一番星の王子さま 作:160万のワインを飲み損ねた
カットが入り、スタッフさん達が次のシーンへと変える準備をする。
「悪い、拳思いっきり当たったよな……」
メルトが謝りに来た。
「気しなくていいよ。自分からわざと当たったしな。良い演技だったよ」
「え?」
「感情のせて演技すると楽しいだろ? そのためとは言え、悪口言って悪かったな」
「いや、それは良いけど……結構腫れてんぞ」
「マジ? 冷やしておけば大丈夫だろ。メルトも手首とか痛めてないか?」
殴られた事なんて初めてで、思っていた以上に痛い。父さんたちはよくもまあこんな事を日常的にやっているもんだ。感心よりも呆れが出る。
ぬかるんだところに転げたから、服も濡れていて気持ち悪い。防水加工されたコートだが、中に着ているシャツやパンツはそうじゃないから仕方ない。着替えを念の為に持ってきて良かった。
「特に問題はない、とは思う」
「素人が殴ると痛めやすいみたいだからな、気になるなら冷やしておいたほうが良いぞ」
そこまで時間をかけずに次のシーンの撮影準備が整う。
「有馬、これで文句ないだろ?」
全力とはいかずとも、多少なりとも本気は出せたはずだ。
「えっ、ええ。……うん、悪くないんじゃない?」
有馬に聞くが、はっきりしない答えが返ってくる。
「手厳しいな」
我ながら慣れない役にも関わらずのめり込めたとは思うが、演技派女優の評価は辛口のようだ。
準備が整った所で有馬たちに声がかかり、次のシーンの撮影が始まる。
湿布をもらい頬に貼りながら撮影を遠目で見学をする。助けられたヒロインが主人公に恋をするシーンで、泣いた直後と言うのに有馬の演技はやはりすごかった。
撮影が全て終わる。
即編集、即納品の言葉に嘘偽りはなく、撮影してから二日後にはオンエアされた。
俺が出ると言う事もあって、その日は家族全員で今日あまの最終回を見ることになり、全員から気持ち悪いとの好評をもらった。
「これで殴られてその顔な訳か。受け方教えてやろうか?」
「これからこんな感じの役たくさん来るかもしれないし、それが良いんじゃない?」
「そしたら毎回お兄ちゃんが最後に殴られるパターンだね!」
ルビーが物騒な事を言ってくる。本来は当たるように見せるだけで、実際に殴る蹴るをするわけではない。今回は仕方なく当たっただけだ。
ただ、ストーカーではないが、所謂悪役は演じてみたいと思うことはある。その物語のキーとなるキャラでもあり、一般的に演技力がないと演じさせないとも言われている。ヒールだから必然的にシリアスなシーンが多いため、上手くないと迫力がなかったり説得力に欠けてコメディの様になってしまう。
「……毎回殴られるのは勘弁願いたいが。そもそも今回はあえてそうしただけで、本来は実際に打つわけじゃないだろ。でもまあ……ちょっと興味はあるかも」
「珍しく乗り気じゃねえか」
「ガッツリやり込みたい、ほどじゃないけどな。それに最近物騒だし、自衛手段は無いよりあったほうが良いかと思って」
「なら今軽くやってみるか。操流ノ型は覚えておくと何かと便利だぞ」
「操流って力の流れを操る型だっけ?」
「そうだな。演技とか自衛なら金剛ノ型でも良いかもしれねえが、そもそも筋肉足らねえからなこっちの方が良いだろ」
そりゃあ筋トレしてないしな。
ソファから父さんと俺が立ち、向かい合う。やっぱりでかい。
「だいぶデカくなったな。高校生になったら俺の身長抜けるんじゃねえか?」
父さんはどこか嬉しそうに見える。厚みは当然違うが、目線の高さはだいぶ近づいたし、手足の大きさだけであればそこまで変わらないはずだ。
「どうだろうな。どうせなら一八〇は超えたいが」
今年の健康診断では一七七センチだった。成長期のこの体に期待したいところだ。
「ならもっと食わねえとな」
「俺の運動量だと太るだけだ」
こうした家族的なやりとりは、いつになっても少しばかり気恥ずかしくなる。
「そうか? まあいいや。改めて言うが、操流ノ型は力の流れを理解して操る型だ。重要なのは流れを理解することで、それさえできれば後は力をこっちから加えて崩したり打ち消したり、打点をずらして受ける力を減らすこともできる。……あ、受けた力を散らすなら水天も覚えた方が良いかもな」
理屈はわかる。物理学で考えれば、力は力学ではベクトルとして表されて、はたらく「方向」と「大きさ」で定義される。机上であれば、実際に計算して分散や相殺、向きを変えることもできるが、実際はそんな矢印が見えるわけでもない。
「でも流れなんて見えないだろ?」
「そんな難しく考える必要なねえよ。ただ受けるだけなら、触れる部分を増やしてやればダメージは減らせる」
「圧力か、確かに接地面積を増やせば、その分単位面積辺りにかかる力は減らせる訳か」
減らす、と言うから百から五十にするようなイメージだったが、今の話だとこの考え方の方がしっくりくる。
「よくわかんねえが、自分なりに納得してれば良いや」
「圧力は中学で習うだろ」
「そうだったか? 勉強に関しちゃまともにやってこなかったからとやかく言えねえけど、こっちなら教えられるからな」
何なら中一の理科の内容だぞ。中学は卒業してんだろうが。母さんの方を見ると、目を逸らされる。母さんもか……。ルビーは受験したてと言うこともあり流石にわかっていそうだ。いつまで覚えているかは不安だが。
「実際にどう受けるかだが、肉が少ない部分は避けて、可能なら掌で受けた方が良い。指は折れやすいから気をつけないといけないが、他の体の部位だと反射で硬直しやすいからな」
俺の手を持って、ここで受けろと言わんばかりに自身の手で小突く。硬い拳に対して、俺の掌は柔らかい。この柔らかさが、二虎流で言うところの水天ノ型の脱力に近いのだろう。
「硬いとその分ダメージが逃げにくくなるからか。……そしたら金剛ノ型ってあんまり受けには適していないんじゃないか?」
「避けるのも受けるのも間に合わない時の緊急用だからな。まあ、硬ければ硬いほど力の浸透は防げるから、連続で受ける時なんかは金剛の方が良かったりするんだけどな。いきなり色々やっても仕方ねえから、そっちは今考えなくて良いぞ」
使い分けが大事って事か。
「格闘技でやるなら力の流れが見える様になると良いが、アクアの場合はとりあえず打点のずらしからやった方が良いかもな」
そのあと軽くやってみたが、やはり一朝一夕にはいかない。ゆっくり動いてくれるのであればなんとかできるが、実際には何倍も速い速度になる。受け損なう確率は格段に高くなるだろう。やはりこの辺りは反復して経験を積むしかない。
小一時間程度やったあと、汗を軽くかいたのでシャワーで流す。寝るために自室へと向かうと、スマホが短い通知音を出した。メッセージが送られてきた音だ。ポップアップされた名前は黒川あかね。おそらくは見た感想を送ってくれたのだろう。以前ハワイで知り合った際に、ルビーが交換していたついでで連絡先を交換していたが、俺がドラマや映画等に出ると感想を送ってくれることが多い。
タップして開いてみれば、案の定。
『アクア君の演技、不気味さとか狂気の表現がリアリティあって凄かったね』
黒川は演技に関しては素直に評価をしてくれる。こちらから聞けば否定的な意見もくれるが、基本的には褒める事が多い。褒め方も丁寧と言うか、少なくとも笑顔でアクアの演技気持ち悪くて良いね、なんて言ってはこない。
『ありがとう。自分の引き出しにはないキャラだったから結構難しかった』
『そうなの? 参考にできる良い役者さんでもいた?』
『モデル、と言うかは微妙だけどな。それに、想像で補った所も多い』
『材料ないと難しいよね。私も役作りする時情報がどうしても足りない時は妄想して補ってるもん』
黒川は劇団ラララライの看板役者。役作りに定評があり、天才役者の一人。有馬とは昔から役を取り合っていた様だが、最近は有馬がテレビや映画、黒川が舞台と住み分けがされている。過去に一度だけ、黒川の舞台を見に行った事がある。そこまで大きくない劇場ではあったが満席で、正直に面白いと思った。演技力の高さは頭抜けていたし、主演だった姫川大輝との掛け合いシーンは両者の演技力の高さもあって凄まじく、ドラマとは違う演じ方ではあるものの随分と引き込まれたものだ。
『普段は役作りにどれくらい時間かけるんだ?』
方法は聞いていたが、期間を聞いたことはなかった。
『時間は掛けられれば掛けられるだけ良いけど、正直ケースバイケースかな。そのキャラクターに共感できたり、情報が早く集まったりするとすぐにできるし、その逆だとちょっと時間かかっちゃうし』
俺も演じていく上で、キャラクターの心情を理解しようと努めている。ただセリフを読むだけだと深みがなくなるから、なぜその発言や行動に至ったのかを深掘りしてく。原作がある場合は地の文によって補完されていたり、作者に確認することでより正解に近づくことができるが、脚本がその都度作られる場合は稀にこんなこと言うか、と思う事があったりする。そうなってしまうと途端に演じているはずのキャラが手元から離れるというか、ジェットコースターとかに乗っている時の浮遊感のような嫌な感じを覚える。
この後も黒川と演技に関してやりとりをしているうちに、睡魔に襲われ眠りについた。
最終回がオンエアされてから数日後、とあるホテルの宴会場を貸切、打ち上げパーティーが開かれる。一回の撮影では顔を見なかったスタッフも大勢いて、一つの作品を仕上げるために多くの人が関わっていることを再確認させられる。
自分で言うのも恥ずかしいが、最終回の評価は上々だった。有馬は可愛いかった、やっぱり演技が上手かった。メルトは最初に比べて最後はちゃんと感情が乗っていた、俳優業もありなんじゃないか。俺はこれまでのキャラとは違ったが、これはこれでありと言う声や、真に迫っていたからこう言った役にも適正があるのではないか。何ならストーカー経験者なんじゃないか、など面白おかしく書かれていることもあった。
原作者の吉祥寺先生からも最終話に限っては好評をもらえたのは良かったところだ。確認もせずに勝手に役を作って演じたことを謝るついでに聞いてみたが、概ね間違っていなそうで安心もした。
打ち上げが終われば、あっという間に月日が流れていく。芽吹いていた桜が満開を迎える頃には中学を卒業し、片原邸で卒業記念兼花見ということで大々的な身内限定のパーティーが開かれる。わずかな時間で桜も散っていき、地面が桜色になる頃には俺もルビーも晴れて高校生へとなった。