一番星の王子さま 作:160万のワインを飲み損ねた
黒木対ムテバの仕合。奇襲や奇策、時には正攻法、あらゆる手を使って攻めるムテバに対して、黒木は決して揺るがず。傷付こうが折れようが、決して一日も欠かさずに部位鍛錬によって磨き上げられた四本の魔槍がムテバを捉えたところで、ムテバは棄権を選択した。傭兵として生計を立てる彼にとって、第一に優先されるべきは己の快不快ではなく、己の命。命を賭してでも勝つことを優先する闘技者とは流儀が異なるが故の選択だった。
そして、いよいよDブロックの二回戦に突入する。
御雷は控え室にて型を取り、短い呼吸を繰り返して気のバランスを整えていた。可能な限り戦う前に行うルーティン。雑念を取り払い、来るべき戦いに備える。
その様子を理乃は黙って見続けていた。
「ここからが本番だ。理乃、改めて誓うよ。俺は決して殺さない。殺さずに、倒してみせる」
雷心流は一子相伝の暗殺拳。一二〇〇年の歴史を持ち、雷神・武御雷神が創始者とされている。源流は刃物による即殺ではあるが、刀狩令によって武士以外の帯刀が禁じられて以降、雷心流は武器を素手へと変えた。本来、政争に関することは関わらない、と言うのが信条であり、歴史上でも表舞台に姿を見せたのは二回だけとされている。
だが、今代の当主である御雷零は、その信条を倉吉理乃のために捨て去った。
彼らが出会ったのは、御雷の元に理乃の暗殺依頼が来たため。所詮は人間など、血と糞の詰まった肉袋程度の認識しか持たなかった御雷は、淡々と日常的にこなされる殺しを行いに向かった。
だが、理乃の姿を一目見て恋に落ち、愛を知った。
全ては愛のため。愛のために信条を曲げ、愛のために殺しを止め、愛のために優勝する。
「零、彼は強いわよ」
「わかっている。だからこそだ、勝つためには理乃、お前の助けも必要だ」
「……覚悟は変わらないのね。『使う』のはこの仕合限りよ」
今回の相手は同類。詳細は知らないが、感じ取っていた。日向桂も愛のために闘う男だと。まごうことなき強者であり、自分たちの先人。これが平時であれば、語り合うこともできただろう。だが、今は絶命トーナメントの最中。語るのは言葉ではなく拳。
「零、『勝って』」
女王の勅命が下った。
時を同じくして、対する桂も控え室にて声がかかるのを待っていた。コンディションは万全。まさに雷の如き速さを前に、ぶっつけ本番となってしまう不安は少しばかり残っていた。
父親の仕合だけは直接見るべきだとして、アクアも医務室からこちらへと足を運んでおり、二人の他にもアイとルビー、壱護とミヤコと、控え室はちょっとした大所帯になっている。
「父さん、怪我にだけは気をつけて」
怪我が付き物なのは何仕合も見て理解しているが、アクアとしてはそう思ってしまうのも無理はない。何せ前世からの生粋のお人好し。英という例外はいるが、医者だった事もあり、傷付く人を見たくはない。
「それは気をつけるけど、約束はできねえな」
怪我ないのであればそれに越したことはない。けれど、そうならない事は長年の経験で嫌と言うほど身に染み込んでいる。
「怪我したらその時は手当頼むぜ」
スタッフが来て、入場時刻が来たことを告げる。仕合は目前。
桂はそれに応えてから、会場へと向かう。
「パパ、頑張ってね」
「勝ってきてね」
ルビーとアイからの言葉を受け、戦地へと足を踏み入れた。
桂が入場してから程なくして、御雷も入場して来る。
『両選手、向かい合います。一回戦、茂吉選手との素晴らしい仕合を披露してくれた日向選手はオールラウンド型。一方、雷の如き速さで千葉選手を倒した御雷選手はスピード型ですが、その実力は未だ謎に包まれています』
『Yes、御雷選手のSPEEDはまさに脅威デース。この仕合は日向選手がそのSPEEDをどうConquerするかによって変わってくると思イマース』
仕合が始まる前の実況と解説のトークを他所に、両雄が開始ポジションに着き、構える。御雷は一仕合目よりも深く低く、桂は一仕合目と同様にオーソドックスな構えを変えない。
「この仕合、悪いが勝たせてもらう。雷心流の拳法として強さの証明のためにも、俺達の愛のためにも散れ」
「愛のため、か。やっぱり似てるよな。けど負けてやるつもりはねえよ」
双方戦うのは愛のため。時間の経過によって育まれる愛はあるものの、時間をかけた方がより深い愛を持つと言うことはない。
一人の女を取り合うのではない。ただ、互いに愛する者がいる身。愛ために戦う闘士として、どちらも絶対に負けられない。
「準備はいいな? 始ーーー」
宣言がされる前に、御雷がフライングで飛び出す。全闘技者の中でも頭抜けた速度。帝王とも呼ばれている加納アギトを持ってしても、長年の品種改良によって他を寄せ付けない圧倒的な身体能力を持つ呉一族であっても、その速度を超えることはない。
雷心流の速さの由来は、一つ目は相伝の儀を越える事によって『雷に成る』『雷神が宿る』とされる一種の自己暗示と、それによる脳のリミッター解除。二つ目は幼少期より荒業を繰り返すことよって走りに特化した脚部。この二つが合わさることで、文字通りの雷の如き速さを得る。
最速の一撃である雷閃が、顎を的確に捉えた。
手応えはあった。だが、想定してたよりもずっと小さい。
初めから受け流す気だったな。だが関係ない。倒れるまで、何度でも打ち込んでやるさ。
一撃で屠れなかった事を御雷は嘆くことはない。
二虎流水天・操流ノ型、水月。水天の脱力による散らしと操流の力の流の操作によって攻撃を去なす受けの型。柔の不壊、とも言うべき技ではあるが、本来であれば受け流せたはずの一撃が、受け流せない。
桂が御雷の仕合を見たのは合計二回。内、雷閃を見れたのは一回戦の一度だけ。それでも一度見れば、まだ不足はしていても情報として桂にインプットはされる。入力されれば、それの対策を講じることができる。仮に初戦で使われずに二回戦の時に初めて使われていれば、この一撃で終わっていただろう。
一回戦より明らかに速い、これが全力かよ
一回戦の速度が参考にならない程に速い。桂はすぐさま情報を修正し始めるも、まだ足りない。
御雷は緩急をつけた不規則な歩法で、桂の周りを走る。
雷心流、夢幻歩法。
二虎流火走にも似た、相手の惑わす歩法は、雷心流の代名詞とも呼ばれる技へ繋がれる。
二閃目。
初めから回避にだけに特化しても尚、雷閃が桂の体を掠める。
三閃目。
体勢を立て直す前に一撃が決まる。自身よりも一〇キロ以上重たい桂の体を突き飛ばした。かろうじて、紙一重で散らせているからこそ耐えきれている。
闘技者を含め、会場の大半の人間の目には桂が防戦一方に見えていた。まだ耐えられているだけで、直に捉まると。
「すげえ。あの日向が防御で手一杯だ」
「御雷零。年はお前と同じくらいだが、超えてきた場数は雲泥の差だろう。強さとは力や技、体格で決まるものではない。経験が作るものだ」
第六仕合を勝ち抜いた黒木は、理人と共に仕合を観戦していた。
「一郎よ、目に見えぬ物を打つにはどうすれば良い?」
理人、本名中田一郎に、黒木は教師のように質問を投げる。それが幽霊の類ではないことは、理人とて理解していた。自身であれば、御雷の雷閃をどう対処するか考える。
「気合いでなんとかするに限るぜ!」
その答えに、黒木は深いため息をついた。
「強くなりたければ常に思考を止めるな。今のお前に必要なのは、見ることだ。自分に何が足りないのかを見て理解しろ」
理人と今仕合中の両名とでは、強さの階層が異なる。よほど油断でもしていない限り理人が勝つ可能性はゼロ。だが一年後、二年後、ただ我武者羅に鍛えるのではなく、どこまでも強さに貪欲になって鍛えるのであれば話は別。
「師匠はどっちが勝つと思うんだ? やっぱり御雷か?」
「師匠ではない。それに、勝敗はやってみるまではわからぬ物だ。だが、強いて言えば、お前がみるべきは日向の方だ」
御雷は五度雷閃を放った。躱されたのは一度だが、それも完全にではなく掠めている。残り四発は強弱はあっても捉えていた。ただ打つのでは不十分、雷閃を闇雲に打っても決め手に欠ける。本来の実力を超過した走りによって残りの使用回数も限られているが故に、御雷は一旦雷閃を封じた。
最古の技かつ代名詞でもある雷閃は強力であるが、雷心流はそれだけの武術に在らず。自慢の速度も走りだけではない。雷神を宿すその肉体は、打撃の速さも一級品。
雷心流、陽炎。
時代ともに形を変える常時最新の型。顔面の経穴である晴明・四白・神庭・迎香・下関・承漿に、よりダメージが浸透するように打つ型を変える技。
素早く正確な打撃ではあるが、この速度であれば全ては無理でも桂も対応してくる。この距離で蹴りは速度で劣ることもあり使えない。自身のダメージ度外視で放たれた鉄砕が、防御のために出された御雷の腕に当たる。
文字通り鉄をも砕く拳は、確かに骨に損傷を与える。
御雷が後退し、桂は距離を取られないように追従する。大振りはしない。速度で劣る桂ができるのは、手数を増やし、コンパクトに攻めること。一を当てるために複数回攻撃を受ける必要がある。一撃の重さは上であっても、はっきり言って割に合わない。
二虎流の中で唯一の貫手技である瞬鉄・穿。
突き出された左手の指の内、御雷は的確に薬指と小指をへし折った。お返しばかりに放った貫手が桂を頬を切る。追撃の高速の連撃が肉体を打つ。
当たる数は減り、捌かれる数が次第に増えていく。
やはり、雷閃でなければ倒れないか。
徐々にではあるが、見切られつつある現状を見て、御雷はそれを決めるべく布石を張る。あえて拳の形を固定し、速度だけを求めた打撃を行う。倒せなくて良い、ほんの少しだけ隙ができればそれで良かった。上半身に裂かれた桂の意識の合間を縫って、膝裏へと蹴りを打ち込む。
右膝が折り畳まれ、桂の体勢が崩れた。
御雷の脚部に力が入る。ゼロから最高速度まで瞬時に加速できるため、距離を稼ぐ必要はない。これまで打ってこなかった短距離からの雷閃。
爆ぜる雷光。
だが、突き飛ばされたのは御雷だった。
しこたま打たれてやっと読めたぜ。
待っていたのは桂も同じ。荒れる呼吸。脳が揺さぶられたことによる各所からの出血、全身に刻まれた打撃痕に折られた指。いくらダメージを散らせたとしても、蓄積されたそれは確かに桂の命を削った。少しずつ死に近づくにつれて鋭敏化していく全身の感覚と、それを犠牲に必要回数を見た事によって、ようやく見切ることができた。
「未熟ではあるが、やはりすでに『その領域』に達していたか」
先ほど理人に聞いた黒木の問い、見えないほど速い攻撃をどのように捉えるか。
答えは、動く前に動く。
言葉にすれば実に単純で、気の起こりを察知し、相手が攻撃をするその直前に動く。古今東西の武術にも存在する『先読み』と呼ばれる技術。
なぜ反応できる……そうか、まだ『愛』が足りないか。
御雷は倒れ込む事なく、出血した足で踏ん張り体を支える。
本来の雷閃であれば、何回実施したところで自傷することはない。だが、今の御雷は理乃の命令を受けたことにより、一時的に限界を超えた力を出していた。
単なる命令ではない。超雌ともされる彼女の武器は、性本能。男であれば誰であれ、彼女の命令に逆らうことができない。雷心流の自己暗示に重ね掛けされた命令が、リミッターを更に外させた。
領分を超えた力は、代償が必要となる。理乃もそれを理解して強度を下げていたとは言え、御雷の肉体は刻一刻と崩壊へと向かっていた。視界がぼやける。脱水によって手足が震える。それでも尚、御雷は己の勝利を疑わない。似たような試練は越えてきた。一度できたのであれば、何度でも越えてみせよう。
愛のために。
より深く、より速く。覚悟を決め、今一度死線を潜り一歩を踏み出す。
暗殺家として無感情に機械のように活動してきた時であれば、決して届かなかった速さと強さ。愛を知ったことで人と成った御雷の感情の発露が、今回ばかりは仇となった。
思いは、終わりかけの体に気力を滾らせ、再び動かす。
その発された気を、桂は先ほどよりも深く読んだ。
金剛・火天ノ型、瞬鉄・爆
相手のスピードに加えて、不壊によって固めた肉体での突進。
先ほどよりも速くなったことでタイミングはベストとは言えないが、それでも車同士が正面衝突したかのような衝撃が桂の肘を通じて御雷を襲う。皮肉なことに、自らの速度がよりダメージを増大させた。
勝機を逃しはしない。
桂は意識を飛ばしつつある御雷の腕を掴み、膝裏に自身の膝を入れ込み足を刈り取って投げ飛ばす。倒れる御雷に、まだ折れていない、握り固めた右拳を叩き込む。
金剛・水天ノ型、鉄砕・廻
「勝負あり!!」
そのコールを聞いて、桂は地面に座り込んだ。
『仕合終了!! 仕合運びは終始御雷選手の優勢、けれど勝利を掴んだのは逆。ラブウォーリアー対決を制したのは日向桂!!』
『雷神』御雷零、二回戦敗退。
『天拳』日向桂、三回戦進出。
この仕合の御雷の速さは、命令強度が原作よりも低いため、原作のサーパイン戦以上黒木戦以下としています。