一番星の王子さま   作:160万のワインを飲み損ねた

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 目を開けると真っ先に入ってきたのは、高い天井。ライトが眩しくてチカチカする。耳に入ってきのは割れんばかりの歓声。何を言っているかまでは、まだ処理が追いついていないせいでわからない。ただ、一際大きかった勝者を告げる声だけはやけにクリアに聞こえていた。

 

 ああ……負けたのか

 

 随分と重くなった体を動かす。まずは四つん這いに。そのあとゆっくりと体を起こしながら、なんとか立つ。震えていて不安定、まるで自分の足ではないかのようだ。視線もたまに勝手にぐらついて安定しないのがうざい。

 

「……次は勝つ」

「待っているぞ」

 

 交わした言葉はそれだけだった。握手も何もない。それだけを互いに言って、加納さんと俺もそれぞれのゲートへと戻っていく。ゲートがやけに遠く感じる。救護班が来て担架に乗るか聞かれるが、それを断って自分の足で戻る。行きの倍以上の時間をかけて、ようやく辿り着いた。

 

 まずは社長とミヤコさんに頭を下げた。

 

「すいません、負けました」

 

 誰にも負けないと豪語しておいてこの様。

 

「別に気にする必要はないわよ」

「ああ。このトーナメント期間でペナソニック以外にもビジネスの話はできた。五〇億はすぐに、とはいかねえが余裕で回収できる」

「五〇億? ……ああ、そういや参加費あったんでしたね」

「大丈夫か? 打ちどころが悪かったとか言うなよ」

「そんなんじゃねえっすよ。ただ無我夢中だったんで、他の事が飛んでただけです」

「なら良いけどよ。変な心配させんなよ」

 

 鏡で見てないが、さぞ酷い状態なのだろう。血と汗に塗れて、覚束ない足取り。正直歩くのも怠い。

 

 社長の方から、家族の方へと視線を移す。

 

「悪いな、情けねえ姿見せてよ。怪我も増やしちまった」

「だったら、少しは申し訳なさそうな顔しろよ」

 

 アクアの言葉に思わず固まってしまう。

 

「……そんな顔してねえか?」

「パパ嬉しそうだよ」

「そうか……嬉しそうか。負けたら、もっと悔しいもんだと思ってたんだけどな」

 

 悔しさがないわけではない。あそこはこうしておけば、あの時はこっちの技を使えば、なんてのも後からたくさん出てくるだろう。けど、ようやく本気で加納さんと戦えた事や、現状出せる分の力を出し尽くせた満足感もある。何よりも、まだ上があることを実感した。口にしてはいてもイメージが湧きにくかった完璧が明確になった事が、何よりも嬉しい。きっと疲れているから、思った事がすぐ表情に出てしまうのだろう。

 

 頭にタオルがかけられる。良い匂いで、安心する匂い。会場で用意されたものではなく、自宅で使っている物だ。嗅覚が過敏なアイが選んだから控えめではあるが、今はやけにそれを強く感じた。

 

「お帰りなさい。かっこ良かったよ」

 

 慈愛に満ちた表情、とでも言うのだろうか。アイの声を聞いて、笑顔を見て、演技で本心を隠しているかもしれないが、それでもその言葉はスッと体の芯まで届く。報われたというのは、こういう事なのだろう。

 

「ただいま」

 

 このまま抱きつこうか、なんて考えがよぎるが、流石に怒られそうなのでやめた。

 

 医務室まで進もうとすると、社長が肩を貸してくれて、アイが逆側から支えてくれる。

 

「服汚れるぞ」

「気にしないで良いよ。もし取れなかったらまた買い物行こ?」

「俺のは一張羅だからな。これからも働いて返してもらわねえとな」

 

 家族の時間と、闘技者としての時間。欲しかった言葉を聞きながら、ゆっくりと医務室まで向かった。

 

 医務室についた後は開口一番に、解剖かなと言って英先生が待ち構えていた。検査前に軽く濡れタオルで血と汗を拭き取られ、レントゲンを撮ってもらって貰うなどして一通り検査をした後に治療をしてもらう。

 

「胸骨体の亀裂骨折、肝臓や脾臓にもダメージは見られるが、しばらく安静にしていれば良くなるだろう。左手は中手骨も折れているが、受け方が良かったんだろうね、幸いにも腱の損傷は無さそうだ。残念ながら解剖はしなくても、多少整復して固定しておけば一ヶ月程度で治るだろう」

 

 包帯を巻くなどはアクアにやってもらい、どうやら後は安静にしておけば良いらしい。治療に関しては凄まじい早さの一言。専門知識もないためほとんど何をやっているのかわからなかったが、腕は確かだ。

 

「ちゃんと聞いてたよな? 安静だぞ」

 

 アクアから念押しさせる。言い方にも、なんというか圧が出てきた。

 

「さすがに仕合もねえし、当分無茶はしねえよ。……先生、それより心臓はどうだった?」

「心配いらないよ。前借り……君のは憑神か、憑神の使用を一瞬に済ませたからね。負担はないわけではないが、気にするほどではない」

 

 骨折以上に気にしていたのは心臓の方だった。王馬の前例があるためすぐにガタが来ることはないとは思うが、どうしても聞いておきたかった。

 

「そうか、なら良かった」

「分かってはいると思うけれど、一応説明しておこうか。心臓は、いわば人間のエンジンたる部分ではあるのは周知の事だが、強制的にそれを稼働させ心拍数を高めることで血液循環の速度を爆発的に引き上げ、発生した熱量を運動能力へ変換する。それが憑神の正体だ。さて、アクア君に質問だ。そんな事をすれば体の負担はどうなるかな?」

「……どれだけ加速されてるかはわからないですけど、まず血管が保たない。それに心臓だって、諸説あるけど無茶をしていれば限界は来ますよね」

「その通り。桂君のは瞬間的故にわからなかったが、王馬君の例を見ればおおよそ通常時の四、五倍だろう。それに心臓の限界が来る前に、血管の損傷が脳で発生する可能性も高い。そうなれば記憶の混濁、あるいは喪失。幻覚や幻聴もあるだろうね」

 

 心臓のことは想像できていたが、脳の方まで危険性がある事までは考えが及ばなかった。だが、王馬の状態を考えれば、どこか腑に落ちるところとある。いずれにしても、

 

「要は使い続けなければ良いってことだろ。今回使ってみて改めて分かったけど、使った後の反動もデカいしな。よほどの事がない限りこれまで通り使わねえよ」

 

 他の闘技者も全員使っているのであれば別だが、使用者は限られてる。強い人は憑神を使わなくても強いのだ。他にも伸ばせるところはあるのだから、まずはそちらを鍛えるべき。

 

「約束してくれる?」

 

 アイは真剣な目でこちらを見てくる。

 

「誓うよ。しわくちゃのジジイになるまで生きてやるさ」

 

 会長くらいまでは長生きできるかはわからないが、最低でもあの時の約束もあるから先に逝くつもりはない。

 

 アイの表情が和らいだ。

 

「それなら良いよ。でももし裏切ったら絶対に許してあげないからね」

 

 死んだ後の世界なんてわからない。完全に無になるのか、もしかして本当に天国と地獄があって、生前の行いで振り分けられるのか、はたまた輪廻転生でもするのか。ただもし来世というものがあるのなら、許されないのは困る。

 

 左手が頬に触れた。補助のために体を支えたことで血や汗などが付いてしまったから、医務室に着いてから手を洗った事でひんやりとしていた。それが心地よくて、つい右手を重ねてしまう。

 

 周囲の事を完全に忘れていたところで、医務室がノックされる音に意識が戻された。入ってきたのは顔の整った、柔らかそうな金髪をした同世代くらいの男。

 

 社長は彼を知っているようで、お前ッ、と少し声を荒げた。

 

「ああ、良かった。こちらにいらしたんですね。本当はもっと早くに伺うべきでしたが、こんなタイミングになってしまって申し訳ありません。東洋電力会長速水勝正の義息子の輝です。義父に代わって謝罪をと思いまして」

 

 謝罪の品も持ち合わせておらずすみませんが、とばつが悪そうにしている。

 

「そりゃあ、ご丁寧にどうも。結果的にトーナメントに参加できたのは良かったし、俺には別に必要ねえっすよ。するなら俺じゃなくて完全に巻き込まれた俺の家族とか、五〇億強制的に支払うことになった社長たちにどうぞ」

「別に俺もいらねえ。そもそも謝罪って言うなら速水会長本人が来るべきだろ」

「それはごもっともですが、ご存知の通り今はクーデターの首謀者として現在拘留されていますので。それに仮に自由の身でも、来るようなお人でないことは斉藤社長もご存知でしょう」

 

 巻き込まれなかった社長たちも、ショーが行われている裏側で何が起きていたかは後ほど聞いて知っていた。速水会長も流石に何のお咎めもなくチャラになるってことはないだろう。

 

 社長と輝が話している間に、目線でアイたちと確認を取る。ルビーは割と楽しんでいたし、アクアは色々大変な思いをいたが首を横に振っている。アイも首を横に振るが、何か別のことを考えているようだった。手招きして顔を近づけてもらい、こそっと聞いてみる。

 

「どうした?」

「ううん。あの人、どこかで見たことあるような、ないような」

「名前聞いてもピンと来ねえのか?」

「それを私に聞く? 少なくとも最近会った人じゃないし、多分業界の人でもないでしょ。会ってたとしても随分前のことだと思うんだけどなあ。ケイは心当たりない?」

「俺もねえな」

 

 俺もそこまで人の顔と名前を覚えている方ではないし、昔であれば交友関係も今よりずっと限られていた。少なくとも彼とは初対面のはずだ。アイに心当たりあるとすれば昔、それこそアイドル時代のファンだったかなどで接点があったくらいだろう。そうであるとすれば、もう一五年近くも前になる。それ以降接点がないのであれば覚えていなくとも無理はないが、今の雰囲気で何処かで会ったことありましたか、なんて言うのも聞きにくい。

 

「はあ!? 速水会長が失脚する?」

「ええ。義父は法に触れるようなことをしてきましたが、権力でそれを黙殺してきました。ただ今回の件で、社内の反会長派が内部告発をしていまして。おそらく今回ばかりは、いくら実父でも今のままとはいかないでしょう」

 

 社長が言うように、会長には勝てなかったとはいえ、拳願会でも最上位の権力を有していたのが速水会長だ。内部告発程度で揺らぐような立場とは思えないが。

 

「あの爺がそれで素直に退くとも思えねえが。それにお前だって身内だろ」

「そうでしょうね。ですがそこはこちらの問題ですのでご心配なく。実父が会長の座に座り続けるにしてもそうでないにしても、しばらくは社内整理でごたつきます。そちらに掛けていた圧力を実行することはありませんので、ご安心ください」

 

 少し困ったような顔をした後、圧力の件が話される。仕合前に社長が気にしなくても良いとは言っていたが、確定ではなかったようだ。

 

「では私はこれで。ご自愛下さい」

 

 最後に一瞥して、輝は医務室を出ていった。

 

 わざわざ伝えに来てくれたのはありがたいのだが、どうにもそれだけではないような気がする。東洋電力というだけでバイアスがかかっているのかもしれない。何も確信はない上に、些細なことではあるのだが、何か別の目的があったような気がしてならなかった。彼はそんなそぶりは見せなかったが、アイの反応を見るにおそらく二人は面識があるだろうから、実はアイのファンで近くで見ておきたかった、とかだろうか。

 

 ふと医務室にあるモニターを見れば、すでに準決勝一回戦の王馬と初見さんの仕合が始まろうとしていた。

 

 後三仕合で、王者が決まる。残らなかったのは残念だが、是非とも見届けたい。

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