カヤはアビドスに来てから、ホシノとの模擬戦以外では一度たりとも武器を使用していない。ヘルメット団や便利屋68との戦闘においても姿を見せておらず、恐らく話題の拡散の原因になったと思われる要因に関与していない。つまり、現在カヤがアビドスに居るというのはほぼ関係者しか知らないのだ。
そうしてこれはアビドス陣営側が知らぬことだが、アコがこのような作戦と先生の確保に動いた原因。『トリニティの生徒とシャーレの先生が接触していた』ということについて、確かにヒフミはトリニティに戻ってからティーパーティーに接触してアビドスとシャーレの話をしていたが、カヤが居るということは話していない。つまり、ゲヘナ情報部から伝わった情報の中にもカヤが居るというものはなかったのだ。
だが実際にはカヤはここに居る。アコとしては、RABBIT小隊。SRT期待のルーキーの部隊に対しての戦力としてこれだけの大部隊を用意した。最悪戦闘になっても、これだけの大部隊であれば制圧して先生を確保できると踏んだのだ。
だからこそ内心でアコは動揺していた。それを悟らせないようにしてアヤネに対してあれやこれやと話していたが、最初にカヤが現れた時点でもうパニック状態だったのだ。敵対してはいけない相手がそこに居る。本来なら、先生をゲヘナの手中に収めてその先生の指揮下にあるシャーレの生徒もゲヘナに抱え込む。そんな魂胆だったのだ。もっとも、そんなことをすれば現在ゲヘナ生となっているある熾天使の少女が黙っていなかっただろうが。
「……私は、
『ッ!?……ま、待ってください!防衛室長、弁明させて下さい!』
「今の私は防衛室長ではありませんよ。 ――シャーレ所属各位、部隊長権限で全武装使用許可。緊急時の規定に従い、交戦規定αを発令します。 先生、ご指示を」
先生は一度目を閉じると、息を吸い。アコに確認するように言った。
「アコ……でいいんだよね?どうしても引く気はない?シャーレとしても、依頼を受けているアビドスの。それも市街地への被害が出ている以上、無視できない」
『……ここまで来て、それはできかねます』
「そっか……そうだよね。そっちにも、譲れないものがあるんだろうし。 ――シャーレ各位、交戦を許可」
アコとしては、現状かなり不利な状況だった。こうなったら、正攻法での勝利ではなく、先生だけでも確保して撤退を視野に入れなければならない。そう考えていた時だ。
彼女にとっての、この状況での更なる最悪が起こった。
「――であれば、私もシャーレとして参戦しないわけには行きませんわね」
恐らく、それを感知できたのはカヤだけだったのだろう。風のように突然に、トン。というブーツが地面を叩く音を響かせてカヤの近くに舞い降りたのは、一人の生徒だった。
ふわりと風に揺れる黒と赤の長髪に狐のような耳、和装を思わせる改造制服。右手にはライフルである『真紅の災厄』を持っており、左手には大口径のショットガンである『白天狐』を持っている。そんな彼女はカヤへと顔を向けて言葉を続けた。
「おまたせしました、カヤさん」
「ふふ、タイミング伺ってました? ――ええ、お待ちしていましたよ。ワカモさん」
それは、かつて百鬼夜行において最強と言われていた存在。そして、
かつて、キヴォトスにおいて『災厄の狐』と呼ばれていた、今は信ずるべきものを見つけた少女がこの場に参戦した。
◆ ◆ ◆
「ワカモ、久しぶりだね。あの話、受けてくれて嬉しかったよ」
「――!?あ、いえ、その。わ、わたしくとしてもお話を頂けて嬉しかったですし。あの、その。こ、これからよろしくお願い致しますわ!」
『うん、よろしくね』と想い人。先生から言葉を返されながら慌てつつもすぐに冷静さを取り戻そうとするワカモ。それはそうだろう、こうして直接言葉を交わすのはシャーレ発足前に顔を合わせて以来なのだ。
そんなやり取りを見ていて微笑ましそうにしているカヤだったが、それ以外の人間。RABBIT小隊の面々もそうだが、アビドスの面々、そしてゲヘナ風紀委員会にも小さくない動揺が奔っていた。
『見たことのない生徒ですが……ワカモ?……まさか……狐坂、ワカモですって――!?』
アコの言葉は恐らく、動揺した者達の言葉を代弁していたのだろう。
狐坂ワカモ、その生徒はキヴォトスにおいて『災厄の狐』という名前で認知されていた。狐の面を被った、破壊活動を繰り返す危険極まりない生徒。しかし、その存在もとある騒動でFOX小隊、七度ユキノに敗北して矯正局に収監されることとなった。
狐面を常に被っており、矯正局でも決してそれを外そうとしなかったことから素顔は不明のままだったが、その素顔を曝け出した本人がこの場所に現れたのだ。しかも、本人は自らをシャーレの所属だと言った。
RABBIT小隊の面々も彼女の存在を知っていた。もっとも、世間に周知されている内容ではなくもっと濃い内容のもの。実際に戦って捕縛した、FOX小隊の隊長であるユキノからの口伝てであるが。
ユキノの強さはRABBIT小隊の面々も知っている。カヤと並んでのキヴォトスにおいてトップクラスの存在、そんな彼女をもってしてワカモは『あいつの作戦、術中にもし嵌っていれば負けていたのは私だったかもしれない』と言わせたのだ。RABBIT小隊の認識においては、ユキノを追い込むほどの実力者。それが、ワカモに対する認識なのだ。
「ふふ、どうしてという顔をしていますね。だめですよ?焦りと冷や汗を見せたら、策士としては負けです。余裕を崩さず、その上に笑みでも浮かべなければ」
『……あなたは、矯正局から脱獄して逃走中のはずでは』
「司法取引、という奴ですわ。なので今は私、身柄は防衛室預かりなんですよ。そしてその防衛室から出向という形でシャーレの所属にもなっています。なので、今の私はシャーレの部員です」
不知火カヤの登場ですら最悪の事態だった。しかし、そこに追い打ちと言わんばかりに現れた人物によりアコとしては絶望に近い状況になってしまった。
『――全部隊、戦闘準備。先生には決して傷をつけないようにしてください』
状況は絶望的。しかし、ここまで来て撤退ということはできなかった。というよりは、アコとしてはその選択を取ることが出来なかった。数日前よりヒナが出張によりゲヘナを離れており、今回無断でこれだけの大部隊を動員した。それで何の成果もなしというわけにはいかない。それに、ここで撤退などすれば風紀委員会の沽券にも関わる。冷静でないアコはそう判断してしまったのだ。
「……私であれば、撤退を選びますがまあいいでしょう。カヤさん、ここは私に任せて頂けませんか?」
「ふむ。構いませんが、どうしてですか?」
「これから教え子になる子達にはいいところを見せたいでしょう? ……それに。少し頭にきていますので」
自分の腰のホルスターにある武器に手をかけていたカヤは、そこから手を離すと同時。『ああ、少しどころじゃないですねこれ』と思いつつ先生やRABBIT小隊のところへと下がっていった。状況を見ていたRABBIT小隊の面々はワカモの言葉に対してどういうことだ、という顔をしていたが。
「理由はどうあれ、先生に武器を向けたことに変わりありません。先生の御身をお守りすることも、私の仕事のひとつでしょう?」
「……程々にお願いしますね。では、私達は先生とアビドスの方々をお守りしていますので」
「なら安心ですね。あなたと、そして優秀な子兎さん達。それにアビドスの戦力も中々だと報告を受けています。 ――さて」
ワカモが両手の武器の安全装置を解除する音が、ゲヘナの生徒達にはやけに大きく聞こえた気がした。
「――それでは。今この戦場で、再び災厄の狐を演じましょうか」
クスリ、と口元には楽しそうな余裕の笑み。それは、見るものを魅了するほどの美しさを持つ笑みだった。しかしそれは、敵対する者達には死刑宣告にも見えた。
◆ ◆ ◆
「損害報告を!どうなっているのですか!?」
『――ガ、カガ。第一中隊……壊……!なんだ……あ……化物!』
『後方第八……隊――全滅……迫撃砲が……あり……ない!』
『だめです!恐怖が……蔓延――逃げる者もで――す!』
途切れ途切れの無線の数々。それが、今のゲヘナの現状を物語っていた。
圧倒的。それ以外の言葉が見つからないほど、ワカモの実力は卓越していた。むしろ、集団戦において相手の心理や精神状態、いわば心の隙をも徹底的に壊しに来るワカモは今の対多数の状況下ならユキノ以上と言ってよかった。相手の心理を掌握し、恐怖を蔓延させ、部隊としての機能を停止させる。そういったことを目的とした戦い方をするとどうなるか。最早ゲヘナの部隊は、集団としての機能を失い、統制も失っていた。
彼女の策略により破壊される強力な兵器が、まるで雑兵のように一度に大人数吹き飛ばされる風紀委員会の戦力達が、恐怖心や混乱を誘うために放たれる彼女の言葉や、追い詰めるような戦い方が。僅かの時間でゲヘナの訓練された大部隊を崩壊へと導いた。
ワカモに倒されて気絶している者、武器を投げ捨ててその場に蹲り震えている者、錯乱してそのままゲヘナ方面へ逃走を図る者、他にも様々な状態で戦闘を継続することが不可能となっている生徒が多く居た。
その様子を見ていたカヤや先生達はといえば、カヤは『いやちょっとこれやりすぎですね。完全に心折ってますよ』と呟いており、その後に先生と何かを話していた。RABBIT小隊とアビドスの面々はといえば、今のこの地獄のような惨状にただ唖然としており、特に上空の航空機内で戦況がよく見えるモエにはワカモが怒涛の勢いで相手の戦力と主力兵器を文字通り破壊していくのがしっかりと見えており現実逃避したくなっていた。
「戦える生徒は集結して一斉攻撃を!なんとしても先生の身柄だけでも――」
「そうはいきませんわね。なぜなら、ここで終わりですもの」
「……え?」
背後から気配を感じた。それまで、一切何も感じなかったのに。それと同時、後頭部に冷たい何かが当てられている感触も。ゾクリ、という恐怖心を感じて視線だけを動かして周囲を確認すれば、ほんの数秒前まで周囲を警戒していた護衛の生徒達が一人残らず倒れていた。
「随分と、後ろの方にいらしたのですね。ですがこれでおしまいです。これ以上私も時間をかけるつもりはありませんので」
「な……狐坂、ワカモ?どうして――」
詰んでいる。そうアコ思ったと同時、無力化された部隊を通り抜けてカヤや先生たちが追いついてくる。
「銃を下ろして、ワカモ」
「……よろしいのですか?先生」
「うん。もう、これ以上戦う必要はないと思う」
最早ゲヘナの部隊に戦う力は残されていない。道中、チナツとイオリにも出会った先生だったが二人揃って疲れ切った顔をして居た。たった一人にこの惨状を引き起こされたのだ。最早、悪夢としか言いようがなかった。
「アコ、撤退を指示して欲しい。これ以上はもうゲヘナの子達は戦えないよ。私の力が必要だというなら、シャーレに依頼という形で送ってくれればすぐには無理だけどできるだけ早く対応するよ。それでは駄目かな?」
「……ひとつだけ、お聞きしたいことがあります」
「何かな」
「私も冷静ではありませんでした。最初に確認すればよかったのに……。先生、ひいてはシャーレは『エデン条約』に関与しているのですか?」
首を傾げたのは先生だ。そうしてカヤを見れば、『まあ、伝えてませんし』と言っていた。
「カヤ、そのエデン条約というのは?」
「簡単に言うと、ゲヘナとトリニティの間における和平条約のようなものです。大絶賛失踪中のあの会長が残した案件のひとつで、その中でもかなり大きなものです。――ああ、ちなみにアコさんへの回答になりますがシャーレは無関係ですよ。そもそもあれは連邦生徒会の案件であって、シャーレは直接関係していません。なので恐らくアコさんが警戒しているシャーレがトリニティに肩入れしている、ということはありませんよ」
そこまでお見通しだったのか、そう思い目を見開いた後。アコはため息を付いた。
「実際の所、あくまで私の予想なのでなんでここまで大規模なことをしたのかということをちゃんとアコさんから聞かせてほしいですね」
「それは――」
「そうね。私も是非聞きたい。なんで私に黙ってこんなことをしたのか、とかね」
声が聞こえた。それは、少女の声で。そうしてそれは、アコの近く。崩れた建物の瓦礫の上から聞こえてきた。加えて、その少女は明らかに怒っていた。怒気を隠そうともせず、ジト目をアコへと向けており向けられたアコは蛇に睨まれた蛙のようになってしまっていた。
「ヒ、ヒナ委員長……」
アコが絞り出すようにして言ったのは、そんな言葉だった。
■覚醒ワカモ
対集団という面で見れば、シャーレの中で最も強力な存在。カヤやユキノは対個人に寄っているのと、集団に対して効果的な戦い方をしているわけではない。簡単に言うと彼女達は『とりあえず殴ってから考える』ということを刹那的に連続させている天才。対してワカモは、事前段階と接敵時点で『どうやったら相手を崩して徹底的に叩いてその効力を最大限に出来るのか』ということを考えて戦っている。神秘含めの総合能力で見るとカヤ、ユキノと同じクラス。武のユキノ、知のワカモといった感じで助さん格さんポジ。FOX小隊とは仲が良い。
過去の経歴の一部がカヤでも完全には追えないほどに抹消されている。本人もそれについては身内であるシャーレ以外に語るつもりはないのだとか。ただ、かつて百鬼夜行において『天狐』や『空亡』と呼ばれ、
百鬼夜行自体を極端に嫌っているわけではなく、最も嫌いなのは格式と歴史、伝統に盲目的かつ狂信的になっている数々の家。また、花鳥風月部とはほぼ敵対関係。『もし次に私や私の大切な後輩のあの子に手を出せばその時はヘイローの保証はできない。私の神秘と全身全霊全てを以て相手をします』と言うほどの、かつて自分を利用してあることをしようとした存在が居る。
シャーレ加入で新装備に更新するにあたり、真紅の災厄につけている紫色の花のアクセサリーを大切にしている。
ユキノ同様後輩にはとても甘く世話焼き。ヤンデレ具合もかなりマイルドになっており、ちょっと嫉妬深い才色兼備のお嬢様という感じが近い。シャーレにおいてはRABBIT小隊の現場教導と先生の身辺警護を任されているため基本的に殆どの場合カヤやユキノ同様同行する。
■『焦りと冷や汗を見せたら、策士としては負け』
ドリフターズのアレを弄ったもの。
■ゲヘナの大部隊
ワカモ1人に短時間で某無双ゲーの如く蹴散らされながら徹底的にを折られた。イオリとチナツでも流石に今のワカモの相手は無理だった。