一番星の王子さま   作:160万のワインを飲み損ねた

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 アクアはトイレで吐きながら、背中を摩られていた。慣れることのない不快な感覚。喉が焼ける様な、実に気分の悪いもの

 

「……すみません」

「気にすることはない。吐いた方が楽になると聞いたことあるぞ」

「それは呑み過ぎた時でしょうが」

 

 全く、この人は本当に何するかわからねえな。

 アクアの背中を摩るジャッキーを見ながら、厭は面倒だなと考えていた。ただでさえ大変な相手の世話をしているのに、何が楽しくて少年の面倒まで見なければならないのか。ナイダンの生存に関しても不明なことから一つ手間が増えた。現段階では、蟲の存在を公にするのみに留めておきたい。下手に情報が流出するのを避けたかった。手っ取り早いのはナイダンを抹殺する事ではあるが、医務室には他の闘技者や闘士たちもいる上に、カメラも付いている。仕合を見ている限り何人相手しても問題はないが、足がつくのも後々面倒になる。何よりも、ジャッキーから目を離したくはなかった。

 

「にしてもオタク、よく見に来たな。親族が出るにしても向いてねえよ」

「自覚はしてます……。ただ、こっちの方が安全だと思ったので」

「安全?」

「ちょっと、身の周りが物騒で。一人でいるくらいなら、と。一応はルールもありましたし」

「……なるほど。そりゃあ災難だったな」

 

 アクアの身辺調査は済んでいる。父親が父親なことに加えて、その義理の父親はあの片原滅堂。厭の兄である夏忌が臥王龍鬼に釣られて拳願会にちょっかいをかけていたため、そのルートで情報が流れてきたのは想像に難くない。

 

 十鬼蛇王馬の生死を見誤り、臥王龍鬼の確保もままならない。初めから期待してこなかったとは言え、厭からすれば肉親と思うほどに、不出来な兄に殺意が湧く。

 

「医務室にでも行くか?」

「いえ、大丈夫です。お二人にご迷惑をかけるわけには。吐いたら少しスッキリしたので」

 

 アクアからすれば、今日初対面の相手に迷惑をかけていると思っており、ここから医務室にまで連れて行ってもらう事は世話になりすぎだと思っていた。

 

「聞いたか厭、間違っていなかったぞ」

「はいはい。じゃあスッキリしたなら戻りましょうよ」

 

 ナイダンの様子を確かめに医務室は行けないのは残念ではあったが、アクアの歩調に合わせて歩き始める。

 

 その背中を、厭はじっと見ていた。年は一四歳。中学生にしては、幼少期から随分と大人びていたようではあるが、彼奴の息子という点以外に特質すべき点はない。母親のアイも、顔は良いが特に変わった血筋でもない。種の生存本能など遥か昔に消え失せているであろう、なんならそもそも持っていなくてもおかしくは無いジャッキーがこの家族に拘る理由が、厭としてもよくわからなかった。

 

 

 

 大久保は見た目に反して、実に冷静に相手を分析していた。攻撃は重くない、が、厄介なのは早さ。速度的なものではなく、反射神経がずば抜けているからこその早さ。それが早いと言うことは、手数の多さに直結する上に、相手の攻撃を見てから回避や防御を判断する時間も多く生まれると言うこと。

 

 ニコラの最高反射速度は〇.〇七八秒。本来人間のそれが〇.〇八秒から〇.一秒と言うことを考えると、人類を超越している事がわかる。

 

 動きもフェンシングみたいやんけ。こいつのオリジナルか?

 大久保がそんなことを考えていると、解説席に座る鞘香から解説が入る。大久保の読み通り、ベースとなるのはフェンシング。そこにフランス格闘技のサファーデ(別名サバット、フランス式ボクシング)と日本の空手の要素を組み込んだ創作武術。ニコラはこれを「殺破手(さはでぃ)」と名付けていた。身長よりもウイングスパンが長く、フェンシングとの相性も悪くない。半身を引くようなフェンシング独特の構えも、被弾面積を抑えることに一役買っていた。

 

 早さでは勝てないことを理解した大久保は、被弾覚悟で攻める。打たれ強さはプロレスラーには及ばないものの、タフネスには大久保も自信があった。掴んで倒す。グラウンドに持ち込めば体重差もあってそう易々と覆せない。

 

 タイミングを見計らって行こうとした瞬間、左腕の感覚が突然消失した。思わず大久保が左腕に意識を向けてしまう。

 

 それが悪手だったと理解したのは、顔に良い一撃をもらった瞬間だった。当てる攻撃とは違ったしっかりと体重の乗った打撃。

 

「あれ、今ので倒れないんだ。タフだね〜」

「当たり前や。レスラーの首力舐めたらあかんで!」

 

 大久保は感覚の戻った左腕を、左手を開閉して確かめる。異常はない。

 

「さて問題。僕は何をしたんでしょう?」

 

 ニコラの言葉通りであれば毒と考えるが、毒ではないことを大久保は理解していた。毒であればこれほど早く回復することはない上に、ピンポイントで感覚が無くなるのも方法が難しい。

 

「神経やろ。随分と器用なことするやん」

 

 となれば、残るは神経への攻撃。一時的に圧迫して麻痺させる。そう考えれば辻褄が合う。さらには麻痺させるタイミングと効果時間は任意ではない事も看破していた。

 

「正解! 解毒剤がないって言ったでしょ?」

 

 反応から、諸々見抜かれている事も察したニコラは、それでも余裕の姿勢を崩さなかった。できるのは麻痺させる事だけではあるが、それだけで十分だった。腕、足、目など、何かを失った際に人間は大きくバランス感覚を失う。その隙をつけば勝つのは容易。大久保が麻痺を警戒して避けに徹するのも、実に好都合だった。反射神経はニコラが上、焦らずともいずれは当たる。

 

 戦場でもそうだった。

 

 ジャン・リュックは、ニコラの親友だった。血の繋がりはない。共に地獄を生き抜いてきたからこそ、実の兄弟以上に固い絆で結ばれていた。所属する部隊に名前はない。公に存在しないフランスの特殊部隊で、配属された時点で個人データは抹消される。もっとも、基本的には身寄りのない者ばかりだったため、個人データなど消さなくても良かったかも知れない。だが、ニコラは違った。世界的に有名なキックボクシングの英雄を兄に持ち、格闘センスも武器術も右に出るものは出ない。それでいて、自ら地獄行きに志願した真の英雄。ニコラはこの世界の主人公だと、ジャンは考えていた。

 

 けれどある日、全てが狂ってしまった、実に綺麗な美しい夜。ニコラは政府から、その部隊の人間を消す事を依頼されていた。死神の鎌を振るい、邪魔な民間人も虐殺済み。部隊も一人を除いて全て殺した。残るは親友のジャンだけ。親友だからこそ、メインディッシュだからこそ最後に残した。

 

 ジャンは泣き、言葉にならない声を上げながらニコラとは戦った。

 

 ニコラは強い。強く、気高く、美しく、世界の主人公であるニコラ。差し詰め自分は、とある章を締めくくるための章ボスだと、ジャンは考えていた。

 

 けれど、生き残ったのはジャンだった。

 

 ジャンが我に返った時、ニコラはすでに生き絶えていた。

 

 主人公が死ぬ? 世界の中心が、僕の手で? なんだこれは……。

 

 混乱する。吐きそうになる。何故、ジャンが生きてニコラが死ぬのか。ひたすら考えを張り巡らせ、ついに真実を見つけた。

 

 ああ、そう言うことか。……さようなら、ジャン。僕の親友よ。僕は……いいや、僕がニコラ・レ・バンナだったんだね。

 

 蟲の成り変わりでもない。回生による擬似的転生でもない。ただの思い込み。現実逃避と精神が壊れる前の自己防衛本能から、ジャンはニコラとなった。

 

 フランス政府から追われるニコラは日本に亡命。刺客を悉く返り討ちにしながらも、裏社会に身を置き生計を立ていた。

 

 ニコラの打撃が当たり始めれば、それから少し経てば大久保に毒が回る。生まれた隙を突かれてダメージを与える事を繰り返していた。その間、大久保のクリーンヒットはない。

 

 ヘヴィー級とミドル級で違うのは、体重はもちろんの事、それに由来する攻撃力も違う。逆に変わらないものと言えば、個体差はあるが耐久力。一定の重量を超えればさほど変わらないとされるそれは、言い換えればミドル級の攻撃力があればヘヴィー級だろうと倒せると言う事。

 

 それでも、大久保は倒れない。ニコラとしても手応えは感じていたが、中々どうして耐久値が高い。壊したいけどルール的にはダメ。相手もその気になってくれるのであればそちらに切り替えられるのに、と考えていた。

 

 大久保の打撃が初めて当たる。

 

 速度は変わっていない。油断をしていないにも関わらず、急に当てれられたことに、ニコラの警戒心が上がる。

 

 大久保が組に来る。体重差から完全に組まれればまず抜け出せない。

 

 暑苦しいのは嫌いなんだよね、と思いながら上から潰して膝を入れるつもりでいた。

 

 組が切り替わり、打撃となる。今度はギリギリ手で防ぐも、即座に切り替えた大久保の蹴りがニコラの太腿を捉えた。

 

「なんでだ!? さっきまでは当たらなかったのに!」

 

 食いつく様に仕合を見る光我が、理解できないと言わんばかりは叫ぶ。

 

「基本技術の練度によって繋ぎ目がほぼないことに加え、相手に噛み合わせない攻撃。それが大久保の強みだ。いくら反射速度が早くとも、不意を突かれれば反応は遅れる」

 

 総合格闘技は、あらゆる攻撃手段を持つ格闘技。どれか一つ欠けていても、それは総合とは言わない。絶対王者の名は伊達ではなく、打投極絞、全ての分野において各分野の超一流と遜色ないほどの高水準。さらにはアギトの言葉にもあったように、切り替えの継ぎ目がほとんど無い。相手に合わせない変幻自在な戦い方ができる大久保に、苦手な相手は存在しない。それでも尚攻めあぐねていたのは、神経の麻痺時間が考えていた様にランダムだった事。早い時は数秒あるかどうか、長い時は数十秒も戻らなかった。当たった順番通りに感覚が消失ということもなく、先に当たった所よりも後に当たった所の方が、と言うこともあった。だが、どの程度の威力で当たればそこが麻痺するかは、おおよそ検討が付いた。

 

 実に厄介ではあるが、それだけであればいくらでもやりようはある。早さは確かに仕合を左右する要素ではあるが、それだけで勝てるほど甘い世界では無い。

 

 避即蹴。

 蹴即打。

 打即打。

 打即離。

 

 噛み合わせずに怒涛に攻める。不安定になる脚への直撃を極力避け、麻痺すると思った部位はいずれなくなる前提で動く。

 

 ニコラがダウンを取られ、カウントが始まる。

 

「……ああ、良い夜だ」

 

 ドームの天井が開き、太陽から降り注ぐ日光を受けて、ニコラは呟く。

 

「ド昼間やろが。大丈夫か? 打ちどころ悪かったんか?」

 

 カウント六で起き上がる。

 

「心配いらないよ、ムッシュ大久保。さあ、続けようか」

 

 殺しの方法なら、隠し球はいくつかある。けれど、今はまだ勝負の範疇故にニコラは本領を発揮できない。殺し屋のジレンマ。ニコラは、殺しの術を倒しの技に昇華するために時間を割くことを怠っていた。

 

「ほな、行こか」

 

 そして、本気を出せない状態で勝てるほど、大久保は甘い相手ではない。

 

 打と見せかけての組、組即投、投即絞。

 

 グラップリングは大久保の十八番。瞬く間に片腕を首に回して完全に絞める。たとえ今から麻痺を起こそうとも、極まった状態からは大した打撃も、狙い澄ました一撃も打てない。仮にできたとしても、七秒後に待つのはブラックアウト。もはや、ニコラに逃れる術はなかった。

 

 頭に酸素が回らなくなっていくわずかな時間、ニコラにはそれが何倍にも引き延ばされた様に感じる。神経へ攻撃は届かない。殺すのも、もはやこの態勢から抜け出せないのであれば無理。

 

 あ〜あ、これはダメだね。

 大丈夫だよニコラ、また切り替えれば良いさ。

 

 どこか俯瞰的な感想を抱きつつ、ニコラの意識が落ちる。

 

 ストップが、ついにレフェリーから入った。勝者を告げるコールが入る。

 

 大久保が立ち上がり、拳を高らかに突き上げた。

 

 歓声が湧き上がり、しばらくするとニコラも目を覚ます。

 

「お、意識戻すのも早いな」

「……あ〜、頭痛い。ムッシュは強いね」

「アンタも強かったで、正直ヒヤヒヤした所ぎょうさんあったわ」

「ねえ、今度は殺しあり(ガチ)で殺ろうよ」

 

 かつて同じく煉獄のA級闘士、ホセ神崎に負けた時と思ったことだ。すぐに忘れる性質とは言え、どうにも直後は気持ちが昂ってしまう。

 

「抜かせ、こちとら全年齢対象なナイスガイやぞ」

「そっか……それは残念」

「まあ、ルール守った仕合ならいつでも受けて立つわ」

 

 大久保が差し出した手を、ニコラはしばらく見つめた後に取り、ゆっくりと立ち上がる。

 

「その時があったらよろしくね」

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