マケインわーるど   作:einan

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放虎原(ほうこばる)ひばりと陸上競技大会

 

 ──豊橋(とよはし)市営(しえい)陸上競技場。放虎原(ほうこばる)ひばりは朝早くから会場に到着し、準備運動も兼ねて周辺を軽く散歩していた。大会前の独特の緊張感は心地が良い。パフォーマンスの向上に一役(ひとやく)買ってくれる。

 ここ数週間は上がり調子であったが、今日の調子は格段に良い。県大会への出場、八百メートル走の自己ベストタイム更新は容易(たやす)いものと思えるほどだ。

 

「いや、油断してはいけない。気を引き()めなければな」

 

 褐川(かつかわ)中学、栄明(えいめい)附属中学、トキワ中学と、強豪校は多い。陸上は(おのれ)との戦いではあるが、事実として県大会へ進む枠は限られている。強敵揃いで相手に不足はない。

 モチベーションを高めていると、正面から近づいてくる人影。ランニングの最中のようだ。

 

(見たところ同年代だな。彼女も今日の選手権に参加する一人だろうか)

 

 ウォーミングアップにしてはいささかペースが速すぎる気もするが。

 さて、軽く挨拶でも──瞬間、背筋に冷たいものが走る。

 その小さな身体に到底(とうてい)見合わない、圧倒的な存在感。遠くを見据えている茶色の澄んだ(ひとみ)は、恐ろしいほどに前しか意識していない。

 私の脚が止まる。その間に彼女は私を通り越した。異質なオーラが機械のような規則さで、徐々に離れていくのを背中に感じる。

 

「……気圧(けお)されたな。この、私がか。すれ違っただけの同年代の少女に」

 

 面白い。彼女もまだ見ぬライバルだということか。競う距離が同じとは限らないが、有力な選手は複数の競技に出場することもある。それに期待しよう。

 

 

          ◇

 

 

 昼食の時間だ。炭水化物を摂取するためのサンドイッチとバナナ。カステラにアミノバイタルも用意してある。弘人(ひろと)は相変わらずいい仕事をしてくれるな。

 食事のために移動をしていると、既に昼食を食べ始めている集まりを見かける。

 

檸檬(れもん)、美味しそうにおにぎり食べるねー。そのおにぎりの具、めちゃデカいけどなんなん?」

「これ? これはね、トンカツだよ。ママが勝てるように! ってトンカツおにぎりを作ってくれたんだ。美味しいよ」

「れーもーん。先生が言ってたこと覚えてる? 今日食べるもののこととか」

「覚えてるよ。とーしつ? を食べればいいんでしょ。ほら、おにぎり食べてるじゃん」

「うんうん、偉いね。それじゃあ、あんまり食べない方がいい食べ物は」

「もぐもぐ……ししつ、だっけ? 揚げ物とかダメなんだっけ。──トンカツって、揚げ物だ」

「よく気付いた。偉い」

 

 のんびりとした会話が聞こえる。集団の中心に居るのは桃園(ももぞの)中学一年生、焼塩(やきしお)檸檬(れもん)だ。   

 彼女が今朝異様な存在感を放っていた人物で間違いない。

 今はまったく感じられないが、彼女の実力は本物だ。午前の部で出場した百メートル走・二百メートル走で既に一位を獲得している。あれで下級生だとは(すえ)恐ろしいな。

 

「短距離走に突如(とつじょ)現れたダークホース。といったところか」

 

 彼女はこの後更に三つの競技に出場するらしい。

 桃園中学は弱小というわけではないのだが、今年は層が薄いのだろうか。どう考えても過密スケジュールだし、あの素晴らしいタイムからみて、彼女は短距離走者だろうに。

 ……まあ、本命の距離が終了した後だということを考えると、無茶も許されるか。

 

(私にも意地というものがある。そう簡単には負けない)

 

 彼女ならば中距離走でもそれなりのタイムを叩き出してくるだろう。改めて闘志(とうし)を燃やしつつ、何やら慌てている焼塩檸檬とその一行を視界から外した。

 

 

          ◇

 

 

 (ひがし)三河(みかわ)中学校総合体育大会陸上競技・八百メートル予選。招集されるまで待機しつつ、集中力を高める。今回私は注目選手である、褐川中学の三年生と同じ組だ。焼塩檸檬も同じ組である。ついているな。

 トラックの感触、会場の張り詰めた空気すら、私の味方だと思えてくる。

 

 ──招集され、自分のレーンに足を踏み入れた。あとは全力を尽くすのみだ。

 

『On your marks』

 

 全員が位置に着く。ピリリとした緊張(きんちょう)が横一列に並ぶ。

 

『Set』

 

 片足を前に出し、スタート姿勢をとった。

 

『Go』

 

 その合図で一斉に走者たちが駆け出す。最初の百メートルはセパレート区間だ。自分のレーンからはみ出さない範囲で、極力(きょくりょく)無駄のないコース取りをする。

 ブレイクラインを越えたので、他の選手が来る前にインレーンに寄る位置取りを心掛ける。褐川中学の選手も同じような位置取りをしているのを感じる。流石だな。

 

 焼塩選手は……私たちの更に先を駆けている。

 コースにキッチリ張り付いているが、ペースが速すぎる。短距離走者ゆえのペース配分ミスだろうか。中盤や終盤に、先頭を走っている焼塩選手が失速してくることが予想されるため、それに巻き込まれないコース取りだけ心掛ける。

 

「ハッ、フッ、ハッ、フッ」

 

 四百メートルを超えた。十分余力を残した状態で、ここまで来れている。呼吸を乱さず、歩幅(ほはば)とのテンポを合わせる。残り半分。

 六百メートル地点だ。どこかから聞こえてくる応援が、私の背中を押してくれる。

 他の選手がスパートをかけた。それに合わせて、私もスパートをかける。最終カーブを丁寧に曲がり、最後の直線で雌雄を決するのみ──

 

(……焼塩選手は?)

 

 まだ彼女を追い越していない。彼女の位置次第では追い越す際に大きなロスが出てしまうのだが──前に意識を向ける。

 ……目に入ったのは、スタミナ切れなど微塵(みじん)も感じさせない流麗(りゅうれい)なフォーム。草原を駆ける動物のように(かろ)やかな足どり。

 焼塩檸檬が、八百メートル地点のゴールラインを越す瞬間だった。

 

「くそっ……」

 

 他の選手が焦りを口に出し、更にペースを上げ私を追い越す。私たちのペースが遅すぎて、下級生に先を越されたと判断したのだろう。だが、それは違う。私たちは間違いなく今まで、ベストな走りをしていたよ。

 

 私は、私のペースを乱すな。

 

 

          ◇

 

 

 女子八百メートル走第一組、放虎原ひばり。

 計測されたタイムは2:24:09。これまでの自己ベストを更新した。

 総合では二位となり、県大会への出場枠も獲得することができた。大変満足できる結果と言える。しかし──

 

(ふむ……陸上競技は──引退するか)

 

 以前から志望校であるツワブキ高校。およびその生徒会活動に感銘(かんめい)を受けていた。いつか私も、ああなりたいと。

 しかし生徒会と陸上部の活動の両立は、スケジュール的に不可能だ。そのために陸上を引退するというのも、十分視野(しや)に入れてはいた。

 

 だが。まだいけるのではないかという……これまで陸上にかけてきた想いが、私の中に(くすぶ)っていた。中途半端だったな。

 焼塩檸檬。年下の彼女に完膚(かんぷ)なきまでに敗北したことで、一つの区切りをつけることができたように思える。私は、ここまでだ。

 

「あれだけ美しいものを、選手として最後に間近で見ることが出来た……そう考えると、悪くはないな」

 

 ゴール後に爽やかな汗を流しながら、級友や先輩たちに囲まれていた彼女を思い出す。

 その表情からは、心底走るのが楽しかったことが伝わってくる。彼女が仲間とその喜びを共に分かち合う姿は、陸上を始めたころの楽しさを再確認できた。

 

「まだ県大会が残っている。中学の部活動は残り半年。すぐに引退するわけではないし、初心(しょしん)に帰って気楽に走ってみるか」

 

 県大会でまた彼女の走りを見ることもできるだろう。そう考えると、良いチケットを手に入れられたな。

 

 焼塩選手はその後千五百メートル走にも出場し一位を獲得した。

 その時の記録は計測ミスとして、参考記録となる。あれが計測ミスのはずあるまいに。大人の運営も案外(あんがい)いい加減なものだな。

 

 

          ◇

 

 

「フフッ……」

 

 ツワブキ高校生徒会室、生徒会長の放虎原ひばりは昔を思い出し笑う。

 今日の飲み物はピーチティーか。志喜屋(しきや)が喜ぶだろう。

 

「ひば(ねえ)、何笑ってるの?」

「弘人か。何、少しばかり過去のことを考えていてな。人間の可能性に、思いを()せていた」

「何それ。他のこと考えてて、うっかりコップとか割らないようにね」

「失礼な」

 

 あれから三年。このツワブキ高校で焼塩檸檬と再会するとは思わなかった。選手と選手の関係だった昔とは違い、今は生徒会長と(いち)生徒という関係だ。彼女が学園生活で困り事がないように、しっかりと生徒会の運営とサポートを行っていこう。

 陸上部はともかく、彼女は最近文芸部にも入部したようなので、そちらで問題が起こるかもしれんしな……

 

 

          ◇

 

 

 ツワブキ高校文芸部室。部室には温水(ぬくみず)和彦(かずひこ)()()()杏菜(あんな)、焼塩檸檬が(かい)していた。

 

「もぐっもぐっもぐっ──」

「あの、八奈見さん。好きに食べていいとは言ったけど、そのお菓子賞味期限長めのやつだから今すぐ全部食べなくていいんだよ。わかってくれないかな」

「でもぬっくん、このお菓子おいしいよ。フワフワだね」

「お、そうか。焼塩も気に入ったようで良かった。八奈見さんは……言うまでもないな。そのお菓子のカロリーとか言ったら冷静になる?」

 

 一心(いっしん)不乱(ふらん)にフィナンシェを口に運ぶ八奈見杏菜の手がピタリと止まる。その(くび)がガクッと傾き、温水和彦の方へと向く。

 

「ふふひふふん。ふぁかってないね」

「何をわかってないんだ」

「この部室には檸檬(れもん)ちゃんが居るんだよ。檸檬ちゃんは陸上部──日頃から沢山走り込んでいる、運動量の(かたまり)。いわば運動の化身(けしん)だね。もはやそこに存在するだけでカロリーを浄化してくれるの。だから私は檸檬ちゃんが同じ部室に居るうちに、このフィナンシェを食べちゃわないといけないの」

八奈(やな)ちゃん()めてくれてるの? ありがとー」

「いや、食べる言い訳に使われているだけだぞ。そんな焼塩を空気清浄機みたいに……カロリー清浄機か。いつか発売されるといいね、八奈見さん」

 

 ツワブキ高校文芸部は今日も平和。

 

 

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