一足先にイチ抜けた!   作:初弦

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二度とそのツラ見せるなよ!

 お頭の娘が船に乗るらしい。娘の名前はウタといって、まだ赤子らしい。さすがに乳飲み子ってワケでもねえが、それにしたってようやくまともに歩き出すか出さないかの程度だとかなんとか。

 ともあれそういう理由で船員が一名増えたらしい。

 

 すべてを聞かされた僕たちは、初耳なんだよなあ、という顔をした。明らかに即席で作りましたと言わんばかりのかごの中、ふやふやと泣く乳児だか幼児をお頭があやしている。

 それをバックにベックマンさんが説明する絵面である。

 

 ところでご存知ですかねお頭、ここの生活ってのはけっこうな確率で海の上なんすよ。

 マジで言ってる?

 

「で、この船にガキの扱いがうまいやつは?」

「ヤソップ、おまえ息子いたろ。こんぐれェの」

「いたけどよォ、俺あんまちゃんと会ってねえから、顔忘れるどころか覚えられてねえまであるぜ……」

「相変わらずオヤジとして最悪だな」

「ッセ」

「ベックはどうだよ? テメェの女ンとこのチビとか世話したことねえの」

「どこの島の女も、ガキがいるってのは聞いたことねえな」

「島ごとに女作ってんじゃねえよスケコマシ」

「恋多き男なんだよ、俺ァ」

「言ってろ」

「てか言い出しっぺはお頭じゃねえか、自信あんのか? 意外だな」

「バギーの扱いならわかンだけどナ」

「いやあいつお頭と歳おんなじだろ」

 

 敵船が出た時にこれほど頼もしい布陣もそうはないが、今この時ばかりはここまで頼りない集団もそうはいねえだろうという取り乱しよう。

 仕方ないっちゃ仕方ない。赤髪海賊団はほぼほぼ男世帯。よっぽど治安がいい国の育ちならまだともかく、いわゆる大海賊時代も始まったこの現在、男は子育てに参加しないことが多い。

 

 結果としてやんややんや喧々囂々、収拾のつかない様子に「あー……」と僕はそろそろとおそるおそる手を挙げた。

 

「言うほど詳しくもねーっすけど、ガキの世話はしてました」

「……マジか!?」

 

 と言ったって、乳児から成人まで育てきったことはなく、僕だけで世話してたわけでもなかったし、まともな親と比べれば全然だろうが。

 おしめを変えられるだけでも経験値としちゃたぶんこのメンツの中で一番マシ。まァこの船には優秀な船医だとかいるわけだから、僕がちょろっとポカやったところで少なくとも死ぬこたなさそうだ。

 

 たぶん。

 たぶんたぶん。

 

 あれでいて絶対に通したい欲求以外は、みんながわかりやすく難色を示すと、わりとあっさり笑って取り下げるのがお頭だ。

 そんなお頭が眉下げて頼むから、みんなしてあーあという顔になっている。僕もまた例外ではない。

 

 あーあ。やるっきゃねえなあ。

 

 ヘッタクソな子守唄に、いったいなにが楽しいんだか、ガキんちょはきゃらきゃらと笑っている。ちょっとムカついたのでそのちゃちな鼻をきゅっと摘んでやった。コラとベックマンさんに叱られた。

 あいにく、ガキ当人はほんとに楽しそうに笑ってんですよねえ。

 

 あーあ。呑気なもんだよ。そうやって愛想良くしてりゃこっちだって怒る気力も湧かねえ、子どもってのはホントに得だ。

 

 

 

 

「アッだめだめだめ! それもうあたしのなの! 返してよ! かーえーしーてー!」

「だめも返せもこっちのセリフだっての、これは! 僕の! そもそも音貝(トーンダイアル)なんてテメェまだろくに使えねえだろうが」

「使えるもん! 使う使う使う使うし! 決めつけないでよバカ!」

 

 愛想良くしてりゃこっちだって怒る気力も湧かねえが愛想も良くねえなら話が別だ。

 

 お喋りな船長の娘だからやっぱり似たんだろうか、ついこないだまでたったか甲板を走ってくその最中を捕獲されてオムツ変えられてたようなガキは、ずいぶんな口達者に成長した。

 子どもの成長ってのは早いもんだが、まァ成長すれば行動範囲が広がって、目を離すとやらかしていることも増えていく。大事な道具だが宝物とは質が違ェし日常で使うので、鍵掛けて丁寧に仕舞っとくなんざしてないが、それにしたってどうやって見つけてきたんだか。

 

 僕の音貝(トーンダイアル)をウタの手の届かないところまで高く持ち上げれば、地団駄を踏んで不満を示す。息巻く素振りばかりは威勢がいい。

 

「だってその貝使ったらあたしの歌がいつだって聞けるんだよ!? ねえいいでしょ、あたしの歌、幸せになれるんだよ! そう言ってたじゃん!」

「だったらお頭に頼んどけ、オマエの歌は船のみィんな好きだから音貝(トーンダイアル)のひとつやふたつ三つ四つぐらいホイホイ出てくるだろ。僕の仕事はそうも行かねえんだっての」

「ほらそうじゃん、あたしの歌のがザツヨウのオシゴトよりだーいじ! だからねえその、」

「あのさあ、なんでもかんでもソレ理由に誤魔化してりゃなあなあになると思ってねえ?」

 

 低い声で唸れば、ぴゃっと跳ねたウタは、慄くように唇を動かして、それからバタバタと大きな足音を立てて逃げていった。あの調子だと、そうだな、食糧庫の積荷の裏にでも隠れただろうか。

 負けず嫌いの意地っ張りは、自分が悪いと思っているとき、隠れる習性がある。猫かよ。

 

 息を吐いて、頭を掻く。

 ……言い過ぎたカモ。

 

 音貝(トーンダイアル)は空島にしか存在しない代物で、外部には滅多に流出しない。親たるお頭に限らず、ウタを猫可愛がりするクルーはこの船に沢山いるので、複数個ぽんと出してきそうだなというのは本当だが。

 ただそりゃ赤髪海賊団の立ち位置の特殊性が強すぎる。新世界くんだりで養殖が研究されているらしいが、まだ希少価値が高い。

 歳のわりに語彙力豊富なウタがあの言い方だ。あの悪ガキ、音貝(トーンダイアル)の実物どころか存在を知ったのも初めてだったんだろう。確かにウタにとっちゃ垂涎の品に違いない。

 価値を知らなきゃ、ウタにとっての僕が、面白そうなもんを独占する意地悪なヤツになるのも、そりゃそう。

 

 ともあれ、無許可で弄られていたのも間違いない。

 音貝(トーンダイアル)に記録された内容を確かめたのち、然るべき内容でなければ消去するために手を伸ばして。

 

 そこで肩を叩かれた僕は、先ほどのウタよろしく飛び跳ねた。

 ばっくばっくと跳ねる心臓さておき、バカ笑っているお頭は睨んでおく。

 

「おお、こえーこえー」

「マジであんたぬるっと寄ってくるとわかんないんすよ。気配殺して近づかんでください。せめて」

 

 捲し立てて、そこで僕は一度口を閉ざした。

 

「……へえへえ、悪かったっすよ」

「ん? なにが」

「ウタのこと……さっき、たぶん見てたんでしょう」

「ああ〜……いやァ、謝られるもんじゃねえよ。ありゃアイツが悪ィ」

 

 ぱんぱんと僕の背中を叩くお頭。さすがに痛いので「間違ってるとも思わねえっすけど」僕はそのてのひらを振り払った。

 

「……言い過ぎたんで」

「そりゃウタに遠慮し過ぎだ! あんなちっちゃなチビスケにだって自分で考える脳がある。ウタは頭も悪くない」

「そーっすよ。だからガキ相手に叱ンならまだしも、こっちが頭ごなしに怒っちまったら、そこは間違いなく僕が悪いでしょ」

 

 頭をわしわしと撫でくり回された。うざったく、もう一度振り払っても、お頭は相変わらず笑っている。やっぱ俺の娘は愛されてんなあ、思いの外しみじみと言うのでつい舌打ちをこぼす。やかましいんだよ。

 

「僕の船での仕事は諜報。特に電伝虫の発信の傍受および暗号化されたデータの解析を行って、内容を割り出す」

 

 見聞色の覇気だって常時最大出力で使ってるわけにもいかねえし、出力したところでさて全範囲の雑多な情報を選り分けるなんて頭フル回転も必要になる。そも最大出力でもカバーしきれない範囲ってのはそりゃ広い。

 いかんせんこの海賊団は化物揃いなんで、いつかは必要なくなるかもな……と思っちゃいるが、マ現時点で必要なことに変わりはない。

 

「解析のために、まずはデータを保管する。特にこの音貝(トーンダイアル)はちっと特殊で、解析に必要なパラメータは録音時点で洗い出して別個に収録してくれる。ムズカシイ話したかもだけど、ンだからマジでこれは使っちゃダメ。……あと、さっきはヘンに怒って悪ィ」

「……」

 

 きゅっとスカートの裾を掴むてのひらに力がこもる。しゃがんでいるからよく見える。

 あのね。か細い声が言う。

 

「いっつも忙しそうだから」

「ン」

「いろんなところでいっぱいお手伝いしてるけど、その貝使ってるときが、一番大変そうで」

「心配してくれてアリガト」

「あたしが元気にできないかなって、思ったの」

 

 僕はじっとウタの様子を窺った。ウタは小さく言った。

 

「……勝手に触っちゃってごめんなさい」

「イーヨ。反省して、謝ってくれたから、やっちゃったもんは許す。もうしねえな?」

「ウン……」

「あ〜やめろやめろ泣くなよ、僕がお頭に怒られる」

 

 といってもおそらく我慢してたモンがもはや止まらねえ。うあ〜と声を上げてぼろぼろ涙を落とすから、ハンカチをむらさきの目元に押し当てる。ずずと鼻をすする音。

 仕方なく、ハンカチでつまみ直すようにして、鼻をかませた。正直もったいねえけど汚れた布で拭くわけにもいかねえのよ。

 

「ウタと仲直りしたってな」

「アーハイ、ゴシンパイおかけして」

「ところで俺ァ、ウタを泣かせたってだけで詰めたこと、一度もなかったと思うんだが?」

 

 僕はただ黙した。覗き込んでくるお頭の瞳から目をそらす。

 

 うるせー。うぜー。しらねー。

 なに言いたいのかもマジでひとつもわかんねー。

 

「おーい」

「ウッッッセ!」

 

 膝を叩いて爆笑されるとうっかり心がささくれる。なにが言いたいのかわかりゃしねえけど——わかりゃしねえけど!——知ったような顔されちゃそりゃ腹は立つんだわ。フツーに。一般的に。

 さすがに性根がクソガキの海賊団の船長を務めるだけあるわけよ。

 

 

 

 しかしまァ腐っても各々賞金首、最高で十桁もの大金がかかるだけある。

 炎上する敵船を船室から眺めて、僕はちいさくつぶやいた。

 

「懲りねえよなあ」

「コリコリしてそう」

「……なにが?」

「……もーいいもん!」

「あァハイハイ、そーだな」

 

 指でうりうりと頬をつついてやると、めいっぱい嫌そうな顔をしてちゃちいてのひらが押しのけようと力を込める。……ウソマジかよ、弱っち。僕も戦闘員じゃないから船に引きこもってンだが、それ以上によわっち。

 

「やぁめぇてぇ!」

「オモシロ」

 

 ぱっと手を離してやれば、距離を取ったウタが唸り声を上げてこちらを威嚇する。たぶんアリクイの赤子のがまだ怖い。頬杖をついてニヤニヤ眺めていると「もー!」地団駄を踏み始めた。癇癪起こすと、オマエはいつもそうするよな。

 つったっていつまでも揶揄ってるのも嫌われちまう。息をはいて、立ち上がる。果物籠から取り出したオレンジに、手元のナイフで刃先を入れた。果肉をくり抜いてサイコロ状に皿に並べていけば、もそ、起き上がったウタが椅子の上に這い上がる。

 

「オレンジ!」

「剥いてやるからもうちょい待ってろ」

「ん。……シャンクスにはあげないの?」

「そのお頭が、ウタが好きだろうからって取っといたやつだよ」

 

 ちょっと首をかしげたウタがにへらと顔を緩ませた。上向いたご機嫌とともにメロディを口ずさむ。

 やっぱり子どもなだけあって、気分がくるくると変わり、空模様はわかりやすい。

 

 切り分けたオレンジを皿に乗せ、ナイフは果汁を拭き取った上で布で磨いて元の戸棚に戻しておく。一方ウタはどうかといえば、オレンジを食べる口元にべたべたと果汁がついている。少しは気にして食べろよ。

 食事中なので最中なので拭くのはとりあえず後回し。垂れてくる前髪が顔にくっつきそうなので、かきあげてピンで留めてやる。

 瞬きをしたウタのくちびるから、へへ、なんて、ゆるっゆるのくちもとから笑い声がこぼれた。マヌケヅラ。

 

 ——ッドォン!

 

 肌を震わす衝撃、轟音。咄嗟に抱えた小さな体のどこから出るのか——最近ではボイストレーニングの真似事も始めている——大きな悲鳴が耳をつんざく。うるっさい。

 

 視線だけで確認する。ぶつけた様子もなく、たぶん、怪我はない。

 

「悪ィ、一応逸らしたんだが。無事か?」

「あー! ベック!」

「無事っす。壊れたモンも、たぶん特に」

「変な音聞こえなかったよー」

 

 僕たちのいる船室には窓がある。ベックマンさんが降り立ったのは、その外側、甲板だ。船室を覗き込んで問いかけるから、手を上げてめいめいに現状報告。付近への着弾を見かねてすっ飛んできたようだ。

 

「ちゃんと船番してるな、仕事ができるもんだ」

「ん、してる!」

「コイツ船番のときは大人しンすよねえ」

「そっちは船番のときじゃなくてもいつもイジワル〜」

「仲が良くてなによりだこった。もうすぐ終わるから宴開く準備でもしておいてくれ、どうせお頭が理由つけて酒でも飲み始める」

 

 口端をきゅっと上げるように笑ったベックマンさんは、僕たちが各々抗議する前に、足に力を込めて高く跳び上がった。

 覇気を存分に使ったジャンプは、広い距離を文字通りひとっ()()に、赤髪海賊団の戦闘員たちは皆々船を乗り移るぐらいは造作もない。

 

 腕の中のウタがうごうごともがくように蠢くから、ぱっと腕を離した。両足で着地して両手を挙げてポーズを取って誇らしそうな顔をする。おざなりに拍手すれば怒られた。ガキってのは理不尽だ。

 

 

 

 最近停泊している村で、お頭とウタが揃って気に入ったのがルフィという少年だ。親子揃って好みが似るんか。

 なんなら海賊団の大半がルフィのことを面白がっているので、類は友を呼ぶとかそういうやつなのかもしらん。いやわからん。

 

 僕は頬杖をついてそれを眺めている。ついこないだまで、嫌いな野菜を食べたくなくて顔どころか全身逸らして拒絶していたような小娘が、年下の友人に対して、大人ぶったふるまいをするのは愉快ではある。

 

 ……てかモンキーって苗字、それ海軍の英雄とおんなじじゃね? あのジジイって東の海(イーストブルー)の出身だった気がするけど、気のせい? そんなにそこらにごろごろ転がってる苗字でもないだろ?

 

 いやお頭たちがいいならいいんだが。気づいてそうだし。

 いいのかよとは思うけど。

 

 ごとんとジョッキがテーブルに置かれた。なみなみと注がれた麦酒、視線を上げればベックマンさんが同じテーブルの椅子を引くところだった。

 

「混ざって来ねえのか」

「僕もともとガキ好きじゃねえんすよね」

「……そりゃあ初耳だな」

「今まで言ったことねえし……いやまあ、嫌いでもねえけど。だからあの子がどうこうとかじゃないんで」

 

 なんとなく弁明して、それから僕は口をつぐんだ。ふーんとベックマンさんは相槌を打つ。

 顔ほどもあるジョッキを片手で悠々持ち上げて、ごく、ごく、と喉仏が嚥下する。

 

「ガキの世話は慣れてるだろ。ウタの抱き上げ方もあやし方も、ありゃ二、三人って手つきじゃなかったから、てっきり好きで近寄ってたんだと思ったぜ」

「……貧民街ってのは大人がいねえんすよ。っつーか、いるんすけど、ガキの世話するやつがろくにいねえんすよ」

 

 よくある話だ。

 

 別にわからなくもない。どこの国でもその日暮らしで精一杯な奴は探せばいる。僕ンとこは比較的規模が大きい方だったから街規模でそうなってただけで、国全体ほぼそう、とかも珍しくはない。

 ガキなんざほんっところっころ生まれてはすぐ死ぬし、自分のリソースを投資したところでろくなリターンも見込めない。見捨てらァなそんなもん。

 

 とか説明は不要だろう。本当にどこの国でもある、ありふれた話だ。

 目をかけたやつがみんなして五も歳を数えられねえんだから、好きになれるかよ。

 

「てかウタのことはそもそも当時のアンタらが揃いも揃ってじゃねっすか」

「そりゃちげえねえ。特にお頭がな」

「アンタも大概でしたけどねえ?」

「……俺よりはヤソップの方がまずいだろ」

「ホンットにどっこいどっこいだよ」

 

 あのときのやり取りは今もよーく覚えているがなにが恋多き男だ。今振り返ってみてもあの言い様、正直〝聞いたことないけどいるのは知ってる〟とかは何件かありそうなんだよな。

 じっとりとにらむものの、効果はないようで、肩を震わせてくつくつと笑いは止まらない。この海賊団のひとたちみんなこうだな。

 

「今じゃあ考えられねえよな」

「……そりゃあ」

 

 ベックマンさんがわざとらしく視線を投げるから、僕もその先の光景を追った。お頭がルフィとウタを両肩に乗せてダッシュするふりをして、カウンターから出てきたマキノさんに危ないと叱責されている。

 ……億超え賞金首が酒場の女主人に大人しく叱られてんの、本当にシュールなんだよな。

 

 抱き上げた子どもをしっかり固定する、その動作にぎこちなさはもうない。力加減を見誤る様子もない。

 ちっさいころのウタを抱くときは、いちいちかちんこちんに固まって、誰かしらの補助が必要だった。……今もチビはチビか。

 

「まァ荒くれ者の扱いは手慣れてんでしょ、お頭。コツを掴めばご覧の通りってな」

「ッハハ、ウチのプリンセスを荒くれ者扱いかよ」

「荒くれ者でしょンな絵に描いたよーなじゃじゃ馬」

「なにー!? またあたしの悪口!?」

「ッベ」

 

 とんだ地獄耳だ。がたんと立ち上がって逃走の姿勢をとった僕に「またって……オマエは相変わらずウタと同レベルで争うよな」ベックマンさんは半笑いでつぶやいた。

 ルフィと対等に喧嘩してるお頭よかマシだと思います。

 

 

 

 ウタの歌声はのびやかに晴れやかに響く。ウタが悪魔の実を食べていたのが、いったいいつからなのか、僕は知らない。この歌声が、ウタの実力なのか悪魔の実由来なのかも、知らない。音楽には詳しくないから、それがどのように評価されるのかも知らない。

 

 月夜の下、眠りこけたウタの前髪を払う。

 歌が続く間、悪魔の実の力、幻のような美しい光景を見せて、それからウタは必ず眠ってしまう。最後まで聴けたことはない。

 

「歌手になるには体力のなさが致命的だろ」

「体力さえありゃあ歌手になれるって、オマエも大概ウタの歌が好きだなあ」

 

 ぼやいた僕に、応じたのはお頭の声だった。振り返れば、ひょいと片手に持った酒瓶を上げる。あげるから付き合えということだろう。

 ……敢えて無視した。

 

「起きてる本人に言ってやれよ、絶対ェ喜ぶ」

 

 真正面に回り込んで、強制的に会話の形を取られるあたりがよ。

 くちもとをへの字に曲げた僕と、一方で、笑みを深めていくお頭の図。

 

「……上手いとは思いますけど?」

 

 ニヨニヨ笑うんじゃねえ。思わず舌打ちした僕に爆笑して——殴っても避けられる、本当に腹立つ——「マァウタは天才だからな」お頭は指先で酒瓶をくるくると回す。重心を維持して回すさまはなんとも器用だ。

 才能の無駄遣いってこういうことを言うんだろうか。

 

「娘自慢は聞き飽きたんすけど」

「そりゃな。なんてったってウタは俺たちの宝だ、自慢するに決まってるさ」

「ハイハイ、それも聞き飽きてるっす」

「宝箱から出てきたんだよ。あいつは」

 

 お頭は柔らかに笑っている。

 瞳はウタを見つめている。

 

 僕は一瞬黙り込んで、それから、内心納得した。

 当時を振り返れば、確かに、お頭の娘なんて存在が知らされたのも、船に乗せることになったのも、すべて突発的で、事後報告だった。

 

 事前もなにもない。事実はまさにそのとき生えたのだ。

 

「ナルホド」

「戦利品をどうしようと、持ち主の自由だからなあ。……だから俺が決めた。俺の娘だ」

「傲慢すね」

「海賊はそういうもんだろ?」

「シラネ」

 

 僕は素気なく言い捨てる。

 海賊といったってその中身は人間で、人間みんなおんなじ言動するなら世界はこんなふうに回っちゃいねえだろう。海賊がなにかって、そりゃ海賊たち本人と世間様が決めるわけで僕はマジで知らねえ。

 

「アンタがそれがいいと思ってそうしたんでしょ。話はそこで終わりオワリ僕人生相談に付き合うつもりねえんで」

 

 それよりも押し付けられた酒が舐めただけでもわかるレベルで度数がバカなことが問題だ。喉が焼けるんだがこれ八〇度ぐらいねえか?

 渋い顔をする僕を見ることもなく、お頭は眠りこけるウタの頬をそっと撫でて、それから慎重な手つきで抱き上げる。腹のところに片腕で抱えて、両腕で支えりゃ安定するだろうに——思った瞬間後頭部に衝撃が走った。物理で。

 

「ッテェ!」

「こら、大声出すな。ウタが起きるだろ」

「さっ、きアンタが馬鹿笑いしたとき起きなかったんすから、この程度で起きるわけねえでしょ……」

「このコはさぞ大物に育つだろうなあ。世界中に名を轟かせる、そう思わねえか?」

「ウゼェ〜……」

 

 小さく低く唸った僕にからからと笑い声が返る。もっかい襲ってきた片腕が強制的に僕の首を小脇に抱え込むから、いややめろよ、思わず首を横に振った。ガッチリ挟まれていて外せない。

 

 そのまま歩き出されると一緒に歩くしかねえんだよなあ?

 

「俺たちのこと大好きなのはよーくわかったよ」

「自意識強すぎんでしょ……」

「否定しねえんだなあ」

「たまに、アンタに話しかけるとき、アンタ独自の言語にでも翻訳されてンのかって思うんすよねー僕」

 

 それにしても歩きにくい。うっかり足がもつれたところで「おっと」お頭にひょいと俵のように持ち上げられて、転けることは回避した。地面からは完全に浮いた。

 地上に戻してくんねえかっつーか離せよ。マジで。

 

 

 

「ね、ね、なにしてるの?」

「あー? あー……いやナニソレ」

 

 見下ろしたウタは、腹のところにスケッチブックを抱えていた。開かれ先頭に固定されたページには、謎の物体がのたくっている。

 ……ほんとになにそれ。

 

「ルフィが描いたの。シャンクスの麦わら帽子だって、似てないよねー」

「……独創的だな」

「ドク……ねえなんであたしのときみたいに意地悪言わないの!? いっつもそう! いっつも!」

「ははは」

「はははじゃないー!」

 

 だんだんだんと地団駄を踏むさまを、愉快がっていれば、ぬっと横から影が差した。……頭部のシルエットで誰だかわかってしまう。

 つい僕は真顔になり、ウタは「ねえ聞いてよシャンクス!」と父親に飛びついた。頼るな頼るなやめろやめろ。お頭はウタの後頭部を撫でて、わざとらしいほど神妙な声で言った。

 

「しょうがねえだろウタ、こいつは好きなやつにはつい意地悪しちまうんだからな」

「一言もンなこと言ってねえっす」

「えーあたしのこと大好きってこと!? もうしょうがないんだからァ」

「マジで言ってねえ」

「図星つかれて悔しいか?」

「負け惜しみ〜」

 

 ニヨニヨと笑うふたりの顔つきがやかましい。ほんと似たもの親子、しっしとてのひらを振るとなにが楽しいんだか更に笑みが深まった。

 

「ところで、島の人が俺たちのために宴を開いてくれるらしい。オマエも来いよ」

「あ! そう、だからあたしが呼びに来たの!」

「一言もなかったけど」

「うるさぁい」

「負け惜しみはそっちだろ」

「きらぁい!」

「アッハハハ」

 

 娘と僕が喧嘩するのを娯楽にするやつが船長って本当にどういうことだろうなあ。船員たちは輪になって賭け事始めるからどうしようもねえ。島民が困ってんじゃねえの? ほらゴードンさんがおろおろしてるぜ、いや元凶のひとりは僕かもだが。

 

 

 

 炎が街を焼き尽くす。

 建物を、木々を、動物を、人を焼いて、炎の煙は空高く立ち昇り、広がりゆく。一酸化炭素を多分に含んだ天蓋。人々の悲鳴に蓋をする。国すべてを、島じゅうを覆って、蓋を、する。

 

 ——エレジアは滅びる

 

 ——ウタという少女は危険だ

 

 ——助けてくれ

 

 

 

 パキンと電伝虫にヒビが入った。鋭い剣の刃先が突き刺さっている。

 

「無事か?」

「……無事だと、思います? 僕、非、戦闘員なんすよー……」

「憎まれ口は変わらねえなあ。……ただでさえ死にかけてるんだ、あんまり余計なことを言うなよ」

 

 脅しと判別が付きにくいが、たぶんこれは本当に心配されている。僕の隣に腰を下ろしたお頭は、ごとん、と剣の柄で己の肩を叩いた。

 

 僕はしばらくお頭を眺めて、それから努めて慎重に、息を吐いた。

 土手っ腹に些かでかい穴が空いてしまったので、まァ死ぬのは時間の問題だ。

 

「古巣に連絡でもしたのか」

「あー。……ご明察。なに、知ってたんすね」

「そりゃあな、気づかねえと思うならさすがに俺たちをなめ過ぎだ。……ただ、海軍から潜入してきたやつが、本当に戦えねえとは思ってなかった」

「それは、戦えねえから、警戒、されねえだろって、いやー無茶。けっ、きょくバレてるし」

 

 ちょっと眉を顰められた。あからさまに気難しいような顔をするのが若干面白い。なんでこの人が上司より、なんなら僕より気にしてんだ。

 こっちは相手が海賊だからって、絶対に好意的な発言しねえように注意払ってたのにさァ。あくまでもこの船は海賊船、僕は仲間じゃないからって、一線引いて、踏み込めねえように、そうしてたってのに。

 貧民街に支援してくれるからって、海軍入って、潜入任務にまで身を投じて、

 ……なんで人生で一番心配されてんのが、潜入先での死に際なんだ。泣けてくるね。

 

「……てか、ウタは?」

「疲れちまったみてェで、寝た」

「あー。じゃあ、戻ってきたん、すね」

 

 良かった、と言おうとして、止めた。良かったのだろうか。良くないのかもしれない。

 トットムジカは災厄を振り撒いた。殺戮を続け、ウタにその荷を背負わせた。目を覚ましたとき、彼女は何を思うだろう。焼け落ちた街並みは事実としてそこにある。起きたことは、もはや、変わらない。

 

 膝に手を当てて、赤い髪の男は立ち上がる。ぱさと羽織ったマントが広がった。いつも汚れひとつないマントに、砂埃と、血の染みと、跳ねた泥が付着している。

 

「ウタはゴードンさんに託す」

「……は」

「エレジアは赤髪海賊団が滅ぼした。……そうだろ?」

 

 何度かまばたきをして、それから、僕は思わず笑った。腹が震えたせいで、傷口がまた広がって、痛みに咳き込んだ。

 

 負けず嫌いのじゃじゃ馬。謝る勇気もなかなか出なくて、こっちの様子を窺う臆病者。人を揶揄うのが大好きな悪ガキ。自分の歌を褒められて無邪気にも喜ぶ少女。

 赤髪海賊団の音楽家。

 

「そーすね」

 

 トットムジカさえ寄ってこなければ、こんなことにはなっていない。ウタにはそういう、誰かを傷つけるなんてこと、わざわざ企む理由もなく生きてきた。愛されてきた、愛されている、ただのちっちゃな悪ガキ。使い手によっては強力に凶悪になり得ようとも、ウタとともにあれば、歌のついでに、泡沫のような夢を見せるだけ、そんな力でしかなかった。

 海軍には、僕が把握する限りのウタウタの実の力を、正確に伝えた。こんなもの、非力な少女より、もっと思想や実力の高い、危険因子に渡る方が困る。一生手を出しあぐねていてほしい。本人に伝えることもないだろう。

 

 悪い夢を見たんだよ。

 オマエに纏わりつく悪夢なんて、夢を遮る現実なんて、何一つ、忘れちまえよ、ぜんぶ。

 

「今までありがとな。……つかオマエ、やっぱガキもウチの海賊団も、大好きだろ。俺のことも、ウタのことも」

「……さっさと、行ってください、海軍来ますよ」

 

 僕は海岸の向こうを指差した。近辺の基地から軍艦が派遣されるはずだ。連絡を入れてからしばらく経っている。そろそろ姿を現す頃だろう。

 おっと、とつぶやいて踵を返すその背は、足取りは、しっかりとしている。

 

「今後、ごじゅー年は、アンタらのそのツラ見せねーでください」

 

 ぱたんと腕を降ろした僕の視界は、いよいよ暗く、歪んで、見えにくい。「五十年?」たぶん、あの人は背を向けたまま、笑ったようだった。

 

「百年、長生きしてやるよ」

「そりゃなにより……」

 

 そろそろ疲れた。目を閉じて、深く息を吐く。炎が音を立てて燃えている。ぱちぱちと火花が弾けている。

 手足の先は冷え切って、熱いんだか寒いんだか、よくわからない。

 

 頭のうちがわ、鮮明にも、歌声が反響する。もしかしたら飽き飽きするほど聞かされてきた声だ。船の上で、島の中で、数多の空模様の下、幾度も歌を歌っていた。世界のつづき。ビンクスの酒。時には陽気に、時にはしっとりと、ソロも、デュエットも、コーラスも。

 幼いくせして深みのあるメロディが、何度も、何度も、あれだけ聞いていれば、そっくりそのまま、記憶だけでも再生できる。

 

「……顔見て、褒めてやりゃ、よかった……」

 

 貧民街では周囲の人間を見殺しにするのが日常だった。海軍ではそれなりに後ろ暗いことも任された。任務のはずだったのに、敵で、犯罪者の海賊団に絆された。挙句には、これでも海兵のくせして、エレジアの人々を守れもせず無駄死に。

 

 僕はもうじき死ぬ。どうせ地獄行きだろう。

 

 きっと褒めることもできない。どちらにせよ、もうあの顔は見たくない。地獄で意識があるのかどうだか知らないが、会いたくない、絶対に。

 なにもかも、うたた寝の間に見るような、白昼夢ってことにして。嘘ってことにして、ぜんぶ、ぜんぶ忘れ去って——そうだな、歌手にでもなればいいと思う。なれるだろ。

 

 オマエさあ、だって、歌よかったよ。

 一度も言わなかったけど。

 

 地団駄を踏んでは不満を示す。泣き出すときは大声だった。顔中で嬉しさのあふれる笑顔。

 怒られそうだと思えば上目遣いで様子を窺う。隠し事があれば視線がきょろきょろ忙しない。自慢げなときは唇の端がむずむずと動く。きらきら、輝く、むらさきいろ。

 

 抱き上げた体は年々重くなっ、

 

 

 

  ——

 ——

   ——

  ——

 

 

 

 ——助けてくれ

 ——あの子を

 

 ——止めてあげてくれ

 ——こんなことがあっていいわけがない

 

 ——あんな業を背負っていいような子じゃ、

 

 

 

「そういや五十年顔見たくねえっつったのはお頭宛だったか、そりゃ伝わらねえわな……」

 

 しかし二度と見ねえどころか十年ぽっちで顔を合わせる羽目になるとはよ。いやはや予想できるわけもねえ。やっぱ連絡なんてするんじゃなかったかもなあ。

 

 がしがし頭をかいて、溜息を吐いた。びくっと跳ねる仕草も変わらない。身長は倍ぐらいに伸びたくせになァ。さっき名前を呼ばれたことだし、僕のことはわかっているんだろう。

 ……オマエ船乗ってたとき僕の名前呼んだことなかったじゃん、マジなんなんだ。

 

 手を伸ばすとなにかを耐えるようにきつく目を瞑る。これは、殴られるのを覚悟したときの顔。うーん、と、首をひねった。

 もちろん、到底認められる行いではない。到底許される行いではない。最後は自分で始末をつけたにしたって、プラマイゼロとは言い難い。なんなら僕、いちおうトットムジカが直接の原因つったって、ウタに殺されたっつってもまあ間違いではねえしな。

 

「おつかれ」

 

 そのつむじのあたりを少し撫でる。前髪を払って、ピンで留める。

 伏せられた顔がそろそろと上がる。

 

「頑張ったな」

 

 だからまァ、世間様でもねえ僕が褒めたっていいだろ。どうせ死人なわけですし。

 抱きしめて、背中を叩くと、おそるおそる腕が僕の方にも回された。やがて肩のあたりが濡れていくから、思わず笑ってしまった。

 

「泣くなよ、僕がお頭に怒られる」

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