一足先にイチ抜けた!   作:初弦

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どいつもこいつも細かいこといちいち気にしてんじゃねえよ

 ぶんどった戦利品を着飾って、黄色い声ではしゃぐあたりは、年相応なのかそれともこの年頃から海賊らしいのか。さてはて評価は悩ましい。

 どちらにしたって将来有望とも言える……のかどうだかは知らん。

 

 僕はコメントしねえ。以上。

 

「ねえ見て、かわいいでしょ〜」

 

 服の裾を引っ張られるので、僕はちっちゃなわがまま音楽家を見下ろして、それからつぶやいた。

 

「……オマエが着てるそれ、ぜんぶでお頭の首の額ぐらいはあるけど」

「エッ」

 

 ウタはしばし固まった。それからおそるおそる、自分がまとった装飾品を眺めた。

 

 二の腕に巻いたネックレス。頭のサイズに合わないティアラ。簡素な腕輪が腕に数個。

 ブレスレットですら手首の倍もあるからか、足に巻き付けている。頭からかぶった白のブラウスは、丈が長すぎてウタにとっちゃドレスじみている。

 

「……シャンクスとおんなじぐらい?」

「とりあえずネックレスがざっと三千万。こん中だと一番安い。腕輪が単価五千万ぐらいだろうな。装飾としての価値じゃなくて、オリハルコンの鉱脈はとっくに枯渇してるから、貴金属としての価値が高いんだよ。ブラウス、さっき触ってみたんだが、素材が特殊。たぶんタラゴガの最高級の絹糸の……あの国は滅んでけっこう経つから、プラスでプレミア。保存状態もいいし一億いくだろ」

 

 ひとつひとつ指差して、カウントしていく。情報の出処は故郷で培ったものだ。

 

 少なくとも僕の故郷では、道端に死にかけの爺さん婆さんが落ちていることは珍しくなかったし、普通は世話なんてしねえ。したところで蹴り飛ばされたり罵詈雑言吐かれたり、死にかけってのは嘘で金を盗まれたり、当然散々な目にも遭った。

 ただ、ごくごく稀に、死に際の置き土産とばかりに面白い話を教えてくれる輩もいた。

 

「ティアラはつくりがマジのプラチナで、そのとんでもねえカラット数のルビーが天然石なら、今の相場だとこれも億は越える。特に、側面の彫り込みがどこぞの細工産業の流派っぽいんだけど……あれ職人が数人しか現存してねえんだっけ? ンで、ぜんぶてんりゅ、あー……ちょっとしたおえらいさんが囲ってっから外部にまず流れねえのよ」

 

 故郷を出てから一応真偽は(突っ込める範囲で)調べたんで、もちろん与太話もたくさんあったが、今話しているあたりは全部裏付けも取れている。

 ちなみに使い道は……生きてきた中で、とりあえず今しか発揮してない。わざわざ披露しても厄介事を生むような知識なんだよなあ。

 

「それが、安くても二、三億ってとこだな……で、ブレスレットがそれたぶんゼノバノの国宝。かつ、百年前から行方知れずの盗品なんだよな、どっから拾ったんだか……一番高い。然るべきルートで流せば五億は下んねえ。そんでこれら全部、裏のオークションにでも賭けりゃあ更に値が吊り上がる」

 

 すべて上手く売り払えば、それこそ今のお頭の首の額に匹敵するだろう。まァお頭の賞金額は今後もガンガン更新されるだろうとかはさておきだ。

 

「つまり……」

 

 ウタの目がキラッキラに輝いた。

 思わず口をつぐんだ僕の前で、最高級シルクの裾を握りしめて——マジでそれろくに現存してねえからな?——少女の笑顔が弾ける。

 

「あたし、今シャンクスとお揃いってこと!?」

「……そうはならねえだろ」

「ねえみんな! 見て! あたしとシャンクス今お揃いなんだから!」

「オマエさァ……」

 

 聞いちゃいない。

 

 早足で他のクルーに自慢しに行くちっこい背中。赤ん坊のころから背が伸びたといえどガキはガキ、相変わらずのチビちゃんが駆けていく。

 呆然とその背を見送れば「アッハッハ、俺とお揃いか」いつから聞いていたのか、お頭は小脇に宝箱を抱えて、バシバシ膝を叩いて笑っている。

 

「やっぱうちのお姫様は見る目あんなァ」

「……見る目? ……センス? いや、なんでもいいっすけど……」

「オマエもひとつどうだ?」

「押し付けねェでください。アッウワ、このカットラスどこで手に入れたんすか……」

「ん? 敵船」

「要らねえ要らねえ、コイツ負けねえ代わりに戦乱を呼び込む曰く付きっすよ。さっさと手放せ、そんなんに頼らなくても勝てるクセに……」

 

 カットラスのくせに繊細な装飾が施されていて、実用性には到底向かない。あらゆる暴君が評判を聞きつけて、私室に御守として飾ってきた。そしてその都度新たな装飾を彫り込んできたからだ。

 曰くの真偽がどうあれ、別の怨念は確実に詰まっていそうでイヤだ。

 

 手の甲で押しのければ、お頭は拒絶されたわりには愉快げだ。しゃあねえなあとさもこちらがわがままを言ってますと言わんばかりの口ぶりで、カットラスをがたんと放り投げ(投げるな!)代わりに脇に抱えた宝箱を開けた。

 

「ならこっちはどうだ?」

「どうだって……」

 

 僕は辟易とともに、宝箱の中身に視線を投げた。

 

 すぐさま手を伸ばして閉めた。

 ほとんど反射だった。

 

「……えっ……?」

 

 声が出たのも宝箱を閉じたあとだ。かちんこちんに固まった状態で、今し方の記憶を反芻する。

 小首を傾げるようにして、お頭が僕の顔を覗き込んだ。

 

「どうした?」

「どう……え、あの……いや……」

 

 脊髄反射で拒絶したところで、網膜がしっかり認識してしまったあとだ。

 紫色の、表面には奇妙なぐるぐる模様の果物。どこの木に生えてんだよと問いたくなるような謎物体。与太話の塊で聞いたきりの、曰く付きの悪魔の実——

 

 ——とかいう、とんでもねえモンを見た、ような、気がする。

 

「へえ! 知ってンだな」

「ぎゃ……くにアンタ知ってるんですか……!? 知ってて見せたんですか……!? なんっで」

「ヤ、知ってっかなと」

 

 あっけらかんとお頭は言った。ノリが軽すぎる。これで僕が、それこそ世界政府だとかにチクるような人間だったらどうするつもりだったんだ。

 思わずこめかみをぐりぐりと押さえ込む。僕の様相を愉快がるように目を細めて、お頭はいつものように笑みを浮かべている。

 

「誰にも言うなよ?」

「言えるかこんな厄ネタ……! 世界政府系列の機関でも、上層部が知ってるかどうかでしょ……外で言いふらすとかやめてくだせェよマジで」

「アッハッハ、オマエ俺のこと大好きだな」

「寝言は寝て言え」

 

 顎を肘で狙ったがあっさり避けられた。非戦闘員が海賊団のトップに敵うわけもねえが。

 

 逆にまとわりつくてのひらを振り払って、さっさと帆の張りを確かめに行く。「つれねえな」そして後ろから追いかけてくる言葉。言うわりにお頭の声音は楽しそうである。

 

 このひとほんとにろくでもねえ。

 

「……しっかし躊躇いなく急所行くよな、俺だからどうにでもなるけどよ。危ねェぜ?」

「信頼だろ。俺もよく照れ隠しに鳩尾だの狙われるが、若ェやつにやってんのは見たことねェ」

「ほー、ベックが言うならそりゃあマジだな。素直じゃねえやつ」

「可愛げってンだろ」

「そうとも言うな」

「やかましい!」

 

 訂正、このひとたちほんとにろくでもねえ。

 

 

 

「お頭にしてやられたって?」

「そーだわ、だいたい全員やかましいんだったわ……」

「威嚇すんなよ、なんだ図星か。どれ、オニイサンに話してみな」

「それ自分のガキとかにやったらウザがられますからね」

 

 と言ったのがちょっと前。

 

 今は盛大にくだを巻かれている。

 

 いかに自分が妻や息子を愛しているか云々、それでも男は海に出なきゃならねえときがどうこう……それ酒入ったらいつも言ってんだよなァ。

 海賊としての評価はそら立場だの世間様だのが提示しているんでそっすねとは思いますよ。まァ父親としてどうかってのはちと黙秘事項だが。

 

 呂律があやしくなってきたところで、僕は適当に一言投げた。

 

「帰ったらいいじゃねえっすか。一度ぐらい」

「はーん。わかってねえな、赤髪の幹部が帰ったらどうなると思う?」

 

 ガンとテーブルにジョッキを叩きつけて、ヤソップさんは据わった目で僕に向かって尋ねる。

 ちびと麦酒を舐めて「そっすねえ」僕はつぶやく。

 

「……海軍に通報されて島ごと焼かれる?」

「そういうこった」

「でも逆に聞きますけど、アンタ、わざわざ赤髪海賊団ってわかるカッコで帰るつもり満々なんすか。故郷に帰る時までその名前喧伝する必要あります?」

「……それでも男にはなァ!」

 

 誤魔化したいことがあるのはよくわかった。

 

 僕は変わらずちびちびと酒を舐めている。ついでに、自分が座っている椅子ごと大きく身をひいた。

 

「逃げる気か?」

「ハハハまさか」

 

 引いた分だけ詰められた。ハハハともう一度笑って、それから深々とため息を吐いた。

 泣き上戸笑い上戸はやかましいだけで済むが、いやはや、絡み酒ほど面倒なモンはねえ。

 

「酔っぱらいの勢いで絡むな、ヤソップ。こいつは正気なんだ、引いてんだろうが」

「ルウさん、あざっす……」

「こういうときは酒入れてぶっ潰してから話すんだよ」

「はァ!?」

 

 この海賊団のメンバー(しかも古参)がまともな助け舟を出すと一瞬でも思った僕が間違っていた。

 飲めねえわけでもねえし酒豪の部類に入るし別に酩酊まではいかねえと思うが、思うが飲み過ぎたら二日酔いぐらいにはなるんだよなあ!?

 

 やめろやめろ、てのひらでジョッキのふちを抑えて必死に遠ざけて攻防戦——このひとたち、コックと狙撃手のくせに力が強ェんだよ、こっち全力なんだけど。

 ……全力なんだけど普通に無理やり飲まされそうやべえどうしよ、

 

「いいわ、あたしの歌を聞かせてあげる」

 

 不意にジョッキを押しつける力が緩んだ。ルゥさんもヤソップさんもこっちから視線が逸れた。

 ジョッキを抜き取ってテーブルに置いて、隙間から抜け出す。海賊団のプリンセスが踵を鳴らして皆々呼んでいる。

 

 つまり、これから赤髪海賊団の音楽家の公演だ。

 

 お頭がマキノさんに了承をとっている間に、他の客人にご理解とご協力を。まァPARTYS BARは近頃、連日のように赤髪海賊団がほとんど占拠していたんで、今更っちゃそうだが。

 一通り話をつけて周囲を見渡せば、空いていたテーブル席はすでに脇に寄せられていた。

 

 ……お祭り騒ぎのとき、やけに団結力を発揮するよな。

 

 カウンターの端っこに移動して、僕はグラスを持ち上げる。さっき最初に酒を追加で注がれそうになって、ぎりぎり避難が間に合ったグラスだ。

 ジョッキを勧められちゃ意味もなかったわけだがまァ無事なだけマシ。

 

 グラスの端にくちびるを寄せる。嚥下した炭酸が喉の奥を洗っていく。そうして歌声に耳を傾ける。

 九歳とはとても思えない、鮮明な音が、酒場の空気をがらりと変える。

 

 なめらかに声が遠く広く響き渡る。目を閉じれば瞼の裏には情景が広がる。ウタが見せる泡沫の夢だ。

 しっかりと意識を保っていなければ、ともすれば、身体の輪郭が溶けていくんじゃないかと思ってしまう。溶けて夢に落ちていく。夢に落ちて、馴染んで、消えていく。

 

 ウタの歌声にそれだけの力があるのか、ウタウタの実に由来する現象なのか、僕に判別することはできない。

 

 歌は空に沁みていく。

 もうひとくち、麦酒を舐めた。

 

 

 

 背中に寄りかかる、というよりぶら下がる勢いで、重量がずんと増えた。お猿のモンスターでなければウタだろう。

 でもってこの重さと遠慮のなさはウタ。

 

 ……とりあえず音貝(トーンダイアル)を弄っていた手を止めた。

 

 チビの頃はもっと軽々と、吹けば飛ぶんじゃねえかと思ったもんだが。毎年どしどし重くなっていく。

 ちなみにそういうことを面と向かって言うと「軽いもん!」とキレられるんで、言わない。

 

 お頭はこないだそれやって三日ぐらい無視されていた。船の上で親子喧嘩すんな。

 

「……オマエさぁ、ちょい前ぐらいにレディに目覚めてなかったか? レディは無闇矢鱈べたべた他人に触んねえだろ」

「家族の前でぐらいレディちょっとお休みしてもいいじゃない」

「船の上でもレディ扱いしろって言ったの誰だっけな……」

「男ってみんな子どもなんだもん。ああやって言わないとすぐそのへんで脱ぎ散らかすし」

「言いたいことはわかるが」

 

 この船で一番のガキがなんか言ってらぁよ。

 肩のあたりをひっしと掴んだまま、ウタは弾んだ声で言った。

 

「歌姫がこんなに近くにいるなんて、人生で一回あるかないかでしょ? 光栄に思ってね」

「でも実際光栄に思ったらイヤだろ」

「……」

 

 黙ったなあと思った直後、すっと背中の重みが消えた。

 ……いやそれはそれでオマエなんなんだよ。

 

 辟易とともに一旦立ち上がって、ぐるっと椅子を回す。船で一番のわがままプリンセスは、空席になった椅子に、勝手によじ登ってきた。

 背もたれのところで腕を組んで、僕を見上げるさま。仕方なく僕はその場でしゃがみ込む。

 

「なんだよ、また」

「特訓してほしいの。ルフィが最近手に負えなくなってきててね、もっともーっと腕を磨かないと」

「オマエも年々手に負えなくなってきてるけどな」

「なんですって?」

 

 目を吊り上げたウタはさておき、僕はしれっと返した。

 

「てか、それならお頭とかに頼むのがいんじゃね」

「ヒキョウな手は船でいっちばん得意でしょ?」

「さて仕事仕事」

「ねーえー!」

 

 罵られてんのかと思ったが通常運転なんだよなコレ……。

 嘗められているのと気を許されているのとドッキング。嘗められている度合いが七割を超えてるとは思う。

 

 頭部をざかざかと掻いて「そもそも負けるくらいよくねえ?」椅子の上を陣取ったウタを見上げる。

 

「卑怯な手ェ使う前提なんかよ」

「だってみんなはいっつもやってるじゃない。教えをコウ? のも大事って言ってたでしょ、言ったことはやって」

 

 僕は床にしゃがみ込んだまま、半眼でウタを見上げている。ウタはつんと唇を尖らせている。

 

「……オマエ、お頭に頼まねえの、なにかと理由つけて断られるからだろ」

「シャンクスってそういうとこケチだよね。あたしがかわいいのとヒキョウは関係ないのに」

「かわいいから充分ってこったろ、姑息な手段覚える必要はねえってさ」

「みィーんなそういう!」

「そりゃなによりだ。みんなオマエがかわいいのよ、ウタ。知らねえけど」

 

 さて今度こそ仕事仕事。

 

 すたすたと歩き去ろうとすれば、足にしがみついてくる悪ガキ。途端に足取りはすたすたからずとんずとん。あいにく僕は木登りの棒じゃねえんだよなあ。

 無言で見下ろしたらば、にっこーと笑顔が返された。ハイハイかわいいかわいい。はよ退いてくんね。

 

 

 

「ウタのこと考えンなら、どっかの島に残してった方がいいってのはお頭もわかってんだよ」

 

 視界の端では、ベックマンさんがくいっと酒瓶を傾けたところだった。彼の目はどこか遠くを捉えるように、明後日の方へと向けられている。

 

 周囲は僕と彼以外、どんちゃん騒ぎに加わった結果自滅した死屍累々ばかり。

 独り言かと思ったが、ベックマンさんは僕を一瞥した。

 

 もう一度周りに視線を走らせる。ウタは本日もいくつかの歌を披露したのち、眠くなってしまったらしく、先に船に帰った。今は寝ているだろう。

 

「はァ」

 

 というわけで、とりあえず僕は曖昧に相槌を打った。

 ベックマンさんの視線は再び、どことも言えないどこかへ向けられた。

 

「ヤソップがまだ正解だ。あいつの女やそのガキが今どうなってんのか、俺らも、ヤソップも知らねえ。……あいつなんだかんだどこの島に家があんのか誰にも言わねえしな」

「危機管理意識が仕事してることで」

「珍しく、な」

 

 見聞色の覇気の達人にこんな揶揄を送れるのは、それこそ一味の副船長ぐらいだろう。仲間内の宴で酔い潰れてると全くそんなようには見えないが、ヤソップさんの危機管理意識って異次元レベルだからな。

 

 ベックマンさんは飲み干した酒瓶をテーブルの上でごろごろ転がしている。もう一方の手では、どこからともなく紙巻煙草を一本取り出して、火をつける。

 

南の海(サウスブルー)のように、海賊王の子ども狩りの二の舞なんざ。自業自得と言やァそれまでだが、俺たちだっていい気はしねえ」

 

 煙草の先からは紫煙が立ち上る。空気に溶けて広がっていく。

 

 僕は自分の方に寄ってきた煙をてのひらで軽く払った。そのまま手を伸ばして、皿に残っていた蛸の唐揚げをつまみ上げる。八重歯で丁寧に噛みちぎる。

 火を通した蛸特有の歯応え、塩気と油が、弾けて、口の中で広がった。とっくに冷めてるのに美味い。

 

 マキノさんの料理は、さすがに本職なだけあって、ルウさんの料理に勝るとも劣らない。逆にルウさんがなんであんな美味い料理を作れてンのか不思議だ。あの人どうして船に乗ったんだか。

 

「拾った宝箱ごと、海軍のとこにでも置いて行くのが正しかった」

 

 ごろごろ、ごろごろ、手持ち無沙汰なんだろうか、酒瓶はテーブルの上を行ったり来たり。

 それ、やりすぎるとテーブルに傷がつくんじゃねえかなあ。眺めて僕は思う。

 

「まずお頭はガキを育てるなんて向いてねえ。根っこがガキだからな」

「そりゃそうですね」

「オマエも思うだろ?」

「アンタら全員向いてねえし」

「育てちまえば、あの人は情があるからなァ。愛着が湧くし、そうなったら捨てらんねえことぐらい、俺らがわかってんだから本人もわかってんだろうにな」

 

 ……この人はなんだかんだちゃんと周りを見ている。

 店の備品が傷つきかねない振る舞いなど、今まで、僕は目にしたことがなかった。

 

「俺らもわかってたんだよ」

 

 ベックマンさんはどこかを見据えている。深く息を吸ったのか、煙草の先がちりちりと強く赤く燃えた。ちかちかと赤く燃えて、それからふうと光量が落ちる。

 

「わかってんだけどなァ、今も」

 

 ベックマンさんはどことも言えないどこかを眺めている。僕もその方向に視線を向けた。

 酒場の位置と、方角から考えると——たぶん、同じ方向、壁を越えた視線の先には、赤髪海賊団の船がある。

 

 ウタは船に帰って寝ている。

 

「……無意味に酒瓶転がすのやめたほうがいっすよ」

「おっと」

 

 転がしていた酒瓶をテーブルの上に立てたベックマンさんは「つうか、いい加減片付けるか」ついでのように立ち上がった。

 床に倒れた椅子を元の位置に戻して、泥酔状態の面々を雑に叩き起こし始める。

 

 僕も同じく立ち上がる。空になったグラスとジョッキと酒瓶を選り分けて、中身が入っているモンは別建てでまとめる。赤髪海賊団において、宴の片付けは最後まで潰れてないやつに回ってくる。

 

 蛸の唐揚げは最後の一個が残っていた。ちょっと考えて、僕はそれを口の中に放り込んだ。口内で油が弾けた。

 

 

 

——

  ——

 ——

  ——

 

 

 

 ぱち。ぱちぱちぱち。

 ぱちぱち。ぱちぱち。

 ぱちぱちぱち。

 

 悲鳴。怒号。嗚咽。咆哮。

 

 火花が弾ける音は聴衆の拍手にも似ている。

 

 

 

「——ウタウタの実、および、能力者自体、には、人の命を奪うような、危険は、ありません。覚醒でも、すれば……そういう、危機的状況に、陥れば、話は別、でしょうが。トットムジカ、も、同様に」

 

 引き攣れた呼吸音。足元から、隣から、見渡す限りから、そして、体の内側から響いている。喉の奥の喘鳴はもはや隠しようもない。

 激しく咳込めば、血の塊が地面に落ちた。

 

 なにが傷ついてるんだかわかりもしないが、まァ死ぬだろうなこりゃ、僕は己の状況を冷静に俯瞰した。

 

 せめて早めに距離取ってれば、少なくとも死ぬことはなかったろうが、なまじ取り込まれたのがウタだったんでそりゃあどこぞの強者たちとは違って、自力で出てこれるわけもねェし、近寄らねえと呼びかけの声も通らねえのよ。

 まァ結果、ただのいい的になっちまったわけだ。腹の肉が中身ごとごっそり持ってかれた。

 

 ……死にそうだ。

 というか、たぶん、さすがに、いくらも持たずに死ぬ。

 

 周囲の木々は燃えている。見事な石造りの街も半分は原型を留めていない。焦げた匂いが漂っている。腐ったような臭気も立ち込めている。民草や動物の内臓だのがぶちまけられた結果だろう。

 

 片手に握りしめた電伝虫は、こちらからなら映像を録画し、送信できる。

 電伝虫は、エレジアの惨状を詳らかに記録する。記録して、然るべき相手に、伝達する。

 

 潜入しているからって。……潜入先に絆されたからって、それでも僕は、決して、職務を忘れられない。

 忘れることなどあってはならない。

 

 僕はあくまでも海兵だ。海兵で、赤髪海賊団にとってのスパイだ。間違いなく、僕は海賊団の一員ではなく、一員には、なれない。なってはいけない。

 彼らは赤髪海賊団の船長であり、副船長であり、狙撃手であり料理長であり音楽家であり、僕は、そうではない。赤髪海賊団の船に乗っている()()の非戦闘員だ。

 

 報告を、怠っては、いけない。

 

「起きたことは、なかったことには、ならない……。でも、今、出てきたトット、ムジカ、は、止めます。赤髪が、絶対に、止めます。だから……」

 

 クソッ噎せた。

 ごぼごぼと喉の奥で響くものは、今度は変なところに引っかかって、吐き出せもしない。肺胞に落ちていったのだろうか。息苦しさが増した。生理的ににじんだ涙を拭う。

 

 半壊した塀に寄りかかって、息を吐きだした。深く、ふかく、息を。……苦しい。

 

 これからどうするだろう。

 焼け落ちた街は変わらない。国民の死屍累々もまた然り。

 ウタはどう受け止めるだろう。そもそも、受け止められるだろうか。

 

 それすらわからない。

 

 なにもかもわからない。こんな今なんて、予測できるわけもなかった。これからどうなるか——見聞色の覇気使いでも、悪魔の実の能力者でも、未来すべてを見通せやしない。

 わからないから、できることだけ、するしかない。

 

 僕が今できることだけ。

 

「これは、私情です。頼みます。起きたことは、始末して、結末を用意、して、完結させてください。そして、次は、起きないように。なにも、起きないように。あんな業を、背負って、いいような、子じゃない……なにも、なければ、なにもない、まま、ですよ」

『危険因子を……わかってて野放しにしたと、知れたらねェ』

「あんな、小生意気な……ただの、女の子が?」

 

 電伝虫越しの応答に、思わず、笑いそうになった。笑いそうになって、また一頻り咳き込んだ。

 焼け付く温度の只中だ。皮膚も炙られ煤けてしまう。空気は灼熱を孕んでいて、実のところ、元々呼吸にも一苦労だった。

 

 しばらく耐える。

 そして、また言葉を続ける。

 

「たとえ殺して、また、悪魔の実が生って、他の、悪用する気満々の輩に、食われたら……そっちのが、まずく、ないですか」

『……赤髪海賊団なのは変わんねえでしょう?』

「赤髪は、悪用しなくたって、自力で、できるでしょう……」

 

 どちらにせよ彼らがウタを利用するとも思えない。親馬鹿とはまさにこのこと。

 愛しているのはよくわかっている。

 

 ああ、もちろん、よくわかっている。よく覚えているから。

 

 ずっと見てきたんだ。

 見てきたんだよ。ずっと。

 

 今まで。

 

 すっかり牙ァ抜かれちまったね、なんて、揶揄が飛んできた。そうかもしれねえなァとは自分でも思っていたので、答えなかった。

 無意味な問答に使える体力も時間も、既に、ない。

 

「でも、それでも……もしも、またもう一度、起きて、止められなかった、ら……止めて、ください。なにをしても。絶対に」

『念を押すじゃァないか』

「そろそろ、アンタ、大将でしょう。それとも、もう、なったんでしたっけ? まァいいや……ボルサ、リーノ、中将、なんのための、光速、ですか」

『ピカピカの実は、女の子のところに逸早く駆けつけるためじゃあないんだけどねェ……』

 

 僕が生まれ育った貧民街で、海軍の安定性と後ろ盾をちらつかせて、僕を呼び込みやがった張本人。

 かつてはいろいろとパシられたし、赤髪海賊団への潜入だってこの人からの辞令だ。海軍の帽子もスカーフも制服も、当時は准将だった彼から渡されたし、それらすべて潜入時に回収していったのも、もちろんボルサリーノ中将。

 

 あーあ。上司に恵まれたもんだよ、全く。

 

 僕が任務を承けた頃は、ボルサリーノ中将は中将だった。いずれ大将になるだろうと囁かれてはいたが、あれから昇格したのか、僕は、知らない。

 

「赤犬中将なら、今も、見逃して、くれないでしょ。青雉中将なら、止める前に、一瞬躊躇っちゃう、でしょ。適任、なんですよ」

『適任たァまた』

「海軍に、入って……今まで。部下として、僕、仕事してきたじゃ、ないですか。一生の、お願いですよ。ひとつぐらい、聞いてくださいよ」

『今聞いた感じ、どォ〜も、ひとつどころじゃあないけどねェ』

「お願いですから」

 

 ボルサリーノ中将とは、付き合いは長いが、大して仲良くもない。海軍に入った経緯が経緯だから、別枠で指令が下ることは多かった。心配された覚えもない。手がかからないと褒められたことはあった。褒め言葉だったかね、アレは。

 

 どうせこの大海賊時代。尉官佐官以下の海兵は、殉職なんざ珍しくない。

 僕もそんな雑兵のひとりだ。

 

「黙ってて、くださいよ。守ってあげて、くださいよ。次があったら、止めて、くださいよ。……助けて、ください、助けてくれよ……」

 

 僕にはもう、なにもできやしない。腐れ縁の上司に懇願するしか能がないのは、我ながら、実力のなさが悲しいところだ。

 

 電伝虫はしばらく沈黙していた。

 通信が切れたのかと勘繰るほどに長い間。

 

 そしてなにか口を開こうとしたところで。

 

   パキン

 

 殻には剣先が突き刺さった。

 

 それきり、電伝虫はなにも喋らなかった。

 

 

 

  ——

 ——

——

 ——

 

 

 

 かつてエレジアの国民らであった、数多の人々を埋葬した共同墓地。

 そこよりすこし外れて、木々と半壊した石壁の間。小さな墓がぽつんとひとつ。

 

 墓標には帽子が括り付けられている。

 

 墓は年月を経て風雨に晒されて、趣を醸し出しているが、一方で帽子はそうでもない。

 確かに帽子もまた古びており、草臥れ、よれているが、手入れもされてきたのだろう。汚れはなく、わりと小綺麗で、砂埃すらついていない。

 おそらく、しばらく使われ、そして長らくしまい込まれていたものが、ごく直近に取り出された。そう推測できる。

 

【MARINE】

 

 帽子には、白地に青でそう記されている。

 青いスカーフによって墓標に括りつけられている。

 

「空の棺じゃ味気ねえって、葬式で制服は燃やしてとっくに残ってねェのさァ。事の始末も、なにもかも済んだ今、返しても文句は言いなさんな」

 

 墓標の前には一人の男が立っている。男は墓標を見下ろしている。

 

「わっしは、できるこたァ振っても、できねェ話を振ったことはなかったでしょう。……なァんであのとき、さっさと逃げ帰って来なかったのかねェ」

 

 返答を前提とした台詞だった。それでいて、独り言つに近しい声色だった。

 問いかけの形をしているようで、その実、確信すら込められていたかもしれない。

 

「任務遂行と、引き時の、塩梅の判断がつかねえ馬鹿じゃあなかったろうに」

 

 墓標は何も応えない。

 

 エレジアは多くの偉大なる航路(グランドライン)の国々の例に漏れず、小さな島国だ。海岸から吹き抜ける海風は、緑に埋もれゆく街を巡り、崖を駆け上がり、もちろん、木々の間も通り抜け、過ぎ去っていく。

 

 海風に煽られて、帽子がぱたぱたと振れた。風が止むと、再び、沈黙した。

 

 しばらく佇んでいた男は、やがて踵を返した。

 二度と振り返らなかった。

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