一番星の王子さま   作:160万のワインを飲み損ねた

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 先読みの到達点、先の先。相手の気の起こりを読み、動く前に動くことですり抜けたように感じさせる技術。メデルはガオランのフラッシュを先の先で見極めて回避し、気の起こりを出さない打撃で初撃を当てる。

 

 ガオランはダメージを冷静に分析し、フリッカースタイルを止めインファイトに切り替えた。

 

 かつてヘヴィー級にまで肉体改造をしたメデルの体重は、現在四〇キロ近く落として五三キログラム。階級で言えばバンタム級。極限まで搾り切った身体からは汗ひとつ出てこなそうなほど。確かに、減量に伴い筋肉は落とさざるを得なかった。攻撃力はヘヴィー級はもとより、ミドル級レベルにさえ届いていない。けれど、速さは落ちるどころか増している。最小限の力でヘヴィー級時代のトップスピードを容易く上回り、歳四〇近くで身につけた先の先によって回避性能も格段に向上した。神さえ捉えることは不可能。そう思えるほどの速さが、メデルの一方的な攻めを許していた。

 

「強えな。敵の攻撃が当たらないなら重さは必要ねえ、って言うのを体現してやがる」

「けど流石に差がありすぎだぜ。普通の打撃じゃ、数打たなきゃ対してダメージにはならねえだろ」

 

 メデルが十数発入れたとしても、ガオランはすぐに立て直している。一見すればガオランが不利と思えるが、桂も王馬も焦る様子はなかった。

 

 これだけの体重差、打撃で的確にダメージを与えるのであれば、トリガーポイントを見極めて撃ち抜くか、鉄砕のように極端に拳を固くする他ない。グローブを外しているとはいえ、見たところガオランの様子からもそれらは使われてないことがわかる。

 

「とは言ってもこのままじゃジリ貧だ。機動力も上、先の先も使えるなら、今のままじゃどうやってもメデルには当たらねえ。龍鬼、こんな時どうすれば良いかわかるか?」

「……カウンターでしょ?」

 

 なんで俺に聞くんだ、と思いながらも、龍鬼は考えて自分なりに答えを出した。

 

「だな。あとは相手よりも先に気の起こりを見極めるか、読まれる前にーーー」

 

 桂が言いかけた方法によって、ガオランの攻撃が初めてメデルを捉えた。

 

 先の先を身につけたとしても、決して無敵にはなれない。龍鬼が言ったように攻撃を受ける前提でカウンターを放てれば、相手を捉えることは決して不可能ではない。レスラーなどの頑強さがあればより効果を発揮し、特に対抗戦には出ていないものの、受け壊しを身につけている関林であれば一層有効な手段となる。残りは、こちらも同じように先の先を身につけ、相手よりも先に気の起こりを読み取って攻撃を当てる方法。

 

 ガオランが行ったのはこれらではなく、言葉にしてしまえば至極単純なもの。

 

 読まれる前に打つ。

 

 敵の思考速度を上回ることで、そもそも先の先をさせない先読み潰し。現状、ガオランだからこそできる芸当。メデルの動きの規則性を見切ってしまえば、さらに攻撃を当てるのは容易くなる。ここへきて、体重差が如実に出てくる。自身よりも遥かに思い相手の打撃は、ジャブであったとしても絶大。

 

 動きが見切られ、先の先も潰され、先ほどとは一転してメデルが窮地に立たされたかのように思えた。

 

 ボクシングにはない蹴りが、ガオランを襲う。

 

「蹴り!? あのメデルが蹴りだと?」

 

 若槻が驚愕する。

 

 格闘技をよく知る者であればあるほど、眼前の光景が信じられなくなるだろう。伝説のボクサーであるカーロス・メデルが、まさかの蹴りを放ったのだ。

 

 表ボクシング界を去ったメデルが参戦したのは、ブラジル裏格闘技界。これまで闘ったことのなかった武闘家たちを前に、メデルは体重を落とし、新たな武器を身につけることを決めた。メデルの才能はボクシングのみにあらず。師匠を介さず、読んだのはたった一冊の参考書と、ほんの少しの鍛錬。打撃の天才は容易くカポエイラを習得し、そこからさらに自身のボクシングと合わせやすいようにアレンジを加えた。

 

 再びメデルにペースを握られる。ボクシングのフットワークとカポエイラの特徴的な左右へのステップであるジンガを合わせた独特の動きで、再びガオランを惑わし、足技でダメージを稼ぐ。

 

「なんだか踊ってるみたい」

「ふむ。奥方の感想は正しい。あれはカポエイラと言って、ブラジル由来の格闘技だ。当時の奴隷達は、為政者にバレないようにベースとなる格闘技にダンスを合わせて作ったから、踊って見えるのはそのためだろう。踊りに近い動きだから、彼のように絞った体とも相性が良い」

「へえー、詳しいんですね」

「こう見えて長生きなんですよ」

「そうなんですか? 社長と同じくらいに見えるのにすごいですね!」

「実はヨーガを嗜んでいてね、呼吸を減らすことで老化を緩やかにできるんですよ。年齢の割に若く見えるのはそのためかな」

「ヨガは私もやりますけど、そんな呼吸があるんて知らなかったです」

「よろしければお教えしますよ」

 

 そんなに難しい物ではないので、とジャッキーが言う傍、厭は冷や冷やしながら会話を聞いていた。しれっとヨーガの秘法を教えようとしてるが、それはまだ良い。このレベルでいちいち気にしていたら間違いなくストレスで死ぬ。問題は、ふとしたことから諸々大事な部分を話しかねない事だ。いつ、実はジャッキーは偽名なんです、なんて言い出してもおかしくはない事だ。いつもは飄々としているくせに、今はちょっと楽しそうに話しているの気になる。

 

「ほんとですか!? そしたら私もまだ若々しくいられるかなー」

「奥方は十分にお若いですよ。にも関わらず興味がお有りという事は、やはり御主人のために?」

「そうして言葉にされちゃうと、ちょっと恥ずかしいですど」

「いや素晴らしい。美しさは外見だけではないが、その心がけだけでも御主人が幸せ者なのはわかる」

 

 壱護やミヤコ、アクアとルビーも、アイの様子に珍しいな、という感想を抱いていた。元々、空気を読んでその場に合わせた嘘をつくのが得意ではあった。私生活ではそれもなくなっているものの、初対面の相手や仕事場では有用なそれを使うことが常だった。長年アイと過ごしてきた者達だからこそ、今のアイが敬語を使いつつも、ほぼ素面と言うことに気がついた。

 

 アクア達は改めてジャッキーを見る。ジャージにサンダル姿と非常にラフな格好こそしているものの、顔立ちは整っているし体型も引き締まっている。言葉や視線にも下心はまるでなく、着る服さえちゃんとしていればナイスミドルと呼ばれてもおかしくはない。

 

 彼らの意識が仕合から離れている間にも、状況は目まぐるしく変わっていた。

 

 カポエイラの動きさえも見切ったガオランが、ついにムエタイを解禁。打の極致と打の完成形の勝負は最終局面に来ていた。

 

 メデルはこれまでのやり取りで、不本意ではあるが実力では勝てないことを理解していた。ボクシングだけ見ればまだ上なのは間違いないが、今の仕合においてそれは何の慰めにもならない。メデルを突き動かすのは仲間のためでも何でもない、単なる意地。自身が裏へと行かざるを得なかったことに比べ、ガオランは表界の現英雄。表に居場所にあるにも関わらず、土足で自身の領土に上がり込んできた招かざる客。故に負けるわけにはいかない。

 

 ひたすらに回避を続け、時には意識を飛ばしそうな蹴りと拳を受けながらも、メデルはリング端までガオランを誘導する。

 

 最後の一撃。アギトとの仕合で破壊された右手を、狂気とも呼べる過酷な修行でさらなる進化をさせて蘇らせた剛拳がメデルの顔面を捉えた。

 

 ガオランの勝ち。拳願会サイドはおろか、一部の煉獄サイドの観客さえもそう思ってしまう一撃。だが、メデルは最後の一仕事を試みる。

 

 拳に体重の乗ったガオランに掴みかかり、そのままリング外へ落ちていく。腕の位置も完璧。両者リングアウトという形にもつれ込み、最後はビデオ判定へ。自身の落下の衝撃さえも無視したメデルの執念が、先にガオランの腕をリング外へと着かせた。

 

 巨大なモニター上で勝者の画像が明るく表示される。

 

 勝者は、カーロス・メデル。

 

「すまん。俺の慢心が敗因だ」

「アンタのせいじゃねえさ。誰が闘ってもこうなる可能性はあった」

「十鬼蛇の言う通りだ。顔を上げろ、真の勝者が項垂れるものではない」

 

 アギトの言葉通り、実力で負けたと思う者は誰もいない。あくまで煉獄ルールに従ったからこその敗北であり、拳願仕合ルールであれば勝っていたのはガオランだと。

 

 とはいえ、いくら言ったところで勝敗は変わらない。煉獄の土俵で勝たなければならない、そう強く意識づけるためにも、この一敗は大きなものとなった。

 

「次が先攻最後か、どうしますか山下さん。俺が行きましょうか?」

 

 たかが二敗、されど二敗。残りの内、煉獄側は五仕合勝てば良い。加えて先攻は以前として拳願会、流れのまま三連敗、と言うことも大いにあり得た。

 

 引き戻すためにも、強いカードを切る必要があると一夫も考えていた。立候補してきた桂は王馬やアギトと同じくオールラウンダー型、特別相性の悪い相手もいない。

 

「いや、俺が行こう。このまま煉獄の好きにはさせん。流れを変えてくる」

 

 同じく立候補してきたのは若槻。拳願会トップ層と言うことは桂と変わらず、違いがあるとすればパワー特化型と言うこと。破壊力という点においてはユリウスとのツートップは間違いない。

 

「お二人ともありがとうございます。……では、第三仕合に出ていただくのはーーー」

 

 ずしり、と重量を感じさせる足取りでリングに上がったのは、”猛虎”若槻武士。悩んだ末に若槻に決めたのは、攻撃力。火力のある一撃で仕合を決めることができれば、見た目の派手さめあって一気に流れを引き戻せると踏んでのことだった。

 

「見せてもらうぞ若槻武士。貴様の力を」

 

 ユリウスはついぞ戦うこのなかった男の背を見送る。東洋電力のクーデターによって、不完全燃焼で終わった絶命トーナメント。その後も腐らずに淡々と仮想敵を筋肉で叩き潰すために鍛え上げた肉体は、さらなる進化を遂げていた。その中の一人である若槻が、どれほどの成長を遂げたかを見極めるつもりでいた。

 

 煉獄側としても、結果的に二勝はしたものの楽観視はできないことは承知の上。さらには最高峰とも目される若槻の登壇に、キングことロロン・ドネアも誰が良いかを考える。相手は完全な剛。相性が良いのは自身や嵐山のような柔に秀でた闘士が良い。理人やガオランには散々あれこれ物を言っていた弓ヶ浜が出ようともしないのも、ロロンを不機嫌にさせる。

 

「若槻武士、加納アギトに次ぐ実力者。常人の五二倍の筋繊維密度を持つ超人体質と言われている」

「五二倍!? 私パスね。私相手するの人間だけネ」

「……こらこら……」

 

 ロロンから告げられた情報に、劉東成が化け物相手は専門外だとほぼ直接的に言い、隣に立つナイダン・ムンフバトがそれを窘める。ナイダンとしても超人体質の持ち主に心当たりはあるものの、規格外の倍率は聞くだけで脅威だと思わざるを得なかった。

 

「我が行こう」

 

 煉獄随一の肉体を持つ闘士が名乗りを上げる。

 

「あと四人、誰が闘うか決めておくが良い」

 

 “破壊獣”トア・ムドー。ユリウスさえも上回る肉体を持つ、ニュージーランドの筋肉国宝がリングへと上がる。

 

 片や一九三センチ、一九三キログラムの生まれながらの怪物。

 片や二〇六センチ、二一四キログラムの、ニュージーランドの守護者の血を引く大戦士。

 

 マッスルモンスター同士の殴り合いが、今にも始まろうとしていた。

 

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