一番星の王子さま   作:160万のワインを飲み損ねた

8 / 171
8

 

 私が彼に会ったのは、私のお母さんが窃盗で逮捕されて、一時的に施設に預けられた時だった。

 

 第一印象はあまり良くない。顔や腕に絆創膏を貼り、いかにも喧嘩してきましたと言わんばかりの風貌は、いつそれが私に降りかかるか不安で仕方なかった。

 

 暴力は怖い。お母さんに打たれた時は本当に痛かったし、当たっていないはずの胸の奥もずきりと傷んだ。どうしたら打たれないかを考えた時、私は嘘をつく事を覚えた。相手の顔色を伺い、怒らせない様に都合の良い嘘をつく。だからこの時も嘘をついた。お母さんが迎えに来てくれる時まで、何事もなく過ごす様に。

 

「よろしくね、ケイ君」

 

 ぶっきらぼうな自己紹介を受けて、私は咄嗟に仮面をかぶって挨拶をした。もう慣れたものだ。

 

 最初に変だなって感じたのはこの時。私は人の名前を覚えることが苦手。最初は治そうと努力したけれど、どうしても無理だった。でもケイの名前は、不思議と頭に残ったし言い間違いもなかった。他の子の名前を間違えた中自分だけ当っていたからか、驚いた顔をしていた。

 

 施設に来て初日は何事もなく終わった。一安心。お母さんが迎えに来てくれるまではまだ時間はあるけど、このまま何事もなく終わってほしいと思った。

 

 何日か経ったある日の朝、いつもより早く目が覚めたことがあった。二度寝をしても良いが、どうにも寝付けず仕方なく起きて、ふらりと施設内を散歩した。施設には運動場というほど広くはないけれど、ちょっとした遊ぶ場所が併設されている。ふとそちらに目をやると、彼が一人外に出て何かをしていた。気になり外に出てみる。

 

 まだ涼しい時間帯なのに、ケイはすごい汗をかいていた。何をしているのかと聞いてみれば、武術の型を復習しているらしい。どうやら大きくなった時に、自分を捨てた父親を一発殴るためにやっているとのことで、やっぱり苦手だなあと思った。

 

 ただ、父親の件が引っ掛かって思わずその件も聞いてしまった。母親が病気で死んでしまった後、別の女の人を作ってどこかに行ったと、さらりと教えてくれた。施設にいる以上珍しい事でもないのかもしれないけれど、直接話したせいかわずかに親近感が湧く。

 

 私には父親がいない。正確にはいたけれど、お母さんと喧嘩をして離婚してしまった。私には優しかったから喧嘩の理由まではわからないし、聞くとお母さんは不機嫌になるから聞かないようにしていた。その内、別の男の人が家に来る様になった。難しい事はわからないけれど、その人と話す時のお母さんの声は普段より高く、なんとなく、この人が新しいお父さんになるのかな、なんて思っていたけれど、それも長くは続かなかった。

 

 ケイに聞かれたので、私もここに来た理由を言ってみた。お母さん、早く迎えに来てくれると良いな、言ってくれたのは素直に嬉しかった。

 

 また別の日の朝食時、私はポカをした。手が滑って味噌汁を溢してしまい、よりにもよってケイにもかけてしまったのだ。以前似た様な事をしてお母さんをひどく怒らせてしまった事があったから、怒られる前に必死に謝る。

 

「そんなに謝らなくたって良いって、そっちはかかってない?」

 

 慣れたものだと言わんばかりに、ケイはタオルをもらって処理を始める。私が呆気に取られている間に、新しい味噌汁まで用意されていた。

 

 食べ終わり、もう一度謝りに行く。もしかしたらみんなの前だから伏せていただけで、本当は怒っていたかもしれない。どこかで爆発されても嫌だった。

 

「別にわざとでも無いんだし怒らねえよ。……もしかして、俺ってそんなに怒りそうに見えてんの?」

 

 思わず頷いてしまえば、ケイはショックを受けたのかだいぶしょげていた。そんな姿が面白くてつい笑ってしまう。この時からだっただろう。話す機会が少しがずつ増えていった。

 

 施設での生活が何ヶ月も続く。その間、私は怒鳴られたり殴られたりする事はなかった。そもそも、そんな事をされるような悪い事はしていないから当然だけど。古いゲームでみんなで遊んだりして楽しかったし、ここの生活も悪く無いと思った。

 

 でも学校はそうでも無かった。

 

 小さなコミュニティの中で、しっかりとピラミッドが出来上がっている。運動ができる子、可愛い子は上に位置しやすい。お母さんが綺麗な人だったから、幸いにも私の顔は客観的に見て整っていると思う。だけど、可愛いだけじゃダメ。些細なことで簡単に足元が崩れてしまう。

 

 発端は同じクラスの男子が私を好きになったこと。クラスカースト上位にいた女の子が、その男の子を好きだったこと。勝手に三角関係だと騒がれて良い迷惑。私は別にその男の子とほとんど話をしたことさえないし、興味もない。でもそんな事を言ったって、相手の女の子は納得しない。貴女は私より下だと証明するために、粗探しを必死にする。施設に住んでることがわかると、そこからは好き勝手にストーリーを並び立ててこけ下ろした。いや、親なし、犯罪者の娘って言葉は間違いでもなかったかな。

 

 必死で広めるものだから、あっという間にクラスの男の子にも広がり、当の本人にも別にお前のことなんて好きじゃねーし、なんて言われる。それなら初めから何も言わないで欲しかった。

 

 外野がうるさい。面倒くさい。平気で傷つけてくる。これだから人間なんて嫌いだ。みんな、いなくなっちゃえば良いのに。

 

 感情的に吐き出せれば、どれだけ楽だっただろう。どうしても家での光景が浮かんでしまって、喉から先に出すことができない。

 

「うるせえよ」

 

 教室が静かになった。

 

 歳が一つしか違わないのと、そこまで大きくない学校だから同じ階にあるケイのクラスにも騒ぎが聞こえたのだろう。不機嫌そうな表情をしながらケイは教室に入ってきた。

 

 小学生の一年差は思っている以上に大きい。元々大きいなとは思っていたけど、一つ下のクラスに来ると他の子との差を強く感じた。ケイは学校ではちょっとした有名人だ。もちろん良い方ではなく、悪い方の。すぐ喧嘩するだの、中学生倒しただの、友達の友達から聞いたレベルの噂だけど、小学生には十分に効くハッタリ。

 

 私が説明した方が良いのかな。

 

 静まり返った教室の中で、私はぼんやりとそんなことを考えていた。それが、一番穏便に済みそうだったから。

 

 誰かが口を開いた。きっと当の女の子本人か、そのお友達か。聞いていれば、私が色目を使ったことになっていた。施設育ちのくせに生意気なのだとも。

 

「俺も施設育ちだけど、文句あんの?」

 

 さっきは不機嫌そう見えるだけだったけど、今は露骨に不機嫌だった。その矛先が発言した子に向かうものだから、相当のプレッシャーだろう。可哀想とは思いながらも、どこか自業自得だと思う自分もいる。

 

 あ、良いこと思いついちゃった。

 

「ダメだよケイ、上級生の男子がそんなに凄んだら答えられないよ。ちょっとふざけ合ってただけで本心じゃないよ。ね?」

 

 場を収めるために、他の男子から変に好意を持たれないように、ケイの名前をあえて呼んで嘘をつく。

 

「ほら、帰ろ!」

 

 ケイの手を取って廊下に引っ張る。思っていた以上にゴツゴツした手。本来その気になれば私が引っ張ったところで動かないだろうけど、簡単に廊下まで出てくれた。

 

 やっぱり嘘は私を助けてくれる。

 

「助けてくれてありがとね」

 

 ケイ以外に聞こえない小さい声で、お礼を伝えた。

 

 その日以降、あの子達は私に絡んでこなくなった。

 

 月日が経つ。

 

 カレンダーをめくれば、大きく丸がつけられた日が目に入る。お母さんが迎えに来てくれる日。迎えに来てくれたら最初になんて言おう。おかえり。会いたかった。期待に胸を膨らませて、私はその日を待った。

 

 当日。迎えにこない。バタバタして忙しいのかもしれない。

 

 翌日。迎えにこない。まだ忙しいのかな。

 

 一週間後。迎えにこない。もしかして体調を崩してしまったのかもしれない。心配だ。

 

 二週間、三週間、一ヶ月。お母さんは一向に私を迎えに来てくれなかった。何か事故にでも巻き込まれてしまったのかもしれない。違う。お母さんは迎えに来れないんじゃなくて、迎えに来ないんだ。

 

 なんで? どうして? 私がいらなくなったの? 私が嘘つきだから? 母親は娘を愛してくれるものじゃないの? 

 

 そっかあ、私は愛されてなかったんだ。

 

 愛って、なんだっけ。

 

 最初は施設の人も親切に声をかけてくれたけれど、何を言われても私の心は動かなかった。あまりの反応の薄さに、だんだんと腫れ物を扱うようになっていく。仕方ない。私なんかに構っている時間が勿体無い。

 

 なんか疲れたなあ。

 

 夜みんなが寝静まった後、私は足音を立てないように部屋を出て、裸足のまま外に出た。ブランコに乗って空を見る。綺麗なはずの星空も、今は何も響かない。このままどこかへ消えてしまおうか、どうせ誰もが悲しまないし。ふと、そんな事を思ってしまった。

 

「こんな夜遅くに何してんの?」

 

 声のする方に目が移る。

 

「……別に。関係ないじゃん」

 

 なんで、と言う声を飲み込み、私はケイに突き放すように答えた。

 

「それもそうだな」

「隣座らないでよ」

「いいだろ別に。いつもちびっ子たちが使ってて、滅多に使えなんだから」

「子供だね」

「お前もだろ」

 

 ふたたび無言になる。年季の入ったブランコの金具が擦れる音だけが聞こえる。励ましに来たのなら、何か気の利いたら言葉の一つもかけられないのかと思ってしまう。

 

 ただただ、何もない時間が過ぎていった。

 

「ねえ、励ましに来てくれたんじゃないの? それとも笑いにきた?」

 

 沈黙に耐えられなくなって、私はつい口を開いてしまった。

 

「笑わねえよ。……励ましに来たつもりだったんだけどさ、いざ来てみたらなんて言えば良いのかわかんなくなった」

「何それ」

 

 俺もわかるよ、くらいは言えないのだろうか。

 

「辛さなんて当の本人にしかわからないだろ? 俺も親父に捨てられて凹んでた時は、何を言われても何も知らないくせにってなったんだよ」

 

「……。どうやって、立ち直ったの?」

 

 少し考えた後、誰にも言うなよとケイは釘を刺した。

 

「思いっきりワンワン泣いた。なんなら言葉にならない言葉を叫んだ気もする。ただそのあともモヤモヤは残ってて、踏ん切りついたのは、結局時間のおかげだったかもしれないけど」

 

「そっか……泣いちゃえば、少しはスッキリするのかな」

 

 最後に泣いたのはいつだろうか。泣いても煩いって怒られてからは泣かないように必死に我慢してた気がする。

 

「良いんじゃね。誰も聞いてないし」

 

 そっぽを向いてくれる。

 

 よかった。泣いても良いかなって思ってしまったからか涙腺が緩くなってきて、ちょっと我慢できそうにない。ポロポロと溢れ始めた涙が大きくなるにつれて、感情も歯止めが効かなくなり、最後には盛大に泣きじゃくってしまった。

 

 どれくらい泣いただろうか。

 

 溜め込んでいたものを涙と一緒に吐き出したからか、完全ではないけれどだいぶ落ち着くことができた。そうなると、途端に恥ずかしさが込み上げてくる。横目でケイを見てみると、まだそっぽを向いたまま。

 

 あれだけ声をあげて泣いていたからか、それが止まったと思ったケイはブランコから立ち上がるとグッと体を伸ばした。

 

「眠くなってきたし、戻るわ」

 

 本当に何も聞いていなかったと嘘をつき続けてくれるのか。

 

 早く戻れよ、との言葉に、私は咄嗟に手を伸ばして彼のシャツを掴んで引き留めた。お下がりのシャツ。何度も着て何度も洗濯されているからかヨレヨレで、掴みやすくなってたのが悪い。

 

 ケイが嘘をついてくれたから、私も嘘をついてお終い。今夜のこれはこれで終わって、明日からはまたいつも通り。

 

「もう、ちょっとだけ……」

 

 恐る恐る本音を出してみた。恥ずかしくて顔は見れなかったから、ケイの表情はわからない。でもすぐにわかったといて、私の気が済むまで時間をくれた。

 

 お父さんもお母さんもいない、一人ぼっちの私の味方になってくれると、この時に思ったのかもしれない。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。