何も、起きなかった。
──何も起こらなかった!!!
クリスマスも正月も旧正月……はまあ日本人だから置いておくとして、色々イベントがあった筈なのに、マスターさんは何もしてくれません。許しません。
前回までのあらすじ。
裸のお付き合いをして、色々考えて、好きだって言ってもらえました。
で。
そこから、何も起きませんでした。
そのまま、しばらく抱き合ったまま動けなくて、マスターさんが呼ばれて、どっか行って。
次に顔を合わせて以来、今に至るまで、何も無かったかのような──。
びっくりする。
キスまで済ませて好きだとか嫌いだとかそーいう話まで終わった、そんな状態の男女がそのまま何も起こらないままで普通のお友達のままでいるの意味分かんなくない? 頭おかしくなりそうなんだけど。
奥手か。
私もそうだけど。
私もそうだから話が一切進まないのね。
生活の形は変わらない。
私は気が向けば彼の部屋で待っている。その時に彼がいるならだらだら過ごしているし、そうでなければやっぱり一人でだらだら過ごしている。彼は忙しいから、実はあんまり何処か一箇所で留まっているなんてことは無い。だから、日中は顔を合わせられないことの方が多い。
夜?
夜はそりゃぁ、私たちの時間ですし?
あくまで健全な範囲で、乳繰り合ったりしてる。
してますけど?
強いて言うならば、アレ以降は比較的平気な顔でそういうことができるようになったかな。
少なくとも、互いを過剰に意識し過ぎたせいでぎくしゃくしてたあの頃よりは、ずっと円滑な関係を築けていると思う。
「徐福ちゃんの胸くらい円滑だよ‼(高音)」
「うるさい」
「一人で何やってんの?」
一つの理想みたいなところに落ち着いたのだとは思う。
少なくとも、面倒な私たちはようやく、お互いの好意を疑わないで済むようになっている。
あの人は私のことが好きだ。私はそれを知っている。
私も、あの人のことが好きだ。あの人も、それを知っている。
だからこそ、何か特別な時間が欲しいと願うようになってしまうのも、仕方が無いことだと思う。
そもそも、これは徐福ちゃんにとっては素晴らしい成長なのだ。ずっと自分の中で好意を閉じこめてばかりだった女の子が、初めて好きな人ができて、その人と何かがしたい、一緒の時間を過ごしたい、そう思えるようになったのだから。
祝福してよね。
口には出さないけど。
まあ、クリスマスはすっごい忙しそうだったから仕方ないけどね……。
寝る暇も惜しんで必死に働いてたからね……。
とまあ、御託がやたら長引いてしまったけれど。
つまるところ、今回のバレンタインくらいは何かが起きてくれと思うばかりであると同時に、少しくらいはこっちから歩み寄ってやらんでも無いですよという訳である。
そもそも、ぐっ様にも作らないといけないわけだし。チョコ。
去年まではそのついでくらいに思ってたけど、今回はもう少し注ぎ込む本気具合を増加させてやっても構わん。本命とまでは行かなくても、義理からは卒業してやるのだ。手作りで。
「無理だと思うよ」
「え?」
「え? じゃなくてさ。この時期にチョコ手作りしたい方々なんて死ぬほどいらっしゃる訳だよね」
「そりゃあそうよね。ぐっ様もすっごい気合い入れてるし? なーんか、全体的に浮足立ってる感じよねー」
「だからこの時期のカルデアのキッチンの利用は現在進行形で予約制になってるんだよね。貴方は去年俺が作ってるとこに割り込んできたからご存じないでしょうけど」
「……嫌味?」
「嫌味というよりも純粋な事実だよね」
ベッドに寝転んでいるマスターさんが、横目に私を覗きながらそう言った。
寝癖がついた長い髪はごっちゃごちゃになっている。その瞳は爛々と輝いているけれど、如何せん他の部分が寝起きのままだから、腑抜けているという印象が強い。
一方の私は、しっかりと首を傾けて彼の目を見据えている。
「……今から予約取ってたら、駄目かな?」
「2月15日なら取れるんじゃない?」
「間に合ってないよね?」
彼があっけらかんと言った時には、既に彼の視線は手元のタブレットに戻っていた。
今は二人で、適当にログに残っている映画を見ているところである。
生真面目な彼がとても真面目に見入っている一方で、私はあんまり集中していない。彼に夢中だから──なんて訳は普通に無く、そこまでしなくてもお話は入ってくるし、ずっと液晶に意識を向けておくのも疲れるからだ。要領が良いのだ、要するに。
うん。
それにしても──英語圏の映画はキスシーンが死ぬほどディープなのが気まずいね。
「……マスターさんはこういうの見慣れてる人?」
「あまりにも文化圏が違い過ぎて同じ人間の行為だと思ってないタイプだよ。なんて言えば良いのかな……孔雀が羽広げるのが求愛行動って言ったりするじゃん。そういうのを見てる感じ」
「ふーん。何となく分かったかも。……アレか。カブトムシの交尾」
「品性とか無いの?」
「マスターさんはここに出てくるヒーローよりもよっぽど凄い人だよね」
「業績だけ見たらそうなのかもね」
「というかさ。お姫様も探偵も悪役も英雄も、ここには私みたいに実際に存在してた人じゃなくて、物語の登場人物だった人も沢山いるよね。そういう人たちと話してたら、もうこういうフィクションには興味が無くなったりするものじゃないの?」
「……立場としては徐福ちゃんも同じ訳だけど。徐福ちゃんは興味無くなった?」
「私はねー。元からぐっ様以外に興味無いからなー」
ただのアピールとか。大袈裟な物言いとか。これはそういうものじゃなくて、純粋な事実だ。
本気で、私の中の全ての価値基準はぐっ様だった。
一から百に至るまで。
「正直、私の感性って当てになんないんだよね」
「確かに」
「でしょ。それで、マスターさんの意見も聞きたいなーって。だからどうって訳でもないけどさー」
「どうだろうね」
画面の中で、敵と戦っている誰かを観ながら。
ひょっとすると、数百年後には座に登録されているのかもしれない英雄の姿を観ながら、彼は考える。
「俺、意外かも知れないけど、元々本読むの好きだったんだよね。ここにいる人で言うならオペラ座の怪人とか、坂田金時とか」
「ふーん」
「そういう英雄譚って、俺の中で夢想することに意味があるのかなって思ってる。その例で言ったら、ゴールデンと坂田金時って、同じ存在だって事実は知ってるけど、かと言って実感として結び付いてない」
人として関わる対象であるサーヴァントと、物語の登場人物は、彼にとっては違うものなのだ──彼が言いたいのはそういうことだろう。
平凡と言えば平凡な答えだ。
その分だけ妥当でもある。
「でも、」
「もう、感情移入して、──自分が英雄になった気にはなれないかもしれないな。それは、その分だけ大人になったってことなのかもしれないけど」
彼はこれ以上ないほどに屈託無く笑いながら、自嘲的な色の籠もった声で言った。
それはやはり平凡な答えで。
それはやはり妥当な答えで。
「──」
「いーんですよ? そのくらい、夢想したって」
「許可制じゃないからね……」
曖昧に笑う彼は、けれど──。
どうしようもなく、非凡な経験をしている。
彼は平凡を取り繕っていたいんだと思う。
少なくとも──彼が徐福に求めているのは、そういうものなんじゃないかと、私は思っている。
「……どういう感情?」
「さあ?」
やはりちらりとしかこちらを見ない彼の方へ、私は身体を寄せてみた。
脇腹同士が擦れ合う。体温の高い彼の温もりが伝わってくる。
「ちゅーする?」
「まだ歯磨いてないからやだ」
「だよねー」
相変わらず彼は映画に夢中らしかった。
私は──。
▲▼▲
そんな訳で。
「……私に泣き付きに来たと」
「だってぇ。他に頼れる相手もいないし?」
呆れたような顔をしている蘭陵王に、私は土下座をしているのだった。
別に屈辱とかは感じない。プライドとか無いし。
「どーせ蘭陵王もマスターさんにチョコ作るんでしょ? ちょっとくらい手伝ってくれてもよくない? 迷惑はかけないからさーあ?」
「甘味は作りますが、生憎チョコレートではありませんよ。材料などは自分で集めて頂くことになるかと」
「その位はするけど……意外かも。どーせメスの顔してマスターさんに媚びるもんだと思ってたのに」
「…………」
蘭陵王は何か言いたげな目線を送っている。
確かに、今のは傍目から見れば酷い言いようにも聞こえるかもしれない。
「何か言いたいことあるんなら言えば?」
「いえ。そんなことは」
「……いやだってさぁ。さすがの私もさ? 多分普段なら悪いって思うけどさあ……」
蘭陵王は分かりやすくむくれていた。
彼のことを多少なりとも知っているならば、それはとても不自然な風景だ。
──表情も目線も、普段なら分からない。
それはひとえに、彼がいつも仮面で顔を隠しているからだ。
蘭陵王といえば仮面。仮面といえば蘭陵王。仮面で自身の顔立ちを隠すことで、味方の士気を下げたり、相手に舐められたり、そういうことが無いようにしていたとされている。彼の隠された美貌は逸話として後世に残っているどころか、サーヴァントとしての彼の宝具でもあるくらいには重要な要素だ。
「……最近、ずっと仮面外してるじゃん?」
「……気分です」
絶対嘘じゃん。
常時宝具解放状態とか、普通に有り得ないし。
そんな気分とかでやって良いことじゃないし。
「ねえ。先に言っとくけど、宝具でマスターさんに変な誑かし方したら絶対に許さないからね?」
「…………」
「ねえ。なんで無言なの。何か言えよ」
「…………」
閑話休題。
「マスター殿は律儀ですから、毎回バレンタインの度に男性のサーヴァントの方々へ贈り物をなさるのです」
「まー、確かに女の子から貰って終わりーってするタイプじゃないもんね。そういうとこ平等だし」
「バレンタインに男性、ホワイトデーに女性と分けた方がマスターの負担も軽いですから」
やたら得意気な声で言うのがちょっと勘に触る。
前の一件の時から思ってたけど、結構マウント取ってくるところあるのよね、蘭陵王。マスターさんの話に限っては。
「因みに蘭陵王は何貰う気なの?」
「マスター殿に質問を頂いた際は、手作りのチョコレートをリクエスト致しました」
「……ふーん?」
「……何か」
せっせこせっせこと、彼はやたらと手際が良い。
生地を伸ばして捏ねての繰り返し。素人目にも、セイバーやめてパティシエになれば良いのにと思えるくらいだ。
「負担がどうこう言う割には、手作り頼むんだね」
「どうせ他の方も数人は同じようにオーダーするのでしょうし、私が頼まなくとも変わりませんよ」
「とか言ってー。ほんとは対抗意識出してるだけだったりするんじゃないのー? 私以外だけに手作りとか許せません、みたいな感じでさー?」
「……あのさあ」
「良いでしょう別に!! 私だって好きなんですから!!」
「別に良いけどさー。なんか中途半端なんだよねー。スタンス曖昧にして良いとこ取りしようみたいな感じなの良くないよ?」
「誰がどの口で……」
思わず頬に鳥肌が走るくらい怨念に満ちた声がした。
正直異論はない。ごめん。
寧ろ心当たりがあるせいでここまで言った。同族嫌悪というか、それ以前の問題というか。
それにしても。
前述の通り──心に余裕ができたお陰かも知れないけど、マスターさんが愛されてるのがこうも分かりやすいと、なんだか嬉しい。
親心、みたいなものなのだろうか。
「私そういうのよくわかんないけどさー。一応私も、ぐっ様ラブだからさーあ。全然良いと思うよ、同性愛」
「そういうのではありませんし……そもそも、徐福殿はどの立場なのですか……!! 主とはどういう関係なのですか……!!」
一方の私は、普通に板チョコ溶かして混ぜてるだけである。喋る余裕があるのもそのおかげ。
「…………お友達?」
「そうですか……」
「で、何作ってるの?」
「桃饅頭です。マスター殿がお好きだとお聞きしまして」
「あー、美味しいよね。私も好き」
「徐福殿は?」
「なんか適当に溶かして固めれば良いんでしょ?」
「……まあ、そうかもしれませんが」
周りには誰も居なかった。
中途半端な昼下がりの時間帯。ぽつぽつと遅れたスタッフやサーヴァントが食事を摂っているくらいで、他に会話相手はいないのである。
私は、別に黙ったままでも良い。
マスターさんにも言ったけど、私は本当に色んなことに興味が無いから。
「……ねえ」
「なんでしょう」
「マスターさんのどんなところが好き?」
「……そんなことを聞いてどうするのですか」
「マスターさんって、私以外の人にどう接してるのかなって。自分で言うのもなんだけど、そこそこ特別扱いされてる自覚はあるしさ?」
でも、まあ。
必要最低限の社交性くらいは、私にもあるのだ。
こう見えて、律儀だし真面目なのだ。
こういうところは、そう。
私が彼に似てるとこだと思ってる。
▲▼▲
「結局俺のとこに割り込んでくるのね」
「そういえば、私二人分作らなきゃなのよね。普通にマスターさんの分作って満足してた」
そういう律義さをきちんと発揮して、マスターさんがキッチンに立つのは深夜も深夜の時間帯だった。
そういう訳で、私も同じように着いて行って、ぐっ様の分のチョコレートを作るのである。
「俺の、作ってくれてたんだ?」
「毎年作ってたし、今更でしょぉ。それとも、今年に限ってあげないとでも思ってた? 変に意識してた感じ?」
「いや。なんか下手なサプライズ性持たせようとして無理矢理隠そうとするタイプかなと思ってたから」
「あはは」
「いやー」
乾いた笑いが二つ。
こういうのができるようになったのは、まあ、良いことなのかもしれないし悪いことなのかもしれないけど、どちらにしたって楽しい。
会話一つだけで嬉しくなって、安心したような、納得感にも似た心の安寧が私を包む。心が快適な温度で満たされている。──その中央で、発熱して、低温火傷。
因みに、蘭陵王と作ってるときは普通に寝巻のままハンドミキサーでゔい~~~~ってやってた私だったけど、今は少し可愛めのエプロンと三角巾を装着して、泡立て機でしゃかしゃかと混ぜている。これが乙女だ刮目しろ。
「てか、そんなエプロンまで持ってたんだ。徐福ちゃん割とお洒落だよね」
「そーだぞーぉ。かわいかろー?」
「可愛いよ」
「でぇしょー?」
一方のマスターさんは赤くて大きいエプロンを着けて、ケーキの型に生地を流し入れているとこだった。
家庭的な一面が垣間見えている。素敵だ。
……結婚したらこういう感じで一緒にご飯作ったりするのかな。
「マスターさん、ちょっとそこのお皿取ってー」
「はいよ。そっちのマグカップ寄越して」
「ん。いーよー」
特に理由の無い食器の応酬。
聞いて驚け、これは妄想ではない。実在した会話だ。
「……にやけてるよ、徐福ちゃん」
「何そのラノベのタイトルみたいなの」
「徐福ちゃんがヒロインは似合わないよ。せいぜいアドバイス役の幼馴染が丁度良い」
「マスターさんがそれ言っちゃうんだ?」
「言うよ」
「なんで?」
「俺がそういう攻略不可能なキャラが好きなタイプだから」
「あー。蘭陵王とかそういう感じだよね」
「なんでそこで蘭々が出てくるの」
「今作ってるのって蘭陵王のためのチョコでしょ?」
ちらりと横の方を伺うと、彼は手元に視線を落としたままで、表情は変えないまま。
「そうだよ。可愛いよね」
「……」
「因みに欲しいって言ってきてくれたのがベディと蘭々で、個人的に俺が渡したいと思って作ってるのが長可くんとシャルルマーニュね。だからまあ四人分だよ」
「……好かれるタイプも好きなタイプも分かりやすーい」
「まあね」
「なんでそんな変な顔してんの」
「いやあね? なんでバレンタインも近い中でこんな話聞いてるんだろーって思っただけなんだけどさーあ。男の人が好きなら素直にそう言ってくれたら良いんですけどね、全然」
「なんで徐福ちゃんは隙あらばそっちの方向に持って行こうとするかね」
「ウイニングラン?」
「随分と余裕じゃねえか……」
マスターさんは作ったティラミスを冷やすだけの段。
私は私で、オーブンでクッキーが焼き上がるのを待つだけの時間。
特に事故もなくここまで辿り着いた。まあ私も彼も結構器用なタイプだし、騒ぎになって二人の時間が邪魔されたって困る。
「ねーえ、マスターさん」
「何。クッキー焦げないように見張っててって言うつもりかな?」
「あー、惜しいねぇ。40点くらいだなー」
「マジか」
さほど悔しそうでもなく、彼は呟いた。
エプロンを脱いで、静かに伸びをする。静かな吐息が漏れる。
辺りは静かで、他の誰もいなかった。
それは言葉通りに。
真の意味で、二人きり。
「暇じゃない?」
「俺はもう部屋戻っても良いんだけどね」
私は後ろ歩き。
こつり、壁に凭れる。
「薄情者ーぅ」
「だってもう眠いしさ」
「なーんーだーとー?」
それってさぁ。
私は続ける。
唇の間から舌を零しながら。
「眠れないくらいのこと、して欲しいって意味?」
「してくれるの?」
「あくまでぇ、暇潰しに、だけど?」
慣れたものだ。
誘うのも。それをすることも。それに至るまでの脈絡が全部適当でも良いのだと気付いている。憎まれ口も素直な称賛も全部紙一重で、意味なんて無くて良い。大事なのは私たちは愛し合っていて、それを示すとても直接的な方法を気に入っているということだ。
つまり──そう。
私たちは、爛れている。
▲▼▲
腕を広げて待っている。
その様は、今までは絡み付く蔦のようにも思えたものだったけれど、今は何よりも安らかな場所に感じられる。
「……待ってるんですけどー?」
覗き込むように、その可愛らしい顔で威圧するように、彼女は言う。
一歩を踏み出して彼女の方へ近付く。
菓子の甘い香りと、彼女の甘い香りが混ざって、どうにも甘美な空気が作り出されている。
「何して欲しい?」
「何でも良いよ?」
「じゃあ好きにする」
強がっている。未だに足が震えて、指先が痺れたように悴んで、到底まともな状態ではない。
何度肌を重ね合っても、何度触れ合っても、その度に全てが初めてに感じられる。新鮮なものなんて無い。とうに膿んでいる。
殆ど背丈は同じ。彼女の両腕の下に自身の腕を差し込んで、背中を撫でる。薄い皮と肉の向こう側にある骨の凹凸が、折れてしまいそうな弱さが、どうにも愛おしい。
目鼻の先に、彼女が立っている。
額が触れる程の距離。
「冷えるね」
「いつもでしょ。ここ、南極なんだしさ」
「……徐福ちゃんも冷たいね」
「それは体温が? それとも、性格が?」
「身体が」
「じゃあ良かった。マスターさんがあっためて」
「もうやってる」
それもそうだね、と、優しい声が耳元をくすぐった。
彼女の細長い指先が首筋を伝う。顎を載せられた肩が少し痛い。
両足の間に、右の太腿が挟まっている。預けられた体重が、全身で彼女を感じている。
息遣い。体温。拍動。肌の滑らかさ、ダウナーな声。
「……ねーえ。マスターさん」
「何」
「まだ、私でどきどきできる?」
「してる」
「なら、良かった良かった。ね、飽きたらそう言ってね。いつでも、乗り換えて良いからね」
「しないよ、多分」
甘ったるい、粘度の高いカラメルのような音。
耳から唾液を送り込まれているようにも思える。
「なんでそんなこと言うの」
「マスターさんには、こうやって言った方が良いかなーって」
「思っても無いことを適当に言うのは徐福ちゃんの悪い癖だよ」
「私たちの会話ってぇ、いっつもそうでしょ?」
事実、彼女はそう囁いた後、そっと舌を聴覚へと這わせていた。
冷たい肌とは対照的に熱くぬめる肉の塊を、吟味するように押し付ける。
「適当なくらいが丁度良いんじゃない?」
彼女の首筋に埋めた鼻が、彼女の甘さを嗅ぎ取って、酩酊しそうだった。
どちらからともなく、唇が触れ合う。
躊躇もなく挿入された舌が絡み合う。
はしたのない水音が響く。いつもより広い場所でこんなことをするなんて珍しい。
薄暗い自室とは違って、目の前にいる彼女の黒い髪と青白い肌のコントラストが聡明に見えた。
青白い。
虚弱。
不健康。
冷たい。
淡白。
一歩引いている。
達観している。
普段のそんな印象は、
段々と、
キスに溺れている彼女の熱に上書きされている。
「」
彼女は必死に唇を貪って、唾液を啜って、口腔内を抉る様に舐め回す。
肉食獣のような獰猛さは無い。例えるならば、食虫植物のような狡猾さ。
対する自身も、彼女の側頭部を片方の腕で抑えて、もう片方の手を彼女の胸元に忍ばせている。
彼女の腹部から腕を通して、薄皮一枚を隔てた向こう側にある乳房を撫でている。舐る様に愛撫する。控えめに屹立している桃色の乳頭が可愛らしい。
身体を震えさせながら、耽美に浸りながら、不規則に伝わる衝動。
首筋に回された腕へかかる力が、小刻みに強弱を変えて行く。
「もっと」
「俺の呼吸が止まるよ」
「じゃあいっしょに死の?」
「やだよ。死は二人を別つんだ」
「じゃあ死なない……」
初めてしたキスよりも、よっぽど恋人のそれらしい。
初めてしたキスよりも、純情なんてものを捨てている。
初めてしたキスと同等に、どうにも。
心地いい。
それは性欲が満たされるという意味よりも、
「……ねえ、マスターさん」
「愛してるよ」
「……なんで分かったの」
「分かるよ」
きっと──。
「私も、だよ」
「どっちが」
「全部。全部だよ、マスターさん」
征服欲とか、そういうものなんだろう。
蕩けた彼女の瞳を見て、漠然とそう思う。
▲▼▲
「はい、義理チョコ」
「私にですか?」
言葉ではそう言っておきながら、蘭陵王はさほど意外でもなさそうな顔だった。
「いちおーね。ありがとうチョコだから」
「ありがたく頂いておきます」
律儀な面が半分。
牽制が半分。
「蘭々~ありがと~」
「いえいえ……」
「桃饅頭好きなんだよね~昔からよく食べててさあ~お茶淹れてもらお。一緒に飲もうね」
「……はい」
ナチュラルに二の腕触ってんじゃねえか。
結局仮面外してるし、口角にやにやしてるし。
許せん。
「言っとくけど、アンタも傍目から見ればあんなんよ」
「嘘ですよね⁉」
「ほんとよ、ほんと」
「それは嫌だぁ……あ、ぐっ様。チョコです。クッキーです」
「ありがと。また感想言うわ」
キスとかし始めたらぶっ殺してやる。
そう思ってたけど、別にそんなことは無く。
小さな点心を美味しそうにパクついて終わった。
食べさせ合いっことかし始めたのはギリだった。
まあ、幸せそうだし良いか。
▲▼▲
「お疲れ様ー」
「疲れては無いよ」
「うそだー。色んな人からチョコ貰ってたでしょ?」
「それで疲れるなんて贅沢は言わないよ」
緩い顔で伸びをする彼の頬にキスを一つ落としてから、ベッドに腰かける彼の隣に並ぶ。
「チョコ、もう食べ飽きた?」
「別に良いよ。甘いの好きだし」
「優しいねー」
「優しいよ、俺は」
「映画観よ。チョコレートっぽい奴」
「うーん、すごく丁度良いのが一個思いついたな。それで良いか」
「私のチョコはね、これなの」
小器用に手作りした、個包装の包み紙。
手渡すと、彼は予想通りに目を剥く。
「……ブラックサンダーじゃん」
「マスターさんの時代の男の人は皆これが好きだって聞いたから。コーラも持ってきたよ」
「今からこれで映画観るの? はっはー、完璧すぎるね」
「因みにね、白い方もあるよ」
「あははははははは!」
耐えきれなくなったみたいに、彼は爆笑した。
お腹を抱えて、寝転がって、涙すら流してる。
「……そんなに面白かった? 自信はあったけどね、そりゃね?」
「面白い面白くないどころじゃないよほんと。はーあ……」
「嬉しい?」
「バレンタインのブラックサンダーでこんなに嬉しいことは無いよ。もうほんとにね……」
「じゃあ良かった」
「マスターさん」
「どしたの」
「本物も、いつか一緒に食べられたらいいね」
「そうだね」
読了ありがとうございます。感想、評価くださると幸いです。
水着徐福ちゃんのバレンタイン供給を得たため、今書いているものを一旦置いて書きました。そしたら普通に2月14日から相当時間が過ぎてしまいました。本当に申し訳ありません。
公式のスタンスはまだ全然悪友圏内……のような感じなので、こっちでは多少アクセル踏んでも良いかと判断しました。ご了承ください。