徐福ちゃんはそーゆー目で見られたい   作:人格分裂

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酔った徐福ちゃんが面倒可愛い話

 夜。

 大して更けてもいない。ただ、眠るにもまだ早い。

 そんな中、彼──即ち人類最後のマスターは、自室で一人、彼女を待っていた。

 自分から会いに行くのには抵抗があるくせに、それでも心は会いたくて寂しくて泣いている。その女々しい啜り泣きで、ぎゅうと心臓が縮こまっている。苦しくて、どうにも落ち着かない。

 

 何をするにも手につかない。

 頭の片隅に、いつも、一人の少女がいる。

 ダウナーで、細くて、甘くて。

 チョコレートみたいに滑らかで冷たい彼女。

 遠くにいると何とも無いのに、傍に寄ると途端に噎せるほどの甘ったるい香りを醸し出して、不思議に妖しく魅力的に思える。

 近いようで遠いようで、そう思っていると気付けば肌と肌の触れ合う場所にいる。

 甘えるみたいに、しおらしく、しなだれかかって。

 可愛らしく染めた頬で、不安気に覗き込んでくる。小さな声で名前を呼んで、小さな唇をそっと寄せる。

 

 微かな、柔らかな。

 そんな手応えを、いつも掌で転がして、愛おしい。

 

「後輩」

「なんでしょうぐっちゃんパイセン」

「その呼び方やめろ」

 そんな不可避の感傷に浸っていると、いきなり入口の扉が開いて、一人の女性が無遠慮で気怠げな声をこちらに投げ掛けてきた。

 低い声。友好的なニュアンスを意図的に排除しているその響きが、無機質に反響する。

「わざわざこっちに来るなんて珍しいですね。お茶でも出しましょうか」

「いや、すぐに終わるわ。……お前とは、……いや。これはやめておくわ」

「……はあ」

「どうでも良いわ。忘れなさい」

 虞美人。現代のモデルも裸足で逃げ出す抜群のプロポーションとアンニュイで辛口な冷たい美貌を兼ね備えた、中国史に残る麗人。その血の紅を取って、その名が花の名の由来になるほどに、その存在は美しい。

 彼女は宣言通り、刃物のように鋭利な視線を、斜め下に向けて投げ続けている。彼の方をちらりとも見ないで、肩に乗った黒い髪の先を指で弄り続けながら、不機嫌を隠そうともしない溜息を吐く。

「……続けていいかしら」

「もうちょっと心の準備をする時間を貰って構いませんかね」

「続けていいかしら」

「どうぞ」

「徐福、何とかして」

「……了解です」

 どう感じれば良いのか。どのように心を置くべきか。言葉の内容よりも寧ろその点に当惑しながら、彼は立ち上がる。それを見て取って、入口を占拠していた彼女もまた、振り返って歩き出した。

 

「飲みに誘われたのよ」

 三歩先を悠然と歩きながら、彼女は唐突に切り出した。

「はい」

「アイツには珍しく、項羽様と私の話が聞きたいと言うものだから」

 その三人称が示すのは、言わずもがな、虞美人の信奉者である一人の少女。──にして、現在進行系で彼の脳を支配している美少女。徐福ちゃんのことである。

「ほんとに珍しいですね?」

 鸚鵡返しになるのも当然だった。彼には、徐福が自ら頼んで虞美人から彼女の伴侶について話を聞こうとする姿の想像がつかない。

「そうね」

 それは虞美人にとっても同じらしい。

 いやきっと、徐福の彼女に対する入れ込みようを知っている者なら、誰だってそう感じる筈だ。

 誰だって、自身が愛している人間が自分以外へ向ける好意を面白くは思わないだろう。大なり小なり、苦い感触を覚えるものだ。そして、そこに介在する想いが大きい程、それはより大きくなる。

 徐福が虞美人に心酔しているのとは、また違うにしても。それと同じか、それ以上に。

 虞美人は、自身の伴侶を、──項羽を愛している。

「だから遠慮なく語り続けていたら、途中から馬鹿みたいに呑むペースが早くなって」

「……はい」

「どんどん機嫌が悪くなって」

「……でしょうね」

「ええ。で、今はもう完全にできあがって、泣き上戸に絡み酒に、なんかもう情緒不安定の極致になったものだから」

「…………でしょうね」

「ええ」

 こっちは容易に想像がついた。

 そもそも酒癖がそんなに良いものとも言えないのに、そこに愛するぐっ様が加わればそれはもうとんでもないことになるのは自明だった。

「正直面白いし暫く放っておいても良かったのだけれど」

「なんてこと言うんだ」

「そしたら蘭陵王に絡み始めてこれはマズイと思ったのよね」

「実際に放っておいたんかい」

 狭い廊下。既に暗いその場所で、しかしまだまばらに残る人影をすり抜けて歩いてゆく。

 足音が反響する。二人の声は、その他の喧騒に紛れて、目立たないものになってゆく。

「……で、事後処理を俺に丸投げと」

「何よその言い方。……まあ、行ったら分かるわよ」

 彼女は相変わらず平坦なトーンでそう言って、そこで立ち止まった。

「ここよ」

「……でしょうね」

 扉があった。

 ……部屋の中から、聞き馴染みのある声が漏れ出ていた。彼女のイントネーションは基本的に特徴的で、誰が喋っているのか、すぐにわかってしまう。

「……!! …………!!」

 何を言っているかまでは聞き取れないが、少なくとも相当な大立ち回りをしていることは分かる。

「……気が重いんですけど」

「好きな女のためでしょ。とっとと黙って黙らせなさい」

「……別に好きではないんですが」

「徐福もそれ言うんだけど、最近流行ってるの?」

「何が」

「……なんでもないわ」

 

 ▲▼▲

 

 シックな雰囲気の、黒い壁。

 艶やかな紫煙が薄っすらとその空間を支配して、空気感を作り出している。

 高貴で、危険で、妖艶で、香しい。

「……」

「おやマスター。今晩は」

「俺こんなとこ知らないんですけど」

「当たり前でしょ。お前酒飲めないじゃない」

 奥から出迎えたのは、眩しいほどの美貌を備えたセイバー、蘭陵王。普段装着している仮面を外して、存分にその相貌を露わにしている。椅子が八つ立ち並んだカウンター。ゆるりと彼が構えているのは、そのカウンターの奥だった。

 そして、その次に目を引くのが、彼の格好。

 黒いタキシードに身を包み、美しい銀髪を結っている。尊顔を際立たせるその姿に加えて、細くて華奢な手には、銀色の筒が握られている。

「蘭蘭、バーテンダーやってるんだ。知らなかった」

 その景色から総合して、読み取れた情報を口にする。

「まだまだ勉強中の身です」

 畏まったように、蘭陵王は一礼を返した。

 優雅で、気品のある仕草だった。

「似合うねえ。うっとりするくらい格好良いよ」

「お褒めに預かり光栄です。本来は、マスターが成人なさってから披露するつもりだったのですが」

「気が長いというか何というか。蘭蘭らしいね」

「そうでしょうか。……ほら、徐福殿」

「……はれ?」

「うわあ気付かなかった」

 それで。

 問題の徐福は──彼の足元に転がっていた。

「あ。ますたーさんらあ」

 呂律の回っていない声で、半分しか開いていない目で、彼女は見上げながら立ち上がる。

「会いに来てくれたの?」

「……うん。まあ、そう」

「ええー? 私のこと、好きすぎか〜?」

 彼女はそう言って、首を傾げて、微笑んだ。

 心底、嬉しそうに。

「主?」

「……いや。……うん」

「分かってないなあ。わたしがあんまり可愛いから、照れてるんだよね? ね?」

「…………」

 

「……思ったよりまともじゃないですか?」

「いや、さっきまでは私と取っ組み合いだったのですが」

「らって蘭陵王が!!!!」

「あー駄目だこれ」

 取り敢えず座ることにした。

 それを見届けた刹那、彼の右隣にぐでんと徐福が座って、肩にもたれかかる。

「ますたーさーん、みんな私の敵なんだよー。ますたーさんは、私の味方だよね?」

「いや話聞いてみないと分かんないけど」 

 続けて、彼の左隣に恭しく蘭陵王が腰掛けると、そっと彼の左手を取りながら覗き込んでくる。

「我が主。ノンアルコールなら飲めますでしょうか」

「勿論、飲めるよ」

「では、貴方にお作りしても宜しいか」

「それも勿論。おすすめに任せるよ」

「良いのですか?」

「蘭蘭が振る舞ってくれるものにケチなんかつけないよ」

「……はい。奮って、マスターに相応しいものを提供させて頂きます」

「んだよー良い子ぶってんなよー」

「モテるわね、お前。何処が良いんだか」

 そして、正面のカウンターに虞美人が座って、しゅぱんと煙草に火を付けた。

「それぐっちゃんパイセンが言います? この場の全員に慕われてる人が」

「その呼び方やめろ。あと人じゃない」

「……俺にだけ冷たい」

「うるさいわね」

 

 ▲▼▲

 

 話をまとめると、こうだった。

 項羽様との惚気話を延々と聞かされた徐福は、最初に「多分、ちゃんと相槌は打てなくなると思うんですが……それでも聞かせて欲しくて……」と断っていた通り、どんどんと「あ……」「う……」と呻き声を漏らし続けながらぱかぱかと空のグラスを量産。

 

 その内に、マスターとの話になったと。

「最近アレと妙に仲良いわよね。どこまで行ったのよ」

「…………それ聞きます? ……キスは、しましたけど」

「結局したんかい。にしては煮え切らない感じだけど。アレもなんか無駄に隠そうとしてるし」

「……どっちも、どうして良いか分からなくて……」

「好きなの? アレのこと」

「なんでマスターさんのこと『アレ』って呼ぶんです?」

「いや。どうでもいいでしょ。それより結局、好きなの?」

「……嫌いじゃ、無いですけど」

「そう。そこまでなのね。じゃあやめときなさい」

「…………」

「性行為もまだなんでしょう?」

「そーなんですよ!!!」

「何、急に」

「あんなにえっちな雰囲気になっても手出してこないんですよ!!!」

「どんなによ」

 そして少ししたくらいで、

「私のこと抱いてくれないのはマスターさんが男の方が好きだからなんだ」

「らんりょーおーが誘惑して私からマスターさんを取り上げる気なんだ」

 と、逆上。

「私のマスターさんを返せ」

 だのなんだのと因縁をつけて、掴みかかり取っ組み合いをしていたのが、二人が扉の前に立っていたときに聞こえてきた音。

 で、それまでは静かに宥めていた蘭陵王も、マスターが入ってきたことを察知し、乱れた姿を見られる訳にもいかず、申し訳無さを感じながらも泣く泣く瞬時に足払いをかけて転ばせたと。

 

 そういうことらしい。

 

「…………」

 

「全部徐福ちゃんが悪くない?」

「悪くない」

「全部全部徐福ちゃんの我儘のせいだよね?」

「違うもん」

「シャーリーテンプルです。どうかご堪能あれ、我が主」

「ありがとう、蘭蘭」

「それ!!!!!」

「急に何」

「蘭蘭ってなにさ!!」

「私のことです」

 徐福は腕に絡みつきながら、更に空のグラスを量産し続け、くだを巻いていた。

 酒癖が悪いのと酒が弱いのは両立しない。

「いつからかは定かではありませんが、マスターは私のことを蘭蘭と呼んでくださるのです」

「可愛いでしょ」

「……はい」

「頬を染めるなー!!!!」

 両手に花とは言え、片方がうるさい。

 必死に右腕に絡みついて離さない。

 蛸に見える。

「俺が蘭蘭に誘惑されてるとか言ってたのはそういう話?」

「そーだよ! 距離感おかしいし、イチャイチャばっかりしてさーあ!」

「徐福殿が言えたことではないと思うのですが……」

 困ったように返す蘭陵王だったが、彼も彼でピンク色の液体を堪能しているマスターの左肩にそっと手を添えている。

 徐福はそれが気に食わない。

 言葉や態度には非の打ち所のない謙虚さが表れている癖に、何故だか喉に骨を引っ掛けるような微妙な図々しさがあるというか。

「は? 負けませんが?」みたいな部分がちょっとだけ見えるのが妙に腹立たしいというか。

「らしいよ」

「……ねーえ。ますたーさんってなんでそんなに私の心読むの得意なの? エスパーなの?」

「顔見たら分かるよ」

「私には分かりませんが……あの、忘れているかも知れませんが、私も一応主君に仕える元将軍なのですよ。負けず嫌いな性質なのはご容赦頂きたいのですが」

「……何。私より蘭陵王の方が、ますたーさんのこと好きって言いたいわけ?」

「マスターの好きな桃のカクテルです。ここに来られる方は基本的に同郷の方々なので、桃が人気なのです」

「そうなの。……ふーやーちゃん来るかな」

「他の女の名前出さないで」

「徐福ちゃんは俺の何」

「というかさらっと無視したわね」

「そーだよ。無視するなよー」

 会話の間も、次から次へ、どんどんとグラスが出ていっては役目を終えてゆくのだから恐ろしい。

 徐福はどんどんと悪酔いを重ねている。元々右腕を機能不全に陥らせていた彼女の身体は、今や腕と一体化しているのではないかと錯覚するほどに与える重力を増していて、そろそろ限界だった。ちなみに非常にどうでも良いことではあるが、胸の控えめな柔らかさをぐいぐいと押し付けられて、下腹部も一緒に限界を迎えかけている。

 一方の蘭陵王も、涼しい顔でしれっとグラスを一杯傾けるごとにじりりとマスターとの距離を詰める、という何とも可愛らしいアプローチを続けていたのだが、彼も彼で呑むペースがそれはそれは尋常ではないほどに早く、もうなんだか一杯ずつというよりノンストップでスライドしているみたいな様相を呈している。結果、彼もマスターと、既に1ミリの隙間も存在しないくらいに密着していた。短い袖から露出した白くて柔らかな二の腕がもっちりとこれまた押し付けられていて妙に艶めかしい。平然とした貌で呑んでいた彼も後からアルコールが回ってきたのか、伝わってくる体温で絶妙にぬくい。これはこれでまた下腹部に悪い。

 虞美人だけが平静を保っている。ただ、別に助けてくれるわけでも無いどころか、そもそも煽り性なのも相まって、結局マスターに味方はいないようである。

「徐福殿には悪いですが──敢えて言いましょう。その通りです」

 蘭陵王は相変わらずの美貌の中にどこか子供っぽい一面を加えて、身を乗り出した。ちょっとムキになっているのは、恐らく酔っているせいだ。頰が赤い。

「んだとー?」

「ええ。この蘭陵王、マスターへの忠義に関しては誰にも劣ることは無いと自負しております」

「ふーん? 宣戦布告ってこと? 私に勝てるとか本気で思ってるわけー?」

 そして当然のように徐福が乗っかる。同じように身が乗り出されて、ぎしりとまた骨が軋む。胸がむにゅりと押し付けられる。

「う……忠義って意味で徐福ちゃんが蘭蘭に勝てるわけないでしょ」

「え、ますたーさんここで私の敵に回るの?」

「徐福ちゃんが良い悪いの問題は一旦置いておくとして、忠誠心とか義理堅さみたいなものを感じたことは一度も無いからね?」

「その点、私はマスターのためなら命も惜しくはありません」

 蘭陵王がすかさず口を挟む。

 今まで見たことが無いほどに冷静さを失っている。

「マスターのためなら率先して死ねます。寧ろ殺してください、我が主!!!」

「待って蘭蘭、意味分かんなくなってる」

「わ、私だってぐっ様のためなら死ねるんだかんね?」

「私も虞美人様のために一度死んだ身ですが」

「話がどんどん脱線してるわよ」

「俺への忠義イズ何処?」

 呆れたような声が二つ挟まり、ぐだぐだに飛んでゆく、口喧嘩。

「でもー? らんりょーおーはー?」

「なんでしょう」

 その中でも、徐福はいやに不敵に微笑む。

 意地悪く。妖艶に。

 強引に手を握り、マスターの肩に顎を載せて、頬と頬を触れ合わせながら。

「ますたーさんとちゅーしたことないもんね?」

 

「お前さあそれさあどんだけ言うのよねえ!!! 一生擦り倒す気なの!!!?」

「何度も聞かされてると腹立つわね。それはそれとしてしたんだったら擦り倒される覚悟はしなさいよ」

「マスター!? 徐福殿の与太話ではなく、まさか本当に!!!?」

「そんなに驚く?」

「えー、信じてなかったの? 私とますたーさんの蜜月すごいんだかんねー?」

「……具体的には」

「蘭蘭、深掘りやめよっか。徐福ちゃん、一回黙れや」

「うるさい口だなーってこと?」

「キスしないよ?」

「したいよ?」

「……そう」

 話を聞かない徐福ちゃんがそっと目を閉じて何かを期待しているらしかったので、華麗に無視を決め込むことにした。

「……我が主」

 で。

 気まずい視線を何処へ逃がそうかと考えて、きょろきょろと宙を彷徨っていた彼の目を、真っ直ぐに見つめ返し。

 グラスを置いた左手を、情熱的に両手で握り。

「この蘭陵王、貴方と口づけできます。いえ、させて欲しく思います」

 言った。

 顔を至近距離まで持っていっている。心做しか、その美貌を振り撒いて落とそうとしているように見える。

 呪われた顔を、今は必死に活用している。ように、見える。

「……ねーえ、こんなこと言ってるけど。ますたーさんはしないよね? ますたーさんはちゅーを安売りしないもんね。だから私に今してくれなかったんだもんね? 誰も見てないとこで私だけとちゅーしたいんだよね?」

 そんな蘭陵王に底意地の悪い笑みをにやにやと浮かべて、媚びるような甘い声で、可愛い可愛い徐福が囁く。

 ギリィ!!!! と、奥歯が弾けるような音が鳴った。

 一瞬だけ、マスターの右腕が動きかけて、止まる。

「蘭蘭」

「は、はい」

 ──その葛藤を全て乗り越えて、彼は左を向いた。

 とても爽やかな笑顔だった。

「キスしよ」

「ばーーーーーーーーーかーーーーーーーーーやーーーーろーーーーー!!!!!!!!」

「ねえ、ずっと何見せられてんの?」

 背中を涙目でボカボカと殴られながら、彼は笑っていた。

 煩悩を前面に背負ったカルマの表情だった。

 

 ▲▼▲

 

「……ねーえ、男の人が好きなの? 女の子じゃ勃たないの? 私とは遊びだったの? 愛してるって言ったのに。……ねえねえ、そんなことないよね? ますたーさん、ねえねえ」

「徐福ちゃんは俺の何」

「愛してるって言ってくれないの?」

「…………二度と徐福ちゃんに酒を与えないでください。俺との約束です」

 胸に顔を埋めて、正面から抱き締めて、徐福は半泣きだった。

 最近よく泣いている様を見るなあと、少しだけ感慨深さを覚える。気がする。

「じょ、徐福殿が煽るからこうなるのです。引き際を弁えないとこうなると、理解するべきです」

「……貴方も引き際を見誤ってない?」

「俺もそう思うんですがまあ良いとしましょう」

「好きにしたら? 私はもう知らないし」

 べりべりと徐福を引き剥がし、座らせる。

 立ち上がる。

 目の前の美男子も立ち上がって、一歩こちらへ歩み寄る。鼻が触れ合うほどの距離。

「……マスター」

「ほらー早くしろよー」

「……気が散りますね」

「重く捉え過ぎじゃない?」

「いえ、そんな……」

 

「……本当に、嫌では無いのですか?」

「うん。……蘭蘭は?」

「嫌だなんて、あり得ません。……私、は」

「……腹立つんですけど」

「徐福殿、今いいところなので」

「で、蘭陵王が一番楽しんでるのは何なの?」

 細い腰を抱き寄せた。

 ふわりと爽やかな香りが鼻腔をくすぐる。自身より背の高いはずの彼が、今だけは自分よりも小さく、可愛らしく見えた。普段の刃のような頼れる心強さを収めて、ただ気弱にこちらを見ている。

 水晶のような瞳だった。歯噛みして、切なげに期待を込めた眼差しが、全身を貫く灼熱をもたらした。

「…………」

 こちらを向いている視線から、そっと背を向ける。

 彼に向き合う。両目の視界がすべて、眩い銀光に支配されて、綺麗だった。

「……蘭蘭」

「はい」

 綺麗で細い髪にそっと指先を差し込む。

 逃げられないようにする。

「…………お慕い申し上げます。我が主よ」

「俺も、ずっと信じてる」

 

 下賤な、火花のような音が鳴る。

 皮の下に隠された、震える果肉。

 柑橘を想起させる、透き通ってゆく涼やかな香り。

 彼の唇が返す瑞々しく生々しい吐息を噛み殺して、永遠にも思える刹那の湿り気が離れてゆく。

 

「…………面映ゆいですね」

「そうだね……」

 

 ▲▼▲

 

「…………うう」

「珍しく効いてるじゃない」

「今日はメンタルがボロボロです……なんでぐっ様と項羽様のイチャイチャもますたーさんとらんりょーおーの誰得キッスも見せつけられないといけないんですか……」

「……そんなにアレがいいの?」

「はい……」

 

「じゃあ、これ使いなさい」

「なんですかこれ?」

「スピリタス」

「おおう……」

 

「…………アルコール中毒とか、大丈夫でしょうか」

「大丈夫よ、死にはしないわ」

「ぐ、ぐっ様はそうでしょうけど……」

「……じゃあ普通に適当なウイスキーで良いか」

「それで良いです……」

 

「え、で、結局そういうことですか?」

「そうよ」

「……良いんでしょうか」

「私が許すわ。かましなさい」

 

「かましなさい」

「ひゃ、ひゃい……い、行きます……!!!」

 

 ▲▼▲

 

 いちゃいちゃ。

 いちゃいちゃ。

 酔いが良い具合に回って、蘭陵王のスキンシップが尚更激しくなってきた。

 普通に頬とかにキスしてるし。

 ずっと腰に手回してるし。

 んでますたーさんも全然満更じゃなさそう。どころか嬉しそう。酔ってんの?

 

 ……今までの冗談とは違って、今の徐福ちゃんは本気で妬いている。

 別に今までも冗談じゃなかったけど。

 

 …………。

 でも。

 同時に。

 

「あ、あの顔はしないんだ」

 

 って、ちょっと思う。

 それだけが、少し嬉しい。

 

 蘭陵王の目の前の彼は、優しくて、かっこよくて。

 美貌で知られる英霊と大差ないくらいの王子様みたいな余裕があって。

 

 私とちゅーするときの、

 余裕が無くなって、本当に照れたみたいになって。

 それでも覚悟を決めて。

 私にそっと近付いて来てくれる、その時の貴方の表情が、いじらしくて、可愛らしくて、……大好きなのだけれど。

 それとは全然違う。

 私の知ってるますたーさんは、こんなにかっこよくはない。

 

 なんだか、安心した。

 

 私のますたーさんは、私だけのものなんだって。

 そう思うと──うん。

 悪い気はしないのよね。

 

「それはそれとして、これ以上いちゃつくなー!!!!」

 

 そういうわけで横っ腹にタックルをしかけ、狭い壁に彼の身体を押し付けた。力が弱いとかそれ以前にサーヴァントだからね。

 

「痛い!!!」

「私の乙女心の方がよっぽど痛いわい!!!!」

 

 お腹に両腕を回しながら、見上げる。

 

「徐福ちゃん待って」

「ヤダ待ーたーなーい!!!!」

 

 んで。

 そのまま背伸びする。

 

 

「徐福ちゃん落ち着いて、圧迫が強い、死んでしまう」

 

 彼は押し留める。

 

「これが落ち着けるかぁ!!!! 何? 私とちゅーしたくないの!!? らんりょーおーが良いの!!!?」

 

 何故だか、涙が出てきた。

 お酒が行き場を求めて目から出てきたのか、それとも何か他に理由があるのか。妙に滲みて痛い。裾で拭っても、どんどんと溢れてきて、止まらない。

 

「嫌なの? ……私のことなんて、好きじゃない?」

 

 ……声が震えた。

 嫌なのに。困らせたいわけじゃないのに。 

 ああ、ばか。そんなのズルじゃん。

 

「違って、……徐福ちゃん、聞いて」

 

 ……下法には下法。

 そうとばかりに、彼も私にズルをする。

 

 彼は咄嗟に、私を抱き締めた。

 なんで自分でもそうしたか分からない、みたいな顔で、私のことを見ていた。けれどすぐに目を臥せて、ぽんぽんと背中を撫でてくれた。

 そんなことをされたら、全部許してしまう。

 チョロい自分が情けなくなっても、それでも。

 

 すん、と洟を啜って、私は彼の言葉を待つ。

 なんだか最近、泣いてばかりだ。と、引き延ばされた一瞬の中で、私は憂いている。

 女々しくなったなとか、彼が毎回それで急に甘くなってくれるのが、申し訳ないけど──本当に本当に、好きだなって思う。

 

「ここだと恥ずかしいよ…………」

「……うん」

「部屋、すぐ戻るから」

「…………うん」

 

 耳元で彼が囁く。

 誰にも聞こえないように。

 それに万感の至福を覚えながら、私は彼の唇を目指して背伸びして、やはり見られないように唇を押し付けた。

 

 でろりと甘くて辛い液体が溢れる。

 強引に舌を使って押し込む。

 彼が驚いたように目を見開いたって、構わない。離さない。

「────!!?」

「〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!! ぷはっ!!! 強情め!!!」

 ごくり、と喉が鳴ったのを確認して、ようやく一歩下がる。私は、悪戯っぽく笑ってやる。

 

「徐福ちゃん?」

「なに? ……告白?」

「……何飲ませた?」

「ウイスキーだよ?」

「……あのね」

「苦しくない? お水飲む?」

「その気遣いができるんだったら最初からやっちゃ駄目なのよね」

 

 彼の顔が赤いのは。

 純粋に、酔いが回るのが早いのか。

 私の唾液が混ざった液体を飲んだせいなのか。

 

 何にせよ、その顔に、私はやっぱり──安堵を覚えたのだった。

 

 ▲▼▲

 

「ぐっ様はね、とっても嬉しそうに項羽様のことを話しててね」

 酒を飲ませたことなんて無かったかのように、唐突に彼女は語り始めた。

 もっと怒られるべきことなんだけど、と、言うのも今更馬鹿らしくて、……泣かせてしまったこともあって。

 結局臆病に何も言えなくて、ただ手を握って廊下を歩き続けている。徐福が続いてゆく耳障りの良い足音を鼓膜で転がしながら。

 

 もう、自分と徐福以外には、誰もいなかった。

 小さな声だけが反響してゆく。

 

「……分かってはいるんだけど、それでも、ね?」

「分かるよ。楽しそうなのが辛い、自分が嫌になるところまで」

「……ほんとにねー」

 

 彼女は心底哀しそうに言う。

 返す言葉に困る。

 

「どうしても、思わずにはいられないんだね。自分の好きな人の好きな人が、自分であればいいのに、なんて」

「……」

「でも、そんな資格を持っているのは、本当に幸せになるべき人なんだと思うよ。それはとっても特別なことだからさぁ」

「……実際にどうなるかは置いといて、誰だって、好きな人に好かれる権利くらいは、ある筈だと思うよ」

「どうかなぁ。……私には、少なくとも、……無い気がするなぁ」

 

「……痛いよ、ますたーさん」

「……ごめん」

「……ううん。気にしないで」

 

 無意識に強く握り込んでいた手を、自然、するりと離す。

 

「駄目」

 

 声が一つして、その掌がもう一度浮き上がる。

 酔った彼女の体温が伝わって、小さく躊躇って、

 

「離しちゃ、いや、だ」

「……分かった」

 

 そうして、もう一度繋ぎ合う。

 

「……我儘で、ごめんね」

 

 彼女は何かに怯える様に、その声色を曇らせていた。

 

「何が」

 

 無性に腹が立って、返す言葉は──溜息と混ざって、酷く醜く思えた。

 

 ▲▼▲

 

 扉が閉まる。

 目の前に居る彼は、なんだか窮屈そうに見えた。当然のことだけれど。

「徐福ちゃん」

「……うん」

「おいで」

 彼はベッドに座って、ぽんぽんと隣を叩く。

 私は腰かけて、腕を伸ばして、彼の枕元のぬいぐるみと自分の枕を掴んで抱き締める。

「まず俺は同性愛者じゃない」

「そこから?」

「丁寧に行こうよ」

 真面目なトーンで言うものだから、ちょっとだけ雰囲気が壊れてしまう。

 その辺、ちゃんと考えて欲しい。

「……でも、蘭陵王と恋人みたいな接し方してるし」

「それは分からないけど。……別に、そういうのじゃない」

「キスしたのに?」

「キス位するよ」

「嘘だ」

「嘘だね」

「おい」

「……違うんだよ。悪ノリというかなんというか、……ごめん」

「……まあ良いよ。私が何か口を出す資格があるわけじゃないし」

「……ほんとにね」

「うん。……」

 

「……ねえ」

「うん」

「ちゅーしよ」

「……そうだね。そういう約束だったね」

 

 

 ぐっ様から項羽様の話を聞けたら、「好き」っていう感情がどんなものか、分かるかもしれないと思った。

 私がぐっ様に抱いている感情は、きっと恋とは違う。それは間違いないと思う。

 だから、私は恋を知らないのだ。断言できる。

 私は今まで、敬愛したことはあっても、好ましく思ったことはあっても、恋に落ちたことは無かった。

 

 

「……今更だけど、酒臭くない? 大丈夫?」

「口移しでウイスキー飲まされたあとだからね。多分全部バカになってる。何も感じない」

「……そう」

 

 

 思い知った。

 今まで、知った気でいた。ぐっ様が項羽様のことが好きで、それは私が到底太刀打ちできるようなものじゃ無いと思っていた。

 それに間違いはない。

 けれど、彼女の言葉から、声色から、仕草から──私は否応なく教えられた。

 ぐっ様の想いの深さを。数千年、一人を想い続けて生き続けた女の恋情の丈を。

 

「……ねえ」

「何」

「舌、入れてね。……蘭陵王にしたみたいな浅いちゅーじゃ、満足しないから」

「……上手じゃないよ」

「そういう問題じゃ、ないよ」

 

 

 ぐっ様は、優しいから。

 私の前で、項羽様の話はしなかった。

 私は当然、……癪だったから、項羽様の話を敢えて聞こうとはしなかった。

 だから、私は今まで知らなかったのだ。

 

 

 彼は私の頬に手を添えた。

 いつもみたいに緊張して、溜息を吐いた。

 私の好きな顔だった。私にしか見せない顔だった。

 

 

 

 どれだけアルコールに身を委ねても、それでも消せない冷たさが身体の芯にあった。

 どれだけぐっ様の姿を間近に見ても、それは大層素晴らしいものだったけれど、それでは補えない痛さが私の中に充満していた。

 強く奥歯を噛んで、喚き散らかしたい衝動を抑えていた。

 分かっていたくせに。

 ぐっ様があんまりに幸せそうで、私は辛かった。

 愛している人の幸せを、私は喜べなかった。

 

 彼に会いたかった。

 彼に慰めてもらいたかった、抱き締めてもらいたかった、優しく頭を撫でて欲しかった。

 私の心は、もうそれ以外に、どうしようもない気がした。そんな確信がした。

 

 蘭陵王が「マスターをこんな時間に呼び出すなんて」とか言うから、一層自分に嫌気が差した。

 そんなことは分かっていて、それでも私は口から彼を呼んでいたのだと、そこで初めて気が付いた。

 だから彼に当たった。ただ悔しくて。私よりもマスターを気遣える彼が羨ましかった。マスターがサーヴァントたちが酒盛りをしているのをどこか羨ましそうに見ているのに気付いていて、バーテンダーの真似事を始めるくらい、アイツもマスターのことが大好きで、褒めてもらいたくて、いつだって会いたいと思っているくせに、そんなことを言えるのが羨ましくてしょうがなかった。

 あの場所で、私だけが我儘でみっともなくて嫌だった。

 

 

 何より、私は。

 

「……アレのどこが良いの?」

 

「私、アレのこと嫌いなのよ。……嫌な顔を思い出す」

 

「……本気で仰っていますか?」

「別に、何も殺そうって訳じゃ無いわよ。……私が勝手に、嫌な物を見てるだけ」

「そうですか。であれば、どうか、マスター本人にはそれを言わないでください。彼はきっと傷付きます。私はそれを看過できません」

「分かってるわよ。……はぁ。今のは失言だったわね」

 

 ぐっ様が貴方を貶す言葉に、何も反論できなかった‼

 

 分かってる。ぐっ様だって、本気で嫌っている訳ではないのだろう。

 分かってる。ぐっ様にも何かしらの理由があるんだって。

 

 それでも、私が項羽様を侮辱したら、ぐっ様は本気で私を怒るだろう。

 実際に、蘭陵王は、ぐっ様を諫めたのだ。

 私は、同じようにしてあげたくても、そう思うばかりで、実際には、全然で。

 

 私は、ぐっ様よりもマスターさんを優先することはできない。

 果たして、そんな私が、貴方を愛しているなんて。

 そんな高尚なことが言えるのか、なんて。

 ずっと考えている。その度に、私は私が嫌になる。

 

 

 彼の不器用な口づけは、

 私には勿体ないくらい、

 それが私の身を傷付けると知っていても、求めてしまうくらい、

 

 私には、幸せ過ぎる。 

 

 

「徐福ちゃん、……今日はごめん」

 

 

 謝らないでほしい。

 浅ましく唇から舌を溢れさせながら、私はそう言いたくて、言えなくて。

 

「……泣かないで」

「違うの。違う、よ」

 

 私はただ、

 貴方の優しさが痛い。

 貴方の愛が痛い。

 あんまりに嬉しくて、幸せで、痛い。

 

 必死に身体を動かして、貴方の身体に縋りついた。

 即座に腕を回してくれる貴方の暖かさに、また涙が溢れて、もう一度身体を震わせた。

 

 馬鹿の一つ覚えみたいに泣いてばかりの私を、何度も何度もその度に抱き締めてくれて、本当に情けなくて。

 そんなことは言えない癖に。

 

 どうしても、この胸に灯る熱を──。

 他の言葉で言い表せなくて、黙っている。

 

「我儘で、ごめんね」

 

 なんとかそれだけを絞り出して、繰り返す。

 

「ごめんね……」

 

 繰り返す。

 

 ▲▼▲

 

 抱き締めた痩身が動かなくなって、ようやく吐き出せた溜息は、あんまりにも重い。

「……徐福ちゃん」

 罪悪感にしくしくと泣き出す心が、他人事みたいに愚かしく感じた。

「……泣かないで」

 自分の甲斐性の無さに吐き気がする。

 

「おやすみ」

 そっと寝転ばせて、前髪を掻き分ける。

 腫れた目が痛々しい。じくりとまた胸が疼く。

 

 徐福の言う「好きな人に愛される資格」が、もし彼女に無いとするならば。

 自分にも、きっと無いのだろう。

 

「徐福ちゃん」

 

「……好きな人が、自分じゃない好きな人の話をしていると、辛いよね」

 

「……俺も最近、辛いんだよ」

 

 女々しくて惨めで、そんな台詞を聞かせることがなくて良かった。

 

 

 彼女の額にキスをした。

 

 そのまま、手を握って、目を閉じた。

 火照った身体が、そのままこの魂を、眠りに誘ってくれるような気がした。

 

 そうであって、欲しかった。




 読了ありがとうございます。感想、評価してくださると幸いです。
 当方、蘭陵王が好きです。そういう訳で今回のえっち要素は彼に任せました。徐福ちゃんにはそれとは違う方向性でえっちな感じになってもらったのでそれでご容赦ください。
 沢山の人に見ていただけて嬉しいです。ぐだ徐のこんなシチュエーションが見たいとかありましたら是非コメントしていってください。よろしくお願いします。
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