これは、ホシノが失踪する少し前の出来事。シャーレとシロコ達がゲヘナの風紀委員会と一悶着あった時より少し前の時間の話である。
「……どういうつもり?まさか、なにか企んでるつもりじゃないよね、黒服」
「クックックッ……。いえいえ、滅相もない。今日はホシノさん、あなたに忠告をするためにお呼びしました」
「こんな万全の諜報対策がされた場所に私を呼び出しておいて?疑うなっていうほうが無理な話だよ」
現在ホシノが居るのは、アビドス自治区のまだ人が比較的居る地域に存在する高層ビル。特定の手順を踏めばエレベーターがその地下階層まで移動し入ることが出来る地下オフィスである。更に言うなら、極めて厳重なセキュリティが張り巡らされており、ネットワーク関係機器は全てシャットアウトされているため電子的な侵入も難しい場所である。
そこでホシノと対峙するのは、オフィスデスクに座る、ひび割れた黒い頭に黒いスーツの異形の大人。黒服、と呼ばれている存在である。
「警戒されたものです。ですが……今回ばかりは率直な話です」
「どうだか。カイザーと手を組んでよからぬことにも関わった疑惑のあるあんたなんて信用できないよ。アビドスから手を引く気になった、くらい言ってもらわないと」
ホシノとしてはそれは信用などしていない、ということを表すための言葉だったのだろう。
だが。返された言葉で彼女は動揺することとなる。
「ええ、アビドスからは手を引こうかと思っているのですよ。更に言うなら、あなたからも」
「……何?」
「とはいうものの、完全には撤退できない状況なんですよ私は。何せ、カイザーとの間で契約を交わしてしまっている。私の遵守するのは『契約』、それを無視するのはポリシーに……いいえ、存在意義に反します。なので、ほぼ撤退という表現が正しいのでしょうか」
「わけがわからない。まさか、それもなにかの嘘か罠?」
「――不知火カヤ」
黒服が呟いたその言葉にホシノは言葉を止めた。黒服は至って真面目な口調で言葉を続けていく。
「シャーレという組織は大変興味深い。そして、『先生』についても興味が尽きません。一度、探求や仕事抜きで、居酒屋でサシで飲んでみたいものだと思うくらいには興味がありますよ。ですが……『英雄』。彼女だけは不味い。彼女は、邪悪と判断した敵には一切の容赦がありません。文字通り相手を滅ぼすまで突き進み絶対に逃がしはしない。そんな彼女と敵対するのは望むところではないのですよ」
「なるほど、流石のそっちも命は惜しいってことなんだ」
「……ええ、その通り。ですがホシノさん、あなたは何もわかっていない。『悪の敵』を敵に回すこと、その本当の恐ろしさが」
「何を言ってるのさ」
「貴女は誰かのヘイローを壊したことがおありですか」
突然黒服から飛んできた鋭い言葉。その言葉にたじろぐも、ホシノは再び睨むように黒服を見た。
「……いいや、ないけど」
確かに、前に一度アルに対して『ヘイローは完璧ではない』などということを脅しで言ったことはあるが、自らが手をかけたことは一度もない。かつて、まだ一年生だった頃はかなり乱暴な戦い方や活動をしていたが、それでもそこまでは至っていない。
そもそも、ヘイローの破壊とはそれだけ重大なことなのだ。生徒達にとって、存在の象徴でもあるそれを破壊するということは、即ち生命を奪うことと同じだ。しかし、ヘイローは簡単には破壊できない。余程の限界を超えるダメージを持ち主に与えるか、拷問じみた行動でヘイローの輝きを消失させることでしか破壊はできない。
ホシノを含めて多くの生徒は考えもほとんどしないが、このキヴォトスという世界は歪に満ちている。比較的頑健な身体と命を持つ住民、ヘイローという存在によりその身体と存在を守られている生徒。だからこそこの世界では、『死』という概念が身近ではなく、それがもし起こった時の影響は計り知れない。『これくらいでは傷にもならないだろう』という認識が生徒にも住民にもあり、それが生命と死の存在を希薄にさせている。
その概念がないわけではないのだ。歴史に刻まれるほどの大規模テロ、『DUの大災厄』では多くの生命が失われた。そうして、ホシノとて身近な存在でヘイローの輝きが。生命が消えてしまった経験をしている。
「そうですか、であるのならば貴女は"まだ"生徒なのでしょう。……ですが、あの英雄は躊躇しませんよ。一度敵と、『悪』と認識した相手は絶対に容赦しない。一切の迷いなく、ヘイローを破壊するでしょう」
「……ヘイローの破壊、それが何を意味するのかお前はわかってる?」
「ええ、理解していますよ。ヘイローの破壊とはすなわち、『死』を意味する。しかし、多くの生徒は死がどういったものかをちゃんと理解していない。だからこそ生命の価値が軽くなり、自分達の何気なく持っているものが簡単に死を招けるものだと認識していない。クククッ……本当に、この世界は面白いですね。 ――ですが」
そう、この世界における例外中の例外は存在している。
その一人が、『英雄』にして、世界の真実と理を知る者。不知火カヤだ。
「あの英雄は違います。死とは何か理解していて、それを認識し理解したうえで、それでなお引き金を引く。この世界が恐れるモノ、死という終わりを簡単に齎す存在。――彼女の敵になるということ、それはつまり終わりが訪れるということなのですよ」
黒服は大真面目だ。ゾクリ、と恐ろしく。そして冷たいものを感じながらもホシノは息を呑む。
対して黒服は『話が逸れましたね』と続けて。
「それに、少し此方で問題が起こってしまいましてね。それが原因で、私自身のアビドスへの介入はこれ以上は危険と判断しました」
「問題だって?ハッ、仲間割れでもした?お前みたいに汚くて卑怯な大人が、組織ぐるみで一人なわけないもんね」
「まあ、それに近いですね。方向性の違い、とでも言いましょうか。ともあれ、私は手を引きます。引きたいのですがね……」
黒服は心底疲れたというようにため息を付く。それはとても嫌そうで、勘弁して欲しいというように見えた。
「申し上げたように、私の遵守するのは『契約』。そして、カイザーと交わした契約が存在しています。……要するに、私が諦めてもカイザーがあなたを利用することを諦めていないということです。よって、その契約に基づいて私はある程度まではカイザーを支援するという契約に含まれる内容を遂行しなければならない。 ――そういうことですので、あなたに悪い知らせと警告があるのですよ」
「……よくわかった。大真面目な警告みたいだね、茶化したのは謝るよ」
「いえ、こちらとしてもなんと言いますか……組織内で起こったトラブルと、今回のことは納得していないのでサービスのようなものです。それでは、単刀直入に言いますが――」
彼としてはとても珍しく、そしてとても嫌そうに事務デスクの中から何やら書類を取り出してホシノへと手招きをする。その書類を見ろ、と言っているようにして。
「あなたにとって、最悪の提案をする前にひとつだけ。私としては、そちらを取ってほしいと思っています。 ……
◆ ◆ ◆
時間は現在に戻る。
突然のアヤネからの電話。そして告げられた言葉で先生は思考が停止してしまった。
居ない? 誰が?――ホシノが、居ない?
少しづつそれを、現実を理解し始める頭が混乱していくが無理矢理に冷静にされる。教師として、自分が焦ってはならないと言い聞かせて。
「落ち着いて、アヤネ。ホシノが居ないって、どういうこと?」
『あ……す、すみません。今私達、ホシノ先輩の家に来てるんですけど、ノックしても反応がなくて。それでおかしいなと思って中に入ったら……先輩の姿がなくて、テーブルの上にメモが一枚だけ残されていて』
「なんて、書いてあったの?」
『……『ごめんね』とだけ。それと一緒に、退学届と、USBメモリがひとつ』
「ッ……カヤ!」
「もう動いています。モエさん、どうですか」
先生はすぐに動いた、だがカヤもそれを予見していたかのようにしてモエに確認をする。最初のホシノが居ない、という時点でアイコンタクトだけでカヤはモエへと指示を出していたのだ。
「アビドス自治区範囲内の通信ネットワークに侵入成功、そこからホシノ先輩のデバイスの位置を――だめだよカヤ先輩、多分ホシノ先輩のスマホ、部屋の何処かに隠してある。アヤネちゃん達の居場所と現在位置が一致してる。 ……でも、おかしい」
「何故、見える場所にスマホを置いていないのかということですね?」
「うん、だってもしスマホの位置で居場所を特定されたくないのなら、部屋の見える所にでもそのまんまにしておかないかな?それにこれ……通信自体は完全に遮断されてる。でも通信を遮断したところで、別の方法でどこにあるのかは特定できる。ただ、なんでそんな手の混んだことを――」
「……スマホを、隠した?」
最後にホシノの姿が確認されたのは、今朝。アヤネが確認しているが、正直今となってはそれも本当に居たのか怪しい。アヤネは部屋の入口越しにホシノの声を聞いただけで、姿を見たわけではない。
――つまり。カヤが嫌な予感がした、昨日の屋上の後。そこから姿を消していることも考えられる。
だとするなら、何故スマホを隠したのか。電話越しでシロコ達がスマホを探している声が聞こえるが、見つかっていないようだ。スマホを簡単に見つからない場所に隠したとしたら。そこにもし、何かとてつもない情報が隠れているとしたら。
その情報を誰かが狙っている可能性、もしくは抹消しようとしている可能性があるとしたら。
「ワカモさん、モエさん。先生とユウカさん達をお願いします ――ミヤコさん、サキさん、ミユさん。装甲車に乗って下さい、運転は私が。ちょっと飛ばしますよ」
最優先のタスクを脳内で処理する。置いてあったメモとUSBメモリの回収。そして、恐らく隠されているだろうホシノのスマホの発見。だが、自分の予測があたっているなら先生の身柄も危ない可能性がある。だからこそ、最高戦力の一人であるワカモを残し、更に援軍として来てくれているアスナにもアビドス高校の防衛を頼んだ。
そして恐らく。事態は急速に動いていると判断していいと考えた。カイザーとその後ろにいる何者か達は強引な手段を含む行動を開始した可能性が高いのだから。