こう言う時、フリードリンク制のアメリカの店舗が羨ましくなる。
互いに本題に移るタイミングがここだと理解していた。意を決すると、俺は聞きたかったことを聞くことにした。
「あの三人となんかあった?」
「なんの話? 何もないけど?」
間髪入れない、こなれた嘘。
「嘘だろ。嘘をつく時、アイは少しだけ表情が硬くなる」
この辺りと言って、目尻付近を指差した。
こんなものは雰囲気で察しただけで当てずっぽうだ。よく見ればわずかな変化だけであればわかるが、それがどのように感情とリンクしているかまではわからない。
「……よく見てるね」
「よく見てるさ。ファン一号だからな」
「ふふ、そっか…そうだったね」
「俺に言いにくいことだったら社長とかに言ってみろよ。一人で抱え込んでるより楽になるだろ」
俯いたアイは何も話さない。
周囲の声がやけに大きく聞こえる。誰もがこちらには意識を向けず、各々の話をしていた。
ドリンクの下に敷いていた紙が、カップ結露によって皺になっていた。ドリンクと一緒に入っていた氷もほぼ溶け切り、ドリンクの味を薄める。アイが何か口を開くまで待ち続けた。
「他のみんなからいじめ、って言うほどじゃないか、嫌がらせみたいなのを受けてるんだ。物を隠されたり、聞こえるように悪口言われたり」
普段よりもいく分小さい声。視線を下にしたアイはゆっくりと、けれど重い内容を話し始める。
「最初はみんな良くしてくれたんだよ。一緒にすごいアイドル目指そうねって。歌もダンスも頑張って練習して、みんなでご飯食べてる時に四人でブログやろうよってなって、実際にやってみたり。そう言うことしたことなかったから楽しかったなー。でも、社長が私がセンターだって言ってから変わっちゃった。指名された時はもちろん嬉しかったよ。私なりに頑張ってきたつもりだから、それが認められたんだって。みんなにも褒めてもらえると思ってた。……あの時のみんなの顔は、ちょっと忘れられないかな」
グループ最年少かつ最遅加入。他の三人はアイよりも年上の分ひと足先に事務所に入り、少なからず芸能界で実績を積んできたのだろう。ホームページにも過去の実績が載っていたような気がする。芸能人としてのプライドがあるのだろう。そんな中社長が連れてきた、まだ何の実績もないアイがグループのセンターだと言われれば、不平不満が出てくるのは無理もない。
「どうすれば良かったのかな。やっぱり、私なんかアイドルやらない方が良かったのかな」
声は震えていた。
俺が背中を押した原因もあるだろう。少なくともあの場で引き留めておけば、今のように苦しむことはなかったかもしれない。
「話してくれてありがとう。アイはどうしたい?」
「そんなのわかんない」
首を横に振った。
きっと今頃彼女たちは、自分たちが頑張っているのに呑気に男と飯に行っている、と文句の一つでも述べているのだろう。これは完全に俺のミスだ。
さて、どうしたものか。先のが他のメンバーとの初めて会話だったこともあり、彼女らの人となりはわからない。何か適当なアドバイスを言うのはアイのためにならない。もし相手側が男だったら楽なのに
「じゃあ、ばっくれるか」
ちょっとコンビにでも行くか。それくらいの声調で淡々と発した。
「ーーーえ?」
「俺らまだ中坊だぜ? 本当に辛いなら無理して続ける必要なんてないだろ。やってられるかって事務所の全員に言ってアイドル辞めて、社長もあの三人も知らないどこか遠くに行くんだ。それでアイスとか好きなもの食べて、好きなことをして自堕落に生きていく」
どれだけ辛いかは、当の本人しかわからない。外傷ならいざ知らず、心に受けた傷は受けた本人以外は誰もわからない。頑張れ、なんて言葉は今のアイを見ていると決して言うことができなかった。
「なにそれ、責任なさすぎじゃん」
苦笑が漏れるに合わせて、声のトーンが少しだけ明るくなった。
「責任とか義務とか、そんなの小難しいのは大人に任せて、もっと自由気ままに振る舞って良いんだよ」
まだ十二歳。本来であれば親の加護の下、大人に向けて成長していく段階。ふんだんに迷惑をかけて良いはずだ。
「ケイは自由に振る舞いすぎだと思うけど…」
「説得力はあるだろ?」
「羨ましいな。私はどうしても周りに合わせて嘘ついちゃうからさ」
「別に嘘が悪いわけじゃないだろ」
誰も彼もが常に本音で語っていたら世の中成り立たない。社交辞令や世辞だって嘘の一つだ。嘘が潤滑油になることもある。嘘も方便という諺だってある。
アイは親に捨てられたことを未だに気にしているのだろう。誰かに嫌われることを極端に恐れる傾向があり、本心ではなくその場しのぎの嘘をつく。
嘘とは一口に言っても、嘘にも色々と種類がある。誰かを気づける嘘、誰かを守る嘘、自分を守る嘘。アイが使う嘘は自分を守るためが大半。傷つけるための嘘は聞いたことがない。
一種の防衛手段を悪いことだとは思わない。
「かもね。でも本音で話せてたらなって思うことあるんだよ」
「今できてるじゃん」
俯いていたアイがやっと顔上げた。
「本音で話したいってのはそれこそアイの本心だろ? 心配しなくてもちゃんとできてるよ」
ステージ上や画面越しで輝くアイドル達は嘘で固めた偶像を作り出すが、それはあくまでファンの前だから。私生活では仮面を脱ぎ去り、等身大の自分を曝け出しているはずだ。四六時中至る所で嘘をつき続ければ真実と嘘の境が曖昧になり、自分自身でも何が嘘で何が本当かわからなくなる。どこかでガス抜きが必要だ。
「ゼロか百かで考える必要はなくてさ、ちょっとずつ周りにも出せるようになっていけば良いんじゃね」
「私にもできるかな」
「練習相手に社長はどう? あの人見た目チンピラだけど良い人だと思うぜ」
いきなり不仲の三人にいくのはハードルが高い。一方で社長は適任だろう。スカウトして、施設の子と分かれば身元引受人になる男だ。手続きだって大変なはず。アイにかける思いは相当な物だろう。いや、だからこそか。不和問題は彼の勇み足も原因の一つだろう。
「そうしてみる。社長、私にゾッコンだもんね」
自惚れでなければ先ほどよりすっきりした顔をしている。
「それが良い。もし色々やってみてダメだなって思ったら、本当に逃げちまえば良い。どこにでも好きな所に連れて行ってやるよ」
「ありがと。ケイのおかげで元気出たよ。いてくれて良かった」
はにかんだ顔。やはりこちらの方がよく似合っている。
「ねえ、ケイ。私ねーーー」
視線があったまま少し間が空く。何か重大な事を告げられれかのような雰囲気に、思わず唾を飲んだ。
「帰りにアイス買いたいな!」
「ーーーならコンビニ行って高いの買おうぜ」
ちょっと期待した自分が恥ずかしい。
「ありがと! あの高いやつが良い!」
この時のお礼を言うアイの笑顔をきっと俺は忘れないだろう。