一足先にイチ抜けた!   作:初弦

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あとの皆さんせいぜい適当に頑張れよ!

 もしもの話をしよう。

 

 そう成れたかもしれない未来の話だ。

 あり得たのかもしれない過去の話だ。

 行き着けたかもしれない現在の話だ。

 

 

 

「あたしは赤髪海賊団の音楽家、ウタ!」

 

 ウタは高らかに謳う。帆船の梁の途中に腰掛けて、眼下を見下ろし朗らかに笑う。

 

 彼女は、幼い頃よりも芯の入った声に成長した。腹から声を出しているのもあるだろう。

 声はマイクを通り、拡声され、さらに広く遠くへと響いていく。

 

「みんなァ、あたしのライブに来てくれてありがとう! 世界一の歌姫の生歌なんて、滅多に聞けないよ! だから……」

 

 目を伏せる。引き上げた口角の角度が変わる。〝世界に愛される歌姫〟から〝赤髪海賊団の音楽家〟へと、がらりと様相が変化する。

 

「もちろんあたしの歌を最後まで聞いてくれるでしょ?」

 

 マイクを握った小指がわざとらしく立てられる。すぅと呼吸の音、そうして歌声が響き渡る。

 敵兵たちはばたばたと倒れていき、やがてふらりと立ち上がると、仲間だったはずの相手に手を伸ばし、羽交い締めにする。足を掴んで引く。

 

 混乱、困惑、躊躇、歌を聞くなと怒号が響く。ウタの歌とウタウタの能力に支配された空間。

 

 ここはウタのライブ会場で——戦場だ。

 

 片耳に指を突っ込んでそのさまを眺めていたある船員が、ふと、眉をひそめる。自船の歌姫を見つめたまま、しばらく観察するように目を細めていたが、やがて声を張り上げた。

 

「ウタァ!」

「きりもはれる〜……なに!?」

 

 ライブを中断させられたウタは、肩で呼吸をしながらも、ぎっと後ろを睨みつけた。ウタの手元をぴっと示した人差し指。

 

「テメェ今持ってるそのマイク、まさかとは思うが僕の音貝(トーンダイアル)コレクションからまた引っ張り出してきてねえよな!?」

「え。……ち、違うよ! これは落ちてたの!」

「言い訳がド下手くそ! 借りるなら借りるって事前に言え!」

「借りるね!」

「事前の意味知ってっか!? てかやァっぱ僕のかよ!」

 

 ま〜たやってらァ、誰かがつぶやいて、じわじわと笑いが沸き起こる。

 大人気なくも怒鳴る船員に、負けじと言い返す音楽家、だいたいいつものことだ。たいていの場合ウタが微妙に悪いのに、わざわざ同レベルで争うのでややこしくなる。

 

「おいおい、まだライブは終わってねえだろう。ウタ」

 

 復活しつつあった雑兵が、薙ぎ払われるように押し退けられた。愛剣グリフォンを抜いたシャンクスが、ウタを見上げて、ぴっと剣を振って砂埃を落とす。

 

「シャンクス! ありがと」

 

 ニッと笑ったウタが「(ダイアル)はあとで返すから!」そう言って、更に上、見張り台まで飛び上がる。広々と海の上をこだまする歌声が、再び、遠く遠く響いていく。

 

 深々と息を吐いた船員は、髪をかき回すと、船尾の方へと足を向けた。

 

 一方、船尾側でライフルを構え、軍艦の奥の方ににらみを効かせていたベックマン。寄ってきた気配に気づいて、視界の端で一瞥した。

 

「副船長……そろそろあのじゃじゃ馬引っ込めさしてください。軍艦程度ならまだしも、このままこのへん留まってると、下手すると百獣海賊団と鉢合わせします」

 

 軽く電伝虫を振ってみせる。かつての諜報員兼雑用、現在はソナーテクニシャンとしての実力は、二十年近く船に乗っていれば、もはや折り紙付きですらある。

 戦闘中で騒音が錯綜していようとも、見聞色の覇気以上の範囲を把握できるまでに技術を磨けば、なんだかんだ、非戦闘員でも船に居場所はできるというわけ。

 

「さすがにカイドウと今やり合う予定はねェな。野郎どもォ、帆ォ張れ! ウタ、そろそろ切り上げてくれ!」

「せっかちなんだから……」

 

 不機嫌そうに踵を鳴らしたウタが、ぱちんと顔の前で両手を合わせる。

 眉尻を下げた顔は可愛らしいが、今しがた、同士討ちの惨状を引き起こしたのはこの娘だ。

 

「ごめんね、アンコールはできないんだって。だからこれで最後の一曲!」

「いいからさっさと戻ってこいっつってんだろうがバカ娘!」

「うるさい過保護!」

「ま、まじクソガキ……」

「オマエら十年前からろくに変わんねえな」

 

 

 

 手配書の紙束をぺらぺらとめくって、げぇ、と舌を出す。そんな船員に気づいたシャンクスが「どうした」と肩越しに覗き込む。

 

「ウワ船長」

「オマエ相変わらず生意気だな、俺たちはそんなオマエが好きだぜ」

「三十代も後半戦のやつ捕まえて生意気もなにもねえでしょう……」

「そしてオマエも俺たちが好き」

「会話のキャッチボールが成り立たねェや。ハイハイ好きです好き好き大好き」

「あしらうじゃねえか」

 

 喉を低く鳴らしてシャンクスは笑っている。いかにも楽しそうな船長を、冷めた目付きで眺めたのち、その視線は再び手配書に落ちた。

 

「で、なに……あぁ〜」

「ウタの手配書。……金額が更新されてますよ」

 

 ぴらっと抜き取られた手配書には、ウタの笑顔が映っている。赤髪海賊団所属、通称は狂信の歌い手。

 本人は〝センスない〟と気に入らないらしいが、実のところ海賊団内の評判はいい。世間的には、ウタは海賊というより歌手として名を馳せており、それらをなんとか悪く印象付けようとしたのだろう、と推測できる通称なので。

 

 俺たちの娘の歌は、狂信者まで生み出す出来だってよォ!

 そういう。

 

 下部には【DEAD OR ALIVE】の記述とともに、ベリーの記号。肝心の金額はといえば、まず上一桁めの【1】そしてそのあとに0がひとつふたつみっつよっつ……。

 

「一億は、まだまだだろ?」

「四十億がやかましい」

「あっはは、その悪口は三回目だ」

「僕の罵倒をコレクションすんな」

「やかましいだけだとよく聞いてんだよな〜」

 

 言いながら、シャンクスは己のクルーの向かいへと回り込む。

 全世界規模の手配書は、基本的にはニュース・クーによって、新聞の折込チラシのノリで配布される。片手には手配書の束を抱え、片手には新聞を閉じた状態で握りしめていた。

 

「ところで」

「ヤベ」

 

 新聞の隙間に一枚だけ挟まれていた手配書。それをすっと抜き取って、内容を確かめ、シャンクスはにんまりと笑った。

 目の前の表情が若干攣っているのも含めて面白い。

 

「オマエの懸賞金もまた上がったな?」

「……こないだボルサリーノ大将に出くわしたんすけどね」

「おい報告上がってねえぞ」

「今してます。大将あのひと〝オマエさんの首の額で故郷に仕送りしたらどうだァい〟て提案して来んすよマジ怖ェ」

「仕送り?」

 

 ありえねェあのひと元上司だからって。ぶつくさと言いながら、シャンクスの手から手配書を奪い返し、すっと紙の中央を掴むと、千々に裂いていく。

 元海兵としてはやはり、自分が賞金首な事実はあまり好ましくないようだ。

 

 まあふつう賞金首になることが好ましいわけはない。喜ぶのは賊ぐらいだ、それこそ海賊とかね。

 

「とっくに俺たちの縄張りにして、マシにはなったろう」

「昔は、あれよりひどかったんすよね、実は。そのへんボルサリーノ大将にはずいぶん世話になりましたよ……まァ恩を仇で返すかたちになっちまったのは、申し訳ねェぐらいは思ってますよ。命で返済するつもりもねェっすけど」

 

 目を細めて、懐かしむようにつぶやく。シャンクスは面白くないと言わんばかりの顔でそれを眺めている。

 

「……今は俺のクルーだからな?」

「うぜー」

「な?」

「はいはいクルークルー」

 

 仮にも己が付き従う船長を、いかにも迷惑そうに、雑にあしらうものである。

 

 しっしと手を振るかたわら、新聞を手早くたたみ、手配書を紐でまとめたのち、小脇に抱える。そのままはしごを降りていく。

 耳を澄ましてみればウタが何度も名前を連呼していた。今度はなんだろうか。赤ん坊のころからつきっきりだったせいか、なにかあれば遠慮なく呼びつけられているところをよく見かける。なまじ本人が、態度は悪いながらも律儀に飛んでいってやるのでなおさら。

 

 あまりに急かされるせいか「聞こえてる!」と苛立ち混じりに怒鳴り返す声が響いた。

 

 シャンクスはうっすらと笑って、手すりに寄りかかった。残った方の肘をついて、レッド・フォース号にて送られし日常を眺めている。

 

 海軍に所属していた頃は、好意的な言葉や、船に所属する言葉を、揶揄いのはずみでも頑として肯定しなかった。シャンクスを、船長ではなくお頭と呼んでいた頃の話だ。

 そんな頃からすれば、今の状況は信じられないぐらいだろう。

 

 

 

 コンコンと扉を叩けば、数拍ののち、ガチャンと内開きの扉が開く。

 ウタにとってはよくよく見慣れた、一見不機嫌そうな顔が、彼女をさっと眺めて「はいどうぞ」自室へと招き入れるように空間を開けた。

 

「ものが増えたよね」

「よく押し付けられるからな」

「なんだかんだ受け取るから楽しいんだよ」

「オマエがその筆頭〜……」

 

 忌々しげに飛んできたつぶやきを、ウタは、聞こえないふりをした。

 

 ベッドの中にもぞっと潜り込んで、毛布から顔だけを出して様子を窺う。

 とられたなあ、という顔はするが、文句を口にすることもなく、デスク脇の椅子に腰掛けた。これまたいつものことであり、ウタが幼少のころからそうであった。

 

「……あのね」

「ン」

「さいきん。あたし、配信始めたでしょ」

「そだな」

 

 相槌は本当に素っ気ない。と同時に、相槌は必ず返ってくる。

 

 無愛想でぶっきらぼうで悪態ばかり吐いて、日頃から意地悪ばかりで、口うるさく、叱るときにはそれ以上に容赦もない。

 ただ、ウタは幼いころから嫌うどころか懐いてきた。そういうところに一因がある。

 

「ファンのみんなが、あたしの歌を聞いてくれる。聞いて、喜んでくれる。幸せになってくれる。また、新しいファンが増える……」

「うん」

「嬉しいの。嬉しいんだ……嬉しい、ん、だけど」

「だけど?」

 

 問い返すことば。

 ウタは毛布のふちを握りしめた。

 

「……すこし、こわい……」

 

 間があった。

 

 伸びてきたてのひらが、ウタの前髪を撫で付ける。しばらくそうしてからピンで留めた。

 昔から、ウタの左目にかかる白髪が気に掛かっているようで、彼女の前髪をピンで留めるために伸ばされる手には、慣れきっていた。

 

「なにが怖ェの」

「……あたしは、たぶん、すごくいい生活をしてる。シャンクスが、みんなが、怖いものはぜんぶ追い払ってくれてる」

 

 ぬるい体温は、前髪を留めたあとも、ウタの額に触れている。

 額を撫でるように親指が何度も動く。

 

「ねえ……世界には、苦しんでいるひとがたくさんいるんだ。つらくて、かなしくて、助けを求めても、届かなくて、無視されて、そういうひとたちがたくさんいるんだ」

 

 毛布を離して、ウタは、そろそろと手を伸ばした。

 己の額を撫でる親指を、額を隠すように触れるてのひらを、掴んで、捕まえて、自ら額を押し付ける。

 

「助けてって。みんな、言ってる」

「ン」

「助けてあげたい。どうすればいいのか、わかんない」

「うん」

「あたしは、赤髪海賊団の音楽家で……海賊にひどいことされたひとも、いっぱいいるんだ」

「そうだろうな」

「もちろん、シャンクスは、そんなことはしないけど……いっぱい、いるんだ」

 

 目を閉じて、てのひらを額に押し付けて、ささやく姿は祈るようにも見えた。

 祈り、捧げ、救いを求めるようにも見えた。

 

「……もともと海軍にいたんでしょ? 海軍は、どうしてたの」

「さァなァ」

 

 掴まれたてのひらをそのままに、ぽつぽつとした会話を繋いでいく。ウタを見下ろす視線は、柔らかく細められている。

 

「僕は、海兵だったころ、ほとんどをこの海賊団の潜入任務に充ててたし……まァ辞めた理由もそれだが」

「迎えに来た軍艦の海兵さんぜんぶ、あたしがウタウタで取り込んじゃったやつ」

「あれはだいぶ焦った」

「そうだったの?」

「オマエ能力使いすぎると身体にもろにくるじゃん」

 

 掴んだてのひらは乾燥していて、ガサガサとした質感だ。額を寄せると、ささくれが引っかかって、少し痛いこともある。

 

 歌姫とは皆に夢を与える存在であり、ゆえに肌の手入れも欠かさない。一方でソナーテクニシャンはそうではないから、手先のケアは疎かだった。

 ウタは時折苦言を呈するが、ハイハイと流されて終わりなことも多い。

 

「……海軍は、治安維持組織っつっても、世界政府の手駒だから。あんまり自由も効かねえし、あとわりと内部が腐ってる時もまァある」

「さいあく!」

「良くねえなァ、これが最悪って言うと違ェが。……底は、もっと、深い」

 

 すっとてのひらが抜き取られる。ウタが目を開ければ、今度は横髪を撫で付けて、耳元に流すように梳いていく。

 視線をずらす。瞳は伏せられて、くちもとは微かに苦笑をたたえていた。

 

「助けるのは簡単じゃねえよ」

「……それでも、」

「うん。ほっとけねえし、見捨てらんねえまま抱え込むのは、オマエの悪癖で美徳だな」

 

 再びウタの額に触れて、それから目元へと滑り落ちていく。

 てのひらがウタの両目を覆うから、暗がりのほかは何も見えない。

 

「とりあえず、寝とけ。寝て、起きて、メシ食って、トレーニングだの配信だの美容ケアだのして、それから、オトーサンにでも相談しろ」

 

 ゆるやかに声がささやくから、視界は暗闇に包まれているから、ウタはゆるゆると目を閉じた。

 

「昔から、船長に言いにくいことは、だいたい僕に聞いてくるよなァ。……やりてェことあるなら、手伝ってくれるよ。勇気が足りないなら、一緒に行ってやるよ。大丈夫だよ」

 

 声は遠くなっていく。

 額を撫でる親指が、膜を隔てるようにして、感触は薄くなっていく。

 

「オマエは一人じゃねえから。支えてやるから。大丈夫だよ」

 

 声は淡く溶けていく。そうして夢に沈んでいく。

 

 

 

 ——

  ——

 ——

——

 

 

 

 すべてはもしもの話。

 

 たとえば。あるいは。または。仮に。万が一にでも。

 そうであったならよかったのかもしれない。

 

 人々はIFを夢想する。あったかもしれない未来を、起きたかもしれない過去を、違ったかもしれない現在を、夢想する。

 空想を。理想を。絵空事を。

 

 夢を、思い描く。

 

 そうして——変わりようもない今を直視する。

 そうはならなかった世界が、ここには、広がっている。

 

 

 

「あたしだって、」

 

 と、ウタは言う。僕はそれを聞いている。

 

「シャンクスたちと一緒に、航海、したかったよ」

「ン」

 

 抱きしめた身体は以前よりずいぶん大きくなった。肩口でぽそぽそと囁く声は、記憶よりも大人びて、細く震えている。

 背中をさすればウタは身体を大きく震わせた。

 

「一緒に航海して、冒険して、面白いものたくさん見て、バカみたいなことしてるの、指さして笑って、デリカシーないことは怒って、宴では歌って、」

 

 それはかつての僕たちの日常だ。

 理由も根拠もなく、漠然といつまでも続くと信じていた、在りし日の日常だ。

 

 突然途絶えて過去と化した思い出だ。

 

「赤髪海賊団の、音楽家、として」

「うん。うん」

 

 ウタは大きく呼吸を繰り返した。合わせて背中が上下する。僕はその背を柔らかくさすっている。

 震えて、ふるえて、吐き出された息は湿っている。

 

「……できるわけないのにね……!」

 

 紛れもない慟哭だった。

 

 たぶんずっと抱えていた、ウタの、ことばだ。こころだ。

 どうしようもない矛盾で、どうにもできない亀裂だ。

 

「トットムジカを起こしちゃったのは、あたしなんだよ。エレジアのひとたちのこと、みんな殺しちゃったのは、あたしなんだよ。ゴードンさんを、ひとりにしちゃったのだって、あたしなんだよ。赤髪海賊団に、だいすきな、家族に、庇ってもらったのも……庇ってもらったのに、そんなことも知らないで、憎んでたのも、嫌いになったのも、そうやって、そうやって〝歌姫〟になった、のも、夢を()()()()()()のも、みんな、あたしなんだよ……!」

 

 堰を切ったように、ことばは、溢れていく。あふれて、つづられ、すべて消えていく。

 

「うん」

 

 僕は、うなずく。うなずくことしかできないから、ただ、うなずく。

 否定はできない。否定もできない。できるわけもなく、するわけもない。

 

 あのひとたちはどうせ気にしてない、あれはオマエのせいじゃなかった、そんなことを言うのは簡単だ。簡単すぎるほど簡単だ。

 いつまでも吐き出せなかったこころを、ようやくぶち撒けている少女に、そんなことを言えるわけもない。そんなことを告げられるわけもない。

 

 だって大丈夫じゃなかったからウタは今ここにいる。

 

「わかってて……わかってて、ぜんぶわかってて。わかって、たのに、もう一回、トットムジカを起こしたのも。あたしなんだよ」

 

 事実ばかりが連ねられる。事実ばかりを抱えて、自分の中に抱え込んで、己を苛んできたのだろう。

 何度も。何度も。

 

 知ってから、今に至るまで、きっと、何度も。

 

「そーだな」

 

 僕はつぶやいた。

 肩口に寄せられた顔が、押し付けるように擦り付けられた。隠すように。逃げるように。なにもかもから、自分からも、逃げ出そうとするように。

 

「一緒に、旅なんか、できる、わけ」

 

 絞り出されたことばは切実だ。自罰的で自虐的だ。

 

「許されない。あたしが、許せない……」

 

 背中をさする。さすり続ける。そうしながら、僕は、思う。

 本質はそこだろう。そう思う。

 

 許せなかった。許せなかったのだろう。何よりも誰よりも自分が一番認められなかったろう。

 なまじ赤髪海賊団を十余年憎んで嫌った年月が、己のことをなによりも苛んだろう。

 

「……僕は」

 

 と、僕は言った。

 背は高くなって、声も大人びて、手足は伸びて、成長したウタの背中を眺めている。肩口に押し付けられた頭の重みが、記憶よりも確かに増えていることを、考える。

 

 成長したけれど、まだ、二十とそこらだ。

 僕の享年よりも若い。

 

「オマエには正直マジで本気で心の底から絶対に会いたくなかったよ」

 

 ウタの背中が明確にこわばった。怯える様相は幼い頃と変わりもしない。

 諦めのような気持ちで、大きくなったけれど、十二分に狭い背中を、静かに、撫でている。

 

「オマエには……何もかも忘れて、なかったことにして。多少は怒って、程々に泣いて、目一杯笑って、生きてほしかったよ」

 

 ウタの喉からか、ちいさく、呻くような声がこぼれた。かすかに背中は震えている。

 

 かつて世話をしたお転婆が。いまこうして僕にすがる娘が。

 僕は、生き続けることを望んでいた。

 

 生きていくことを。歩いていくことを。

 己の人生を、くるしくても、かなしくても、つらくても——それでも、どうにか楽しいことを見つけて、本人の歩調で、本人の歩幅で、歩いていけることを望んでいた。

 

 僕はしみじみとつぶやいた。

 

「できなかったよなあ」

 

 ウタの背中が、ふたたび、大きく揺れた。

 宥める意図を持ってその背を撫でながら「できねえよなあ」と僕は、ひとりごちるように言葉を続ける。

 

「できるわけねえよなあ、しょうがねえよ。わかるよ、許されたとしても、顔向けできねえもん。わかるよ……」

 

 たぶん歯を食いしばっているのだろう。きちりと歯ぎしりに近い音がひとつ。

 ふ、ふ、と、短く、断続的に、呼吸音は耳元で続いている。

 

「最初から最後まで、なんにも気にしないで、仲間になれてたらよかったけど。……それか、そうだなあ、なんにも知らないで、夢を叶えて、その先突き進んでいけたらよかったけど、」

 

 しゃくり上げる声が聞こえた。僕の背中をつかむてのひらは、いよいよ、爪を立て、縋るようでもあった。それこそがこの()の感情だ。

 努めてやわらかに、優しく、そういうことばかり意識して、僕はウタの背中をさする。

 

「そうだったらよかったけど、そうじゃなかったもんなあ」

「っゔん、」

 

 肩口で頭がかすかに上下する。

 僕はその場に尻もちをつくようにして、少し姿勢を後ろに傾けた。

 

 僕の背中に回されたてのひらは、必死に、離さないように、僕の背をとらえて、掴んでいる。その存在を、感触を、いま確かに意識している。

 ここまで追い詰められて、こんなにも自分を追い詰めて、あの結末を迎えてしまった。

 

 ここまで歩いてきたことを知っている。追い詰められて、追い詰めて、追い込んで——確かに、必死に歩いてきたことを知っている。

 

「それでもオマエさァ、頑張ったんだよ。頑張ってたよ。正しくなくても、頑張ったよ、ありったけ」

「ゔんっ、ゔん、ひぐっ、」

 

 頷く。うなずく。首を縦に振る。

 ウタは、何度も、頷く。

 

 正しくはなかった。正しくないことはウタだってわかっていた。

 わかっているけれど、もはやどうすることもできず、どうすればいいのかもわからず、暴発せんばかりのこころを抱え込んで、うずくまっていた。

 

 お頭は親だった。僕は見ていたから知っている。ゴードンさんも、親だった。見えたから、見えていたから、知っている。赤髪海賊団も、家族だった。

 血の繋がりも書類上の繋がりもないひとびとを、ただ、愛だけが、繋いでいた。繋いでいる。

 

 だから頼れなかった。

 

 家族だから。親だから。

 そして、確かに自分を愛おしく思ってくれる、家族に、親に、愛ゆえに背負わせてしまった。愛されているからこそ背負わせてしまった。

 少なくともこの娘はそう思っているから、どうしても、頼れなかった。

 

 誰が最も悪いわけでもない。誰が原因なわけでもない。なるべくしてなり、とうに覆せない話だ。

 僕もまた、そこに加担してしまった。

 

 ごめんなと思っている。

 誰も悪いわけではないけれど、もちろん、僕が悪いわけでもないけれど。ただ、ごめんなと思っている。

 

 思っているから、僕はそれを、ひとり、飲み込んでおく。くちにすることはなく、飲み込んで、飲み干しておく。

 

「が、がんばった。がんばったよ、がんばったんだよ、」

「うん。うん」

 

 僕は頷く。

 うなずいて、ただ、肯定する。労る。慈しむ。

 

「頑張ったよ、オマエは。めちゃくちゃ、頑張った。頑張ってきたよ。……だからさァ」

 

 ずっと見ていた。ずっと見てきた。あのころから年々重たくなっていくと思っていた身体は、ずっと、ずっと重みを増している。

 背中をさする。広くなった背中を、しかし、未だ華奢な背中を、さする。

 

「もう頑張れなかったよなァ」

 

 ちいさいときから、なにかにつけ、よく泣く子どもだった。

 赤髪海賊団の歌姫。ゴードンさん(エレジアの国王)秘蔵っ子(プリンセス)。彼らの娘。僕にとっては、手のかかるじゃじゃ馬で、悪ガキで、歌が上手くて、愛おしい——

 

 ——娘って言ったら、怒られっかなァ。

 

「……あーあ」

 

 そんなことを思い返して、ふと、笑ってしまった。

 しがみつく背中をぽんぽんと叩く。叩いて、撫でて、さする。ウタは泣きじゃくり、しゃくり上げ、鼻をすすり、嗚咽を飲み込もうとしてやっぱり止まらないようで、泣いている。

 

 オマエ、ほんと、こンだけ大きくなったのにさァ。

 

「身長伸びたくせして、昔よりずっと重たくなったくせに、すぐ泣くのは、変わんねえのな」

 

 

 

「おも、重くっ、な、な゛い゛も゛ん」

「ほんっと相変わらずだな。いいだろうがそんだけ成長したってことなんだから」

「いっ、いつもっ、いじわっ、意地悪す゛る゛の」

「やめろやめろ、お頭に聞かれたら絶対ろくな反応されねえ……」

 

 

 

 夢を見ていたのかもしれなかった。

 

 シャンクスが不意に目を開けると、あたりは薄暗く、しじまに包まれていた。寝息といびきと、虫の声ぐらいしかない。

 身を起こせば、周りには酒瓶が散乱している。昨晩の宴では各々、浴びるほどに酒を飲んだからだろう。酒量のセーブなんて概念は元からない。

 

 娘を乗せた棺は、黙祷ののち、火をつけて、灰にした。

 燃え残った骨もまとめて砕いて、灰ごと海に流した。

 

 赤髪海賊団は海賊船だ。遺灰を船に乗せておいて、万が一大切な娘に〝怪我〟をさせるよりは、海にかえしたいと思っていた。

 

 ウタの歌声は、ラジオに、テレビに、電伝虫に、音貝(トーンダイアル)に、記録から復元され、再構築され、どこまでも遠く彼方へ運ばれていく。

 思い出のうちに息づく幼い少女は、なんだかんだ冒険も好きだった。父のマントがなびく後ろを、小走りについてきて、新しい光景に目を輝かせていた。

 

 海はどこまでも広がっている。どこまでも続いている。

 いつかきっと、世界の果てまで、海流に乗って、届くだろう。

 

 ウタが見たがった景色まで。ウタが熱望したステージまで、辿り着くだろう。

 

 泣きながら歌った。笑いながら歌った。思い出話を語り合った。

 悲喜交交、当時の感情まで鮮明に浮かんで、耐えきれぬように酒を煽った。

 

 当然皆々潰れた。

 

 シャンクスは立ち上がる。

 ざっ、ざっ、ざっ、と雑草を踏みしめ、地面を捉えて、やがて草木は途絶え、道ともしれぬ道は砂浜へと続いていく。波打ち際まで歩いていく。

 

 夢を見ていたのかもしれなかった。

 

 変えられたかもしれない過去を見ていた。もしかしたらあったかもしれない現在を見ていた。既に失ってしまった未来を見ていた。

 消えた可能性を、己が背負った業を、すべて抱きしめて、慟哭する、自分の娘を見た。

 嘆くウタを抱きしめて、相槌を打って、その背中をさするてのひらを見た。

 

 かも、しれなかった。

 

「……だから俺ァ、ウタを泣かせたってだけで詰めたことなんざなかったろうが」

 

 なんとなくぼやく。

 そもそも娘と言っただけで怒っていたら、赤髪海賊団のだいたい全員弾かれる羽目になる。

 

 夢を見たのだろう。

 顔もおぼろげになってしまったかつての船員が、苦笑じみた独特な口角の上がり方まで、鮮明に映った気がしたのも、無論気のせいだ。

 シャンクスの心の底の、なにかしらの願望を反映していたのか、あるいは——考える必要もない。

 

 夢を見たのだから。

 

 彼らは、人々の記憶と記録の中でだけ、確かにかたちを残している。

 とうに息を止めたまま、姿は変わることなく、ただ、いまでもそこにある。

 

 答え合わせをするにしても、約束まであと八十年とちょっとは残っている。長ェこった、シャンクスはひとり笑った。

 約束を破ったら絶対に怒られる。三途の川あたりで時間を潰す必要すらあるかもしれない。……それはそれで、愛娘を無意味に待たせるなと叱られるビジョンも見える。

 

 ひとりで、一頻り笑った。

 息を吐いた。

 

 息を吸った。

 

「……ビンクスのさァけを。と〜どけ〜に、ゆくよ、」

 

 ろくな育児書も見ないあらくれ者たちの生活で、ウタが無事に幼児期を乗り越えたのは、それこそ奇跡だったろう。海軍のスパイですら見兼ねるありさまだったのだ。

 結局子守唄すら覚えず終い。もしも覚えていたところで、四十億もの賞金首が似合うはずもない、とはシャンクス自身の評価。

 

 ——だから。

 

 だから、海賊の歌を歌おう。

 遠く遥かどこか、あるともしれない宛先に、届くと信じて歌ってやろう。きっとそれが、赤髪海賊団の船員たちには相応しい。

 

 ビンクスの酒を贈ろう。

 別れのために。門出のために。もはや過ぎた日々を、慈しんで、愛おしんで、名残惜しんで、それから、祝福しよう。

 

 ありったけの過去と今を、これからの旅に、未来に、夢路の果てに、すべて抱えて連れて行こう。

 隻腕といえどそのぐらいの力はまだ残っている。

 

 じきに夜明けだ。

 

 水平線の向こう、日の気配が、うっすらとにぶく光る。海の波間をやわらかに照らす。シャンクスは目を細めた。

 暗闇に慣れた瞳には、なにもかも、やたらと眩しく映る。

 

 新時代は目前に迫っていた。

 

    fin.

 

 

 

「ああそうだ、言い忘れてたんだけど」

「んぐ、な、なに」

「オマエの歌、良かったよ。ぜんぶ。なんなら僕、なんだかんだTot musicaも好きかも。副産物はまァさておき、すげ〜いい曲じゃね」

「……あたしも、すき」

「オモシロ。お揃いじゃん」

「シャンクスとがよかった」

「この悪ガキまぁじでわがままプリンセス」

「出たァ、まけおしみ」

「あぁハイハイ負け惜しみ負け惜しみ。……もうなんでもいいから、そうやって笑ってろ、馬鹿娘」

 

     ホントにオシマイ!

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