一番星の王子さま   作:160万のワインを飲み損ねた

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 沈黙が流れる。普段は聞こえない時計の秒針が動く音が、やけにはっきりと聞こえる。先ほどまでの空気は、社長の一言で一変することとなった。ミヤコさんは手で額を押さえ、社長は顔を青くして冷や汗を流している。

 

「ねえ、仕合ってなに?」

 

 アクアはさらに聞き返す。

 

 いつかは、とは思っていたがまさかこのタイミングとは。俺もアイも困惑した表情を浮かべながら、どうしようかと考えている。

 

「……どうしてそんなに気になるんだ?」

「ずっと気になってたんだよ。前に夜に父さんと母さんが仕合がどうって話してたの聞いたことあるし。他の大人と比べても筋肉あって生傷もある

から格闘家なのかと思ったけど全然ニュースとか出ないし」

 

 子供達の前では話さないようにしていたが、寝ていると思っていた時に実は起きて聞いていたのだろう。

 

「それにこの前、監督に苺プロの名刺渡していたでしょ? 見せてもらったんだけど警備部って書いてあって、そんな部署聞いたことなかったし、色々変だなとは思ってたんだ」

 

 監督とよく話しているとは思っていたが、そんなことまでしてもらっていたとは。部署に関しても、実際に所属しているからこそそれが架空のものであることに気づいたのだろう。本当に賢い子だ。

 

 目線をルビーに移せば、ルビーは何のことかよくわかっていなそうだ。仕合という言葉にもピンときてない様子。

 

「なるほどなあ……」

 

 天を仰いだ。ペンダントライトが視界に入り込む。刑事ドラマで、取調室にて犯人を自供させるために照らされる灯りに思えた。ここまで聡明であれば、変に誤魔化す方が悪手かもしれない。

 

 アイと視線を合わせる。小さく首肯した。

 

「それなら俺も正直に言うけど、アクアもルビーも誰にも言わないって誓えるか? 友達や周りの大人たちにも内緒だ。もしバレたら、きっと家族全員バラバラになる」

 

 アイや子供達は大丈夫だろうが、俺や社長の場合は本当に、それこそ物理的にバラバラになるかもしれない。

 

「お、おい……」

「聞かれちゃったんだし、今更隠してたって仕方ないじゃないですか。いつかは言おうと思ってたことなんですから、それがたまたま今日になったってだけですよ」

 

 グラスを置く。ロックで飲んでいたからグラス表面についた結露が、グラスを伝ってテーブルへと滴った。

 

「わかった。約束するよ」

 

「ルビーもできるか?」

「良いけど、そんなやばいことなの? 犯罪系とか?」

 

 刑法にも載っているように賭博は立派な犯罪の一つ。競馬やパチンコなど認可された公営ギャンブルではないから、国が認可している拳願仕合は問題ないが、その試合の賭け自体は違法なのかもしれない。法律は難しくて理解できないが、そうであったらガッツリ賭けていた社長、たまに賭けていたミヤコさんも法的にはアウト。

 

「まあ白ではない、と言うかほぼ黒というか。一応国は認めてるはずなんだけどな」

 

 国も当然一枚岩ではないから、反拳願仕合派なんて層もいるはず。とはいえ現トップが政財界の首領に加えて加盟企業が日本経済を支える大企業のため、下手に動けないといったところか。

 

「それにアクアの言う格闘家ってのも間違ってねえよ。ただ主戦場は表じゃなくて、裏になる」

「うら?」

「そう、裏。表……ボクシングとか柔道とかは同じ競技、同じ階級で仕合をするわけだろ? でも裏に関しちゃそれがない。それこそ、さっき言ったボクサーと柔道家が戦ったりするんだよ。異種格闘技戦って言えばわかるかな。それで裏にもいくつかあって、俺が籍を置いてるのは会長、年始に行ったデカい家に住んでる爺ちゃん覚えてるか? あの人が仕切ってる拳願会で、苺プロの代表として大企業が抱えてる他の闘技者達と仕合をしてんだ」

 

 裏格闘技会は日本だけ見ても数多く存在する。最大規模を誇る拳願会、日本一の資産家が数年前に作り上げた拳願会に次ぐ煉獄、業界第三位の毘沙門、ヤクザが仕切っているデスファイト、殺戮武闘会や伊勢龍など。所属しているすべての戦士達を知るわけではないが、レベルとしては拳願会が一番だろう。仕合に関してもリングアウト制や武器の使用が許可されているところなど様々だ。

 

 拳願会についても、俺が知っている限りで話をした。

 

 発端は江戸時代、拳で雌雄を決る勝負方法は当時から現代まで連綿のと受け継がれていること。仕合はビジネスの場において利害が合致しなかった場合に行われ、仕合の結果は絶対とのこと。今でも数多くの名だたる企業が加盟していること。アイのために中学生の時に拳願会入りをして、十六歳から本格的に参戦したこと。

 

 流石に非公式仕合に出るために命を担保にして会長から一億円の融資を受けたこと、審判こそいるものの武器の使用以外はルール無用の安全性が段違いなことまでは話さなかった。

 

 一通り説明し終えると、アクアとルビーは何も話さない。受け止めるのに時間がかかるのは当然だ。まさか自分の父親がこんなことをしているとは想像もしていなかったに違いない。

 

 喉を潤すためにもグラスを煽った。氷が少し溶けた分、味が薄くなったように感じる。

 

「……。もう少しまともな嘘はないの?」

 

 代表してアクアが答えたが、ルビーも同様にまるで信じていないような目をしている。

 

「大企業が参加する裏格闘技組合って、さすがに荒唐無稽すぎるよ。子供でももう少しまともな嘘考えるって。そもそも、それが本当だったとしても、いくら母さんいても苺プロってまだそんなに大きくないでしょ。場違いじゃん」

 

 企業の規模で言えば苺プロはまだお世辞にも大企業とは言えない。デビュー当時はほぼ零細、今でも中小企業と呼ぶのが良いところだろう。企業資産や他社とのコネクションは年々拡大していて所属タレントも増えているにせよ、業界大手と呼べるようになるにはおそらくまだ時間がかかる。

 

「つまり、結局パパは何してるの?」

「嘘ついて誤魔化そうとしてたけど、大方勝てない格闘家かお爺ちゃんの脛齧りなんだろ。あの人、日本の中央銀行のトップでお金はすごい持ってるだろうし」

「ニートってやつ? やばっ。ママ、大丈夫? 騙されてない?」

 

 ひどい言われようだ。

 

「え、大丈夫だよー。そもそも嘘じゃなくてほんとのことなんだけど……やっぱり信じられないよねえ」

「社長、直近で仕合ないんですか? 俺子供達にニート扱いされてんですけど」

 

 言葉だけでは俺の語彙力の低さもあって伝わりにくい。仕合を見せるが一番手っ取り早いのだが、子供達の情操教育としてはよろしくない。だが、まるで何もしていないように扱われるのはいただけない。父親としての沽券に関わるし、勝てない格闘家というのも同様だ。俺にもプライドはある。

 

「……最近は取引も順調で、直近で組んである仕合はねえな」

「順調で何よりですよ」

 

 さてどうするか。会長宅に行って誰かとスパーリングでもするか、いやそうすると子供達に言ったことがバレるからダメか。適当に型を見せても相手がいないのであれば意味はない。練度なんてわからないだろうし、ただ型稽古やってる無職に変わりはない。

 

 八方塞がりなんじゃないかと思っていると、アクアが大きくため息をついた。

 

「はあ、わかったよ。そんなに言うなら、本当の事だって思うようにするよ。格闘技は見たことないからわからないけど、父さんは闘技者?ってやつで、苺プロのために仕合してる。そしてそれは他言無用。それで良いんでしょ?」

 

 完全に気を遣われている。アクアの中で俺はどんな扱いになっているのか考えたくもない。幼児に気を遣われる親ってなんだ。

 

「ルビーもそれで良いよな?」

「格闘技とか裏とかよくわかんないし、ママが良いならなんでも良いよ」

 

 ルビーはあいかわらずルビーだ。

 

 なんとも言えない空気の中お開きになると、アイとルビーはひと足先にお風呂に入り始めた。あの二人は普段と変わらず、いつものように歌でも歌いながら入っているのだろう。

 

「父さん、あの話どこまで本当なの?」

 

 リビングでソファに座りながらテレビをぼんやり見ていると、アクアがテレビの方を向いたまま聞いてきた。内容は頭に入ってこない。

 

「全部本当だって言ったろ」

「階級なくしたら危ないのに?」

「なんだよ、知ってんじゃねえか」

 

 仕合の公平性、怪我やリング禍のリスクを極力避けるためにも、階級はどの格闘技でも厳格に設けられている。階級さがなければ、それこそ大人と子供が試合をするような体格差が生まれることもある。

 

「前テレビで格闘家の人が言ってたんだ。その人は、まあ俺は最強やから階級なんて関係ないけどな、って言ってたけど」

 

 ビッグマウス。おそらくはアルティメットファイト王者の大久保直也か。関西人らしくノリの良い性格で、ちょくちょく発言で炎上しているもののテレビでも見ることがある。実力も紛れもない本物で、王者になってからその座は揺るがない。表でも裏でも強いやつは強いというのを感じさせる。

 

「なんで、そうまでして母さんのために?」

「惚れた女のためなら命くらいかけるだろ」

 

 社長にも言われたことがあるから、この辺りの感覚は俺がズレているのだろう。

 

「幸いこっち向けの気質も才能もあったからな。使えるもの使わねえと。それに仕合に出てたら必ず死ぬわけじゃねえし、仕合しなきゃゼロになるとは限らねえ。ある日突然刺されることもあるだろうしな」

 

 世界的に見れば治安が良いとは言え、百パーセント安全な国では決してない。暗殺家業もあるのだから、人知れず消されている人間もいる

 

 仕合も、死んでも勝つ気概を持つ闘技者は数多くいるが、相手を故意に殺して勝つという考えの闘技者は少ないように思える。殺しが好きな連中は、やる方も見る方も別の裏格闘技に行っているはずだ。

 

「……正直理解できない」

「だろうな。ただ、あの時の俺にとってアイは全てだった。役に立つためなら自分の命含めて、それ以外はどうでも良かったんだよ。今はアクアもルビーもいるからまた違うし、散々世話になった社長たちに恩返しする意味もあるけどな」

 

 返事はない。顔もテレビの方を向いたままだから、どのような表情をしているかもわからない。

 

「俺がおかしいと思うアクアは正しいよ。だからお前は、俺みたいになるな。選ぶのはアクア自身だけど、どうせなら多くの人に夢見せたり、助けるかっこいい大人になりな」

 

「助けるって医者とか?」

 

 ようやくこちらを向いた。

 

「そうだな。頭良い職業だから勉強は頑張らないといけないだろうけど、アクアは賢いから医者にもなれるかもな」

 

 少し考えた後、アクアは控えめに口を開く。

 

「じゃあ、もし……。もし俺が医者になったら、怪我しても治してあげるよ」

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