マケインわーるど   作:einan

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姫宮(ひめみや)華恋(かれん)と夕焼けの清算

 

 女子トイレで、少し急ぎ目にお手洗いを済ませた。次は移動教室だから、遅れちゃわないようにしないと……そんなに大きな声で話してるわけじゃないはずなのに、誰かの話し声が私の耳まで届いてきた。

 

「そういえば最近袴田(はかまだ)君と八奈見(やなみ)さんのグループに、姫宮(ひめみや)さんあんまり居なくない? やっぱりあの(うわさ)って本当なのかな」

「? 何か噂があるの?」

「姫宮さんが袴田君に告白したって噂。しかも結構ガチ目に狙ってたらしいよ」

 

 足が止まる。

 

「袴田君には八奈見さんがいるよね? ……略奪(りゃくだつ)しようとしたってこと? 姫宮さんが」

「そ。袴田君はイケメンだけどさー、お似合いの幼馴染の彼女がいる男を狙うなんて。ちょっと見た目が良くて胸が大きくて人気(にんき)あるからって、何でもしていいわけじゃないのにね。あの2人の仲に勝とうだなんて、身の(ほど)知らずじゃ──」

「ちょっと! 後ろ後ろ」

「あっ……」

 

 迂回(うかい)することもできないので、彼女たちの後ろを通り過ぎる。あの人たちがそう思うのは当然。私だって、理屈では分かっていた。草介(そうすけ)杏菜(あんな)は、幼馴染で。2人は小さい頃からずっと一緒。正式に付き合いだしたのは最近だけど、皆いつか2人が付き合うと思っていた。草介と杏菜の仲は皆応援していて、誰も邪魔しようとなんてしていなかった。

 私は間違えた。間違いはちゃんと受け入れて、反省して前に進むの。ちゃんとわかっているから……私は、大丈夫。

 

 

          ◇

 

 

 タイムスリップ2日目、放課後の非常階段。焼きそばパンとスティックパンを食べ進めながら、俺を怪訝(けげん)な表情で見てくる八奈見。

 

「……温水君、もう丸一日以上経っているわけですが」

「……はい」

「普通にしていたら元に戻るって言ってたよね。それはどのくらいの期間なんでしょうか」

「前回は半日くらいで。24時間も経っていなかったはずだ……です」

「そうなんだ。ならもう戻っているはずなのに、戻ってないよね。これは虚偽(きょぎ)報告ってやつだと思うの。温水君、罰則(ばっそく)ものだよ」

「異世界転移とタイムスリップは勝手が違っただけで俺は予想したことを伝えただけだし、(うそ)を言ったわけじゃ……あ、はい、すみませんでした」

 

 八奈見の眼光(がんこう)に思わず敬語になる俺。何故俺が責められるんだ。

 

「……でも八奈見さんにとってはいいことじゃないか? その分袴田と想い出が作れる時間が増えるってことなんだし」

「あのね、温水君。ここはそういう世界なんだってわかって、最初は私もウキウキしたよ。リアルな草介が私に沢山愛を(ささや)いてくれて──でもこれって、別に私に言ってるわけじゃないよね。草介の愛が向いているのは、この世界に元々居た私ってことじゃん」

 

 八奈見はハァと悟ったように溜息(ためいき)を吐き出した。

 こいつは並行世界説を採用するようだ。

 

「あ、それはちゃんと気づくんだ。八奈見さんのことだからどっちも私だし同じことだよねって感じに考えると思ってた」

「温水君は私のことをなんだと思っているのかな? ──だからね、草介に好きって言われても全然実感できなくて……なのに華恋(かれん)ちゃんから草介を奪った後ろめたい気持ちはひしひしと感じるんだよね。これって不公平じゃないかな? かな?」

「俺に言われても……」

 

 八奈見の気の持ちようじゃないのかな、知らんけど。

 気が立っているのか、八奈見は心なしかいつもより食うペースが速い。ポケットから追加のパンを取り出した。よくそんなところに入ったな。

 

「そういえば、姫宮さんとは話したの?」

「もっちろん! 私はこの(みち)の大先輩だからね。失恋のアフターケアには詳しいの。昨日は華恋ちゃんと2人で滝に打たれてきました。多米(ため)の不動滝ってとこ」

「滝……?」

 

 そのチョイスは本当に合っているのか──? まあ本人が言う通り八奈見はプロだし、こいつに任せた方がいいのかもしれない。

 

「てかさ、私は今日知ったんだけど温水君は華恋ちゃんとここで毎日お昼ご飯を食べてるんだよね……? 華恋ちゃんも温水君に借金したってこと?」

「そんな話はしてなかったけどな。何かあったんだろ。姫宮さん、文芸部に入部しているらしいぞ」

 

 お互い入手した情報をある程度交換する。認識をすり合わせるにつれ、八奈見の手がわなわなと(ふる)えだした。

 

「──檸檬(れもん)ちゃんも小鞠(こまり)ちゃんも私を知らない……私は文芸部員じゃなくて、この旧校舎横の非常階段も華恋ちゃんが使っていて……私がやっていたことが全部華恋ちゃんになって……こ、これって寝取(ねと)りだよね!? おかしいよ! これで2回目なんだよ!?」

「1回目も2回目も、別に誰とも寝てないでしょ八奈見さん。言いたいことはわかるけど」

 

 俺も八奈見も文芸部に入ってそこそこ経つからな。今更(いまさら)文芸部じゃない自分というのも違和感を覚える。俺は変わらず入部しているんだけど。

 

「じゃあ俺はそろそろ文芸部に行くから……お互い怪しまれて変な人と思われないように、無難(ぶなん)に過ごしていこう。じゃあね八奈見さん」

「待って! ──私も文芸部に今から見学に行くとか」

「袴田を待たせているんだろ? それこそ不自然な行動だろ……付き合いたての彼氏を待たせて俺と2人きりでこうやって話すこと自体、かなり怪しいんだ。これ以上はマズいって」

 

 相手は八奈見なのに浮気をしている気分だ。

 

「ぐぬぬ……温水君ばっかりズルい! この薄情(はくじょう)者! そういうとこだよ温水君!」

 

 そう吐き捨てる八奈見を背にして階段を下りる。少し恨みを買ってしまった気がするが、元の世界に帰った時に綺麗さっぱり忘れていることを祈るか……八奈見のことを考えるのは止めて、俺は文芸部を目指した。

 

 

          ◇

 

 

 文芸部の活動が終わり、帰宅する。駅の途中までは朝雲(あさぐも)さんも一緒だった。朝雲さんも姫宮さんも、かなり文芸部に馴染んでいたな。

 小鞠が姫宮さんにあんまりビビらず話していたのは意外だった。朝雲さんは月之木(つきのき)先輩との討論を楽しんでいたし、俺と玉木(たまき)部長は2人が白熱する光景を横目にゆっくりと読書に励む。所々(ところどころ)同じようで、明確に違うツワブキ高校文芸部。

 

 一番違うのはやっぱり男女比率かな。以前の文芸部より女子率が高いので、男の俺は肩身(かたみ)の狭さを感じる。──あれ? 八奈見の代わりに姫宮さんが入って……焼塩の代わりに朝雲さんが入ったんだよな。女子の人数は変わってないはず。

 なのに部室の女子率が倍以上になったように感じるのはなんでだろう。まあいいか。

 

「よし……」

 

 俺は意を決して家のドアに手をかける。1日経って心の整理はできた。昨日の夜両親に確認したところ、佳樹(かじゅ)は本当に俺の婚約者──になっていた。

 受け入れるのにだいぶ時間がかかったが……どこの馬の骨とも知れないやつが佳樹の婚約者になっているよりは、ずっといい。

 

 佳樹がいつか好きな人を見つける25歳くらいまでは、俺が佳樹の婚約者を務めるのも悪くはないと思えた。ただ兄妹じゃないのなら、距離感には気を使った方がいいよな。この世界の佳樹の気持ちを受け止めつつ、上手く(かわ)していこう。

 

「ただいま」

 

 実は今日の朝に1度、家に帰っている。鞄や教科書を取りに帰る必要があったからな。そのせいで2日連続の遅刻である。

 その時家族は全員家を出ている時間帯だったので、顔を合わせるのはこれが今日初めてだ。父さんと母さんは多分まだ仕事で……佳樹は──

 

「──ひっ!?」

 

 薄暗い玄関で、佳樹が正座のまま微動(びどう)だにしない。佳樹の容姿の良さは今更語るまでもないのだが、それゆえに日本人形を夜中に突然見てしまったかのような恐ろしさを感じる。

 驚いてばかりもいられない──俺は佳樹に話しかける。

 

「あの……佳樹? ただいま」

「──お兄様?」

「ああ、俺だぞ。佳樹」

「お兄様……」

 

 佳樹の頭がユラリと揺れる。さて、これからどうなる。

 

「お兄様が、帰ってきましたぁ……!」

「ちょっ──」

 

 佳樹は俺に抱きつき、えんえんと泣き始めた。子供の頃を思い出させるその様子に、俺も佳樹を安心させようと抱きしめ返す。

 片方の手でしっかり佳樹の身体を抱え、もう片方の手で佳樹の(きぬ)のような髪の毛を優しく()でる。

 

「……どうしたんだ、佳樹。そんなに取り乱して」

「だって、だって!! お兄様が突然家を飛び出して、そのまま帰って来なくて──佳樹はずっと待っていましたのに、朝になってもお兄様に会えなくて……お兄様が佳樹に愛想(あいそ)を尽かしてしまって、もう二度とお家に帰ってこないんじゃないかって──」

 

 ──何をやっているんだ、俺は。妹が婚約者になった程度で動揺して、目の前に居る佳樹を泣かせるなんて。佳樹が不安にならないように、抱きしめる力を強くする。

 

「ああ、それは……ごめん。友達の家に泊まるの、慣れてなくて──色々計算してなかったんだ。待ってくれてたんだな」

「いいんです、いいんです……こうやってお兄様は、佳樹のもとに帰ってきてくれました。──お兄様、佳樹のことを愛していますか?」

「あ、愛……そうだな佳樹。俺は、佳樹のことを愛しているよ」

「えへへ、お兄様の愛を感じます。いつもより沢山……でもちょっとだけ違う愛のような……でもお兄様ですぅ……」

 

 佳樹は幸せそうに俺の胸元に顔をうずめる。……そのまましばらくすると佳樹は落ち着いたようだ。2人で家の中に入る。

 俺と佳樹は手を繋いで、指を絡ませながら二階へと上がった。そういえば、この世界の俺の部屋に入るのは初めて──

 

「……!?」

 

 部屋に入ると、いつもより感じる開放感。具体的に言うならば、2倍くらいの広さになっている。中央付近の天井を注視(ちゅうし)すると、壁をぶち抜いたかのような──実際ぶち抜いたんだろう跡があった。

 もしかして俺と佳樹、同じ部屋に住んでいるのか。温水(ぬくみず)家におけるプライベートの概念は、どこに消えてしまったんだろう。

 

 ベットの横幅も広くなっており、男ものと女ものの枕が1つずつ横に並んで置いてある。寝る時も一緒ってことだよな……佳樹だからまだ良かった。他の人だったら俺の安眠(あんみん)の危機だったぞ。

 

「お兄様、これから──佳樹にしますか? 佳樹にします? それとも……佳樹にします?」

 

 無邪気(むじゃき)にそう(たず)ねる佳樹に俺は苦笑いをする。この調子じゃ今日は当分、甘えん坊な従妹(いとこ)の相手をすることになりそうだ。

 

 俺は本棚から一冊のラノベを取りだして、パラパラとめくった。『いこせん!』は最終巻のヒロインレースで劇的な決着をした作品だ。あのエンドはとても素晴らしかったが、こちらでは違う展開なのかもと少し期待する。

 佳樹は俺の真横にピタリと座り、俺たちはゆったりと寄り添いつつ本を読む。……チクタクと進む時計の針の音からは、何故か安穏(あんおん)さと焦燥(しょうそう)感という、相反(あいはん)する(おもむき)があった。

 

 

          ◇

 

 

 今日は休日である。俺はいつもの書店に立ち寄っていた。ほどよく冷房が効いた店内は快適で、外界(がいかい)の熱気を忘れさせてくれる。

 ──さて、巡回(じゅんかい)を始めるか。昨日も下校途中に寄ったんだが、朝雲さんも一緒だったからあまり大っぴらに巡ることが出来なかったんだよな……俺は新たな本との出会いを求め、書店の棚やポップアップをチェックしていく。

 

 やっぱりラノベや漫画はタイムスリップ前と同じものが出版されているな。新刊(しんかん)発売日や展開までピッタリ同じだ。これなら宝くじの番号とか覚えておけば大儲けできたかもしれないのに、覚えてないんだよな……でも高校生って宝くじ買えたっけ? 

 いや、この際それは別にいい。問題はこのままだと続きが気になっている作品を何カ月も読めないという事実だ。原因はわからないけど、やっぱりどうにかして元の世界に帰るか、元の世界に戻さないと。

 

『ブーッ、ブーッ』

 

 マナーモードにしていたスマホのバイブ音が鳴る。画面に表示されたのは『白玉 みのり』の文字。……知らない人だ。連絡先に登録されているってことは知り合いなんだろうけど、ここに来て新しい登場人物が出てくるとは思いもしなかった。

 ──この世界でしか知り合っていない人物。何かしらの手掛(てが)かりでも持っていないかと、書店の外に出て着信に出る。

 

「はい、温水です」

「もしもし温水くん……来てくれませんか。私(さみ)しくて、我慢できなくて……温水くんは面倒くさいですよね……でも──」

「え、えっと。わかった、わかりました? とりあえず場所を教えてもらえると──」

 

 スマホから聞こえてきたのは大人びた女性の声。やばい、知らない人だからどう話せばいいかわからないんだった。

 何やらただことではない様子だったので、居場所を聞いてみる。ここから1駅くらい先にあるファミレスなので、そこまで時間はかからない。俺は電話を切り上げて、その場所に向かった。

 

 

          ◇

 

 

「家に居場所がないんです……!!!」

「は、はい」

 

 ファミレスに辿(たど)り着くと、そこにはまだ昼だというのにテーブルの上に並ぶ何本ものジョッキ。それらを飲み干したのであろう20代中盤(ちゅうばん)くらいの女性が、中央に座っていた。酔っぱらっているのか、顔が少し赤い。

 俺より年上のはずなのに、可愛いという印象が第一に出てくる。とても綺麗な顔立ちで、大人の女性って感じだ。俺は対面の座席に座る。

 

「平日はいいんです──平日は。私も仕事があって、家に帰るのは遅くなったりしますし……だけど休日は、あの人がリコに勉強を教えに来ることが多くて。いっそ何処かへ遊びに行ってくれると、私も意識せずに過ごせるかもしれませんのに──」

 

 謎多き女性・白玉(しらたま)みのりさんは、同席した俺にグデグデと早口で絡んできた。

 ……この人、手掛かりとか関係なさそうだな。大人は大人でも、駄目な大人だ。俺の脳内で速攻で白玉みのりさんのプロファイリングがされ──小抜先生と同じタイプに分類される。

 

「リコの部屋で2人が勉強をしていて。両親は仲がいいねーってのんきに言っているんですけど、リコの好意とそれを受け入れているあの人の関係性を知っている私としては、すぐ近くで何かが起こってないか気が気じゃないんです。もう家に居られませんよ。こんなの誰にも話せませんし」

「俺に話してますけど……」

「温水くんは……いいんですよ。ツワブキ生だったのは誤算でしたが、同僚(どうりょう)や友人に吐き出すよりリスクは低いですし──こんなデリケートな話題、言いふらさないと信用しています。私はあの2人に不幸になって欲しいわけじゃありませんから。前に言ったように温水くんはただ私の話を聞いてくれるだけでいいんです。両親に伝えて2人を引き離さない時点で、私ってひじょーに配慮(はいりょ)していますからね! これくらいはセーフです」

「そ、そうかもしれません。配慮が出来ている白玉さんは、素晴らしいと思います」

 

 まだ話の流れが良く分かっていないが、一旦(いったん)肯定しておく。美人とはいえ酔っぱらいの相手、面倒くさいぞ。

 

「あの人のことが忘れられないせいか、新しい出会いも上手くいきません。それともやっぱり私って魅力ないんでしょうか。まだ小学生だった妹にも負けるんですから、相当深刻ですよね……」

 

 失恋の話だということはなんとなくわかった。とりあえず彼女の外見はトップクラスだと思われるので、手に持っているビールのジョッキを手放せばかなり改善するんじゃないだろうか。

 ……一気(いっき)に滅茶苦茶飲むな。酒が消えるペースが早い。彼女は飲み終わったジョッキをドンとテーブルに置き、タブレットで次のお酒を注文している。──まだいくのか。

 

「温水くんも何か注文しますか? 何でも食べていいですよ。会計は社会人のお姉さんに任せてくださいね。そういえば、これを渡していませんでした」

 

 白玉お姉さんは俺の隣に移動してきた。距離が近くない? たっぷりとお酒を飲んでいるはずなのに、ふんわりと甘い香りがする。彼女は紙包みを1つ取り出し、俺に渡してきた。

 

(あや)喜舎(きや)出汁(だし)セットです。妹さんとの料理にでも使ってください」

「え、いいんですか? ……でももらっちゃ悪いですよ、こんな高そうなもの」

「今日来てくれたお礼と、こんなことに付き合わせている私の罪悪感を減らすためにも、受け取って貰えると嬉しいです。温水くんは線が細いから、いっぱいご飯を食べて欲しいですし。もしかして、これが母性(ぼせい)……? 私、独身なのに……」

 

 勝手にへこみ始めた白玉さんから、ありがたく紙包みを受け取ってお礼を言う。正直このまま話すのは気が進まなかったが、出汁セットの分の働きはしようと思った。

 

「私だってこうやってちょっとしたプレゼントをすれば、温水くんに相手にしてもらえるし捨てたものじゃないです。でもこれ、最近ニュースでやっていたパパ(かつ)ってやつじゃ──違いますよね、温水くんはボランティアの最終日、私にとても優しい言葉をかけてくれました。お金目当てなんかじゃありません。ですよね、温水くん」

「もちろんですよ」

 

 最初はどうなるかと思ったが、このままただ話を聞くだけでいいのなら安い手間である。俺は白玉さんとしばらく話したが、その話の大半はどうやら彼女の妹らしい『白玉リコ』ちゃんと、『あの人』とのただならぬ関係についての不満だった。

 彼女の好意を尊重して結んだ恋人を作らない約束を、『あの人』はまだ律義に守り続けていて、リコちゃんが心変わりするまでその決心を崩す気配はないんだとか。

 

「リコがあの人以外の彼氏なんて、作るわけないじゃないですかぁ……」

 

 ファミレスの雑音に紛れ、俺の隣で諦めや呆れの感情を吐き出す白玉さん。ダメージはかなり根深いようだ。それでも妹さんのことはかなり好いているようで、最後のあたりは年が離れたお互いの妹トークで、すこぶる盛り上がった。

 ……だけどなんだかんだ今日は疲れたな。この状況についての手がかりもなかったし。

 でも結局、常識で考えられない事態を、俺のような凡人(ぼんじん)が対処するのは無理な気がしてきた。このまま状況に流されてもいいよな……温水和彦は、基本的に大きな流れには逆らわない男なのだ。

 

 

          ◇

 

 

 週が明け、学校に行く。見返したいアニメがあったのに、休日の夜も塾に行かなければいけなかったので少し寝不足だ。軽くあくびをしていると、昨日も会った二人組と出会う。

 

和彦(かずひこ)おはよう。登校前に会うのは珍しいな」

「ぬっくんおはよー。ちゃんと寝てないの?」

「そんな感じ……おはよう光希(みつき)焼塩(やきしお)

 

 焼塩檸檬と綾野光希。この2人はどういう訳か付き合っている。でも焼塩が綾野にデレデレすることが多いだけで、このカップルは人前で積極的にイチャつくわけではないから一緒にいてそこまで疎外(そがい)感を感じることはない。健全だ。世の中のカップルは皆こいつらを見習ってほしい。

 そうしているともう1人挨拶をしてきた。朝雲さんかなと思ったが、たゆんと揺れる二つの塊──会話に加わってきたのは姫宮さんだった。

 

「おはよう! 温水君。焼塩さんと……もう1人の人は、温水君のお友達?」

「おはよう姫宮さん。──紹介するよ。こいつは綾野光希って言って……俺と千早(ちはや)さんと同じ塾に通っているんだ。焼塩もだな」

「和彦、ちょっと紹介が(さび)しいんじゃないか? (だい)親友(しんゆう)ってくらいは付け加えてくれよ」

 

 知らん。俺は数日経ってもまだ綾野のその馴れ馴れしさに違和感があるんだ。これくらい許せ。

 

「君が綾野君! 千早と温水君から話は聞いてるよ、私は姫宮華恋。よろしくね」

「俺も姫宮さんの話は聞いている。あらためてよろしく。……ところで姫宮さん。和彦はキミに、俺のことをどんな感じで話していたか聞いたりしてもいいかな」

 

 誰かこいつを止めてくれ。俺の願いが通じたのか、姫宮さんのバストをジッと見つめていた焼塩が綾野と姫宮さんの間に割って入る。相変わらずの健脚(けんきゃく)のようで、機敏(きびん)な動作だ。

 

「光希、ダメーー!! 他の女の人にそんなに近づいちゃダメだよ。光希は、わ、私の彼氏なんだから」

「そんなつもりじゃ……不安にさせたな。ゴメン、檸檬。俺が悪かったよ」

 

 綾野はすぐ焼塩に謝り、2人はほんわかとした雰囲気になる。焼塩、結構嫉妬(しっと)するんだな……それなのに、塾では朝雲さんとわりと意気(いき)投合(とうごう)してるんだよな。理由が不明である。

 

「……2人は付き合っているの?」

 

 姫宮さんが質問をする。あれ、これマズくないか。

 

「そうだよ! 私と光希は幼馴染で……中学の頃から付き合ってるんだー」

「そんな感じだ。僭越(せんえつ)ながら、檸檬とお付き合いをさせて頂いている」

「なにその言い方? 堅いよ光希」

「……素敵。とっても素敵なカップルだね。綾野君はこんなお似合いの彼女さん、離しちゃいけないよ」

 

 姫宮さんは手を合わせて綾野と焼塩の仲を祝福している。だが八奈見と袴田の幼馴染カップルに敗北したばかりの姫宮さんに、別の組とはいえ同じ幼馴染カップルを見せるのはマズいだろう。

 俺は綾野と焼塩とそれとなく別れ、姫宮さんを連れてこの場から離れる。移動している最中に、姫宮さんがポツポツと俺に話しかけてきた。

 

「温水君、別に──気を(つか)わなくてもいいんだよ?」

「そ、そうかもしれないけど。俺には姫宮さんがどう思っているとか、そこまでわかるわけじゃないし。万が一というか……念のためというか……(ころ)ばぬ先の杖みたいな……」

「それが気を遣ってるって言うんだよ……? でもありがとう、温水君。気持ちは嬉しいな」

 

 姫宮さんはそのまま言葉を続ける。

 

「綾野君も焼塩ちゃんも、楽しそうだったね。……長く続く関係って、やっぱり憧れちゃうな。私、子供の頃から色々なところを転校していたから──ふふ、せっかく仲良くなった友達とも、国が違うとなかなか会えないんだ。初めましての挨拶はどんどん上手くなれたんだけど、それだけ。だから杏菜と草介と出会えたのは嬉しかったんだ。短い間でこんなに仲良くなれたのは初めてなの」

 

 そう語る姫宮さんの表情は、海の向こうにいる数多の友人に思いを()せているのか、埋まらない空虚(くうきょ)感を自分で(なぐさ)めているのか──八奈見と袴田との友情を()みしめているのか、俺にはわからない。

 けれど普段の昼食や部活では見せない、気丈(きじょう)な姫宮さんの心の(うち)に、俺は触れてしまった気がした。

 

「えっと……姫宮さん。こ、高校とか大学で出来た友達は一生ものって聞くし、これからなんじゃないかな。俺も出来ることがあったらなんか……なにかするし」

 

 慰め方下手か俺。そもそも姫宮さんは昔から続く友達関係がないことに今悩んでいるんだから、こんなこと言っても仕方ないだろ。姫宮さんは俺の言葉に微笑み、こう返した。

 

「うーん……温水君が何かしてくれるんだ? それなら私、行っておきたかった場所があるの。放課後、付き合ってくれないかな?」

 

 

          ◇

 

 

 焼け(ただ)れた(あかね)色の夕焼け。豊橋(とよはし)の街並みの一画が、この場所から一望できた。入り組んだ路地を抜けた先に、こんな場所があったのか……綺麗だな。

 姫宮さんは軽やかな足どりで俺の前に飛び出し、クルッと振り返る。

 

「素敵な場所でしょ? 少し前に見つけた穴場なんだって、草介が私に教えてくれたんだ」

 

 こんな場所を知っているなんて流石袴田だな。やっぱりあいつラブコメの主人公なんじゃ……というか、それなら。

 

「──なんで俺に教えてくれたの姫宮さん。この場所……袴田との思い出の場所、だったりするんじゃ」

「いいの。2人だけの秘密ってわけでもなかったから。草介もきっといつか杏菜に教えるよ。私はたまたま先に教えてもらっただけ。私と草介は──友達だから。いいものを友達に教えてあげたかったから……あの日私達は、この景色を一緒に見たんだ。だから私は友達の温水君に、同じことをしている。……私が、そういうことにしたいの」

 

 確かに、そういう気持ちの切り替え方もあるかもしれないけど。あんまりいいやり方じゃない気がする。

 (げん)に姫宮さんの輝きは、明らかにまた薄らいでいた。この人、どうして自分で自分を傷付けているんだ。いくら姫宮さんは強いからといって、限度があるだろ。

 

 ──姫宮さんは(しばら)く夕日を眺めていたかと思うと、次第にその声には涙声(なみだごえ)が混じり始め、しまいには嗚咽(おえつ)を漏らし始めた。彼女の涙が、ポタポタと固いコンクリートの床を濡らす。

 ……そうなるよな。

 

「草介……草介はね、最初は何このハレンチな人って思ったんだけど、話してみると凄く面白い人で……温かくて。話しているとちょうどこの夕焼けみたいに……じんわりと心が満たされる──っていうのかな……それなのに変なところでドジだから、目が離せなくなっちゃって……あの人実はニンジンやピーマン、苦手なんだよ。そういうところは子供っぽいのに……手はすごくゴツゴツしてて、男の人って感じで──カッコよかった。私が林間(りんかん)学校の時に……(がけ)の下に転がり落ちちゃった時は、ロープを使ってその手ですぐに助けに来てくれたんだ──」

 

 姫宮さんは涙を流しながら袴田との日々を語りだす。それは彼女なりの恋の清算(せいさん)だったのかもしれないが……俺には、彼女が懺悔(ざんげ)をしているようにしか、聞こえなかった。

 

 落陽(らくよう)の日差しは、懺悔室に(とも)る照明のようで。姫宮さんの顔を優しく照らす。

 

「ごめんね、温水君。ここに来たら気持ちが抑えられなくなっちゃって……私やっぱり温水君の厚意(こうい)に甘えちゃう、我儘(わがまま)な悪い子だったな。でも、一人は嫌だったから──一緒に付き合ってくれて、ありがとう」

「……うん」

 

 彼女に何かを伝えたかった。

 ──しかし、都合のいい言葉は何一つ口から出てこなかった。 

 

 ……俺は、姫宮さんのことを知らない。友達と言ってくれてはいるけど、この世界での付き合いは1週間もなくて。

 俺が知った時にもう彼女の恋の物語は終わっていて、これはそのエピローグ。幼馴染への憧憬(どうけい)も、失恋の痛みも、俺は共感することが出来ない。ただ(そば)に居て、彼女の話を聞いているだけ。

 

 白玉さんの時と同じだ。彼女たちは時が経つにつれ、自分なりに恋に折り合いをつけている。やり方は良くないかもしれないけど、最後はキッチリと立ちあがるのだろう。

 俺の役目は、この場所で彼女を1人にさせないことだけ。これも姫宮さんとある程度親しい友人なら、誰だっていいんだ。俺の役目は既に終わっていて。これ以上は、部外(ぶがい)(しゃ)である俺が言えることなんて……でも俺は、姫宮さんに──

 

「……」

 

 あと少しで言葉に出来るはずなのに、あれこれと逡巡(しゅんじゅん)してしまう自分が歯痒(はがゆ)い。

 

 姫宮さんは気持ちを整理するように目を閉じて、思い出の場所の手摺(てすり)に体を預けている。

 日が沈み、照らされずともなお(うつく)しいその姿を──俺はただ、見ているだけだった。

 

 

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