転生ゆうむす、あと三年   作:多部キャノン

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第二話 アッセロ

 

────幸せって、なんだろう。

 

 

この世界に来る前……つまり多分、前世というべき頃の私は、とりたてて苛烈な虐待により命の危機にさらされて育った、なんてわけではない。

 

例えば創作や、たまに漏れ聞こえたニュースで語られるような、『泣き声がうるさいと殺される』なんて境遇の人たちに比べると、随分マシな人生だと言えたのかもしれない。

 

ただ、少なくとも私は、娘が生まれるやいなや蒸発し影も形もなくなった父に憧れを覚えることも、そのショックから逃げるように散財しては、一人娘が家事を済ませないと罵詈雑言を浴びせる母に愛を抱くことも。

そして、そんな息の詰まるような生活から抜け出す方法もわからない人生を、人より幸せだと感じることも、なかった。

 

 

家に縛られていることもあり、普段は休んだり休まなかったりを繰り返す学校にも、その時の私は居場所を見出せなかった。

 

『これまでずっと頑張って生きてきた』という母は自分で家事や内職をすることを嫌い、それでいて私に完璧な仕事を要求する。

だから、一度だけ母がやる手本を死ぬ気で見て、覚えて、あとはロボットのようにその動きをトレースし続けた。

一度でちゃんと覚えられないと、何を言われるか分かったものではなかったから。

 

そんな経験を重ね続けた私は、少なくとも物覚えという面では同年代の子より進んでいたのかもしれない。

だが、普段は学校をサボりがち……という風に見られながら、たまに来ては教えられたことを表情も変えずにこなす異物(わたし)の姿は、今思えば当然のように学校でも気味悪がられるものだった。

 

仕事は、楽しいものではないがすぐに慣れた。

居場所がないことと、友人はもちろん頼れる人がいないことだって今更な話だ。

 

ただ、母の機嫌が特に悪い時に投げかけられる呪怨。

憎々しげに放たれる「お前がいたせいでお前の父は逃げたんだ」という言葉は……正直、何度聞いてもこたえた。

耳に入るたびにどうしても『自分はなんのために生まれたのだろう』と思わされたし、『自分が今ここで消えて無くなれば、父が戻って平和になったりしないものか』なんて後ろ向きな想像に浸ることも、一度や二度ではきかなかった。

 

 

そんな日々の中、私が唯一幸福と呼べそうなものを感じることが出来たのが、作業を終えたあと、漫画や小説といった創作物に触れられる時間だ。

 

国民的なヒーローの活躍が描かれた、読み古された少年漫画。

蒸発した父が残したその単行本を見つけた当初は、母にいい顔をされることはなかったが。

大人しくしてるならそれはそれで、と文句をつけられることもやがて無くなった。

 

 

「わ……はぁっ……!」

 

漫画のヒーローは、かっこよかった。

 

創作で描かれる世界は、素敵なものだった。

 

辛い境遇でも頑張って生き抜いたキャラが、現れたヒーローによって救われて幸せをつかむ……そんな、漫画では使い古された、だけど私からは遠い光景。

そんなもの、憧れを抱かずにいられるはずがない。

 

 

家にある漫画を読み尽くしたあとは、新しい漫画を買う……といきたかったが、お小遣いなんて制度と縁のない我が家では無理があったので、その代わりの手段を探した。

それにより見つかったものが、型落ちしたPCでも無料で楽しめる、いわゆるネット小説の数々だった。

 

「…………いいなあ」

 

その世界は、商業向けのよく練られた一般漫画とはまた違う。

異世界に転生して人生をやり直す、好きな異性に囲まれて楽しく過ごす……などなど、書き手の全力の情熱や欲望。

いうなれば、作家が理想とする"幸せ"のカタチのようなものをダイレクトに叩きつけてくれる感覚があり、とても心地の良いものだった。

 

もし自分が彼らのように、ここじゃない世界に行けたら、どんなふうに生きられるのだろう。

これまでの「自分がいなくなれば」という考えもやがて、そんなほんの少しだけマシな夢想に変わり始めた。

 

 

そんな、拾い集めた幸福にしがみつくような生き方をし続けて。

目に入った薄汚れたカレンダーが正しければ確か、十四の誕生日を迎えたある日のこと。

 

私が数日ほど風邪で寝込んでいたせいで、やるべき事と母の鬱憤が溜まりに溜まったその日。

当然、時間に追われた私は病み上がりの身体を引きずるようにしながら、買い物袋を手に家路を急いでいた。

 

「…………?」

 

そんな時、普段なら目も向けないところに、路地裏というべきか、そんな細く狭い横道がある事に気づく。

 

それを見た私は、もしかしたら近道になるかも、などと口で呟きながら深く考えずに、普通なら入ることなど決して無いだろうその横道に入っていった。

 

狭く、汚く、足元にもちょくちょく物が置かれている、雑多な路地裏を進んでいく。

進むほどに段々と暗さを増していく、そんな、まるで深い闇へと引きずり込まれるような感覚に、ほんの少しの不安を覚える。

が、それ以上に私は、この先を見たいという気持ちが、歩み続ける足に引っ張られるように強くなり続けていた。

 

「……どこに、繋がってるのかな……どこに、行けるんだろう……」

 

言葉に出したその時初めて、私は気づく。

私がこの横道に入った理由は、近道だとか、そんなことじゃなく。

ただ、ずっと縛られてた自分が、自分の意志でもって自由に道を選んでみたいと、今になってそう思ったからなんだって。

 

だから、これが遠回りになったとしても、迎える光景が知らない場所になったとしても、構わない。

普段と違う景色を見たい、普段と違うことがしたい、と。

息苦しいまま代わり映えのない人生と勝手に対比して、進む先に期待を膨らませた。

 

 

そして、その期待は唐突に、あっさりと終わりを告げる。

 

「…………まあ、こんなもん、だよね」

 

行き着いた先にあったものは、なんてこと無い行き止まり。

シャッターで降ろされた何かしらの店だか家だかの跡地が、なんのドラマも無く立ち塞がっているだけだった。

 

少し立ち止まって苦笑するように軽く息をつくと、私は気を取り直す。

まあしょうがない、それより随分時間を無駄にしてしまった、と。

また詰められる前に帰って、いつもの生活に戻らなければいけない、と。

そう考え、きびすを返した。

 

 

「全く、誕生日っにも、なって……独り、で、何やってるん、だか…………っ、あ、れ?」

 

────瞬間。

 

ドサッと音を立てて、買い物袋が地面に落ちる。

 

手でも滑らせたか、と慌てて拾おうと地面を見る……が、先程までしっかり見えていたはずの地面が歪んで、よく見えない。

……いや、正確には歪んでいるのではなく、視界が滲んでいるせいでそう見えているのだ。

 

そのまま縫い付けられたように動かない身体から、ぽたり、ぽたりと水滴が落ちる。

落ちたのは、先程視界を滲ませたもの。

つまり両目から流れ落ちる雫……涙だ。

 

「…………ぐっ、ひっぐっ、ぅ……!」

 

病にうなされた直後ということで、心が弱っていたというのもあるのだろうか。

 

ともかく、これまでずっと、何年も何年も抱え込んで、表に出さないよう閉じ込めていた感情。

それが、こんな何でも無い、トラブルとすらも言えないこの路地裏の行き止まりにあたって。

急激に、唐突に、何の情緒も無く溢れ出し。

 

決壊した。

 

 

「────────いやだ、いやだぁ……!! 帰りたくない、戻りたくない!! あんな生活、もういやだあ……!!」

 

っと。

 

 

……今にして思えば、あの状況からでも取れる手段は、取るべき対策は、もしかしたらいくらでもあったのかもしれない。

ただ、少なくともこの時の私にとっては、その時見えているものが世界の全てだったし、自分の人生はこの路地裏と同じで袋小路の、どうしようもないものなんだ、と。

本気でそう信じて、怖くなって、たった独りで泣き叫び、わめいた。

 

当然、こんな誰も居ないところで独りわめいたところで、誰からの声もかかるわけが無い。

しかし、この時の自分にはその"当たり前の孤独"すらも、この世界にただ一人きりであることを突きつけられているように思えて、胸が張り裂けそうなほどの痛みに襲われた。

 

 

そして、その痛みがピークに達しようとした、その時だった。

 

「……っ!? ぇっぐ、な、何……これ……!」

 

「────熱、いっ…………!」

 

突如、身体の中から火をつけられたかのように、ものすごい熱が生まれた感覚を受け、胸を抑える。

それは、創作で見るような恋に胸を焦がす……なんて生ぬるい、優しいものでは断じて無い、無慈悲に心身を焼き尽くす苛烈な炎。

 

たちまち膝から崩れ落ち、狭く暗く、冷たい地面にうずくまった。

漏れ出す嗚咽とともに見えない炎はますます燃え上がり、身体が内部からドロリ、ドロリと溶かされるような怖気(おぞけ)に震える。

ひゅっ、ひゅっ、とか細く漏れる一息ごとに視界が狭まり、意識が暗い奈落へと落ちていく。

 

そのまま『ああ、自分は死ぬんだな』と。

存在ごと溶けてなくなってしまうような予感……いや、実感を持った辺りで。

 

 

「────────ッ!」

 

これまでの慟哭とは違う、とある一つの感情が。

私の炎の中から、生まれた。

 

 

「……いや、だ……っ、ふざけるな……ふざ、けんなぁっ…………!」

 

感情の正体は、"羞恥心"にも似た怒り。

 

その怒りの矛先は、理不尽を強いた母でも、蒸発した父でも、自分を取り巻く世界でもない。

ただただ、これまで何もせずにこの状況に陥った少女に対する、情けないという自罰の怒りだ。

 

なんなんだこれは、なんなんだこの人生は。

なんで自分は、あの漫画や小説のキャラに学んだはずなのに、彼らのように幸せをつかもうとしなかったんだ、と。

今、普段の帰り道と違う一歩を踏み出したように、やろうと思えば出来ることなんて、いくらでもあったはずなのに。

 

自分が決めた目的に、求めた幸せに対して、彼らはこんな情けない態度はとっていなかったはずなのに!

 

────悔しい、情けない、腹立たしい。

 

ああ、自分という存在はきっと、もうここで終わるのだろう。

 

それでも、だけどもし、万が一。

挫折から這い上がった創作のキャラのように、後悔からやり直せる機会が来ることがあったならその時は、と。

 

最後の最後、その悔恨と執念が頂点に達したと同時。

 

 

「今度、こそ……私は……なって、やる……ちゃんと、幸せ、に…………!」

 

 

そんな、口から溢れた言葉を最後に。

 

私の意識はまるで焼ききれるようにぶつん、と消え失せた。

 

 

 

そして。

 

 

「…………んえ??」

 

次に目を覚ましたときには。

 

私は、文字通り"焦がれ"続けた、異世界(しらないどこか)への転生を果たしていたのだった。

 

 

------------

 

 

────きっと、私は幸せなはずだ。

 

 

「いやいや、そんな事、まだ気にする必要はない。……ただアッセロが笑って、食べて、元気に……幸せに生きてくれるなら……俺はそれでいい、それで幸せだから」

「しあ、わせ……?」

 

この世界で、過去の自分の記憶が目覚めたその日。

 

ごく当たり前に、冒険者である父のために、出来ることはないかと問いかけた私に対し。

私をアッセロと呼ぶ目の前の男性……父、 アイゼンが放った言葉が、これだった。

 

(なん……で……?)

 

子どもが親のために働く、という私が持っていた常識。

それをいきなり覆されたことに、自分の存在価値を突然見失ったような喪失感を覚えかける、が。

 

(いや……違う。こういうところから変えるのが、幸せを掴むってこと……なのかも)

 

ここに来る前、今までの自分と違う生き方が出来れば、と願ったのは自分じゃないか、と。

そう思い直した私は、ぐらつきかけた足に力を込める。

そして、ひとまず父の願い通りに生きてみるという形で、この世界を手探りで歩み始めたのだった。

 

 

冒険者として日々旅をする父が、家にいる時間はそう長いものではない。

そして、たまに家に帰ってくる父の姿は、出来るだけ取り繕おうとはしていたが、私から見てもとても疲れて……いや、もっと言うなら擦り切れているような印象を受けた。

 

そんな中でも、話せる範囲の冒険譚を出来るだけ面白おかしく、気を使いながら語ってくれる父の姿を見るのは、本当に楽しかった。

出来はするだけで、特に思い入れがあったわけでもない料理も、父が喜んで食べてくれる姿を見ているうちに、少しだけ好きになれる気がした。

 

 

会えた時間は決して長いものではないが、二度の生の中ではじめて、私が愛する家族となった。

 

(お父さんの、言うとおりだ。……この生き方で、良かったんだ)

 

……前世で迎えた最期を思い出し、この"今"を手放したくない、と私が執着するようになるのは当然のことだろう。

この一瞬は、間違いなく誰にでも誇ることが出来る幸せな時間だったのだから。

 

 

ただ、父はそれ以上のことを私にさせようとはしなかった。

 

「お前が無理に頑張らなくとも、平和に、幸せに生きていける……そんな世界にするために、俺は頑張るよ。……もっともっと、頑張るよ」

 

 

と、父は繰り返し、言い聞かせるように口を開く。

私自身は無理をしているなんて思わないし、そんな姿を見せたつもりもない。

だから無理に、という言葉はもしかしたら、父自身が実感している言葉なのだろうか。

……冒険は、上手く行っていないのだろうか。

 

一度、父の知り合いらしい人に、父がどれほど強いか、悠王軍と呼ばれる恐ろしい魔物たち相手にどれほど身体を張って戦っているか……すなわち、勇者と呼べる男であるか、と教えてもらったことがある。

それほど頑張って戦い続けているのは、何よりも一人残った家族、つまり娘のためである、と彼は言った。

彼の言葉は、私から見た父の印象とも一致するもので、嘘を言っているようにも思えなかった。

 

……なら、良いのかな、と思った。

何もしなくても……いや、何もしないで育つ姿こそが、父に取っての幸せになるのなら。

前世で抑圧され続けた自由な生活を、今やっと手にした幸せに見えるものを、捨てる必要なんて無いのかな、と考えた。

 

 

私が生まれたこの異世界で、同年代の大体がすることといえば、もっぱら"修行"だ。

子ども大人問わず、多くの人が掲げる最終目標。

それは、この世界に巣食う魔物……ひいてはそれを統べると言われている悠王なる存在を倒すこと。

もちろん現在も幾人もの強者が冒険者となり討伐に乗り出してはいる、が、彼らの努力が実を結ぶとは限らない。

故に、後進の育成に力を入れるのは当然のことだ。

 

「…………っ」

 

……そう、当然。当たり前の判断だ。仮に私が為政者側だったとしても、似たような判断を下すだろう。

なのに私はそれを聞いた瞬間、湧き出るモヤモヤとした気持ちを、抑えることが出来なかった。

 

だって、それを知って自分を鍛えるということはつまり、今、勇者と呼ばれるほどに必死に頑張っている父の失敗を前提に動くということだから。

二度の生の中で、初めて私に何も強要せず守ろうとしてくれた、初めて好きになれた家族の死を勘定に入れるということだから。

 

仮に他の子と同じように私が鍛えたとして。

あれだけ擦り切れて帰った父に、ただ私が平和に育つことを願っている父に"次"を見据えた姿を見せるなんて、父や私の願いに準ずるもののはずがない、と。

そんな、怒りにも近いワガママな反発を覚えた。

 

実際、旅に出てもう戦えないほどの傷を負ったという者も少なくはない。

そうでもなくとも、戦いが怖くなった、だとか修行段階で適正が見出だせなかったなどを理由に、強くなることを諦めるというのもよくあることらしい。

だから、私が仮に『そっち側』に入ったとして、多少の小言はあれど本気で咎めるものはそういないだろう。

 

だが、私が万が一に備えるという理屈も確かに正しいものだ。

いくら父が勇者と呼ばれる人物でも、失敗する可能性はいくらでもある。

もし父が失敗したあと、私が鍛えることを怠って仮に悠王の手で殺されたとしたなら……それはそれで父の想いを無駄にするようで、怖い。

 

頑張る父のために、何か行動したい。

頑張る父のことを想うと、行動するところを意地でも見せたくない。

 

……再び旅に出た父の帰りを待つ間も、そんな相反する考えがぐるぐるぐるぐる、私の頭をめぐり……結局、出た結論はこうだった。

 

────父の成功を祈り、ひとまずこのまま父の願い通り大人しく過ごそう。

もし父が失敗し夢破れたなら、その時は父の意志を継いで全力で鍛え、他のみんなと同じように悠王の討伐を目指そう。

そして、次に父が帰ってきたとき、そのどちらでもなかったら。

そのときはこの想いをちゃんと伝え、相談し……どうすればいいか最善の答えを出そう、と。

 

それが一番、父と私が求めた幸せにつながるのだろうと、そう信じた。

 

 

そうして幾ばくかの時を過ごし。

 

 

「────────ッそう、です、か…………」

 

 

その日私は、悠王の消滅と、戦いから父が帰ってこなかったという事実だけを知らされた。

結局、父と相談する機会は訪れなかった。

 

一瞬にして目標も、やるべきことも失った私は。

今回もまた、状況に流されているだけなんじゃないか、とうすうす自覚していながら。

最期まで父が変えることが無かった願いに沿う……つまり、その身と引き換えにもたらした、自由という幸せを抱え続けることを、決めた。

 

 

弱いままで構わない。

私が強く在らずとも生きていける、今あるこの平和を求めて父は戦いきったのだから。

 

だから私がこれからするのは。

身についた家事で、ただの村の一員として貢献しながら、今はもう居ない父に見せつけるように自由な平和を謳歌していくこと。

 

 

……そして、それに加えた、どうしても辞められなかった、たった一つの例外……とある行動だけだ。

 

 

神託という形でそんな日々にも終わりを明示される、その日までは。

それでいいと、それだけでいいと、これが私が掴むことが出来た幸せだ、と。

そう思っていた。

いや、そう"定めて"いた。

 

 

ああ。

 

────幸せって、なんだろう。

 

 

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