救いのために   作:ヒナまつり

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プロローグ 彼の生きる理由

 

 あの日、龍門の下層フロアでフォルトが起こしたあの光景が…今でも忘れられない。

 

 フォルトが、片翼の黒い翼を広げ…白く光輝く何かをその手から生み出し、フロストノヴァの胸へ埋め込むその、神秘的な光景が。

 

 そして、フォルトの…彼の全身を風が切り刻み、流れ出た血がフロストノヴァの身体を覆う悍ましい光景が。

 

 脳裏から離れない。

 

 このまま彼は死んでしまうかと思った。それ程に、彼を風は傷つけていたのだ。

 

 そんな彼岸花の花弁が降り注ぐその中心でフォルトは、祈り続けていた。

 

 そして、一筋の星が黒いなにかを撒き散らして彼の頭を貫いた。

 

 倒れ込んだ彼に急いで、医療アーツを用いて彼を回復させようとしたが何かが拒むようにその傷は癒せなかった。

 

 流れ出ている血は既に命に関わる量で…震える手で彼を抱えてロドスへ走ることしか出来なかった。

 

 その道中でフォルトの身体は蠢きながら再生していき、傷一つ無くなったが…失われていく体温も、弱まっていく心音も…戻らなかった。

 

 「フォルト…君は、無茶をしないと約束した筈だ…。それなのに何故…あんな無茶をしたんだ…死なないと、そう言ったのも、嘘だったのか…?」

 

 フォルトを抱き締めながらケルシーの目から滴るように雫が溢れる。

 

 それでも、フォルトは目覚めない。どれ程、彼に語り掛けても…その瞳が開くことはない。

 

 もう、息をしていないのだ。奇跡なんて、起こることはない。

 

 ロドスの医務室のベッドの上で、ぐったりと笑顔で寝ているフォルトとは、もう…話すことが出来ない。その事実が、ケルシーの心を締め付ける。

 

 ─彼の行動を予測していれば…防げた筈だ。彼が自らの命を軽視しているのに…気がついていたのに…それを見ないフリをし、約束などを信じ続けた結果がこれなのだ。

 

 もっと、彼を見れば良かった。もっと、彼から目を離さなければ良かった。

 

 それならば、この未来も変えれただろう。

 

 だが、もう…その後悔は遅いのだ。

 

 どれだけ、願っても…望んでもこの現実が変わることはない。

 

 これは、私の罪だ。彼を、愛しているのに…見張っていなかった罰なのだ。

 

 …だが、だが…望んでしまうのだ…彼がもう一度だけ、私の名前を呼んでくれるのを…。

 

 だからこそ…フォルトが生き返るという奇跡の後、告げられたその言葉に、心が打ち砕かれそうになった。

 

 「ねぇ、猫さん。僕は、何なの?…猫さんは、誰なの?」

 

 彼らしくない、口調だった。それこそが、彼が記憶を残していないことの証明だった。

 

 「…フォルト、君は…私のことが…分からないのか?」

 

 「…うん、ごめんなさい。猫さんのこと、分かんない。僕と、会ったことあるの?」

 

 「…あぁ、何度もな。…私はケルシー、君の医者だ。…フォルト、今から質問をするから嘘を付かず答えて貰えるか?」

 

 「…うん。いいよ」

 

 無垢な子供のように、フォルトは淡い蒼の瞳を向ける。

 

 その瞳が、ケルシーにとっては…罰のように感じられた。

 

 無垢であるのは、無知であるから。そして、自らを犯してしまった罪を…彼の生きる理由を忘れてしまっていることを示していた。

 

 今の彼には、戦う理由も…私を見る必要もない。あの言葉も、約束も覚えていないのだから。

 

 それが、酷く、酷く冷たく心を傷つける。

 

 だが、それを今のフォルトに…見せるわけにはいかなかった。

 

 ただ、ただ無表情で、質問を投げかける。

 

 「先ず、君の名前は?」

 

 「…フォルト?…むむっ、違うかも?…分かんないや。でも、猫さんが…フォルトっていうと、何だか心が、暖かいの」

 

 フォルトは嬉しそうに微笑む。それが、嬉しい筈なのに…胸に走るのは、打ち砕かれそうな痛みだった。

 

 「…そうか。分かった、次にここが何処か分かるか?」

 

 「分かんない…ここ、何処なの?」

 

 「そうだな…君は、ここが自分の家だと…そう言っていた」

 

 「お家?…そっか、うん…そんな感じがする!ねぇねぇ…猫さん!僕…誰かに呼ばれてるみたい!…行ってもいい?」

 

 上目遣いで恐る恐る、フォルトは私を見る。

 

 ─だが、今の彼が誰かに見つかればロドスに混乱が起きることは必然だろう。

 

 そして、彼の記憶が無くなったことを知れば…アーミヤに深い傷を植え付けることになる。

 

 外に出すことは出来ないな。

 

 その考えを感じ取ったのか彼の淡い深海のような瞳が桃色へ切り替わるように変わった。

 

 その瞳は私に高揚感と彼の願いを叶えたいと言う想いを植え付け、肥大化させる。

 

 目をそらそうと、首を振ろうとするもその瞳を見続けたいと思う心がその行為を否定する。

 

 耐えようと口を噛み締めても、その想いが私を支配し彼が望んだ行動を取ってしまう。

 

 「あぁ…分かった。連れていこう、歩けるか?」

 

 「…いいの?…やった!…うん、歩けるよ!」

 

 笑顔で喜ぶ彼の瞳は元の色へ戻り、私を支配していた感情も鎮まった。

 

 今のは、洗脳…いや、魅了か?今までの彼にはこんな力はなかった筈だ…。

 

 あの力は使わないように教え込まなければ…。

 

 そう、考え込んでいるとぴとっと、冷たく柔らかな小さな手が私の手を握った。

 

 「猫さん?…大丈夫?もしかして、僕歩かない方がいいの…?」

 

 不安そうに、そして心配そうに見つめる瞳に…前もこんなことがあったなと彼との記憶を思い出す。

 

 だが、もう…彼は覚えていないのだという考えが頭を占める。

 

 「私は平気だ。フォルトは、立ち上がった時に痛みなどはなかったか?」

 

 息を吸い込み、無理矢理痛む心を鎮め、フォルトの顔を見つめる。

 

 「うん、痛くないよ。ねぇ、猫さん…早く行こ?皆が呼んでるの」

 

 太陽の光に照らされた病的なまでに白い彼の顔は絵画のように光輝き、反対に全てを吸い込むような黒い髪が彼を引き立たせる。そして、深くも淡い深海が誘うように私を見る。

 

 美しい、それ以外の感想は出なかった。

 

 彼を見て、ある一人のサルカズは言った。悪魔に愛されるために創られた人形のようだと。

 

 その言葉の意味が今、私も分かった。

 

 


 

 自動で動く壁、透明な壁から覗く荒野とそこに力強く咲き誇る黒くてキラキラした何か。

 

 遠くからは色んな人の声と何が動く音が聞こえて、暖かな霧がかかっていた。

 

 全てが懐かしいような感じがして、キョロキョロと周りを見渡していると、猫さん…ケルシーが僕の手を引く。

 

 「あっ、猫さん…?どうしたの?」

 

 「…なんでもない、それで君を呼ぶ声とは何処から聞こえているんだ?」

 

 少し、曇ったようなその表情に…僕の心はチクりと痛む。

 

 多分、僕のせいなんだ。この人が、こんなに苦しそうにしているのは。

 

 だから、せめて彼女を安心させるように元気に振る舞う。

 

 「えっと、あっち。パフューマ?が…いるところだって言ってるよ」

 

 「…その名前も呼んでいる声から教えてもらったのか?」

 

 「うん、彼女たちがそう言ってるの。早く行かないと」

 

 様々な水の流れるような声が僕にずっと、パフューマが悲しんでるってそう言っている。

 

 それに、僕に会いたいって…そう泣いているんだ。

 

 だから、早く行かないと。じゃないと…ダメなんだって何かが僕の心に黒い影を落としてくるから。

 

 「そうか、分かった。先を急ごう」

 

 淡々と僕の手を支えながら歩くケルシーに付いていきながら、僕の瞳は揺れ動く濁りながらも真っ白に耀く炎を見た。

 

 純白で、潔白で高潔で…でも一部に暗くて闇を差している。

 

 その闇を祓いたいと僕は手を延ばした。

 

 それを彼女は水を掬うように優しく取ってくれた。

 

 ブラウンの髪に優しそうだけどカッコいい青い瞳。長い耳をへにょんと倒した彼女は、そのまま泣きそうな顔で僕を抱き締める。

 

 「アーミヤ…もう、戻ってきていたのか」

 

 ケルシーの少し揺れる声が響く。この人、アーミヤって言うんだ。

 

 「はい、フォルトさんのことが心配だったので。もう、動いても平気なんですか?」

 

 鈴の揺れる声が僕を抱き締めながら心配そうに震えた。

 

 「平気だよ…アーミヤさん?ねぇ、貴方は僕のなに?」

 

 彼女の暖かさは、僕の何もない心を揺れ動かす。彼女のことだけは忘れるなと何かは叫んでいる。

 

 穴が空いて痛くて苦しくて、僕の口からその想いが零れた。

 

 でも、その言葉がアーミヤの心を傷つけてしまったんだって彼女から流れた滴で分かった。

 

 「…フォルトさん?その、なんで…さんと付けるんですか?わ…私、何か悪いことをしてしまいましたか?」

 

 ひび割れたように、青い瞳から透明なものが僕の顔に落ちてくる。

 

 それに、僕はどうすればいいのか分からなくて、でもそのままなのは嫌でその滴を舐めた。

 

 甘くて、美味しいけれど…毒のように痛くて苦しい。

 

 「んっ、アーミヤって呼べば、痛くない?…アーミヤ、滴出さない?」

 

 「あっ、ん…くすぐったいです。その、はい…泣かないですから。もう私は平気ですよ。…ケルシー先生…フォルトさんに何があったんですか…?」

 

 僕の頭を胸に押し付けながらアーミヤは、か細い声でケルシーに問う。

 

 ケルシーは、考えるように息を吸い込み…そして、アーミヤへ答えた。

 

 「彼は、記憶を失った。それも、全て。生きてきたこれまでの全てを失った」

 

 アーミヤの息を飲み込む音が聞こえた。そして僕を力強く抱き締めた。

 

 「…それは、本当なんですか…?…だから、私のこと…ごめんなさい、私があの時…もっと強ければ…。わがままでフォルトさんに、全てを任せてしまったせいで…ごめんなさい、ごめんなさい…フォルトさん、私のせいです。私が、私が…貴方を殺したんですね…」

 

 罪を嘆くように、アーミヤは僕を見つめる。

 

 光輝いていた、真っ白な炎が、強風に煽られその輝きを失っていた。

 

 それは、それだけはダメだ、僕なんかでそんな輝きを消しちゃダメなんだ。

 

 胸の底から、そんな想いと共に誰かの声が流れ込んできた。

 

 「貴方の、貴方のせいじゃないの。俺が選んだことだから、泣かないで、自分を、傷つけないで?…ねぇ、私の英雄?」

 

 言わなければいけないとそう思った。でも、これは僕の言葉じゃない。きっと、きっと…彼女のことが大好きだった誰かの言葉だ。

 

 だけど、それで彼女がまた耀くならその人の代わりにその言葉を綴ろう。

 

 「貴方は、頑張ったの。だけど、変えられない運命があった。だがら、俺が…この結末を望んだの。君のせいじゃない、これは、俺のわがままのせいだ。だから、泣かないで?」

 

 愛おしいその優しい顔を撫でる。ポロポロと溢れる雫は、留まらないけれど、その炎は消えること無く光耀いていた。

 

 「…フォルトさん…いや、貴方は…」

 

 黒い何が僕の中を覗く。でも、それは痛くも苦しくもなくて暖かくて心地よかった。

 

 「だから、フォルトさんの中から…二つの声が聞こえていたんですね…卑怯です、エディドヤさん。貴方は卑怯です…。でも、任せてください。フォルトさんのことは、私が…ロドスが守ります。ですから、安らかに…休んでください…」

 

 苦しそうに、でも華やかな笑顔でアーミヤは、微笑んだ。

 

 その光景に、僕の心が引かれた。それと同時に、二度ともう彼女のことは傷つけないと…誓った。

 

 僕は、彼女の守護者になる。この人の真っ白な炎が消えないように、側でずっと見守る。

 

 だから、だから…貴方の気持ちを、想いを継ぐよ、エディドヤ。

 


 

 その時、彼らを見守っていたケルシーの瞳に美しい、いや神々しい光景が写った。

 

 フォルトの、彼の片翼であった翼のもう片方が開いたのだ。

 

 それは、もう片方の黒く全てを失った悲しみの翼ではなく、明日を願う、純白の翼だった。

 

 彼は、もう失敗作フォルトではなく、別の何かになったのだろう。

 

 …だけど、その役目が自らではないことに、小さな影が差した。

 

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