夏に備えて、水着のカタログに目を通す。
自身の水着を、ではなく、他の誰かが着るかもしれない水着を。つまり、女性用のものがずらりと並んだパンフレットを。
あまりに露出する面積が大きい水着を、当然のように着こなすサーヴァントがたくさんいるというのなら。先に、誰にも着られていないそれをたくさん見ておいて、覚悟を決めておこう。そんな、人類最後のマスターによる思春期特有の配慮。
彼に、女性に対する免疫なんて高尚なものは無い。
何せ──今までの短い人生を通して振り返ると、落ち着いた環境で女性の手を握る、程度の経験すら彼には無いのだから。
あるとしても、例えば死地に赴く真っ最中だとか。
今まさに自身の命が潰えるか否かの瀬戸際だとか。
そんな時に、痺れた指先に乗っかる体温があった気がするだけで、本当にそれだけで。
そんな状況を繰り返している彼が身に着けたのは肝っ玉の太さだけで、そんな女性特有の柔らかさを感じて経験値に変えている暇など無い。そんな歪な人生経験は、カルデアという環境や踏んだ場数の異端さと反比例するように、彼の女性への耐性をごく普通の男性のそれと同程度に留めさせている。
……少し前までは、何の誇張も無しにそうだった。
けれど。
今になって、彼は既に知ってしまっている。
冷たくて柔らかな肌の手触り。
脆くて華奢な、細い骨のあどけなさ。
ずぶずぶと沈んでゆくような、肉の薄さ。
艶めかしい凹凸。
根付いた、甘い息遣い。声。
「…………」
彼女のことが頭を過る。
ぺかー、という効果音が似合う、呆けたいつもの彼女ではなく、
薄暗い闇の向こうで、眦に涙すら湛えて、不安げに揺れながらこちらを覗いている、そんな彼女。
まるで臆病な猫のように、長い前髪の隙間からこちらをちらちらと伺っている、そんな彼女。
横たわって、真っ直ぐに手を伸ばして、
その手を取る。
すると彼女は、安心したみたいに、嬉しそうに、静やかに笑う。目をぎゅっと閉じて、こんな自分の体温を、何よりも大切なものであるかのように、抱き締めるみたいに。
鮮烈に刻まれた彼女の仕草が、消えない。
どんな水着を眺めても、なぜだか。
恵体な誰かのそれよりも、細くてすらりとした彼女の長身を思い浮かべてしまう。
「……ねーえ。マスターさん」
「なに、徐福ちゃん」
そんな少女こそ。
今この瞬間に後ろからひょこりと顔を出した、徐福ちゃんという名のプリティーガールなのであーる。
「自己肯定感が高いことで」
「なんで聞こえてんの」
「顔で分かるもん」
「なんだそれ。ずーるーい」
「どの口が言うんだ」
「このかわゆいお口でーす。べーだ」
実際のところ、彼が何を考えているかなんて一つも分からないから、私は心の中でモノローグを当てている。何せ、お人形遊びは得意だかんね。
全部、私の都合の良いような、三文芝居。
他の誰でもなく、私自身のことが気になって、気になって気になって気になって気になって気になってしょうがない、みたいな状態に。
マスターさんが、なってくれたら良いな。
なんて、私は結構切実に思ってる。そうであって欲しいな、なんて思う。そんな願望を込めて、妄想に耽っている。
「分厚いカタログだねえ。この中から水着選ぶの? 胸筋が人生三周分くらい足りてなくない?」
「なーんで俺が着る前提なの。違う違う。他の娘に選べって言われたから見繕ってるの」
「…………へー」
だーからおっぱいおっきい人用のばーっかり見てるんだぁ。えっちなんだぁ。死ねばいいのに。
「こーいうのが好きなの?」
「どういうの?」
「動くのに邪魔そうなばるんばるんなおっぱいのこと」
「貧乳の僻みが酷い」
「すれんだーぼでーだって言ってんでしょ」
……まあ、マスターさんが必死にまさぐってたのは彼の言う私の貧乳なのだけれど。
なんだかんだ男の子だよね、こういうとこ。
「失礼なこと考えてんじゃねえ」
「だーから、なんで分かるのー?」
「仕草に出てるんだってば」
彼はやはり一瞥もくれないで言う。
私には彼のことが分からないのに、その逆はそうでないらしくて、妙に腹が立つ。この腹立たしさは理解してくれない癖に、要らないことばっかり読み取ってくる。
「で」
「なにさ」
「一応釈明しとくと。俺の趣味じゃなくて、似合いそうなのを優先でピックアップしております。だから、サイズが合うのが優先なの。誤解無きように」
「……なら、良いけどさ」
良いも悪いも、本当は無いんだけどさ。
でもね。……わかっていても、言いたくなってしまう。口をついて出てしまう。
私の方をちらりとも見ない彼の横顔が、やっぱりなんだかとても腹立たしく思えて仕方ないのだ。
なんだよなんだよ。水着デートかよ。私とちょっとえっちなことした癖に、私以外の女の子の素肌に鼻の下伸ばしてデレデレするのかよ。こちとらちゅーだって済ませてんだぞ。舐めんな。
まあ。
……お互いに最近は、そーいったことが無かったことにしようとしてる節があるけど。
別に、無かったことにしたいとは、私は思ってないんだけど。
寧ろ調子に乗って彼氏面とかしてくれたら、「まーまー、しょーがねーなー。付き合ってやるかー」みたいな感じになれるんだけど。
どっちかっていうと、気まずくなって会いにきてくれなくなるとかだったら、逆にこっちも身の振り方が分かるってもんなんだけど。
実際はですね?
「徐福ちゃん、早く周回行くから準備して」
とか。
「徐福ちゃん、昼飯ー」
とか。
なんだお前。
私のことどう思ってんだ。
困るんだよね、そういうの。私がどうしていいか分かんない。
とか思いながら、……私もどこかほっとしている部分もあって。
まあ、だからマスターさんも気遣ってくれてるんだろうね。とも、思うし。
そーいう気遣いって、つまり、私のことをそれなりに大事に思ってくれてる証拠でもあるよなーって。
やっぱり、思うしさ。
でも、それはそれとして、寂しいなーって。
……うん。
「……マスターさん」
「何?」
今すぐにその背中に抱き着きたいのを堪える。
顎を掴んで、首を捻じ曲げたくなるのを抑える。
「もしも。もしも、だよ」
その必死な自制心は、身体の前で絡め合った指先になって現れる。
俯いて、もぞもぞと蠢く指を見つめる。
それから、なぜだか詰まる息を追い立てて追い立てて、言葉にして、紡ぐ。
「私が水着着たら、…………嬉しい?」
沈黙。
「別に、特段喜んだりはしないけど」
息を呑む音がした。
誰の喉がそれを鳴らしたのかは分からないまま、時間だけが過ぎる。
「でも、徐福ちゃんがどんな水着選ぶのか、は、楽しみかもね」
ページを捲る手が止まった。
少しだけ持ち上げた視線の先で、彼は初めてこっちを向いていた。
「徐福ちゃんなら、……何でも似合うよ。きっと」
一瞬だけ触れ合った視線。
彼は自然にするりとそれを逸らして、それから少しだけ照れたみたいに口を尖らせて、呟くみたいに言う。
「ふーん。そーなんだ」
「そうだね」
「見たいんだ」
「……そこまでは言ってない」
「思ってないの?」
「思ってるよ」
素直じゃないなー。しょうがないなー。
「口角上がってるよ」
「……そりゃそうでしょ?」
「……そうですか」
「……海、行く?」
「二人で?」
「二人、が、……良い?」
「……まあ、うん」
それだけで。そう思えただけで。
苦手な日差しの前に素肌を曝け出そうと覚悟を決めるには、十分だった。
▲▼▲
「うう……」
爽やかな青色にフリルが沢山着いた、何とも可愛らしい水着。
艱難辛苦を乗り越え、自分を信じて選んだそれを着てみたは良いものの、いざこうして鏡の前で見てみると、なんだか色々不安になる。
恥ずかしいという感想は特に無い。需要が無いだなんて信じない。ぺったんにはぺったんの戦い方があるのだから。今はそれよりも、こんなもので本当に良いのかなという思いが勝つ。
今更変えることもできないのに。ここで尻込みしていたって意味なんて無いのに。海に行く約束を今から取り消すなんてあり得ない。
何があったってどうせ彼の前でこの姿を見せて彼から評価されるという未来が覆されることなんて無いのに。
「うう……」
前髪を何度も弄る。少し前に綺麗な髪だと褒めてくれたのがんもう何よりも嬉しくて、陰気臭いし暑いなあなんて思いながらも変えることはできなくて、結局今日まで来てしまった。
どうしたら良いんだろう、私。
いや、何度も言っている通り、他に何かできることがあるのかと聞かれたら全然そんなことはないんだけど。
こうして着替えてしまった以上はね。
「可愛いと思うんだけど、な……」
こう見えても私って実は凄いのよね。三千人纏めて日本に行けるくらいには人望あるし。後世に(なんか性別違うけど)名前は残ってた訳だし。
その中の要因としては、技術もだけど、この可愛さが一端としてあると思っている。
だって可愛いでしょ、私。
ぐっ様は死ぬほど美人だけど。可愛いの方向性では競うことは無いし。ね?
こんなにものすっごい私がこんなことでぐだぐだと悩むなんて、ちゃんちゃらおかしい話。
そうだ。
そうに、決まっている。
よーし、だったら問題ない。行くぞ。今すぐに行くぞ。ちょっと胸元のリボンがズレてる気がするからこれだけ直してから行くぞ。
「徐福ちゃん、起きてる?」
「あう」
とかぐだぐだやってたら、扉が開いた。
すっとぼけた顔しやがった彼が、そこにいやがった。
「だ、黙って乙女の部屋に入るとか、倫理観とかどうなってんの? やーらしー。私がお着替えしてる最中だったらちぇーんそー案件だよ?」
「ご、ごめ、ごめん、まさかこんな早起きしてるとも思ってなくて」
やましいこともないのに、胸を両腕で隠す。
慌てた様子の私に、彼も同じく焦っている。それで、私は平静を取り戻す。
「ま、まあ良いけど? わざわざマスターさんのとこ行く手間が省けたってもんだぜぇ。お、起こしに来てくれるなんて見上げた奉仕精神じゃん?」
「一応俺がマスターなんだけど?」
「で、でも、もう少し遅い時間にしてよね。まだ七時だよ? こんな時間、普通だったら寝てるし?」
「でも起きてるってことは、楽しみだった?」
「別にー? 思い上がらないでよねー? ……それを言うならマスターさんの方こそ、じゃないの?」
「は? 思い上がるなよ」
「……違うの? 楽しみじゃなかった?」
「お前ふざけんなよ」
みっともないくらい早口だった。お互いに。
凄まじい勢いで波打つ心臓を右手で抑えながら、胸を張る。
「で。何の用? ほんとに起こしに来ただけ?」
「いや、遅いなーって思って」
「早くない?」
「……何か不手際でもあったのかと心配してやった訳ですよ」
一方、彼は彼でやれやれと肩を竦めた。
薄手のアロハシャツを着ているせいか、いつもの三倍鬱陶しい。同じくらい動揺してたくせに。というかどうせ今も私くらいはどきどきしてんだろどうせー。
「なーんだー? その言い草はぁ。上から目線だなぁ」
「どの口が」
私より少しだけ、ほんの少しだけ背の高い彼が、私を見下している。
で、私はというと──それに立ち向かうことを一瞬だけ躊躇して、さっと目を逸らす。
一旦勢いが無くなって冷静になると、たちまち、正面から、彼の顔が見られなくなってしまう。なんでだろう。いや、明白だけど。……いや、明白ではないんだけど。
「……マスターさんは水着らしからぬ水着ですね?」
「あんまり肌出したくないんだよね。日焼けとか嫌だから」
「女の子みたいなこと言うね」
「あと他の水着姿の野郎共見ると死にたくなるからね」
「円卓の騎士に筋肉量で勝ってる方が嫌だけどね?」
「にしても、聊か貧相過ぎやしないかなって思う」
「ガチムチ系のマスターさんが嫌すぎるし、良いと思うんだけどね。私はさ」
想像して、すぐに結論を出す。
うん。それは気持ち悪い。
ハグしにくいし。やめて欲しい。
「にしても、徐福ちゃんにしては珍しいね。インドア派なのに、海行きたいとか」
「良いだろー別に。大体、本番はぐっ様と行くときなんだかんね。今回はそのための予行演習って言っても過言じゃないんだから」
「…………あっそ」
「……拗ねてる?」
「別に?」
すっと、熱が引いて、なんだか肌寒い。
うん。なんだかな。
マスターさんは可愛いけど。
別に、そういう話はどうでもいいのよね、なんて。ふと、思ってしまう。
「ねえ」
「何?」
「何か、言うことない?」
……あーあ。言っちゃった。
そう自嘲的に思いながら、私は視線を足元から彼へ戻した。
彼は私の目の前で、何を思っているのか分からないなんとも微妙な表情を浮かべている。
「ねえ、マスターさん。……どう?」
臆病な俺の目の前で、彼女が言った。
彼女の瞳は、どこか不安げに揺れていて。
胸の前で結んだ掌も、何かを求めて震える唇も。彼女の何もかもは、今の自身の目には酷く鮮明に映る。
何を口走るか分かったものではない気がして、意味を伴わない吐息がただ漏れ出た。
「……なーいーのーかーよー」
「何を言って欲しいの?」
「マスターさんって、いっつもそうやって聞くけどさ。言わせたがるっていうか。まあ、私がだる絡みしすぎなのは分かるけど」
「……私が悪いんだけどさ、それでもね?」
「……そーいうことはさ、言わせないで欲しい、ん、ですけどぉ? 今くらいは、さーぁ?」
震える声で、唇を尖らせて、彼女は言う。
強がるみたいに。
けれど、いつも通りを繕ったハリボテは、途切れ途切れで、詰まり調子で、なんだか痛々しい。
「……ごめん」
「……あ、謝るなよー。……別に。思ってないことまで言わせたい訳じゃないですし?」
「可愛いよ。徐福ちゃん」
「ほんと?」
「とっても似合ってる。……可愛いよ。ほんとに。想像以上に可愛くて、ちょっと困惑してるくらい」
「聞こえなかったんでもっかい言って下さい」
「ハイ調子乗ったー。ハイ絶対言うと思ったー」
「んだよぉ。言えよぉ。照れてんだろー?」
「……うん。まあ、そう」
「……お、おう。す、素直じゃん?」
「悪かったなって、思ったから」
「なーにがだよぉ」
「お前も言わせようとしてんじゃねえか!!」
「いーえーよー。可愛いんだろー? 今までちゃんと褒めてなくてごめんって言えよー」
「まあ、言って減るものでも無いし、言うけど。可愛いと思うよ。普段とは全然違う感じだし」
「……そこまで言うなら、しょうがないなー?」
「何がよ」
「……ふへへ。嬉しい。うーれーしー。……えへへ」
「マスターさん?」
「……いや。なんでも」
「ふーん。少しぐらい照れてくれても良いのになー。つまんないなー」
「…………徐福ちゃんってもしかしてもの凄く馬鹿?」
「えっ、なんでっ!? 今罵倒されるタイミングじゃ無くない⁉」
「はいはい、ともかく、こっちも色々あるから、後でもう一回迎えに行くよ。準備の続きでもしてて」
「……なーんか、隠してる?」
「隠してない隠してない」
足音が響く。
くるりとアロハシャツの裾を翻して、静かに彼は帰ってゆく。
「んー。……ま、いっか。」
取り残された少女は、もう一度鏡の方を向く。
そこには、随分と気の抜けた顔をしている美少女がいる。
「かわいーか。当然だもんね」
「……ふーん。……ふーん?」
自分が嫌になる。
廊下を足早歩きながら、浮ついた水着を脱ぎ捨ててしまいたい衝動に襲われて自己嫌悪。
頬に手を当てて照れる彼女の姿が脳に焼き付いて離れない。
彼女の一挙手一投足。表情。全てがいやに鮮やかで、つい目で追ってしまって、つい思い出してしまって。
何度も。何度も。
「あー……」
「かわいい……」
立ち止まる。額を押さえる。
そのまま、静かに蹲る。
他に誰もいない廊下に、みっともない姿の影がぽつりと縮こまる。
「……徐福ちゃん」
潰れそうな胸に、爪を喰い込ませる。
罪悪感にまた違う色の罪悪感を塗り重ねて、にっちもさっちもいかない。
こういう時、徐福ちゃんなら──。
「酒に頼るんだろうな…………」
悪酔いして、くだを巻いて、猫みたいに擦り寄ってくるんだろうな、なんて。想像がつく。思い出す。こっちの気も知らないで、それで明日には忘れている。
彼女はずるい。
恨めしくなって、溜息を吐いて、重い身体を引き摺る様に、また歩き出す。
▲▼▲
一面、青と白が綺麗に別たれている。
海に砂浜。空に雲。
さざなみの音以外に何も無い、長閑で壮大で、煩悩が消えてゆくような気がする。
「きれーだねー」
「そうね」
「ぐっ様と来たかったなー」
「お前……」
そう思ってたのは自分だけだったらしい。
「……何して遊ぶ?」
「さぁ……」
「ええー。何も無いのかよーぅ」
「誘ったの徐福ちゃんの方だよね?」
「いやあ。夏だなーって思って」
「うん、夏だな」
「水着、着たいなーって」
「まあ、なるほど?」
「目的と手段が逆じゃない?」
「今更よねー。……ねー、何したい?」
「暑いし取り敢えず海浸かる?」
「うい。準備運動要る?」
「変なところで律儀なのなんなの……まあ、やっといて損無いか」
二人が潜ったシミュレーターは、二人以外に誰もいない上にゴミも無ければ景観を破壊するホテルも無い、そんな夢のビーチだった。
そんな空間で最初にやったことが隣の細っこい女の子にラジオ体操を教えること、というこの状況に、彼は何となくおかしさを覚える。
「え? まあ人がいないのは置いといて、海って基本こんくらい澄んでるもんじゃないの?」
「……時代が進むと、ね」
「うっそだぁ。自浄作用って知らないの?」
ジェネレーションギャップ。
閑話休題。
照りつける太陽が上半身を焦がして、
穏やかな波浪が下半身を撫でてゆく。
「揺らさないでくださいよ。落ちたくないからさーぁ」
「それはこっちも一緒なのよね。もうこれ運命共同体と変わんないから」
「えっ、な、……きゅ、急にそんなこと言う?」
「何を勘違いしてらっしゃる? 頬を染めるなちょっと待て意味が違う」
二人で膨らませた一つの大きな浮き輪に、二人で浮かんでいる。
向き合って真ん中の輪に足を入れて、尻と両腕だけで身体を支えているという形だ。
……つまり、片方が下手にバランスを崩すとたちまち転覆するのだった。
「……運命共同体かー」
「なんでそこだけ過剰に反応するのよ」
まるで大きなクラゲのように、波に乗って漂ってゆく。
風に乗って、のらりくらりと流されてゆく。
「うお、おさかなだ。びっくりした」
「相変わらず再現度が凄い。……カラフルでちっちゃくて可愛いね」
「……そうだ。マスターさんって、水族館ってところ、行ったことあります? いっぱいお魚がいるってとこ」
「勿論あるよ。興味ある? 意外だね」
「……へえ。行ったんですか」
「うん。遠足とか、家族とか。魚好き?」
「食べるのは好きだよ。観るのにはあんまり興味ないかなあ」
「……水族館は?」
「お魚には興味無いです」
「何を言っているのかな? なんでこの話振った?」
たまに足に触れる魚に歓声を上げてみたり。
「アレは……うん。お皿だね」
「それズルいでしょ。丸かったらなんでもお皿で通るじゃん」
「……アレは、カレー皿かな?」
「無敵か」
「カレー……美味しかったな」
「そらカレーはどこでも何でも美味いよ。俺の代わりに食べやがって」
「今度もっかい作ってもらお」
「好きね、カレー」
「あ、パスタ皿」
「……正直徐福ちゃんは全部の雲にぐっ様を見出すものだとばかり思っていたんだけど」
「え? そこまで頭がぐっ様に支配されてる人だと思われてた? ……いや実際そうだけど」
「全てに皿を見出してる以上疑いは晴れてないけども」
雲の形を何かに例えてみたり。
「……最近、どう?」
「どうって。何がよ」
「狙ってる女の子がいたりとか。逆に狙われてたりとか。色恋沙汰、何かないの?」
「うーん。そうだなー。…………マシュとか?」
「は?」
「ほらもうそういうことじゃん。馬鹿なの? 誰の名前出してもキレるか拗ねるかじゃん」
「…………別に?」
「無理あるって」
あとは、いつもしているみたいに、他愛もない話をしたり。
「……なーんか、いっつも部屋でごろごろしてるのとあんまり変わんないね、これ。良いの?」
「どーせぐっちゃんと行く時の予行演習なんでしょ。何やっても変わんないからこれで良いの」
「……ふーん。妬いてるんだぁ。私のぐっ様ビッグラブに張り合うの、普通に不毛だから辞めたほうが良いよ?」
「妬いてない」
「……マスターさんのことも、ちゃんと好きだよ?」
「知ってるよ」
「なんだそれ。調子乗んなー」
徐福は適当に掌で水面を掬って、ぺしんと投げつける。
「どっちだよ……煮えきらないなあ」
「誰がどの口で言ってんだよーう。思わせぶりはそっちもじゃんよー?」
「思わせぶりって何よ。俺何かした?」
一方のマスターも負けじと両手で海水を持ち上げて、徐福の頭からじゃばじゃばと注ぐ。
「うえ、しょっっぱ……そんなとこまで再現しなくても良いのに」
「気持ちはわかるけどさ。それじゃただのプールだしさ」
顔を互いにしかめてひとしきり言い合って、
同時に溜息を吐いて、
もう一度向き合う。
彼の灰色のかかった眼があんまりに透き通っていて、
彼女の隈のある橙色の瞳に溶けてゆくようで、
逃げるように、ただ俯く。
「……じゃなくてさー。自覚無いの?」
「自覚って言われても」
「今なら誰も聞いてないよー?」
「……まあ、正直悪いとは思ってるよ。でもしょうがないじゃん、俺もどうしていいか分かんないし」
「思ってんじゃん」
「まあね」
「悪い男だぜぇ」
「私のこと好き?」
「好きだよ」
「女の子としてー?」
「……どういう回答を求めてるの。……あーくそ」
「え。何。急に怖い」
「さっき言わせるなってご指摘を頂いた通りだよ。良くない癖だなって思ったから、やめる」
「へー。律儀だねー」
「……」
「そんな目で見られましても」
「いや、良いんだよ。徐福ちゃんのためじゃないし。俺が駄目だと思ったからやめるだけだし」
「そこは私のためで良いんじゃない?」
「いいとこどりばっかり狙いやがって……」
「そういえばさ」
「うん、どしたの」
「結局水着、選んであげたの? ほら、カタログとか見てたでしょ?」
「ん? ……ああ。まあね。あくまで一意見って感じだけど」
「喜んでた?」
「多少は喜んでくれたんじゃない?」
「へー」
「もうちょい興味持ちなよ」
「別に。どうでもいいですし」
「妬いてんの?」
「…………妬いてますけど?」
「自分で振っておいて?」
「もうちょい照れるなりなんなりしてくださいよー」
「ずっとそっちのペースだと思うなよ」
互いにだらりと寝そべって、じゃぷじゃぷと塩水をぶつけ合って、だらだらと駄弁る。
なんだかもう、太陽の熱で溶けているだけなのではないかとすら思えるくらいに脱力して、何も考えないままでいる。
「……やっぱり、インドア派は見栄張らずに部屋で大人しくしとくべきだったね」
「デジタルデトックスにはなってるし良いんじゃない? タブレット端末でひたすらレポート書いてる日々に比べたらさ」
「そーいうもん?」
「だと思うけどね。目の保養にはなってるし」
「……セクハラ?」
「ほら、魚がかわいいよ」
「徐福ちゃんも、可愛いですけどぅ?」
「欲しがりか」
「欲しがりだよ」
そんな具合で、
スローペースで進む時間と一緒に、浮き輪が流れてゆく。
▲▼▲
「……何か用?」
ぐっ様。
好き。
大好き。
美しくて凛々しくて。
ああ、言葉では語れないくらい好き。
だって、言葉で語ると陳腐になるでしょ?
ずっと憧れてた。
一目見て、それで旅立って。
それ以降会えなくても良いくらい。会わないまま、ぐっ様のために尽くしてたくらい。
崇拝していた。ずっと。ずっと。
まあぐっ様は私のことなんて全然何とも思っていないんだけどさ。
「そういうところが素敵」とも、あんまり思えないし。
構ってくれなくてもそりゃあぐっ様の魅力は変わんないけど。そこは別として、構ってくれるぐっ様と構ってくれないぐっ様じゃあどっちも好きですよっしゃー!!!
?
話がズレたな?
まあそれはそれとして。
私、好きな人に好かれたことない。
好きになった経験がまずもって全然ない。
そもそもぐっ様へのラブって、世間一般の好きじゃないだろうし。そのくらいは分かってるつもりだし。
「あー。……くそ」
「殺さなきゃ」
「殺さなきゃ」
「…………殺す」
「ぐっ様を、殺す」
「……蓬莱の国も結局無いんだし、ぐっ様を殺す方法も無いんじゃないのかなあ……」
「不老不死の薬作るより、不老不死を殺す方が大変なんだよなー。ほんとにさー」
「……上手くいかない、な」
「ん、今日の人形ねー。ありがとー」
「はー、どう殺すっかな。死の蒐集とか意気込んだけど、マンネリしてんだよねー。どうしたもんかなー」
「……よっし。生きたまま焼いてみようか?」
「いや、短絡的すぎるかも? 多分凄い匂いもするしなあ。どうしたもんかなー。どうしよっかなー」
「うーん。……ま、いっか。背に腹は代えられない。ぐっ様に代えられるものは尚更無い!!」
「燃やしといてー。記録しとくからさー」
ぐっ様と話した時間よりも。
ぐっ様のためにひたすら腐った目をしていた時間の方が、よっぽど。よっぽど、長かった。
そんな生涯。
……。
あのね。
そういう訳で、真っ当に愛されるような生き方はしてないから、しょうがないんだけどさ。
蛞蝓みたいにひきこもって、人殺して、呪って祟って、そんな私なんだけどさ。
だから、
……貴方とは、全然違うし。貴方はひょっとすると、私のやったことにドン引きかもだけど。
……それでも。
──。
「…………あ?」
じゅうじゅうと燃えている。
私の配下が三千人。次次に油を注いで火を焚べる。
その人影を知っている気がした。
私が触れて、私に触れて、私より少し大きいだけの、そんな身体。
「────あ」
呟くと同時に、いやに静かになった気がした。
じゃあ、今まで聞こえていたのは何?
炭化するはずのそれが未だに妙にぬるりと生暖くて、ようやく何故だか私はその手を取っていたことに気が付いた。
周りには誰もいなかった。音もなかった。
燃えているそれと。
燃やした私が。
そこに二人でいた。
鮮明に覚えている手の形。
頬擦りをして、指を絡めて、何度も私に触れていた掌だった。
否応無く気付いた刹那、それは灰になって崩れて行ってしまった。
跡形もなく。容赦なく。
まるで私の生涯みたいだ。なんて、みっともなく負け惜しみみたいに思って、なんだか悔しかった。
嘘だ。
ただ、私は。
「………………やだ」
自分自身が、それをしてしまえる人間である。
その事実に、吐き気を覚えるくらいに。
「やだ、やだ、……やだ」
身勝手と知っていながら、嗚咽を漏らしている。
▲▼▲
「……あー」
サーヴァントは夢を見ない。
ただの悪い妄想だ。私を照らす太陽が暑すぎて、そんなことをだらだらと思い浮かべていただけだ。
「……徐福ちゃん?」
「……おはよーございます」
「俺も今起きたとこ」
彼と手を握っていたから、そんな妄想をしていただけなのだ。
何も気にすることなんかないやい。
「……マスターさん、手なんか握っちゃって、どうしたんです? 寂しがりです?」
「いや、徐福ちゃんがなんか魘されてて。手握ってあげてたら、なんかそのまま寝てた」
「ふーん。マスターさんのせいってことでいい?」
「何が!?」
……魘されてたら、手握ってくれるんだ。
ふーん。
「というか二人とも寝ながら浮き輪の上で浮かんでたって凄くない? 体幹強いねえ」
彼は両足を対岸に預けて寝っ転がっていた。器用。
……んで。私は、ちょうど浮き輪の穴の真ん中で繋いだ手を適当に弄びながら、同じように空を見上げることにした。
作り物の空とはいえ、やっぱり広いものは広い。
「何考えてたの?」
「別にー?」
「……ふーん」
「マスターさんのこと、考えてたよ」
「そう」
「……信じてないな?」
「全然信じてないよ」
「ふとどきもの」
「何がよ」
いつも思うのは。
マスターさんって、やっぱり私の好意を軽く見てるなーってこと。
ジェネレーションギャップはいっぱい感じるし、そもそも私とマスターさんって結構感性に違いがあるなーって思ったりもするんだけど。
それでも。
本気で好きじゃない相手と、女の子はキスしないし、一緒に寝たりしないし、甘えたりしないと思う。
……マスターさんの時代だと、そうでも無いのかな?
分かんないけど、なんだか無性に腹が立って。
「……なんで睨むの」
「……なんでだろうね」
同時に、かわゆい水着で隠された、──が、ぞわりと疼く。
「マスターさん、動かないでね」
「どうしたの?」
どうしたもこうしたも無いですよ。
ちゅーしてやる。馬鹿め。
呆気に取られて存分に照れやがれ──。
「いや待って待って待って今動かないで!!!!」
──運命共同体。
一気に身体を起こして彼に迫ろうとした私がその言葉を思い出したのは、浮き輪からマスターさんがひっくり返った瞬間だった。
「マスターさーーーん!!!?」
どっぱーん! と、馬鹿みたいな水柱が立った。
「わ、わ、わ、やらかしたぁ!!」
理性が一瞬の性欲に負けやがった。
馬鹿すぎる。我ながら。
「わ、私泳げないんですけど、っ!?」
浮き輪の淵を掴んで、叫んで。
──悪い夢がフラッシュバックする。
「うおりゃー!!!!」
え。
泳げないって言ったじゃん。
気の抜けた自分の叫び声を聞いて、とても冷静に突っ込む私がいた。
んで。
本日2度目のスローモーションを経て、水面に突っ込む私が、私の全身だった。
▲▼▲
浮き輪に何とか這い上がった瞬間、何故だか隣で水飛沫が上がる。
「…………はい?」
身体にひっつくアロハシャツに辟易としながら、海水が入ったせいで激痛が止まらない目を擦りながら、そっと覗き込む。
「……何やってんの」
必死に手足をばたばたとせわしなく動かして、もう本当に笑ってしまうくらいに溺れている徐福がそこにいる。
身体はこっちを向いているが、焦点が合っていない。助けを呼ぶこともできないのだろう。
さて。
正面から助けに行くと、抱き着かれて諸共溺れ死ぬ。
鉄板だ。
「待っててね」
どうせ聞こえていないだろうけれど一応言っておいて、彼女の背後に浮き輪ごとバタ足で滑ってゆく。
するりと潜る。
後ろから浮上。広がった両腕を後ろから羽交い絞めにして、動きを封殺する。
「がっ!!!! がっががが!!!!」
「壊れた機械か」
「ばばば!!!」
「落ち着いて、徐福ちゃん」
「はっ、はっ、はっ!!! ……ま、マスターさん……」
「大丈夫?」
「生きてる……」
「サーヴァントがそう簡単に死ぬと思うなよ」
「……距離、近くない? お互い水着だし。殆ど裸で抱き合ってるのと変わんないよね、これ」
「言ってる場合か。というか抱き合っては無いでしょ」
「……抱かれてる?」
「正しいけどその他全てが間違ってるよ」
照れ隠しのつもりか、いつもよりカラカラと饒舌が空回りしていた。
冷たい彼女の肌の感触から必死に意識を逸しながら、少しずつ浮き輪へと近付いてゆく。
「……というか、流され過ぎじゃない?」
「気付かなかったね。足先くらいは海底に付くくらいだと思ってたんだけど」
「これからどう戻る? バタ足?」
「それ以外なくない?」
「うええ……」
彼女は身体を預けてはいるが、やはりまだ照れ臭い様子で、頑なにこっちを向かない。
「……徐福ちゃん?」
「見ないで」
じゃぶじゃぶと足で水を蹴りながら、徐福の胴体に両腕を回して、首元に限りなく顔を近付けているものだから、なんだか変な気を起こしそうで嫌になる。彼女もそれを察してか、やはり遠くを眺めていて、こっちを見てもくれない。
「なんで飛び込んだの」
「……ごめん」
「怒ってはないよ。いや、反省はして欲しいけど。自分から飛び込んだよね?」
「……私がね、マスターさんのこと、助けたかったの」
「いやいや、泳げないのに無理しなさんなよ。俺全然泳げるし」
浮き輪に追い付いて、掴んだ。
びくりと大きく、彼女の肩が震えた。
「徐福ちゃん、大丈夫? 寒い?」
「……違う」
顔を背けていた彼女がようやく浮き輪に縋る。
それでも背中はこちらに押し付けたままで、
──潤んだ瞳で、ちらりと覗き込む。
「……助けてあげたかったよぉ」
「……半べそじゃねえか」
「泣いてないもん……」
顔を見せない筈だ、と、そこで初めて理解する。
彼女は何故だか、目を真っ赤にして、洟を鳴らして、ぐずぐずとぐずっていたのだ。
「……大丈夫だよ。もう溺れないから」
「そういう問題じゃない」
「別に俺は怒ってないよ?」
「気にしてない」
「しろや」
拗ねたみたいに目を細めて、それでも離れようとはしない。何が気に食わないのか分からないし、教えてもくれない。情緒が読めない。
「……気持ちだけで嬉しいよ。ありがとう、徐福ちゃん」
それでも、
呆れてしまっても、
そんな不器用さが、そんな彼女が、愛おしいと思う。
そう思ってしまった時点で、負けている。
「……ごめん」
「怒ってないって」
「ほんと?」
「ほんとほんと」
彼女は、不貞腐れた子供みたいに、何故だか開き直って詰め寄ってくる。
「……じゃあ、ちゅーして」
彼女は、まるで恋人が仲直りを求めるみたいに、少しだけ俯いて、頬を染めて、そう言った。
「……徐福ちゃんって愛情の強盗だったりする?」
「それでも良いからちゅーして」
「……浜辺まで戻れたら良いよ」
「言ったからね」
傍若無人。情緒不安定。妙に強気。
全部が噛み合って、徐福という女の子が存在しているのだなあ、と、溜息を吐きながら実感させられる。
……こうやって周りの人間が甘やかしているのが、一番悪いのかもしれない。
その後、浜まで無言で浮き輪にぶら下がりながらバタ足を続ける徐福ちゃんは、本当に一言足りとも喋らなかった。
むくれたまま、延々と脚を動かし続けるその姿は、幼児がお風呂場に浮かべるアヒルのゼンマイ式のおもちゃに似ていた。気がした。
▲▼▲
「へえ。……それで二人とも筋肉痛で動けないと」
「はい、そうです」
「ぐっ様ぁ……醜態晒してすみません……」
「というか、日焼け凄いわね。痛くないの?」
「割と痛いです」
「私もですぅ……」
「……なんで一緒のベッドで寝てるの、お前ら」
「最近はよく一緒に寝てます」
「マスターさんが私と一緒じゃないと寝れないって」
「徐福ちゃんが俺と一緒にいたいって」
「……あっそう。元気そうだからもう私行くわ。食堂、行けるようになったら早く行きなさいよ」
「ああ……ぐっ様ぁ……」
「お見舞いありがとうございます」
「そういえば、お前ら結局キスしたの?」
「…………」
「してないです」
「したじゃん!!」
「してないです!!!」
「あっそ」
▲▼▲
「……動ける?」
「ちょっとだけ」
夕日が差していた。
海が紅く染まって、これもまた綺麗だった。それとは真逆に、寝転がった全身に付着した砂利が気持ち悪い。
「……よく頑張ったよね。私たち。インドア派なのに」
「ほんとね。……よく考えたら昼ご飯も食べてないし」
「お魚食べる?」
「多分何の足しにもならない……」
起き上がる。
打ち寄せる波でちゃぱちゃぱと手を洗って、綺麗になった手を差し出す。
返ってくる反動。持ち上がる体重。
「よい……しょっと」
「お疲れ」
「うええ、じゃりじゃりする……塩水でべたべただし、満身創痍だし。海って帰りは基本地獄よね」
「……貴方日本から帰らなかったじゃんって言ったら、怒る?」
「耳が痛い…………」
立ち上がって歩き出すくらいの体力は残っていた。
けれど、それはしなかった。
「……水平線が壮観だねえ。きれー」
「そうだね」
ずるり、と、彼女が寄ってくる。薄い身体で、砂利と海水に塗れた肌で、しなだれかかる。
静かに揺れる心音。
呼気。
紅を映して、揺れる瞳。
「……徐福ちゃん」
「何?」
「助けようとしてくれて、ありがとね」
「もう聞きましたけど」
「言いたかったんだよ。良いでしょ」
「……うん」
見た目だけはミステリアスな少女が、素直にこくんと頷いた。その仕草が、何とも可愛らしい。
「なんだかんだ、良い思い出になったんじゃない?」
そして。夕日を背景に、彼女は続ける。
「楽しかった、よね?」
「そりゃあね」
「私も。マスターさんと一緒にいられたら、どこでも楽しいがいっぱいだね」
「……あざといわー」
「可愛いって言えよー」
空はますます煌々と染まる。
その裏から影が来る。
狭間の時間。黒と橙が溶け合って、逆光に照らされる。徐福は静かに笑う。
彼女の華奢な手を取る。指を絡めて、繋ぎ合う。
「ねえ、マスターさん」
「何?」
「待ってるよ?」
「知ってる」
「目、瞑って」
「……うん」
そっと、身体を委ねてみる。
暗くなった視界の中で、焼け付いた光だけがじんじんと広がってゆく。耳を波の音が攫う。繋いだ手が温かい。濡れた布同士が触れ合って、ぴちゃりと居心地が悪い。その奥で、布一つを隔てた先で、とくんとくんと、心音が、聞こえる。
背中に、掌が回された。
私は、ただ待っている。
落ちてくるのを。
「…………」
火照った頬があまりに暑くて、蒸発しそうだと、ぼうっとぼやけた頭で思う。
あまりにそれは長くて、次に目を開けたときには、既に太陽を模した光は水平線に沈み始めていた。
ずっと浸っていたのかと思うと、舌を噛み切りたい気持ちになってしまう。
「カップルみたい、だね」
「……そう?」
「……違う?」
彼女の表情は見えなかった。
恥ずかしくて、苦々しくて、暗くて。
「……マスターさん」
「何?」
「……ううん。なんでも」
指は解かずにいた。
まだ、未練がましく。
触れ合っていたかった。
噛み締めたままでいた。
想いが纏まらないで、漠然と、惨いくらいに幸せだった。
今回えっち成分控え目です。トップギアに入る準備だと思ってください。
徐福ちゃんとのこういう絡みが見たいとか、シチュエーションが見たいとか、そういうのも是非コメントしてください。
感想、評価してくださると幸いです。