一番星の王子さま 作:160万のワインを飲み損ねた
「でっけえー」
間延びした驚嘆の声が思わず出てしまった。
都内高級住宅街の一画、他の家の数倍数十倍はあるのではないかと思えるほどの広大な敷地と、奥に聳え立つ何百人でも住めそうな豪邸。巨大な門扉にはスーツを着込んだ警備員がおり、見えずとも敷地内にもいるのだろうことは容易に想像できる。
日本の政財界の大首領、大日本銀行総裁である片原滅堂の私邸。参加企業の中で唯一代表の居住地がわかったこの場所に俺は訪れていた。
「すいません。総裁にお会いしたいんですけど」
流石にまだ侵入はしない。それはあくまで最終手段。
「失礼ですが、アポはございますか?」
サングラスの奥底で見定めるような目がこちらをみていた。警備員とは一口に言っても、その分厚い肉体は明らかに常人離れしている。仮に素人が武器を持って攻め込んだとしても素手で簡単に制圧できるだろう。
「アポはないんですけど、拳願仕合の件で話したくて」
ない頭を使ったところで妙案が浮かぶわけでもなく、思いついたのは正面から行くことだった。相手にされない可能性は限りなく高い。
警備員はインカムを使ってどこかとやり取りをしていた。どのように追い払うかでも確認しているに違いない。
「御前から許可がおりました。どうぞお入り下さい」
巨大な門が開き中へと誘導される。開いた先には別の男性があり、ご案内しますと言ってた歩き始め、俺は後に続いた。
いざ敷地内にも入ってみると想像より広い。先に見える玄関と思しき場所まで歩いて十分くらいかかりそうだ。歩いている間、あまりのスムーズさに裏を疑いたくなってしまう。
外からはわからなかったが、敷地内にはいくつか建物があった。外から見えたのは俺が向かっている最も大きい建物で、案内人に聞いてみればそれが私邸で、他は使用人等の住居らしい。
扉が音を立てて開くと、これまた荘厳な内装が出迎えてくれる。レッドカーペットに始まり、シャンデリアや石柱、まるで外国にある城に入り込んだような感覚を覚えた。おそらくここより豪華な場所にいく事は永劫ない。
小さくも不思議と力強さを感じさせる足音が上から近づいてくる。
「して若いの、どうやらワシに拳願仕合について話があるようじゃが?」
階段を降りてきたのは線の細い老人だ。白髪に髭に和装、金持ちな爺さんと言った風貌だが、纏うオーラがそれだけではない事を実感させる。
「突然すいません。日向桂って言います。俺、拳願仕合に出たいんです」
まさか片原滅堂本人にいきなり会えるとは思っていなかったが、絶好の機会。逃す手はない。
向けられる視線は、まるで全てを見ぬかすように鋭い。
「ホッホッホ、会員になりたい者は数知れず来たが、闘技者になりたいと直接言いに来た者は主が初じゃよ。実に威勢の良い若者じゃ」
仕合に出る選手達は闘技者と呼ばれている。
「! それじゃあ」
「とは言え、実力不足の者を仕合に出すことはできん。まずは主の実力を見させてもらおうか」
俺は会長ー拳願会会長とのことだったのでそう呼ぶことにしたーに連れられ、別館へと訪れていた。一階は畳やコンクリート、様々な床材が敷かれている訓練場に見える。
そんな中、俺は筋骨隆々の男達に囲まれてたリングの中心でウォーミングアップをしていた。足場はレスリング等で使われるマットに近い、素足からも情報を得ていく。
これから行われるのは模擬仕合。武器なし殺しなし、有効打を決めるか、会長の合図があるまで戦うルール。
どうやら実際の拳願仕合は殺しも可となっており、武器が禁止されている意外はほぼ無法のアングラ路線だった。流石にまだ死にたくはない。
「さて、誰に相手をしてもらおうかのー」
呑気に対戦相手を選んでいる会長を他所に、他の視線は俺に向けられていた。興味、侮蔑、静観、さまざまな感情が入り混じっている。実力は皆一様に高い。ただその中に数人、頭抜けた奴らがいる。
「それじゃあ淀江ちゃん、行ってみようかの」
出てきたのは頭を丸めた巨体。二メートルに届くか届かないかの長身に、見た限り体重も一一○キロはあるだろう。圧はある。ただ、頭抜けた奴らの一人ではない。笑みを浮かべているが、目が笑っておらずこちらを侮っているように感じた。実に好都合。
位置に着く。
「よろしく」
「よろしくどうぞ」
どっしりとした構えの淀江に対し、俺はオーソドックスな総合スタイルの構えを取る。
師匠との鍛錬を除けば、ちゃんとした相手と戦うのはこれが初。勝負どころではあるが、自然と緊張はない。頭の中でどう戦うかを組んでいく。体重差がある以上、グラウンドは不利。捕まったら逃げるのは至難だろう。構えを見る限り空手に近いから、そこまで警戒する事もない。組や絞よりも打撃や投に注意した方が良い。
「では、初めッ!!」
合図と共に一気に加速し距離を詰める。カウンターを合わせに来た右拳を掻い潜り、左拳を淀江の顔面にぶつけた。鈍い音が響き、拳には確かな感触が伝わる。それが正しいと示すかのように、淀江の鼻はひしゃげて大量の鼻血を出していた。
「こっちがガキだからって舐めすぎでしょ。会長の前だからって格好つけないで本気出したら?」
煽る。先制に加えて、舐めていた相手からの煽りは一層効く。怒筋を浮かべ、攻撃が単調になる。本来強力なはずの打撃は至極単調な攻めゆえに十全な効果を発揮していない。受け流し、捌く。最初の一撃以降、俺は受けにひたすら徹していた。
お前の攻撃など通じないと言外に、しかし直接的に示される行為はフラストレーションが溜まる。打開するための必殺の一撃。一層力強く放たれる直線的な攻撃、狙っていたのはそこだった。
繰り出される拳に下から手を添え軽く力を加える。たかが数ミリ、たかが数グラム。本来くるべき力の流れを僅かだけズラす。
その結果、力の流れが暴走し巨大が宙を舞った。
まるでドラマの中のようなワンシーンに周囲から驚愕の声が上がった。
追い討ちをかけるべく右足を振り上げ、頭部めがけて躊躇なく振り下ろす。
「そこまでッ!!」
終了の合図が木霊すると同時に、衝撃音が響いた。
顔面ではなく、踏みつけたのはマット。途中までは完全に狙っていたため、あと少し合図が遅れれば踏み抜いていた。
「次は最初から本気でやって下さいよ」
手を差し出せば、体を起こすためにぐっと力強く握られた。初撃の顔と打ちつけた背中以外、ダメージらしいダメージはないだろう。
「一本取られたのう。油断大敵、今後に活かせるかどうかは主次第じゃ」
会長の言葉には返事をすると、ノロノロと輪の中に戻っていった。
「それにしても見事。若いのによく鍛えておるわ」
「どうも。あの、これで合格ってことで良いんですかね? それとももう一戦、誰かとやれば良いですか?」
体力的にも問題はない。むしろ完全に温まった身体は次試合でも十二分なパフォーマンスを発揮できる。初めての実験で少し昂っているのかもしれない。
「もちろん合格じゃとも。とは言え、今すぐに仕合に、とはいかんのう」
「所属企業、ですよね」
「左様。拳願仕合において闘技者はあくまで代理戦争の駒、その駒をいつどう使うかは商人達に委ねられる。まずは主を雇ってくれる企業主を探さねばならん」
ちなみにワシは雇わんよ、と付け加えられる。それは理解していた。
後にわかったことだが、お抱えの闘技者は滅堂の牙という異名を代々与えられており、現在は五代目へと変わったばかり。すでに名だたる闘技者達を打ち倒して連勝を重ね、当代最強の闘技者と呼ばれている。わざわざ新しい闘技者を雇う必要はない。
「所属したい企業はあるんですけど、まだ会員じゃないんですよね。一応調べてもらって会員権を賭けた仕合があるのは知っているんですけど…その、金がなくて」
「であれば、残念ながら闘技者になることは叶わんの。主は若い。稼いでからまた来ると良い」
闘技者になりたいという要望に対して、実力次第という回答。そこに所属企業に関する文言は一切なく、両者にて合意はあらな取引内容として提示されていない事となる。
商いの際、明文化することは必須だ。国によっては口約束が重要視される所もあるが、ここ日本においては書面に記載された内容が全て。仮に口約束が適用されるとしても、闘技者になるという話しかしておらず、苺プロに関する内容は含まれていないため、適当な企業をあてがってしまえば、これまた契約不履行となることはない。
「それじゃあ遅いんですよ。だから会長、俺に融資してみませんか?」
銀行と言えば金貸。金貸にも返済の確実性に焦点を当てた融資と、将来的な成長性に重点を置いた投資がある。融資には利息から、投資は、例えば株を売った際の差分から、それぞれ利益を得る。
「ほう? 多少は勉強しておるようじゃが、融資には何を担保とする?」
投資とは異なり、融資には返済義務が発生する。借りる際にも、その金額を返す力があることの証明と、もし利益を得られなかった際の備えとして担保が必要になる。現時点では、一億稼ぐ力は先ほど示したので、担保のみを問われているのだろう。
「命を。もし俺が一億返せなかったら、煮るなり焼くなり、臓器売るなり好きにして下さい」
ガキの戯言だと言うだろうか。ガキの命をかけるなんて、一生のお願いと同じく何度も使い古された懇願文句。戯言だと吐き捨てられてもおかしくはない。
答えを聞いた会長は俺の目をじっと観る。威圧的ではないものの、この老獪の前には一切の隠し事などできないと思わされる実に鋭い視線だった。
小さく笑った後、徐々に声は大きくなり終いには歳を感じさせない大きな声で笑い上げた。
「良い、実に良い!。気に入ったぞ。真に欲するのであれば己の命を賭けてこそ。融資の件、ワシが個人的に主に融資するとしよう」
「マジですか!?」
「マジじゃよ。詳細は部屋で話そうかの。あ、最後に一つ教えてくれんかの。主の流派はもしや、二虎流か?」
「そうですけど、何か?」
「いや何、昔同じ流派を使う闘技者がおっての、数仕合だけ出場して何処へと消えていったのじゃ」
師匠、十鬼蛇二虎は拳願仕合を知っていたが、出場したことがあるとは一言も言わなかった。隠す必要もないと思うが、まさかボロ負けして恥ずかしくて伏せていたのだろうか。
「必要なら呼んできましょうか? 今も定期的に鍛えてもらってるんで多分捕まりますよ」
「必要なかろう。もし出たくなれば、またふらりと現れるじゃろうて」
なんだか含みを感じさせるが、目的は達成した。特に師匠に関してはこれ以上言及することなく、部屋にもどって会長と融資に関して話を詰めていった。