「どうしたの屋上に来てさ。なんか疲れた顔してるよ?」
「少し、空気が吸いたくなりまして。……ホシノさんはお昼寝でもしていましたか?」
「んー、さっきまでね。ちょっと目が覚めちゃって、ぼーっと景色を眺めてた」
時刻は夕刻。空は茜色に染まっており、夕焼けが大地を照らしている。アビドス高校の屋上からはまだ無事な市街地、そしてその遠くには既に砂に飲まれてしまった砂漠地帯が見えた。砂に覆われた街と風景。しかしそれは、夕日によって輝いており、神秘的なものさえ感じさせた。
「では、これをどうぞ。二本飲もうかと思っていましたが、差し上げます」
軽く投げられたそれをホシノは慌ててキャッチする。そして手の中のものを確認して首を傾げた。
「っとと……なにこれ……。ん?缶コーヒー?でも、自販機では見たことないやつだね」
「ええ。専門店にしか置いていない一本700クレジットする私のおすすめの缶コーヒーです」
「な、ななひゃっ……!?缶コーヒーだよ!?高級品!?」
「まあ缶コーヒーとしては高級品ですね。でも、珈琲の味に煩い私が、缶コーヒーの中ではイチオシのやつです。是非眠気覚ましにどうぞ」
「価格聞いただけで眠気は飛んだかなぁ……じゃあ、遠慮なく」
プルタブを開ける音が二度響く。カヤとホシノそれぞれがコーヒーを飲んで一息ついて、ふたりとも満足げに口元に笑みを浮かべていた。少なくとも、二人の先程までのそれぞれの考えていたことは鳴りを潜めたようだ。
「うーん、夕日を見ながらのおいしい缶コーヒーは最高ですね。以前出会った不思議な大人の方を思い出します」
「不思議な大人?先生じゃなくて?」
「ええ。とても背の高くて、体格のいいスーツを着た大人の男性です。お会いしたのは随分と前ですが、あの時も疲れて休憩していた所に缶コーヒーを差し出されました。とてもおいしくて、今でもストックして愛飲しています。なんでも調査員?とやらの仕事をされているらしく、キヴォトス各地を転々とされているらしいです」
「な、なんだかすごい人だねえ……外から来た人でヘイローもなしに転々となんて……」
「あの方は只者ではありません。私の直感が告げています」
「あ、あはは……」
苦笑いを返すホシノ。そして、屋上のフェンスから見える風景へと目を向けて、告げた。
「ありがとね、カヤちゃん」
「む、突然どうしましたか」
「お礼をさ、言いたくて。この学校を。この街を。そしてこの景色を守ろうとしてくれてありがとう。アビドスはね、おじさんにとっては大切な宝物なんだ。昔は守ろうとして必死にあがいて、色々やってみても自分達だけじゃ上手く行かなくて。暫くしてから仲間が増えて、みんなで頑張って、騒がしくする日常がいつからかそれも宝物になって。そうして今は、シャーレのお陰で未来に繋がる道も見えてきてる」
懐かしむような目だった。まるで、過去を懐かしむかのような目。それはフェンスの先の風景に向けられていた。
「最初は驚いたんだよ?まさか、英雄と呼ばれる相手がシャーレとしてアビドスに来てくれるなんて思わなかったから。おじさんびっくりしちゃったよ」
「私は、英雄なんかじゃありませんよ。ただ、誰かの笑顔と明日を守れるようになりたいと足掻く、ただの生徒に過ぎません。 ……それに、私は救えなかった。温かさを向けてくれた人を。 私が此処に来たのは、シャーレとしての依頼とは別に。約束をしていたからなんですよ」
「約束?誰と?」
ホシノとしては意外だと思った。カヤが、アビドスで誰かとなにかの約束をしていたということがだ。今のアビドスには、生徒は自分たち以外居ない。そして対策委員会のメンバーからは、カヤと関わりがあるという話は聞いたことがない。
だとするなら、自治区に残っている住民の約束なのだろうか。そう考えていると。
「いつか、アビドスに行くと約束しました。そして、自分の後輩と会って欲しいとその方からは言われました。 ……ユメ先輩に。 私もアビドスに来て、あなたに会えて良かったですよ。ホシノさん」
「……え?」
時間が止まったような錯覚がした。
確かに昔、先輩は確かに話していた。
『連邦生徒会で、ホシノちゃんみたいに強い子と知り合ったよ!』と。
だが。それがまさか不知火カヤだとは思わなかった。
その時の話だって、ただの雑談だと思って自分は軽く流していた。当時は山のような借金を二人でどうするのかで精一杯で、その話題について掘り下げることをしなかったのだ。
「ユメ先輩を、知ってるの?」
「……ええ。知っています。先輩が会長と会っていた、ということは私も最近まで知りませんでしたが連邦生徒会に度々訪れていたのは知っていました。そして、その際にちょっとしたことで知り合いになりました」
懐かしむような表情だった。だが、ホシノはその表情に何かを悔いているかのようなものを感じ取った。
それは正解と言える。何故なら、カヤにとっての梔子ユメとは太陽であり。同時に、守れなかった相手なのだ。
「先輩は本当おっちょこちょいで。連邦生徒会に来る道中で不良に絡まれて、所持金巻き上げられそうになってたんですよ?当時は私より上の三年生なのに、情けない声を出して。涙目になって。そうなっている所を当時DU地区の巡回担当だった私が助けて縁ができました」
「うへ……なんかわかるかな、それは。話だけで容易に想像がつくよ。おじさんも、似たようなこと何回もあったから」
「自分より他人を優先するような人で。頼りなくて、自分のことで精一杯のはずなのにどうしてと聞いたことがありました。そうしたら、『幾ら利用されようと人助けを止めるべきじゃないし、どんな理不尽を受けようと争いに慣れるべきじゃない』って言うんですよ。……当時、今のような私ではなかった自分には刺さりましたね。 ――本当にお人好しで、暖かくて。太陽みたいな人でした」
そうして。と続けて。
「そんな先輩を、私は救えなかった。 ……救えなかったんですよ、私は」
視線は夕焼けの地平線に向けられているが、カヤが強く缶コーヒーを持っていない手を拳にして握るのをホシノは見た。
「ホシノさんはDUの大災厄はご存知ですか」
「……知ってるよ。むしろ、知らない人のほうが少ないと思う。キヴォトス史上、最悪レベルの大規模テロで、犠牲になった人もたくさん居た」
DUの大災厄。それは連邦生徒会長がまだ居た頃、DU地区で起こったキヴォトス史上最悪レベルの大規模テロ。そして、カヤにとって全てが始まった日でもあった。己の目指すものを、守りたいものを見つけ。自ら地獄の道を征くと決めた日でもあった。
そのテロの現場は、地獄だった。キヴォトス全土で見ても人口が特に多い部類に入るDU地区で起こったその事件で、多くの住民の命が失われた。それだけではない、DUで暮らしていた生徒やその時訪れていた生徒は命を失う者も多く、事態の解決のために出動した連邦生徒会やヴァルキューレの生徒にも多くの負傷者や重傷者が出た。
そのテロの主犯格は、異様なヘイローを持っており、狂っているとしか言いようがなかった。テロで多くの命を奪い、捕らえた住民や生徒の尊厳をあらゆる手で踏み躙った。あまりの凶悪さと残虐さに、連邦生徒会が『テロ実行者の生死を問わない』という執行命令を下した事態でもあった。それ程に事態は最悪であり、地獄そのものだった。
「あの事件の後、被害が甚大だったDU地区の再建。犠牲になった方々への追悼。そして連邦生徒会の各部署とヴァルキューレ、SRTの被害も少なくはありませんでした。組織の再編成と生徒や住民の方達が日常を取り戻すための対応。それが急務でした。そして、あの事件で大怪我を負って、日常生活は送れてももう前線に出ることは不可能と言われた前任の防衛室長と、会長から私が次の防衛室長にと指名されました。……とにかく、まずはDUの人々に日常を取り戻すこと。それが最優先だと考えて私は動いていました」
ホシノとて知っている。連邦生徒会とヴァルキューレ、SRTが持てる戦力全てを投入して対応にあたったそれが、どれだけ悲惨だったか。そして、その事件の後に立て直すのが、どれだけ大変なことか。
「新しい防衛室長として忙しくしている時でした。アビドスでユメ先輩が亡くなったという情報が入ったのは。血の気が引きましたよ。報告してきたリン……今の代行に掴みかかって、声を荒げるくらいには。同時に、なんて自分は無力なんだと打ち拉がれました」
「でも、その頃のカヤちゃんは必死にDUを再建しようとしてたんでしょ?……何も悪いことなんて」
「いいえ、違いますよホシノさん。私は、無力だと思ったんです。防衛室長という立場に就いても、結局のところこのキヴォトスにおけるルール。自治区同士でのしがらみや決め事によって、手を伸ばそうとしても伸ばせないことがある。手遅れになることがある。それは、何も出来ないのと同義です。 ……もし、あの時こうだったら。というたらればを、私は今でも考えることがあります。考え、先輩を救えたのではないのかと後悔することだって」
「……カヤちゃんは神様じゃないよ。手を伸ばせる限界がある。そもそも、普通は自分のことで手一杯なんだ」
ホシノとて、当時思うことはあった。どうして先輩がこうなったのか。どうして捜索隊を出してくれなかったのか。しかし、それは思えばキリのないことで。その件で誰かを逆恨みするのは違うだろうということは理解していた。当時のDU地区や連邦生徒会や関係機関だって、最悪のテロの直後で立て直しに必死だったのだ。
「わかっています。それでも私は、一人でも多くの誰かの笑顔を守りたいし救いたい。そしてそんな笑顔や人々の輝きを守るために、誰かの尊厳を踏み躙り。光を、笑顔を奪う邪悪を討つ者。『悪の敵』であり続けるのです。その先に少しでも多くのものが守れると信じて、私は歩み続けると決めました。 ――ユメ先輩とは少し違いますが、私は私のやり方で"誰かを助け、理不尽に抗い続ける"。そう誓ったのです」
――ああ、そうか。
そう、ホシノは思った。
先輩の意思は、想いは受け継がれていたのだ。
形は違うかもしれない。それでも、その想いと意思は同じなのだ。先輩の持っていたそれは、キヴォトスの英雄の中で生き続けている。それは決して消えることはないだろうし、消すことも出来ないだろう。何故ならば、そこに守るべき笑顔や輝きがある限りかの英雄は倒れないし負けることはないからだ。
瞳の奥が熱くなったのを隠すかのようにホシノは俯いて、安心したように口元には笑みを浮かべた。
「おっと、そうでした。突然話は変わりますが、ミレニアムの方達が明日アビドスに――」
「カヤちゃん」
言葉の途中でカヤは言葉を止め、ホシノを見た。その表情は安堵したようで。そして、何かを決めたような顔だった。普通ならそんなことを感じるはずのない表情。だが、感じた――とても、なにか不安な予感がすると。
今のホシノはどこか儚くて、消えてしまいそうにも見えたのだ。
「私もさ、カヤちゃんに会えて良かったよ。ユメ先輩の話も聞けて、知り合いだったことも聞けて嬉しかった。 ……本当に良かったよ」
「……ホシノさん?」
「おじさんちょっと約束があったのを思い出したよ、いけないいけない。うっかりしてたよー……」
そうしてホシノは笑顔で、言った。
――『
その言葉を聞いてカヤは目を見開いた。そうして、彼女が止める暇もなく――ホシノは、屋上から姿を消した。
■謎の調査員
この学園都市で暮らす生徒は物騒で、中には不思議な力を持つ者も居る。
だが、生徒の子達の笑顔は眩しく尊い。
キヴォトスでアルバイトをしながら調査を続ける謎の大人。ゲマトリアをして『奴には関わるな』と思わせるオーラがある。アルバイトを転々としているせいか、ネームドの複数名の生徒とも面識があり将来的に自分探しのためにバイトを転々とするサオリから師匠と呼ばれるようになる。
■ホシノ
選んでしまった。大切な人達が傷ついてほしくはないから。
『契約』を遵守する黒服とて本位ではなかった、その契約に手を伸ばしてしまった。
■あとがき
その先にあるのは、地獄か。絶望か。
パンドラの箱の中身、そして少女の選択の先で最後に残るのは一体何なのか。