一番星の王子さま 作:160万のワインを飲み損ねた
四戦終わって二勝二敗。
「あ〜あ、ヒカルも負けちゃったね。良いやつだったのにな〜」
代表闘士ニコラ・レ・バンナが、まるで思ってもいなそうな声色で弓ヶ浜の負けに触れる。滅堂の牙と謳いながら煉獄に移籍したものの、成績は九勝五敗。ニコラは直接闘っていないものの、まあ負けるよね、くらいにしか考えていなかった。
「そうだな、良い奴……いや、良い奴だったか?」
二年前から、それこそ弓ヶ浜と近い時期に煉獄に参戦した飛王芳は、とりあえず同意しようとしたところで、そんな記憶がまるでない事に気づいて疑問を返した。
「次は誰が行く?」
相変わらず座りながら仕合を静観するロロン・ドネアが、まるでアイツの話題はゴメンだと言わんばかりに別の話題で斬り込んでくる。
「燃えてきたヨ。私行って流れ変えてくるネ」
「いや、僕が行く」
「はあ? ナイダンそれ割り込みヨ。順番守るがルール、わかってル?」
劉とナイダンが順番について揉め、劉にしか聞こえない声でナイダンがある事をつぶやく。意味がわからず聞き返す間に、ナイダンがリングへと向かう。
五戦目、煉獄代表闘士、“オルドスの鷹”ナイダン・ムンフバト。
「強えやつが出てきたな」
一目見てわかるほどの強者。拳願会サイドは少しでも勝率が高い闘技者を選出するために可能な限り情報を得ようとする。
「アジア系、どこかの民族衣装でしょうか?」
「あれはモンゴル相撲、とりわけ内モンゴル自治区で主な流派のものですね」
誰もが見た事ない衣装に対して、速水が一瞥して言い当てる。日本で有名な流派とは異なり、一夫でも知らなかった事から、速水の知識量の豊富さが伺えた。
組技主体の相手に対し、サンボが噛み合いそう、レスリングが良さそうと二徳と大久保が手を挙げる。
未だ誰が出るか決まらぬ中、ナイダンが腕に力を入れ、拳願会サイドにそれを見せつけた。
白い、ムカデのような虫を模したタトゥー。一夫達が知る物とは色が違うものの、それは間違いなく蟲の一員の証。
「ーーー俺が行くよ」
龍鬼が承諾を待たずして出ていくと、光我が止めに入る。
「大丈夫だよ光我。前に君に言われた事、俺なりに考えたんだ。殺さないよ。アイツには聞きたい事があるんだ」
殺しはしないと改めて告げ、龍鬼が仕合に挑む。
白タトゥーは蟲の頭領直属の兵隊。日本を担当していた極東本部長の忌でさえも、ナイダンが蟲である事は一切知らなかった。
予定通りの組み合わせ。
厭こそが、ナイダンに煉獄に入り、対抗戦に出て臥王龍鬼に殺されてこいと命じた頭領その人ではあるのだが、胸中は穏やかではなかった。
「今度は龍鬼さんか」
「龍鬼君、頑張れー!」
後ろの席にいる日向家御一行が龍鬼と既知の間柄である事は知っていたが、当時はそこはさして問題視していなかった。全てはビールを飲んでいる野郎が、唐突に見に行きたいと言ったせいだ。
勿論、殺しはダメなんて甘ったれた考えをしていない事はわかっている。そもそも倫理観なんてあってないようなものだし、普段であれば気にも留めないか、そうか、の一言で済む。
問題は、とりわけよく話してあるアイが仕合を見てどのような反応をし、それに対してジャッキーが何を言い出すか。
「おや、彼とは知り合いで?」
「そうですよー。たまに家に来て、アクアとルビーと遊んだりしてくれるんです」
当の本人は、厭の気も知らないで相変わらず話していた。
適当に理由作ってこの仕合だけでも席を外させるか? コイツは飯を口実にすれば簡単だけど他は? 全員で飯なんて食えるスペースはないし、知人の仕合なら応援するに決まっている。それならコイツだけ席を外させて、その後他の席に移るか? いや、戻ろうとする可能性が高いし、変に邪魔して機嫌を損ねさせるのは避けたい。あークソ、マジで面倒だな。ナイダンの奴命令無視してサクッと勝たねえかな。
「大丈夫ですか? 薬効きませんでした?」
頭を抱える厭に、ミヤコは心配になり思わず声をかける。
「いや、マジで大丈夫です。薬は効いたんですけど、ちょっと八方塞がりなだけで」
要領を得ない答えに、ミヤコは本気で心配になる。確認を取ろうかとジャッキーの方を見ると、積み重なるレベルでビールが空いている。あまり頼りにならないかもしれない、そう思ってしまった。
厭の願った通りの仕合展開に、とは当然ながらならなかった。
殺しを封じ、速攻で攻める龍鬼ではナイダンにまともに攻撃を当てることもできない。もとより地力の差がある事に加えて、今の龍鬼は本来の実力を出しきれていない。ただ闇雲に技を出すだけ。
単調な攻めが通じるほど、ナイダンは弱くはない。一五歳から学び始めたモンゴル相撲。基礎体力作りに三年を費やし、さらに三年かけて完璧な
龍鬼の首を片手で締め上げる。
こんなにも弱いのか。仕合中にも口にしたが、この程度であればいつでも殺す事ができるとナイダンは考えていた。それこそ仕合のルールに則れば、場外に叩き出してお終い。それでも仕合を決めないのは、一重に命令のため。
頭領から命じられたのは、殺すことではなく殺されること。友情ごっこに現を抜かすオメガに、改めて殺意を引き出し本気を確かめる。たったそれだけのためだけに、ナイダンは己の命を差し出す事を受諾した。全ては繋がる者のために。
龍鬼は窒息寸前でなんとか抜け出しものの、一時凌ぎでしかないのは明白だった。
死。
龍鬼の中で大きくなり、迫り来るそれは恐怖以外の何物でもない。それから抗うには、殺されるよりも先に殺すしかない。
「わからないな。今まで散々殺してきたんだろう? 何を今更抗う事があるんだ」
約束、勝てない、爺ちゃん、負ける、光我、友達、死。ただでさえ酸欠で回らない頭の中、龍鬼の目が少しずつ血走っていく。
「……環境のせいかな。君が僕を殺さないなら、僕は君の大切な人を殺すよ。ベンチにも、きっと客席にもいるんだろう?」
ベンチにいる一夫と光我に視線を向けた一瞬の隙、龍鬼が容赦なく顔面に蹴りを入れてくる。二撃目。死角からの攻撃であっても、天空の目によって捉える事はできるはずだった。
空振り。
困惑する間もなく、再び顔面に攻撃を受ける。脳が揺れ、一時的に平衡感覚が狂う。わずか二撃。
「……もう迷わない。二度と光我に手を出させない。アイちゃんにも、アクア君にも、ルビーちゃんにも……お前は、もう死ね」
迷っている間に大切な人が傷つく。ならば防ぐためにも、傷つける要因は全て排除しなければ。
「おめでとう、吹っ切れたね。リングを生きて降りられるのは一人だけだ!!」
殺す事に躊躇いがなくなった龍鬼の動きは、それまでとは見違える物となった。フェイント、奇襲、時には自傷を顧みない攻撃。臥王鵡角に拾われてから今まで、死の瀬戸際に何度も追い込まれながらも鍛えられた、本来の戦闘スタイルとも言える戦い方。
天空の目で捉えられない、とは、つまりは意識外からの攻撃を受ける事と同義。ヒット数は圧倒的にナイダンが上ではあるが、ダメージ度合いは大差ない。
それでも、地力はナイダンが上。龍鬼が戦ってきた蟲の中で、これほどの強者は存在しなかった。
最適な環境を作るべく、龍鬼を転がし、マウントポジションからの首締めに移行する。
「もう離さない。僕に勝てないオメガに価値はない、死ね」
ナイダンの耳には、やけに制止を促す劉の声だけが届いている。
膂力の差は比べるまでもない。雷庵クラスの筋力を前に、闘技者中では割と細身の龍鬼が無理やり外せる物ではない。眼前に迫る死が、走馬灯を過らせる。
逃れるには殺すしかない。
蟲は殺せ。害虫は駆除せなアカンからな。爺ちゃんが殺り方教えたる。
一番接してきた親同然の臥王鵡角の言葉と、教え込まれた方法が龍鬼の親指を自然と固めさせる。臥王流、纏鎧。後の二虎流金剛ノ型不壊となる技だ。肉を引き締め硬化させる技。その応用として、指の筋肉を硬化させ、急所を打ち抜く技がある。
臥王流、穿。
「ーーー素晴らしい」
頸動脈へと突き刺さる親指。一刺し。的確に殺しにくる技術と実力に、出血に伴い早くも冷え始めてきた中でも賞賛の声を贈る。
劉がベンチから駆けてくる。
でも、まだだ。
奇しくも分厚いナイダンの首が、主の意思に反して即死を避けていた。
死人が出ると判断したレフェリーから仕合中断の声がかかるも、二人には聞こえていない。
全ては繋がる者のために。この任務は死を持って完了する。最後の一押しをしようとした。
「不殺ルールで殺し合ってんじゃねえ」
ナイダンの
桂が不機嫌さを隠さずに止めると、劉をはじめとして双方のベンチから選手たちがリングに上がってくる。
「ナイダン!! アナタ馬鹿カ、医者来るまで生きてるヨ!」
指を抜けば一気に出血するため、医者が来るまではそのまま。止血キットが用意されると共に抜けば、わずかな時間ながらも栓が外れたことで溢れてくる。助かるかどうかはナイダンの意思と医者の腕次第。
搬送されていくナイダンに寄り添い、声をひたすらかけ続けながら劉も付き添っていく。
残された龍鬼は、項垂れたまま動こうとしない。光我が声をかけてようやく反応した。
「光我……俺……」
「大丈夫だ、落ち着け。まずは治療をしよう。な?」
幼子のように弱々しい友の姿を、光我は初めて見た。この場に放っておく事はできない。肩を貸すにも一苦労で、なんとか立たせて龍鬼をベンチに下げる。
残った闘士たちも、物々しい雰囲気はあるものの、まだ一触即発とまではいかない。生死を彷徨っている状態がそうさせているのだろう。
「ウチのがすみませんね。いつもはあんなじゃないんですけど」
淡々と、ニコラが場を収めようとする。
「確かにナイダンの行動は異常だった。一体何が狙いだったのか」
煉獄闘士の嵐山十郎太から見ても、この仕合でのナイダンの動きは異様に映っていた。
「仕合前に自分から蟲だって見せてきたんだ。初めから龍鬼が狙いだったんだろ」
「虫? なにそれ?」
桂は蟲を知っている前提で話したが、ニコラは何のことかまるでわからないといった様子。拳願会では散々話題になっていたものの、本来は知る機会もそうない。
「それに関しては、私から説明させていただきます」
一夫が蟲に関して一通りの説明を行う。煉獄側の反応はそれぞれ。噂程度は聞いた事ある者、やはり何も知らなかった者、成り代わりまで知っている者。
他にも蟲が潜み、何かを企てているため一時停戦を提案してみるも、あっけなく棄却される。
交渉が決裂した今、残された方法は闘争による解決しかない。
勝敗は審議に委ねられる。明らかに殺しに来ていた事から龍鬼の正当防衛を主張する声もあったが、ナイダンの生死は現状不明。互いに仕合中にレフェリーの静止を無視した事から、煉獄の根幹が揺らぐとして無効仕合と判断された。
「アクア、大丈夫?」
ルビーがアクアを心配そうに覗き込む。
「大丈夫だ。ちょっと気分は悪いが吐くほどじゃない。それより、龍鬼さんの方が心配だ」
アクアは自分のことよりも、当事者である龍鬼を心配していた。アクアが知る範囲では純朴な青年。なぜあそこまで苛烈になってしまったのかはわからないが、仕合後の反応が非常に気がかりだった。
「首を絞められたことによる窒息は問題ないだろう。あのレベルであれば後遺症もないはずだ」
ズレたことを言うジャッキーに、皆の視線が集まった。
「いや、そういうことじゃなくて」
「ん? ……そうか、ルールでは不殺だったな」
「それでもなくて」
何の事を言っているのかさっぱりわからない。酔っていて上手く頭が回っていないのか、はたまた根本からズレているか、見かねたアイがアクアが心配している事を丁寧に教えた。
「なるほど、それのことでしたか。すまないねアクア君、私はどうも、そう言ったことが苦手なようだ」
ジャッキーの様子を確認しながら、厭はとりあえず機嫌を損ねていないことに安堵した。とはいえ、まだ安心はしきれない。選手たちが自陣に戻っていく中、一人だけ闘士が残っている。
煉獄が誇る三鬼拳が一人、”百足”呂天。ナイダンと同じく、煉獄に潜入させていた蟲の一人だった。