一番星の王子さま 作:160万のワインを飲み損ねた
拳願ドームの外、採光目的で設置された窓から、複数のカラスが会場を見下ろしていた。
絶命トーナメントも早くも最終ブロックに突入した。日本にある企業のトップ中のトップが集う拳願会、その中でもさらに優秀な企業が選び抜いた闘技者達の仕合は、普段の拳願仕合の何倍もの見応えとなっていた。
初参戦組が多い中、十三仕合目は歴戦の猛者同士の闘いとなる。両雄に付くファンの数は数知れず、先ほどまでの仕合の興奮が冷めぬままに入場を待つ。
「お兄様、どうかご無事で」
入場ゲート付近には茂吉だけではなく妹のエレナもおり、兄の無事と勝利を願っていた。
「ありがとうエレナ。でも、すまないね。せっかくできたお友達のご両親であっても、これは勝負の場。全力で戦うことを許しておくれ」
仕合の結果でエレナとルビーの仲が万が一拗れてしまう事だけが心配ではあるが、良い子であることは少しの間だが時間を共にして理解していた。きっと二人なら大丈夫だと、茂吉は自身に言い聞かせる。
『さあ、いよいよ選手の入場です!』
「じゃあ、行ってくるよ」
茂吉はエレナに心配をかけないように笑顔を向けて、現代のコロッセオへと足を踏み出す。
『英国からやってきた逆輸入ファイター、青き瞳で見据えるのは優勝のみ! 神の加護を得て、聖戦士の出撃だ!
身長一八九センチ、体重九九キロ、拳願仕合成績、四八勝〇敗
企業獲得資産、七〇八三億三四九〇万円
セントリー所属、『滅殺する牧師』茂吉・ロビンソン!!』
牧師としての正装とは異なり、和装に近い道着を着込んだ茂吉が堂々と入場する。鞘香がいる中央まで進むと、桂がいるであろうゲートを見据えた。
茂吉が入ってきたゲートの向かい側では、桂が控え室を出てすでに入場待ちをしているところだった。妻であるアイと、社長である壱護もついて来ている。
「俺が言えた義理じゃないが、無茶するなよ。本当にやばかったら棄権しろ」
壱護としても、茂吉の強さは耳にしていた。長年拳願会に席を置いて闘技者達を見てきたが、一目見て強さがわかるほど目が肥えたわけではない。それでも、この距離からでもわかるプレッシャーが、彼が強者であることを訴えかけてくる。
「前にも言ったでしょ、どんと構えて待ってて下さいよ」
桂は体側を伸ばしながら、淡々と壱護に返す。その視線の先は、既に待ち構えている茂吉へと向けられていた。
『続いて対戦闘技者の入場です!』
「頑張ってね」
アイの言葉に振り返る。短い激励。思うことは多くあれど、アイの口から出たのはたった一言だけ。
だがその一言があれば、桂にとって十分だった。
「おう、行ってくるぜ」
『かつてアイドル界の一番星を射止めた男、堂々の参戦! 倒した相手は数知れず、今日も勝利の花束を捧げる!
身長一八六センチ、体重八七キロ、拳願仕合成績、九七勝〇敗
企業獲得資産、三九〇四億五五一〇万円
苺プロダクション所属、『天拳』日向桂!!』
茂吉と紹介の仕方が違うだろとは思いながらも、桂は歩を進めて茂吉の前に立つ。茂吉に対してショートパンツのみの格好は対照的だった。
「アクア君は大丈夫ですか?」
「医務室で休ませてるよ。まだ意識が戻ったかは分からねえし、心配してくれんのは嬉しいけど、あいつは俺のガキだ。心配いらねえよ」
「そうですか、それは良かった。貴方とは本気で戦ってみたかったですからね」
仕合に集中ができない状態の相手と戦うことは、茂吉としても望むところではなかった。全てはエレナのために。エレナが望むのであれば、神でも悪魔でも倒して見せる。採用してくれたセントリーには悪いと思うも、茂吉が戦うモチベーションはエレナを護れる強い男になるためだった。そのためにも、相手には万全の状態でいてもらわなければならない。
「嬉しいこと言ってくれるじゃねえか」
会話はここまで。
二人の強者は、それぞれの位置へと改めて移動する。どちらも臨戦体制。構えを取り、開始の合図を今か今かと待つ。
その様子を遠くから眺める坊主頭の男は、最終戦を控えた大久保。隣にはその前の仕合を行う氷室と、その氷室に拳願号にて挑み破れた金田が並んでいた。
「ほお、アレがアイちゃんの旦那かい。随分と羨ましい立場におんの」
「なんだよ大久保、アイちゃん知ってんのか」
「当たり前や、俺らの代でB小町を知らんにわかはおらん。それに俺を誰だと思っとんねん。強くてトークも上手い色男やぞ、バラエティでも何度か共演したことあるわ」
表総合格闘の絶対王者である大久保は、絵に描いたような関西人気質で、ビッグマウス故に炎上することもしばしあるが、実にテレビ映えする人間。ムジテレビの番組にてゲストとして呼ばれ、そこで同じくゲストとして呼ばれていたアイとは面識があった。
「あ、それ私も見ました。大久保さんが滑ってたやつですよね」
「いてこますぞ。アイちゃんだって笑っとったやろ……って今はアイちゃんの話ちゃうねん。旦那の話や」
「日向選手ですか。王馬さんと似ていますが、氷室さんはお知り合いなんですよね?」
「一応な。それにあの二人は似てるなんてもんじゃねえよ。顔も使う流派もまるで同じだ。これで他人の空似なんて、出来過ぎにもほどがあるぜ」
「そしたらあれかい。日向もああ成れるってことか」
大久保のああ、とは憑神の事。
第四仕合にて雷庵と対戦した王馬は、序盤は優位に展開を運びつつも、呉一族にのみ伝わる潜在能力を意図的に解放させる『外し』を雷庵が使用。王馬も二虎流で対処するも、次第に押されていき形勢は逆転。だが憑神を使用したことでその流れは再び変わり、最後は武に磨きをかけた王馬の勝利となった。勝ちはしたものの受けたダメージは大きく、現在は治療中。
「どうだろうな。少なくとも、俺が観戦した仕合じゃ使うそぶりもなかった」
「奥の手っちゅう事やな。それはさておいても、俺のセンサーがギュルンギュルン反応しとる。抜けてくるのは日向やろ」
「わかりませんよ。茂吉選手も見るからに猛者、どちらが勝ってもおかしくはないでしょう」
審判のコールによって、仕合が始められる。
駆け出すタイミングは同時。
先手を取ったのは桂。トップスピードを維持したまま急激な方向転換をかける操流・火天ノ型、畝焔によって拳が交錯する直前で重心を傾け、茂吉の真横へと移動してからの一撃。
その辺の闘技者であればそのまま終わっているような一撃が、右頬を捉えた。
されど、茂吉はその限りではない。体勢も崩されず、左ストレートを放つ。
バックステップによる回避。そしてそのまま、桂は先ほどとは異なった重心の移動を行う。
火天ノ型・極、縮地。
骨で立つ事を前提に成り立つこの技は、通常の動きとは間が異なるため、相手からすれば距離が急に縮まったように感じる。
骨で立つ事自体はできていても、桂が習得した二虎流には各系統の極は存在しなかった。王馬の師匠である四の十鬼多二虎が独自に開発し王馬へと継承した技を、トーナメント開始までの修行期間で桂は王馬から修得していた。
奇襲に次ぐ奇襲。これまで使用したことが少ない畝焔と初使用の縮地を前に、かつて桂の仕合を何度も観戦したことのある茂吉も対応が遅れる。ほんのわずかな遅れ。時間にしてコンマ数秒程度ではあるが、それがさらなる遅れを生み出した。
茂吉が防御一辺倒になる。通常の打撃の中に時折混ぜられる鉄砕が、余計に茂吉の神経を削っていく。捌ききれずに普通の打撃を数発もらう中、それでも決して焦ることはなかった。集中力を崩さず、打撃の質の差を見極め始めている。打撃の嵐の中、掴みにきたであろうその手を見逃さなかった。
仕合開始後、初めての膠着が生じる。
茂吉が行ったのは、言ってしまえば指を絡めただけ。闘いにおいて、指は折れやすいとされるもののあらゆる局面にて使用される。握り拳、突き、掴み。その指を破壊されることは、敗北に等しいともされている。絡めたこの状況、極めるも外すも折るも茂吉の選択一つ。今のこの状況は茂吉に有利なはず。
これが二虎流ですか。なるほど、実際に闘ってみると実に厄介。
茂吉は内心でそう評価した。
絡めた手が、そこから動かせない。
パワーは茂吉がわずかに勝っているはず。それにも関わらず、動かないのではなく動かせない。
桂がやっているのは技というほどの物ではない。操流ノ型の基礎、力の流れをコントールするからこそ、力技では容易に解けない。加えて茂吉の動きに対して微細な変化を加える事で、完全な膠着状態ができあがっていた。
二虎流に崩し技があることは、これまででも、今日の仕合でも見て知っている。茂吉は膠着を破るべく攻めた。
綺麗に膝をたたんで距離を調整し、桂の右脇腹にある肝臓を狙う。三日月蹴り。桂の左手と茂吉の右手は今尚繋がれたまま、後ろへの回避は無理、前に攻め込んで打点をずらすのも、腕が支えとなってそれを許さない。脇腹への蹴りゆえに膝も挟めないため、必然的にこの状況では右手で受けるしか方法はない。
注意が逸れる。防御のために桂の両手が塞がる。
茂吉は右足に踏ん張りをかけ、払われた左足を着地させる前に不安定な体勢から左ジャブを放つ。捉える。鼻血は出るがダメージは大きくない。目的はそこではなかった。
両者の手が離れた。
ジャブの後、その勢いに任せて腕を伸ばして後頭部をそのまま掴み、自身の体勢を立て直すための力も利用して桂の頭を思い切り下げる。
顔面への右膝蹴り。
左腕を挟みつつ、桂は烈火を使ってタックルのように突っ込む。
想定以上の威力に、片足だけでは支えきれず茂吉の身体が勢いに負ける。
初のダウン。
両者の組み技の攻防が始まった。
「おーおー、一回戦から張り切っちまって」
「油断するよりは良いだろう」
「聞いてはいたが、髪の毛をああ使うとは思わねえだろ」
初見と若槻の会話。雇用企業同士が同派閥ということもあり、二人の仲も良好な部類。どちらも初戦を突破しており、次の仕合に向けて休息がてら馴染みの相手の観戦。
初見の相手は因幡良。因幡流の噂は耳にしていたが、初参戦ということもあり実際に見るのは仕合が初だった。
「ま、それでも勝つのが、流石は俺って感じだけどな」
「調子も上げてきたみたいじゃないか」
「まあな。このままいけば、明後日の二回戦には絶好調だ。誰だろうと敵じゃねえよ」
初見の挑発を汲み取った若槻がニヤリと笑う。
二人の以前一度だけ。初見が絶好調の時に仕合をしたことがあり、結果は若槻の敗北。若槻としても、リベンジするのであれば同じ状態でなければ意味はないと考えていた。とは言え、初見と当たるのであれば、組み合わせ上決勝戦となる。まずは自身のブロックを勝ち抜く必要があった。
「それにしても、日向は大会には消極的だと思っていたがな」
「聞いてねえのか? 東洋電力の圧力だってよ」
「なるほど」
二人の会話の間には仕合は進む。
「ちょっとは同情してやろうかと思ったが、必要なさそうだな」
グラウンドでは決着が付けず、戦場は再びスタンドに戻っていた。
蹴り、肘打ち、殴り。
それぞれの攻撃が当たり、躱され、撃ち合う。
初見の言葉通り、桂は仕合を楽しんでいた。強くなりすぎたという驕りはない。それでも狭き業界において、敵となる相手がほぼ現れなかったのは事実。強敵達と戦えるトーナメントは、一個人としては迎合すべきものだった。
茂吉、お前も楽しんでるか?
声に出して聞くことはない。ほぼ絶え間なく続く攻防に、話す余暇はなかった。
茂吉の攻めは多彩。バリツと呼ばれる東洋武術の理合と西洋武術の合理性を併せ持つ格闘術。掴みに来たと思えばボクシングが、打撃で来たと思えば柔術が、多数の引き出しをもつからこそ、彼は勝利を積み上げてきた。相手が誰であろうと関係ない。手札の、情報の多さが勝敗を分けると茂吉は考えていた。
だが、桂は齢一四才にてこの世界に足を踏み入れ、仕合に限らず数多の戦闘をこなしてきた。質ではなく数という点で見れば、茂吉のそれは遠く及ばない。バリツの使い手と戦った経験はなくとも、ベースとなる武術の使い手とは経験がある。
もちろん、知っていると全て対応できるは異なる。常に変わる環境下で、どうしても避けられない、防ぎきれない場合は出てくる。現に茂吉の打撃も当たり出血も見られるが、茂吉が想定している以上にダメージの入りが少ない。まるで、威力が散らされているかのように。
わかってた事だけど、まだまだ完璧にはほど遠いな。
茂吉の考えはおおよそ当たっていた。力の最もかかる点に圧力を加えて抑え込む、操流ノ型、虚。想定では完全に威力を殺し切れるはずだったが、やはりそう上手くはいかない。未完成の技と言う事を差し引いても、桂が考えていた以上に実戦での使用が難しい技だった。
今できないことに拘っても仕方がない。
桂はそう考え、改めて戦法を切り替えた。序盤と同じように火天ノ型中心に戻す。
火走で撹乱、瞬鉄で一撃を入れて即離脱のヒットアンドアウェイ。着実にダメージを与えていく。
暫くすれば、撹乱するための歩法である火走もパターンを見切られ始める。待っていたのは、この時だった。直進、再び畝焔による方向転換。一時的に茂吉の視界から桂が外れた。
待っていたのは茂吉も同じ。蓄積していく損傷と疲労を考慮し、茂吉は仕合を決めるべく奥義によるカウンターを選択。トップスピードも方向もわかっている。合わせるのは難しくない。
ここだ、と茂吉は奥義を繰り出す。
空振り。桂の姿がない。
そう思った瞬間、茂吉は頭部に衝撃が奔る。
火天・金剛ノ型、流星
畝焔による移動からの即跳躍、不壊の要領で固めた足を使った回転蹴り。金属バットで頭の殴られたような、人間の意識を刈り取るには十二分すぎる一撃が茂吉の頭を的確に捉えていた。
身構えていて受けるのとは違う、意識外からの攻撃。威力を逃す事もできなかった茂吉は、そのまま力無く倒れ込んだ。
追撃は不要。
死んではいない。意識がない事を確認した審判からストップが入る。
「良い闘いだったよ。いつかまた闘ろうぜ」
『決まったァアアー!! 日英拳闘士対決を制したのは、『天拳』日向桂だァアア!!」