一番星の王子さま 作:160万のワインを飲み損ねた
幼稚園での生活は、退屈ではあったけれど悪いものではなかった。医者の激務に比べたら子供達の相手なんて楽なものだし、適当に本でも読んでいれば時間も潰せる。一般的に見て俺は変な子供なんだろうし、親への連絡ノートにも、あまり他の子供等と馴染めていない、とでも書かれているのだけれど、良くも悪くも普通じゃない両親はそれを気にする素振りも見せなかった。
俺が幼稚園ですべきことは、アイから託されたミッションと手のかかる妹の世話。ダンスの一件からよりアクティブになった我が妹は遊具で遊び、園庭で駆け回り、ごく普通の幼稚園生活のように謳歌していた。転んで膝や手を擦りむいた時は、仕方ないな、なんて思いながら手当をしてやる。前世では紆余曲折あって産医になったけれど、本当は外科医になりたかった。この手当ても、非常に簡単ではあるけど俺が望んでいた形の一つでもあった。
だけど、将来何になりたいかと言われると、正直悩んでいる。
演技の世界は思っていたよりも楽しかったし、アイ……母さんに褒められたのも嬉しかった。誰よりもすごい役者になれると言うのも、本心から言われていたように思える。せっかくなら将来その言葉通りのすごい役者になって、母さんの言ったことは正しかったよって言ってみるのも悪くない。
あの日以降俺はちょくちょく仕事を貰えていて、あの日ほどの手応えはないけれど、なにかと起用してくれる監督の意図を読み取りそれに応える演技を頑張っている。
一度だけ、ルビーともドラマで共演したことがあった。配役は男女の双子で、年齢も俺たちにちょうど合っていたらしい。アイはキャスティングされなかったからルビーはそこまで乗り気ではなかったが、自分で言うのもなんだけれど、このドラマはちょっとした話題にもなった。
俳優として着実にステップアップしていく一方で、今度こそなりたかった外科医に、と言う思いもある。流されるだけの人生だった前世を否定するわけではないが、本来得られない二度目のチャンスが意図せず巡ってきたのだ。勉強だってこれまでの蓄積に加えて、幼少期特有の吸収率の高さがあれば、世界大学ランキングでアジア圏不動の一位である帝都大学の医学部にだって入れるだろう。それに、医者になれば怪我をした時父さんを助けられるかもしれない。拳願仕合に関しては大企業がまさかそんな事を、という思いでまだ半信半疑だ。医者になるにしても二十年は先だし、仮に本当でもその頃にはとっくに引退してる年ではあるのだろうけど。
これは勝手な想像だが、日向アクアマリンと、雨宮吾郎という二人が混在しているからではないのか、なんて考察をしてみたりもした。漫画で見かけるもう一人の自分のように語り合うことはないから、確かめようなんてないし、そもそもこの転生?も原理はまるでわからない。アクアの器に吾郎の魂が入ったのか、アクアと吾郎が混ざり合った結果が俺なのか、実はアクアもこの体のどこかにいて、俺が気づけていないだけなのか。
そう言えば、父さんがちゃんと苺プロの警備部として仕事を始めた。始めは苦戦してたパソコンも今では慣れたようだし、俺も見学という形で参加した護身術も、講習は失礼ながら想像以上に真っ当な内容だった。闘技者だとか言うから、始まるまでは先手必勝で殴り倒せとか言うのかとヒヤヒヤしていたものだ。ただ見本の際に母さんが被害者役を手伝ったのだけれど、後ろから抱きつかれた時にとかに二人で甘い空気出すのは辞めてほしかった。周りの目を気にしろよ。
まあ、三回目の講習時にゲストとして招かれた初見泉さんと比べたらマシだった。内容は合気道で、より女性でも使いやすい技術ではあったのだろうけど、お目付役として呼ばれていた、あのお嬢様学校として有名な皇桜女学院を統べる皇桜学院グループの理事長らしい奏流院紫音さんがいなければどうなっていたことか。
気がつけば、俺は小学生になっていた。
久しぶりに背負ったランドセルは、こんなに大きかったんだな、なんて染み染みと思ったし、昔に比べて色のバリエーションも増えていたことには、実際に陳列されたそれを見て驚いた。昔は男子は黒、女子は赤だったのに、今は割と好きな色を選ぶことができる。ルビーは赤で即決していて、俺は悩みに悩んだ。最終的に、アクアなんだから青にすれば、という我が家の女性陣に推されて青にしてしまった。二人してキラキラした目で推してくるのだから断れない。あの目はずるい。
入学式は幼稚園の時でもそうだったけど、俺たち以上に両親が目立っていた。今も変わらず活躍し続ける女優のアイが変装もせずに来るのだから、ちょっとした騒ぎになる。それでも大事にならないのは、学校という特異なコミュニティ内であることも大きい。子供達の手前で自分たちの欲を優先させる親は、幸いにも俺が通う学校にはいなかった。
幼稚園でもあったけれど、小学校にもなると保護者参観日がある。その日も夫婦揃ってくるのだから、受け持ってくれている先生も大変だな、なんて同情してしまう。
「ねえねえアクアくん、あそこの人、女優のアイでアクアのお母さんなんでしょ? やっぱり若くて綺麗だよね」
「そうだね。自慢の母さんだよ」
隣の席に座る女子にこそっとそんなことを言われるが、母さんが若くて綺麗なことなんて分かりきったことを、何を今更言い出すのか。
「隣はお父さん? アクアくんの髪はお父さんから遺伝したんだー、良いなー」
「そうだね。俺はキミの黒い髪も綺麗で良いと思うよ」
隣にいるのも父さんに決まっているだろ。めんどくさいなと思う感情を出さずに、淡々と返事を返す。俺も子役とはいえ俳優の端くれで、苺プロの看板を多少なりとも背負う立場。印象を悪くすることは避けなければいけないから、本心を隠して適当に会話を続ける。
その甲斐もあってか、多少浮いてはいてもクラスではぶられることはない。むしろ男女双方から人気がある方ではないだろうか。
「アクアー、ドッジボールしようぜ」
「わかった。後で行くから先に行ってて」
子供達の体力は無尽蔵だ。三十分もない休み時間でも、ちょっとでも外に出て遊ぼうとする。
社会的に見て上流下流という言葉が話題になることがあるが、学校生活においても小さなカーストは出来上がっている。大人よりも正直に感情が出る分、より顕著だ。人気者になるのは、小学校で言えば女子は可愛さ、男子は容姿の良さ以上に運動ができる子になる。母さんも運動神経は悪くないけれど、この部分は父さんからの遺伝的要素が強いのだろう。ルビーの踊りを見てわかってはいたことだけれど、この体は驚くほどよく動く。チーム分けをする際、大抵はその遊びをやろうと言い出した子供がチーム代表となり、ジャンケンで勝った方から自分のチームに引き入れていく。そのドラフト会議で俺はほぼ一位常連だった。
ルビーが何か言いたそうにこちらを見ていた。
「なんだよ」
「別にー。普段大人ぶってる割には楽しんでそうだなーって」
「まあ、勉強がやり応えなさすぎるから、それよりは楽しいしな」
小学校で学ぶ内容は俺にとって難しいことなんて何一つない。小学校故に授業中の読書や居眠りは許されないことの方がよっぽど大変だ。この辺りは幼稚園生時代の方が融通が効いた。
前世では運動はそこまで得意ではなかったし、そもそも勉強漬けでそこまで運動するタイプでもなかったけれど、退屈な勉強よりは遥かに面白い。いっそ小学校の時期であればずっと体育で良いとさえ思っていた。
「お前は行かないのか?」
「行かないよ。また泣かせちゃったら嫌だし、私は友達とママの良さを語り合うから」
そういえば、故意ではないだろうが、以前男子生徒の顔面にボールを当てていた事を思い出した。そりゃあ痛いだろう。泣いてしまった生徒には同情する。
ただそんなことがあっても、ルビーも学校で人気者だ。母さん譲りのルックスに加えてあの天真爛漫さは、男子達を勘違いさせるのではないかと兄として心配してしまう。小学生男子特有の、心理的に成熟していないが故に好きな子に対する気持ちがうまく処理できず、反動形成によって好きな子を苛めてしまう事も起こってしまう可能性は高い。兄としては、その辺りちゃんとフォローしてやらないといけないなと考えている。時々年相応の子供に見えて、俺からしたら危なっかしく見えて仕方がない。ちなみに女子同士のことまではいまいちわからないが、見ている限りでは問題なさそうだ。
一年、また一年と平和な時間が過ぎていく。
その間にも色々なことがあったが、特に大きいこととしては、B小町の解散だろう。二年連続でドーム公演を達成したあと、まだまだ人気がある中の解散にそれを惜しむ声が多かった。二回とも現地に行ったが、やはり生で見るライブは別格で、火付け役がアイだったにせよ、ここまでこれたのは彼女たちの努力と才能の賜物だと思った。ただ、アイドルは流行り廃りが激しく、毎年のように新しいグループが出てくる。メンバーの年齢を考えると、アイドル業界の平均年齢が上がっている事を考えても潮時との判断だったのだろう。解散後は引退したりそのままタレントとして活躍したりとそれぞれ。苺プロのアイドル部門としては後輩グループが代わりに始動しているものの、こちらはB小町ほどの勢いはない。B小町の後輩という期待が大きい結果、どうしてもハードルが上がってしまっている印象だ。会社としてもアイドル業を拡大するよりも、ネット系タレントなど、他方面に手を伸ばしている様子。
個人的なことで言えば、学校では使えないけれど、ようやく買って貰えたスマホによって色々と情報を探ることができた。まず最初に検索してみたのは、雨宮吾郎に関して。特に死亡したとの情報は載っておらず、懐かしの病院に電話して聞いてみても昔のことすぎてそもそも電話を受けた人が俺のことを知らなかった。宮崎県警の行方不明者リストを見に行っても、その名前はない。どこか俺の知らない親族が申し立てて、リストから削除されてしまったのだろうか。もう少し深く調べてみれば何かわかるのかもしれないが、正直そうまでして突き止めたいわけでもない。父さんも母さんも妹も、家族が揃っている現状に、俺は満足をしていた。
小学生にもなれば毎年のように夏休みを筆頭に長期休みがある。子供の頃は一ヶ月しか休みがないと思っていたけれど、医者を経験してから思うのは、この長期休みがどれほど素晴らしいことか。大人では中々に得ることができない貴重な時間だ。もっとも、我が家は芸能人一家のため、その長期休みも仕事が入る。売れているが故の忙しさで、家族がまとまって休みが取れる日は限られていた。嬉しい悲鳴の中、両親は忙しくても時間を見つけてはどこかへと毎年のように連れて行ってくれるのだからありがたい。
印象的だったのは、夏のある日に長野へ星を見に行った事だろうか。言い出したのは母さんで、場所は父さんが選択した。有名なグランピング施設から少し離れた場所、関係者以外立ち入り禁止とされたその先に待っていたのは、どこまでも続く星海だった。
「きれい」
母さんがポツリと感想を零した。
俺も同意。周囲には人工灯は一切ない。新月な事や空気が都会とは違って澄んでいることもあって、一番星だけでなく数多の星が煌めいている。天の川もはっきりと見えて、星の息吹が感じられそうだ。
きっとこんな満天の星は見られないだろうと思っていたけれど、まさかあんな形で拝むことになるとは、この時の俺は夢にも思ってもいなかった。
次章からいよいよアレが始まります。