マケインわーるど   作:einan

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朝雲(あさぐも)千早(ちはや)と祈りの残り火

 

 焼塩がこの世界の自分に別人感を持ったことは、わからなくもない。

 俺の中では焼塩は暇さえあれば走ることに打ち込んでいるイメージで。

 名実(めいじつ)ともに、陸上部のエースだ。しかしこの世界では部に所属すらしていない。

 

 陸上部という焼塩の大部分を占めるものが抜け落ちていることが、そう感じさせたのではないだろうか……。

 思い返せばこの世界の焼塩は、彼女特有の活発さもいくらか鳴りを(ひそ)めていた。

 ──イマイチ言語化してくれない焼塩とあーだこーだやり取りしているうちに、クラス対抗リレーの時間になってしまった。

 

 クラス全員出場することによる人口密度が高い場所で、列になって体育座りで並ぶ。

 前には袴田。後ろにはアンカーの焼塩。

 どうしてか俺はプレッシャーがかかる後半の最後の方の立ち位置にいた。クラスメイトの何人かからは試すような視線が飛んで来ている。

 走る順番は総合的なタイムには関係ないとはいえ、お腹が痛くなりそうだ。

 

「温水、結構点差が熱い展開だぞ。これはもう全力を出し切るしかないな」

 

 前にいる袴田が振り向いて、軽く茶化しつつ余分なプレッシャーをかけてきた。爽やかなイケメン顔でありながら、目は滅茶苦茶闘志(とうし)に燃えていて。

 同じく闘志を燃やしているであろう焼塩も、自分が競うことになる相手を確認しており──そこで視線を止めた。

 あれ。D組は綾野がアンカーをするのか。意外だな……。

 

 

          ◇

 

 

 砂煙が()う中、順番が近づいている。

 ──走る距離自体は、大した距離じゃない。

 アンカーだけは他の人より一周分距離が長いので、そこまで少しでも早く繋ぐのが俺の役割だ。

 

 短時間で他のランナーを突き放した袴田から、バトンを渡される。

 遮二(しゃに)無二(むに)に走りだすけど、どこか場違い感は否めない。

 今の俺の足を回しているのはただの義務感と、張りぼての責任感で。

 

 ……やっと次の走者が見えてきた。

 焼塩や綾野をはじめとしたアンカーたちが、バトンを受け取るために待機している。

 あの二人──走る前に、何かを話してないか。

 

「檸檬さん。体育祭が終わったら、俺の話を聞いてくれないか」

「……いいよ。聞いたげる。でも、まだ終わってないから。余計なことを考えてたら、置いてっちゃうよ」

 

 歓声で何も聞こえない。……誰かに抜かされた気がする。

 次第に足が進んでいるかすら怪しくなってきた。もう、焼塩が構えている手だけを見て。

 俺が知る限りでは、走ることにおいて最も信頼できる人物である彼女に──無事、バトンを(たく)した。

 

 

          ◇

 

 

 ──結果。このクラス対抗リレーで、一年生の中で最も早くゴールテープを切ったのは1-Cだった。だが赤組としては残念ながら総合優勝とはならず。

 健闘を(たた)える空気に包まれて、体育祭は幕を下ろす。終わったばかりの熱量が、次第に静まっていって。

 ついていけなかったもののはずなのに、物寂しく感じてしまうのは何故だろうか。

 

 そして俺は、黙々と組み立て式テントの後片付けなどを行っていた。

 生徒会が片付けの指揮に関わっている以上、どこかで天愛星さんに見られているかもしれないからな……最後まで真面目にやろう。

 この区画に残っているパイプ椅子はあとこれだけか。少し重いかもしれないけど、まとめて持っていくことにする。

 

「ぬっくんお疲れ。あたしが全部持つよ?」

「焼塩もお疲れ様。こういう時は半分でいいと思うぞ」

 

 俺にもなけなしの男子としてのプライドがある。

 体育祭が終わったというのにまだまだ元気そうな焼塩を連れて、体育館に向かい始めた。

 

「クラスで打ち上げやるんだって。ぬっくんも来るよね?」

「……何かやらかした時、クラス全員の前だとまずいだろ。よって俺は、今回は行かないことにする」

「ありゃ、そうなるか」

 

 これは正当な理由で、決して早く帰りたいからという理由ではない。

 

「じゃあ、打ち上げは行かないであたしとお疲れ様会やろうよ。ぬっくん、ご飯食べるお店って詳しいよね?」

「名前を変えただけだろそれ。だけど、そういう案もあるのか」

 

 綾野と朝雲さんも来られるなら、何やら(ほの)めかされている事情以外のことは気を張らなくて良いだろうし。

 しかし、アンカーも務めたクラスの花形である焼塩が居ないのはどうなんだ……?

 

 まばらな人影の合間を()って歩くうちに、ふと焼塩の横顔が視界に入る。

 二度の体育祭で持っている運動能力を存分に発揮して、それなりに達成感があるはずなのに。

 彼女の横顔には、確かな悔しさが(にじ)んでいた。

 

「──あれだけ大活躍したのに、そこまで悔しがれるんだな。いきなり参加した割には、よくやれた方だと思うけど」

 

 そうポツリと呟く。所詮(しょせん)、俺たちは助っ人枠的な存在だ。

 不正出場だと自分から言いたくはないので、そう呼ぶことにしている。

 

「……そうかな。頑張って、それでも届かなくて。惜しかったねーってなるのは、嫌いじゃないんだけど。やっぱりやるからには勝ちたかったよ」

 

 ズズッ。パイプ椅子の金属製の脚が、時折地べたを引きずる音を立てる。

 

「一生懸命やれたんだったら、勝ち負けは関係ないってのもわかる。それでもね、周りの皆と遠慮なしに喜び合えるのは、勝った人たちだけじゃないのかな」

 

 なかなかシビアな考え方だな……。

 普段は割とおちゃらけている焼塩が、競技者としてはどこか大人びて見えて。

 元々のビジュアルが相まって、どこかのスポーツ誌の表紙になってもおかしくはないくらいだ。

 

 ……取材を受ける焼塩か。想像はできるな。

 有名人って、少し個性的な人が多いらしいし。

 同じ学校だという理由だけでこいつを間近で見ていられるのは、実は貴重だったりするのだろうか。

 中学からちょくちょく見ているので、今さらありがたみは感じられないけど。

 

「来年こそはリベンジするからね。ほら、ぬっくんも負けたままじゃいられないでしょ。えい、えい、おー!」

「……クラス替えあるの、忘れてないか?」

 

 ──この調子じゃ、それはまだまだ遠い話だろう。危なっかしく右腕を(かか)げた焼塩に俺は苦笑いで返す。

 ああやっぱり。こいつには、突き進んでいる姿がよく似合うな。

 

 

          ◇

 

 

 体育祭の撤収(てっしゅう)作業は一段落して、キャンプファイヤーの設営も完了しつつある。

 井の字型に組まれた大きな(まき)の中心に、新聞紙などが入れられていく。

 ……もうすぐ点火されそうだ。徐々に浮ついた空気になってきた。

 

 踊りを申し込む人がチラホラと出てきたので、小鞠のことが気になってつい周囲を挙動不審に見渡してしまう。

 ──背丈が高い玉木先輩の方が先に見つかった。

 その傍には部室の端でスマホを(いじ)っているような人見知りの女の子が、好きな人を相手に精一杯のアピールをしている姿があって。

 頑張れ……頑張れ。

 

「あの──」

 

 冷や冷やと固唾(かたず)を飲んで見守っていた俺に、一人の生徒が話しかけてきた。

 長い前髪と三つ編みが特徴的な、小柄な子だ。おずおずとしているものの、どことなく清楚で上品な感じがする。

 眼鏡をかけているようで、図書委員が似合いそうな子だなという印象を受けた。

 彼女は遠慮がちに口を開く。

 

「私と……キャンプファイヤー、一緒に踊ってくれませんか?」

 

 ──その言葉の意味を飲み込むまで、どれだけの秒数をかけただろうか。

 

 いやいや。百歩譲って当事者は、この世界の温水和彦だろう。

 しかし、体育祭マジックが俺に適用されたという可能性はゼロじゃないのでは……?

 

「初めてお会いした時から、ずっと気になっていました。この前、遊びに誘ってくださって……すごく嬉しかったです。だから今度は、私からお誘いしたくて」

 

 はい。違った。……少しだけ心身を整理する。

 まず、目の前にはとても良い家庭を築けそうな女の子がいて。

 事前に聞いたシチュエーションを考えると、おそらく告白をしているんだろう。

 

 どどどどうしよう。そそれなら俺に言われても困る。

 え、ええい、なんでこういう時に限ってイベントが多いんだ。

 

「き、気持ちは……と、とても嬉しい。けど俺は──」

 

 ……早く白状しよう。

 わかりにくくてもいけないから、とりあえず俺は温水和彦の生き別れの兄ということでどうだろうか。

 し、信じてもらえるのかな。どうだろうな……?

 悩みに悩んでいる俺を見かねたのか、女の子は俺の腕を引いて連れ出そうとして。

 ──?

 

「……佳樹?」

「あら、バレてしまいました。もう少し引っ張りたかったです」

 

 目の前の図書委員風の女の子は、舌をちょろっと出して悪戯(いたずら)っぽく笑った。

 そっと彼女の前髪をかき上げる。それは昼間に触ったものと同じような作り物の手触りで。気づいたら即座に確信できた。

 じれったく何かをねだるような佳樹の眼差しが、レンズ越しに俺を見つめている。

 

「……ひとまず、隅っこの方に行こうか」

 

 片手で口を抑えて、コッソリと佳樹に(ささや)いた。

 体育祭は終わったのにまだ学校にいることとか、ツワブキ生にしか見えない変装だとか。色々と聞きたいことはあるが、まず騒ぎにならないうちに佳樹を帰すことが先決だ。

 佳樹はこくんと頷いて俺の後ろについてくる。

 

「──お説教ですか? お兄様」

「……ああ。どうしてこんなことをしたんだ? 佳樹ももう中学生だし、そこら辺のやっちゃいけないことはわかっているかと」

 

 きっとここに俺がいたら同じように注意しているはずだ。

 しおらしく両手で服を()まんで、しゅんとした顔で見上げてくる佳樹。

 この見た目だと、気弱な同級生をいじめているような罪悪感が湧くな……。

 

「お兄様は、このキャンプファイヤーのおまじないをご存じでしょうか」

「……知っているけど。その、告白の後押しみたいな」

 

 青春値が足りずそれに参加できない身としては、大人しく過ぎ去るのを待つしか対処法はない。

 ──いや、告白って急かされてするものじゃないと思うんだ。

 もっとこう、じっくり頃合いを見計らってするもので。

 

「……お兄様は少し誤解していませんでしょうか」

 

 佳樹が目配せした方向を見る。

 そこでは複数人の女子が仲良く輪になってはしゃいでいたり、運動部っぽい男子がやけっぱち気味に他の男子を振り回していたりして盛り上がっていた。

 

「キャンプファイヤーで直前にお誘いした人は、将来好きな人と結ばれる……誘う相手は関係ないのです。なんなら、お誘いが成功したかどうかも。恋愛運が上がるおまじないとして、お友達をお誘いする方は多いみたいですね」

 

 ……ああ成程。一応その気になれば誰でも楽しめるものではあるんだな。微妙な距離感の男女が堂々と踊る口実にもなっていそうだ。

 あれ、余計にボッチの人を殺しに来ているイベントでは──? 別に何とも思わないけど、世間の風当たりの厳しさを感じる。

 

「それっておまじない通りにしたから好きな人と上手くいくんじゃなくて、こういう時に誘える人が上手くやっていけるだけじゃないか……?」

「そうかもしれません。でもでも、素敵じゃないですか。必要なものは、恥ずかしがらずに一歩踏み出す勇気だけなんです」

 

 その一歩で佳樹はここまで入り込んできちゃったのか。

 随分と、歩幅が大きい一歩だな。

 

「佳樹のお兄ちゃんとして言うなら、あと二年は待って欲しかったけどな。この調子でまた無茶をしたら、純粋に心配なんだ」

 

 そんな俺たちを背景に──ボウ、とキャンプファイヤーが燃え盛り始めた。

 点火係の人が火を入れたらしい。勢いよく炎が跳ね上がり、日が落ちかけた辺りを明るく照らす。

 細かくパチパチパチと、なにかが弾ける音がここまで響いている。

 佳樹は一呼吸置いて、話を続けた。

 

「……佳樹がツワブキに入学することができたら、お兄様は婚約者だからという理由で佳樹を誘ってくださるでしょう。──それじゃ満足できない、乙女心でしょうか。肩書(かたがき)は関係ない、ただの女の子として見られたい佳樹もいるんです」

 

 佳樹は指を(ほほ)に添えておどけた口調になり、目を細めてふんわりと笑う。

 

 ……好きな人と一緒にいられても、また新しい望みが出てきて。

 恋愛って、思ってた以上に大変そうだ。

 

「来年は、もっと気合を入れた変装でチャレンジしてみますね?」

「こら、反省しなさい。……少しだけ踊ったら、すぐ帰るんだぞ」

 

 結局あまり怒れなかったな。

 まあ、偶にしか会えないもう一人の妹なんだ。多少甘くなったとしても、バチは当たらないだろう。

 

 火の粉が(うず)巻き、辺りに散っていく。

 不格好なリードをされているはずの佳樹はそれでもなお、(たわむ)れるように踊っていて。

 

 ──頼むぞ、もう一人の俺。佳樹を悲しませることなんてあったら、すぐに飛んできてやるからな。世界の壁なんて知ったことか。

 ……俺は決してシスコンではないが。兄ならば当然の(ちか)いである。

 

 

          ◇

 

 

「ふう。……壁の高さを再認識できただけ、よしとしましょうか」

 

 燃えた薪の表面がひび割れていき、()ぜていくのを眺めながら。

 朝雲千早は缶の(ふた)にあるプルタブに指をかける。

 カシュッという音と共に、僅かな甘みを帯びた香ばしい香りが立ちのぼった。

 

「……微糖のコーヒーというのも、案外悪くないですね」

 

 チビチビと手に持っている缶コーヒーを味わって座っていると、何やら足音が近づいてきた。

 

「ここなら大丈夫かな……?」

 

 そこに現れたのは姫宮華恋。

 何かに追われていたのか、体の所々に枯葉が付いている。

 

「華恋さんじゃないですか。その様子ですと、随分とモテているようですね」

「そ、そんなんじゃないよ!? 協力してあげたいなっていう気持ちはあったんだけど、今はそういう気分じゃなくて……って、千早? 温水君はどうしたの」

「あちらですよ」

 

 朝雲千早が手の平で指し示す先には、兄妹が無邪気に仲(むつ)まじく踊っている姿があった。

 

「あの子、見たことない子……誰なんだろう」

「和彦さんの妹さんですよ。何度か会ったことがあります」

「……妹さんか。ならいいよね。ん? 佳樹ちゃんって確か──」

「はーい。それ以上考えるのは野暮(やぼ)ですよ。ぐるぐるしましょうか」

 

 姫宮華恋の頭を掴んで()でるように回す。

 ──この際だ、以前から気になっていたことを聞いてしまおうか。

 

「華恋さんって、どうして和彦さんと幼馴染になったんですか?」

「えっ!? ……なったって、ど、どういうことかな。私と温水君は幼馴染だよ?」

 

 姫宮華恋は二度瞬きをして、小首をかしげて可愛いらしく(とぼ)ける。

 彼女が行うと、どんな動作であっても絵になっていた。

 

「『今日から始める幼馴染』。転校生が隣の席の男子と幼馴染になるという漫画に、完全に影響されていますよね? でも、和彦さんは華恋さんの隣の席ではないはずですけど」

「あ、あわ……あわわわわ。い、いや、えっと、そのね?」

 

 その追及に姫宮華恋は慌てふためく。

 少しすると観念したのか、しどろもどろに話し始めた。

 

「夏休みに部室で、千早と温水君がその……ライトノベル? みたいなことをしてたから。あれって、二人が読んでる本のシーンの再現(さいげん)をしていたんだよね」

 

 確かに……読み始めたラノベの(いく)つかのシーンを真似して、試しに彼に迫ってみたことはあった。

 

「それが楽しそうだったから……私も混ぜて欲しかった、の」

 

 顔を赤くしつつ姫宮華恋は白状する。あとは煮るなり焼くなり好きにしてくれというさらけ出しっぷりだ。

 朝雲千早は、静かに彼女と視線を交わす。

 

「華恋さん……貴方って()()(よう)なんですね」

 

 ──朝雲千早はそう結論付ける。

 

「不器用……?」

「不器用で、寂しがり屋で。まったくもう、文芸部(ウチ)の女子はこんなのばっかりですか。この先が思いやられます」

「ち、千早が冷たいよぉ……ちょいっとだけ、温水君みたい?」

「あら、それは光栄ですね」

「褒めてないよ!?」

「それもどうなんです?」

 

 ……彼女の表向きの理由は理解した。ではそれを踏まえた上で。

 

「でしたら──私とも幼馴染になりませんか?」

 

 朝雲千早は姫宮華恋に問い掛ける。もし、今言った理由だけではなく。

 姫宮華恋が幼馴染という関係をそういう意味で特別視していたのなら……この提案には難色(なんしょく)を示すのではないだろうか。

 姫宮華恋のBGMが転調する。

 それまでの穏当(おんとう)なクラシックの曲調から、アップテンポで神秘的な旋律(せんりつ)に変わり。

 

「い、いいの?」

「はい?」

「や、やったあ! 千早から言ってくれるなんて思ってなかった。ねぇねぇ、私ペアコーデとかやりたいな」

「むぎゅっ!?」

 

 ……早まった提案をしたかもしれない。

 それなりに付き合いがあるはずなのに、姫宮華恋の行動はどうにも読み外してしまう。

 乙女の秘密の丘に埋もれ足をパタつかせる朝雲千早は、苦し(まぎ)れにそう思考した。

 

 

          ◇

 

 

 佳樹は無事、戻ってきていた両親の元に返し。帰りのHRも終わった。

 何かのイベントを見逃している気がして軽く校内を(めぐ)ったが、特に遭遇することはなく。

 校門を出ると、とある女性が目に入った。

 髪を耳にかける仕草が、年上の優雅さと落ち着きを感じさせる。

 一瞬誰だか分からなかったが──あれは白玉さんだ。

 

 お酒にだらしない印象しかない人だが、まさか体育祭という機会を利用して彼女もツワブキに入り込もうと……? 

 流石に考えすぎだろうか。あ、こっちを見つけてにこやかに挨拶をしてきた。

  

「──白玉さん。不法侵入は、いけないことですし。お酒を校内に持ち込むのは駄目なんです」

「温水くんの私の認識が悲しいことに……あの、ツワブキに友人がいるので、入場券は頂いていますよ。残念ながら使う機会はありませんでしたけどね。心配しなくても大丈夫です」

 

 うん、それは良かった。もう一つの問いにも答えてくれないだろうか。

 白玉さんの瞳に理性の光が宿っているのを初めて見た。素敵なので、ずっとそのままで居て欲しい。

 

「仕事は午前で終わるはずが、少しだけ長引いてしまって。夕食だけ友人と食べることになりました。手が空いていたので、彼女たちを迎えに来るついでに待っていたんです」

「そうなんですか。是非楽しんできてください」

 

 ありきたりな予定を聞かされて一安心する。

 なんかこの人に対して、同年代と隔絶(かくぜつ)して年下としか話せなくなった社会人の悲哀みたいなのを勝手に想像していたので……。

 

「杏菜ちゃんにもまた会えたらいいんですけど。温水くんは、恥ずかしがって中々私に会わせてくれませんし」

 

 白玉さんは手を猫の手のように丸めて、こつんと俺を小突いてくる。

 あざとい。本当に大人なんだろうか。

 確かに白玉さんは前回、同じような境遇(きょうぐう)である八奈見と深い絆を結んでいた。

 愚痴(ぐち)やあるあるトークの同意を二倍求められる身としてはたまったものではないのだが……待てよ。

 

「あ、噂をすればあれは杏菜ちゃんでしょうか」

 

 校門にタイミング悪く八奈見さんと袴田が通りがかった。

 ──何故俺はもっと早くこの場に来られなかったんだ。そうすれば、この悲劇を防げたかもしれないのに。

 

「もう草介ったら。私のこと好きすぎない? 愛されすぎて、八奈見ちゃん困っちゃうなー」

「杏菜こそ、俺のことを愛してくれてるだろ。こうしていると、杏菜の目に俺しか映っていないのが──よくわかるんだ」

 

 ピシリ。

 石像にヒビが入ったようなリアクションをした白玉さんは、予想通りショックで固まってしまった。

 短い間とはいえあれだけ通じ合った同志が、イチャラブバカップルに変貌(へんぼう)していたら衝撃は大きいよな……

 この入れ替わり現象、すれ違いと誤解しか呼ばないぞ。今すぐやめるべきじゃないか。

 

「そ、そうですよね……私のように十年も引き()っているのがおかしいんです。杏菜ちゃん、お幸せに……」

 

 白玉さんはハンカチを取り出してパタパタと振り、八奈見さんたちを見送る。

 一昔前に流行ったメロドラマ的な演出だ。まさか実在しているとは。

 

「温水くんも辛かったですよね。ごめんなさい。私、温水くんの気持ちを察してあげられませんでした」

 

 辛い……? も、もしやこの人、俺が八奈見にフラれたと思っているのか。

 白玉さんが知っている八奈見とこっちの八奈見さんは、そもそも別人である。

 ──なんて不名誉だ。今すぐ訂正しなければ。

 

「無理矢理区切りを付けなくてもいいんですよ。今晩の集まり、温水くんも来ましょうか。お姉さんたち皆で慰めますから。何でも相談してくださいね」

「いや。違います。何がとは言えませんが、違うんです。本当に」

 

 白玉さんはその包容力と優しさで寄り添い始め、俺の弁明を受け取ってくれない。い、嫌だ。白玉さんと付き合いは控えた方がいいと、心の中で倫理観的なものが警鐘(けいしょう)を鳴らしている。

 この人の友人がどんな人なのか興味がないと言ったら嘘になるけど……

 結局俺はそのまま白玉さんに捕まってしまい、連絡が来た焼塩に助けを求めることになる。

 そうして、この慌ただしかった一日は終わった。

 

 

 

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