暗い暗い海の底のような、泥の中のような。
気づけばそんな不思議な空間に、私は横たわっていた。
指先一つ動かないし、目を開けることも出来ないのに、自分がすごく深いところにいることだけは何故か分かる。
おまけに、時間が経つごとにより深く沈み込んで行くような感覚すらあって。
それがあまりにも長く続いたような気がした頃には、「あれ、これ本当に浮き上がれる?」なんて不安もだんだん感じ始め。
不安がこのままじゃまずいんじゃって焦燥感に変化し出したあたりで、突如。
ぐいぃっと、身体が強く引っ張られた。
もしこれが本当に深海なら、多分水圧だか減圧だかでどうにかなってるんだろうなって、他人事みたいに思えたぐらいの劇的な急浮上。
唐突すぎる状況の変化に、一体何だ何だ、と思った瞬間にパチリッと目が覚め────
「…………んえ?」
「はいはい、おはよ、ねぼすけさん」
私は今、ベッドで寝ていた自分が突然目を覚ましたこと。
そして、全く知らないおばあさんが、茶目っ気のある笑いとともに私を見ていることを認識した。
その時、私はなんとなくだけど。
目の前の人が……昔読んだシンデレラ物語で私が憧れた、魔女のイメージに少し似てるな、と。
そう思った。
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「え……っと、その」
「はいはい、アタシが説明するから大人しく聞いときな。ここはイドナ村で、アンタはこの村のために魔物と戦ってくたばりかけた。
んで、ぐーすか寝てたけど今アタシが起こした。ただそれだけさ、なぁんも難しいこたぁ無いね」
そう、一気にまくしたてる彼女だが、言う通り説明自体に難しいところはなく、スッと頭に入った。
理解が追いついたタイミングを察したかのように、私が口を開く前に彼女は続ける。
「んで? 身体のどっかにおかしいところは無いね? まあ無いに決まってるね。ヒヒ、あんた、感謝しなきゃいけないよ」
流れから見るに、私の返事を待つ前に自信満々で言い切る彼女が、私を治してくれたということだろうか。
一見そうとは思えないが、医者だったりするのかもしれない。
だとするならもちろん、言われるまでもない、と私は言うべき言葉を発する。
「は、はい、もちろんです。助けていただいたんですよね。その、ありが────」
「はいはい、感謝の相手はアタシにじゃないよ。……アタシじゃ無かったら誰に? って顔してるね。とりあえず今は、"運"にでも感謝しときな」
が、私が口にしようとした言葉も相手が違う、と遮ると彼女はせわしなく身支度を整え立ち上がった。
まだ彼女が何者なのか、とか聞きたいことはいくらでもある私は思わず声をかける、が。
「んじゃ、やることも終わったしアタシは行くよ。説明足りないってんなら悪いが、アタシの時間は他より高いんでね。あとはそこの中年にでも聞きな」
彼女はそんな時間も惜しいとまくしたて、扉に親指を指して笑うと、居た部屋から足早に立ち去る。
すると、入れ替わりで彼女が言う『中年』が部屋に入り、私に少し安心したような声をかけた。
「おう、起きたか。……まあ、婆さん出てったってことは問題無いだろうが、身体は無事か? ……なんだお前、その顔は」
「いやぁ……知らない場所で知らない人と喋るのってこう、すごい緊張して……見知った顔が出てようやく現世に戻れたみたいな……」
「……そういやお前は会うやつ大体と最初はそんな感じだったな……まあ、いつも通りならいい」
ここしばらくはやるべきことに必死で忘れていた、村でも友達がほとんど居なかった私の陰っぷりに苦笑するマルティロを見て。
私は今度こそ、人心地ついたのだった。
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マルティロから現況を説明してもらうにあたり、真っ先に気になって聞いたことは、もちろんレクタや村のことだ。
が、こちらに関しては平常通りのマルティロの態度からも察せられた通り、魔物も無事討伐でき、その後の異変も無い、という。
もちろん、
むしろ、無理してでもずっと張り付いて看病しようとするレクタを止めるのが大変だった、というほどだ。
そして。
「いっ……わ、私そんなに寝てたの……?」
次の説明で分かったことは、あの戦いで私が負ったダメージは、ちゃんと重いものだった、ということ。
少なくとも仮に私の知り合いが、マルティロに言われたような期間寝続けていたとしたら、本当に目を覚ますのかと私も気が気でないだろう。
そしてその治療? のためにさっきのお婆さんが居た、という話だ。
そのお婆さんに関しても結局何者なのか、なんで私が治ったのかなど気になることは多かったが、まあそれはおいおい、と曖昧にかわされた。
「それより、お前は……その、なんか無いのか?」
「なんかって? レクタも村も大丈夫だし、マルティロも元気だし……お婆さんのこと以外で聞きたいことは大体聞けたと思うけど」
私の質問も落ち着いたころ、少し訝しげな表情で私を見ていたマルティロが、逆に妙な質問をしてきた。
意図がよく分かっていない私は、どういう意味かと返す。
「周りのことじゃなくてお前だよ。お前、あれだけこう……格上相手に苦労して倒して、生き残って。目的も果たせたんだぜ?
もっとこう、『やったー!』みたいなリアクションがまず来るもんじゃねえか?」
「あぁ…………」
言われてみれば、と私は得心しながら答える。
「確かに……戦いの痛みとかもほとんど残ってないせいかな、まだ全然実感湧かないや。
……正直、私本当に勝って全部解決したの? って思うぐらい、ふわふわしてる感じする」
そんな、ヒーローを目指し始めたにしては頼りない心境を返した私に、マルティロは少し頭をかく、と。
「────いや、それならむしろ、ちょうどいいかもしれねぇな」
そう、薄い笑いを浮かべる。
どういう意味、って問いただそうとしたその時。
私の耳にこれまでとは別の音が入る……というより、だんだん今居る家の外が騒がしくなってきたことに気づき、思わず何事かとマルティロを見た。
「あの婆さんが、お前が起きたのを他にも伝えたんだろうよ。村の連中、大急ぎで用意してるだろうから、お前もそろそろ出る準備しときな」
まだ実感なくふわふわしている私は、彼の言葉に特に思考を挟まずオウムのように返す。
「用意……出るって、どこへ?」
「そりゃあおめぇ、もちろん」
「
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「ありがとう……ありがとう、ございます…………おかげ様で村は、村は救われました…………」
「ぁっぅ、いえ、そんな、こちらこそ、全然……」
そんなわけでマルティロに促されるまま、彼らの元へ向かった私は今。
自分よりも何倍も歳の離れた……おそらく、レクタが言っていた村長さんだろう人に、這いつくばらんとばかりの、心からのお礼を受けていた。
ヒーローを目指し始めたってこともあって、ここに来るまでは毅然と振る舞うべきか、と思っていたが。
彼の深い深い感情をまだ実感も湧いていない心で受けきるには、私の性根は内向きにすぎた。
結果、私の方も釣られてへりくだる、よくわからない空気が出来上がってしまっている。
……それに。
「────────っ」
(…………)
村の人たち……そして表に出さないようにしているが、おそらく村長さんも。
私を見る目に感謝だけとは違う……なんというか、理解しがたい異物を見るような。
そんな恐れの色も混じっていることに気づくと、ますます正しい対応がわからなくなった。
たしかに彼らの立場からすれば、全く知らない少女がいきなり命を張って。
しかも唯一目撃したのは、おそらく血まみれで焦点も意識も怪しい状態で、自分たちを支配した魔物を切り裂く姿のはず。
「……い、いや、お礼なんて! 私が勝手にやったことですし、その、先に報酬決めて、依頼とか受けたわけでも無い、ですし……」
そしてそんな相手は今、自分たちが差し出そうとしている礼の金品も、固辞しようとしている。
私からすればただでさえ苦境の彼らに、出来るだけ寄り添いたいという感情から来るものだけど。
それも、後から考えればせめてもの、という気持ちも受け取ってもらえない、ますます不気味な相手に見えても仕方がないものだった。
(あ……レクタも見てる……うぅぅしまったなあ……)
そして私を遠巻きに囲む村人の中に、心配そうに見つめるレクタを発見した私は、ますます小さくなるような思いにとらわれる。
あの戦い、不甲斐なさでたくさんの心労や危険を負わせてしまった彼女には、特に安心して見てもらいたかったからだ。
そう考えると、本当に私が倒せて解決したのか、ということにすら自信が無くなっていくような気がした。
「────それでは、重ねてになりますが、この度は本当にっ……」
「い、いえ、大丈夫、です、お気づかい、ありがとうございました……」
……そうして、終始微妙な空気のままの対談も一段落する。
いまだ沈黙が場を支配する中、私は自分の足りてなさを再確認しながら、マルティロの方に寄っていき、空元気を出した。
「いやー、あはは……ちょっと、変な感じになっちゃったね。でも、今度似たことがあったら、もっと上手────」
そう、気まずさを払拭するように半笑いで口を開いた私は。
「…………まあ、仕方ねえな」
というマルティロの小さなつぶやきとため息を見た、と思うと。
言葉を遮られて、がしっと頭を掴まれたことに気づく。
「わふ、な、なに────」
そして、困惑の声を上げる私にも、まだ遠巻きに見ている村人たちの目も構わず。
マルティロはそのまま、ぐしゃぐしゃと私の頭を撫で回してきた。
「あー、なんだ。……よく頑張ったな、アッセロ」
「────────っ」
「ゴブリンを倒して、レクタと出会ってから。お前がしたことに間違いなんて一つもねえ。
お前が決めて、行動して、勝ったから、今全員生きてる。
村の連中もちゃんとわかってるから、お前に失礼が無いよう遠慮してただけだ」
「ぁ、ぅ……」
その言葉をかけられたと同時、かぁっと顔が熱くなると。
私は、ふにゃふにゃとにやける口元を抑えることが出来なくなった。
(や、やばいって、これ……なんでっこんな……)
まだ村の人もレクタも見ているのに。
出来るだけ毅然としたヒーローらしい態度で終えようと、そうするべきだと思ってたのに。
自分でもこの顕著な変化が信じられず、変な気恥ずかしさも含めて真っ赤になる。
ただ、どうしてここまで、と必死で理由を探ってみて……ようやく、腑に落ちた。
(…………あぁ、そっか……)
これはもう、抗えない。
だって、しょうがないじゃないか。
前の世界では、ずっと抑圧の中、訳が分からないまま生きて、やろうとしたことは大体全部裏目になって、路地裏で泣きわめいて人生を終えて。
この世界でも、結局本当にやりたいことが分かっていないまま、今まで生きてきて。
そして、今。
私はきっと、"生まれて初めて本当にやりたいことで人に褒めてもらえた"のだから。
ああ、そうか、私は頑張って……勝てたんだって。
下からお礼を言われるのではなく上から褒められたことで、そんな実感がようやく湧いてきたのだ。
「ん、へ、ふへ、へへへ…………ん?」
そうして、締まりの無くなった口元から、締まりの無い笑い声がこらえきれず漏れ始めた頃。
いまだマルティロの手に抑えられ下がったままの頭の上で、ぱちっとかわいい音がした、と思うと。
私を撫でていた手がこれまでの無骨な大人の手とは違う……柔らかく、小さな手に代わっていることに、気付いた。
★★★
マルティロが
それこそ小さな子どもにするかのように撫で回した時。
遠巻きに見ていた村人の反応は、概ね三つに別れていた。
一つは純粋に何が起こっているのか、どういう流れなのかという困惑。
一つはそんなことしていいのか、大丈夫なのかという疑問。
そしてもう一つは、羨望。
その中でもとびきりキラキラした目で、顔を紅潮させながら見ている筆頭……村の少女レクタに気がつくと。
マルティロは空いている手で、ちょいちょい、と手招きをする。
そうしておずおずと寄ってきたレクタに向け、マルティロは手を掲げてやると、レクタはパァッと華やいだ表情で、マルティロと手を合わせた。
彼女たちが取った行動は、交代を告げるハイタッチだ。
そして。
「ぇ、ぁ……レク、タ……?」
「────アッセロさん、ありがとう。あたしたちのためにいっぱい考えて、がんばって戦ってくれて、本当にうれしかった。
アッセロさんはすごい、本当にえらいよ」
「ぁ……わ……はふ……っ」
今度は助けられた少女による包容と称賛が始まり、いよいよ村人たちはあんぐりと口を開ける。
村をあげて奉るべきぐらいに考えていた英雄に対し、年下の少女が取ったのは、ともすれば幼子に対して取るような、そんな態度。
特に、"正しさ"にこだわりを持っていた少女が取るとは思えなかったその行動に、思わず村長は声を上げた。
「こ、これ、レクタっ……! この方に、そのような……!」
「────いや、まあ。あいつはあれでいいんじゃないですかね」
そんな村長を穏やかに止めたのは、レクタと交代しいつの間にやら彼の横へと立っていた男だ。
「マルティロ殿、しかし……」
「礼なんてもんは、結局本人が喜ぶことが一番でしょう。もちろん、立場やらなんやらも含めて考える必要はありますが。
……少なくても、今のあいつは敬われるより、あっちのほうがよっぽど幸せそうですよ」
「む…………」
促され、改めて顔を向けた村長の目に入ったのは、緩んだ表情でだらしなく、それでいて照れも見せながらふにゃふにゃと笑う少女の姿。
そんな等身大の彼女の様子に、彼らは戦いの最後の場面を目撃したときからあった、必要以上の畏れや神格化された感情が、霧散していくのを感じた。
「あぁ……そうか……」
ぽつり、と呟いた村長は、自分にも言い聞かせるようにそのままつぶやく。
「彼女もまだ、少女なのだな……そして、そんな少女が頑張って、無理を通して村を救ってくれたのか……」
「ええ、あいつは……身につけた技こそありましたが、戦いに関してはてんで素人のガキでした。今この瞬間まで、ずっと背伸びしてただけです。……おっと」
そう、彼らが会話しているうちに一人、また一人。
村人たちが彼女のもとへと駆けていっては、口々に彼ら自身の言葉で想いを伝える。
「ありがとう、ありがとうな! あんた、すげえよ!」
「怖かった、本当にっ……! あんなの相手に、もう、どうしたらいいか分からなかった……!」
「ねーちゃん、ありがとう! おれも、負けないぐらいがんばる!」
背中をバンバンと叩かれたり、両手を包まれるように強く握られたり、子どもにはほっぺたを遠慮なくつつかれたり。
どこまでも英雄らしからぬ扱いを受ける少女も、扱う彼らも皆、久々に思い出したかのように、心から笑えていた。
そんな、おかしな歓待を眺め。
村長は感慨深げに、それでいて力強く口にする。
「……私たちはみな、この苦しい世界に生まれながら、戦いを恐れて、避けて生きておりました。
それは守手に任せるべきことで我々がすることではない、我々は出来ることだけを、ものづくりだけを続けていけばいい、と。
ですが……ああ、そうか。道は必ずしも、一つだけではないのですね」
そう、目に力を灯しながら感慨深げにつぶやく村長に、マルティロは少し思案しながら口を開いた。
「まあ……そうですね。確かにアッセロはこれまでの生き方とは別の────」
「あなたもですよ、マルティロ殿。あなたがあの悪鬼が残したトロールにただ怯えていた私たちを奮い立たせ。
そして、単純な腕力に頼らずに強靭なトロールを仕留めた戦いぶりを見たからこそ、我らは最後の場面にも駆けつけることが出来たのです。
あなたたち二人と、レクタのおかげで我々は救われたのです」
予想外の水を向けられたマルティロは少し目を丸くすると、はっ、と自嘲気味に笑い。
「……ただの、妥協の産物ですよ」
と、だけ呟いた。
そんな彼の態度に、これ以上深く踏み入らないことを選んだ村長は、改めて今ももみくちゃにされる英雄に目を向ける。
しばらくそうしていると、彼はこれがいちばん大事なこと、とばかりに真剣な眼差しでマルティロに問いかけた。
「…………やっぱり、ワシもそろそろ混ざってきて良いですかの?」
その言葉にマルティロはもう一度はっ、と笑い。
どうせ喜びますよあいつは、と。
ぶっきらぼうに、返した。
「んへ、へへへへ、んへへへへへへへ…………」
悪意の権化たる鬼の手に落ち、一度は恐怖と絶望に沈んだ村、イドナ村。
今、そんな村の中心にあるのは、どこまでも柔らかく、等身大の姿で笑う英雄と。
その姿に希望を、力を与えられながら堰を切ったように感情を伝える村人たち。
先行きに明るさを感じていないものなど、この場に一人としているはずもなく。
こうして今、イドナ村は救われたのだった。
★★★