太陽が沈んだと同時だった。
察知するや否や、メルは横に跳び退き、回避を計る。僅か数秒後にして、一部の砂地が盛り上がって巨体が地上に噴き上がる。
巨体に持ち上げられた熱砂が空高く舞い上がる。砂に塗れて浮上した橙と茶色の隠蔽色を全身に纏った土砂竜は一瞬にして土色の舞台を闘技場へと変えた。
現れたボルボロスは巨体を揺すって砂を振り落す。堅牢な甲殻に纏わり付いた砂が砂地へと帰る。
特徴的な頭部、橙と茶色の甲殻、陽射しに反射して鈍く光る牙……間違い様のない発せられる威圧感。奴は竜である。冊子で見た絵画の記憶と現実とが合致する。
牙を剥き出し、涎が口内で伸びて。
「ギィァアゥォオオオーー!!」
重圧感で満たされた濃厚な咆哮。響く余韻を聞きながら素早く双剣を引き抜く。地上のメル以外の二人が武器を引き抜く音を無意識に耳に入れながら、喉を鳴らすボルボロスを睨む。
気圧はされど怯みはしない。これまでの狩りの経験からメルは肝魂を授かったのだろうか。自分に対する少しの感心を消し去り、見るべき巨体を視界の真ん中へと動かす。
地上の三人を外敵と見なしたボルボロスは程無くして突進を開始する。狙いは近くに居たメルである。
距離を確認し、直ぐに回避を行う。迫る巨体との距離に比例して心拍数が増す。
心拍数が止まった、と錯覚した瞬間、大木の様な強大な脚に巻き込まれる。双剣を盾代わりに擦れさせて受け流し、身体を外側へと追い出す。しかし、若干の衝突を抑える事は出来ず、身体が飛ぶ。砂地を転がりながら身体を起こす。
砂地に沈んだ足を抜き、口に入った砂を腹立たしい様子で吐き出す。距離を見誤ったか、そうではない。距離は充分にあった筈、ならば。
「思った以上に速いな」
もう一度、砂を吐き出し、身構える。奴は反転の途上、その奥からはラグッドが走り出している。
呆れている暇は無い。岩山の頂上でメルの様子を窺うエリーに無事だ、と合図を送り、気持ちを切り替える。
窺い知れぬ筋肉による突進は予想外に速い。対応するならば普段より速くに動き出す必要がある。動きと思考に訂正が必要だ。思い込みからなる失態であった、と自分を咎め、自身を現実へと引き戻す。
後悔はここまでだ。次なる突進が来る。
大量の砂を巻き上げ、突進を繰り出す。先程より遠めの距離で、動き出す。やや右後ろに走る形で身を投げ出す。背後を先程、巻き込まれた足が通過する。
上手く避けられた事を喜ぶ暇もなく立ち上がって退く。メルが退避を終えた頃、ボルボロスが向き直る。ボルボロスから見て僅か右前方、駆け込む影、ラグッドだ。
安直な突撃、愚行だ。しかし、再びボルボロス視点で正面をルークが走る。巨大な双眸は片手剣を持つ狩人に向けられている。
敵の注意はルークへと、此方の本命はラグッドへと。
踏み込み、溜めて薙がれた大剣が土砂竜の右脚を走る。
硬い表面を僅かに削るだけとなった初撃だが、問題ない。近接に持ち込み、斬撃を与えた。この結果があれば、十分だ。序盤戦では奴の観察が主な目的だ。総力戦はその後に控えている。
取り敢えずは攻撃に成功した事に安堵する。出発の当初は近接戦を行えるか、どうかさえ不安であったのだ。
ボルボロスの足下を直ぐに離れたラグッドに対し、巨体はそれを追い掛ける。
メルが援護を発起としたほぼ同時、エリーが弾丸を撃ち出す。狙いは正確、右脚の付け根に射撃された弾丸は直後、焼き爆ぜ、土砂竜の体勢を崩し、転倒させる。
(上手く動いている…が)
少し難事である。近接戦に持ち込む度にエリーの援護を期待しているのではやがて、弾数が尽きてしまう。もっと有利な戦況から近接戦に持ち込む他ないだろう。
切欠を作らねば。思考の行く先を設定し、腰に装着した球を掴み取る。ホルダーから外し、走り出す。
急に走り出したメルの意図を察知し、岩山の頂上から大声が響く。
「皆さん…攻勢に入ります!!」
「…流石」
エリーの逸早い意図の察知に感心したのは何度目だろうか。彼女の本気を是非にこの眼で見たいメルはこの一戦で見られると期待している部分が頭の片隅にあった。メルが憧れた無双のハンター、武器や性格は違えども、力量と業績は確かなもの。
そんな理想を頭の隅に再び追いやってから、掴み取った球を投じる。叫びを一緒に添えて。
「―――閃光玉!」
眼を潰されて苦しむボルボロスに対し、狩人達は脅威に寒心を感じない度胸で一斉に砂地を突き抜ける。
止まった右脚に剣を叩き込み、素早く離れる。暴れる右脚の奥で左脚に剣を叩き付けるルークが見える。そして、その奥に微かに見えたラグッド。
前脚に外敵が居ると察知したボルボロスは頭を下げて振り回す。しかし、狩人達は既に腹の下に潜り込んでいた。そうして、即刻に腹の下から離脱して距離を取る。
「ギァ゛ア゛ォォオオッ」
尻尾へと回り込んだラグッドが力を最大に練り上げて大剣を鉛直に落とす。重さを生かした重厚な斬撃が尻尾に纏われた泥を砕き、甲殻を窪ませる。
腰の回転を合わせて左足を回転させ、大剣の速度に遠心力を加えて横一線に振るう。尻尾に激甚な打撃を放たれた。尻尾が若干、吹き飛ぶ形で押される。そして、尻尾と連動して巨体も倒れる。
確実にボルボロスを仕留める為の精確な弾丸の数々。十発仕込まれた散弾を撃ち出し、確実な射撃を披露する。散弾を合計で三発、撃ち出してから装填し直す。
装填し終えた頃合い、ボルボロスは既に立ち上がっていた。そして。
「ギァア゛ア゛ァァオ゛オオオオ!!」
狩人達が思わず耳を塞ぐほどの声量。強烈な激怒を込めて放たれた怒号は砂原の一帯を駆け巡った。その怒号に殺傷力は無いが、狩人達の動きに制止を掛けるには十分な威力だ。
土砂竜の声量がこれ程までに大きいとは誤算であった。一番近かったルークは大きな痛手となり、身動きが取り辛い過酷な状況に陥った。
言うまでもなく、怒りに満ち溢れたボルボロスは今までにない尋常ならざる速度を持ってして砂地を突き進む。両脚に込められた最大の膂力を爆発させる。
近づく度に大きくなる地響き。必死にボルボロスの突進を牽制しようと鳴り響く銃声が虚しい。
距離は縮まった。皆の知覚器官はその一瞬を目撃すべく研ぎ澄まされていた。
ルークの身体が漸く機能を取り戻し、恐怖から逃げる様に眼を乱暴に閉じ、死に物狂いで儚い盾を突き出した瞬間の出来事。
「っ……!」
ボルボロスの僅か左後ろ、下。
異常を感じ、目を開いたルークの眼前で、それは前兆なしに砂中から噴き上がった。
双角が、双翼が、巨躯が、数多の砂粒を天高く巻き上げて僅かな耀さに照らされて地上へと飛び出した。巨体と巨体とが衝戟し、その強圧が狩人らを飲み込む。
強壮な双角は堅牢なボルボロスの甲殻を突き破り、撃砕する。更に深く、筋肉を穿ち、猛進する。大量な血が砂地を真っ赤へと染める。
更に、有ろうことか突き飛ばされたボルボロスの巨躯は岩山へと衝突する。崩れる岩山で足場を無くしたエリーが無造作に少しばかり放物線を描いて砂地へと落下する。
「うっ」
短い呻き声を上げて、倒れ込む。エリーは懸命に身体を起こし、目の前の異観を目に焼き付ける。
聳える岩山を容易く砕き、埋もれ込んだボルボロスを容赦なく落石が襲う。完全に崩落した岩山に原型は無い。流石のエリーも逃げ出すのを忘れて茫然としていた。
巻き上がった砂煙がエリーを覆う事で思考があるべき進路を取り戻す。激痛を訴える身体を無視して走り出す。時々、後方に視線を向けながらメルの傍らまで駆け寄る。その頃にはルークも逃げ帰って来ていた。
意想外であった―――角竜《ディアブロス》が現れようなど思いもしなかった。
「直ぐに離れましょうッ…っ!」
息が切れているせいか、聞こえ辛い。初めて見たエリーの険しい形相にメルが一瞬、凍り付く。だが、彼女の判断は今や精確さを持っていない。
メルは落ち着き、考えを頭に構築してから反論を申し出ようとする、が。
「……どうやら奴は待ってくれそうにないぞ」
堅牢な鎧を見事に貫通して見せた雄々しき双角が既に此方を向いている。逃がす気はなさそうだ。その証拠に値踏みする様にハンター達の面々を順に見回し、倒すべき数を数えている様にも見える。
巨大な体躯は重々しい圧迫感を放ち、褐色は又もや保護色である。翼を限界に広げればどれ程の全長になるのであろうか。
空を捨てた地上の竜。それは空を飛ぶことを
直ぐに起こるであろう壮絶な死闘を予見し、身震いする。圧倒的な存在感と迫力に狩人らは息を呑む。
心臓が、重たい。しかし、脈動は波瀾で敏捷。
「上等だぜ…」
メルとルークが同時に突進、背後をラグッドが続いた。
右の前脚を半歩引き、突進の構えを取った双角竜の挙動に注視し、危険を予見する。溜め込んだ力を爆発させ、初っ端から砂漠の暴君と呼ばれる、所以を披露する。
その巨体からは想像し難い速度で走り出し、羸弱たる狩人達に迫る。ある程度の余裕を持って避けた三人は時を移さず、双角竜を睨む。一瞬にして反転、砂塵を巻き上げて針路を変え、再び突進を開始する。奴の眼はルークを捉えている。
迫り来る巨躯の針路から逸れるべく、ルークは全力で横に逃げる。何事も無く通り過ぎた双角竜を常に視界の真ん中へ留めながら、次なる行動を模索する。しかし、砂漠の暴君はそれを許さない。
(ちっ…厄介だな)
低い唸りを上げながら、風と共に通過した双角竜の後ろ姿を肩越しに見る。そうして、模索を再開する。攻撃する機会を運に任せて、窺う間にも体力は削られ、やがて、奴の突進に巻き込まれる。気温は昼間より予想以上に下がり始めた為に、快適だ。体力を根こそぎ持っていかれる心配はいらない。
だが、限りあるもの。何時かは必ず尽きてしまう。不測の事態だって必ず起こり得るものだ。早めに転機を迎えねば、士気が弱まるだろう。
先ずは、近接に持ち込む。そして、奴の周囲に張り付く。そうすれば、突進を封じるという優位性が生まれる。だが、反面では危険が生じる。体力の大幅な低下もそうだが、奴の動きを逸早く予見し、避けなければならない。これを補う為には技術と経験が必要である。これが、難所である。
「技術と経験…」
適任者は間違いなくエリーである。技術面だけを考慮しての場合だ。彼女の武器は遠距離を得意とする武器である。容易く前線に立たせる訳にはいかない。
やはり、この戦いの要は三人の、狩人にある。しかし、三人には相応しい技術と経験は無い。故に無力だ。
技術と経験を補うものがあるとすれば、それは即ち勇気。脅威に屈しない闘争心。恐怖心を掻き消すことは、行為的に可能ではない。だからこそ、難所なのだ。
「……どうする」
焦りが募る。
そして、ここで、双角竜の眼が動く。その行く先は幾多もの銃弾を夜の中でも確実に撃ち当てる我らの逸脱者である。
地を蹴り、離れていく双角竜を見やる。彼女ならあの単調な突進を避けるなど造作もない事だろう。案の定、避けるだけでは収まらず、回避しながら銃弾を何発も撃ち放っていた。
決して無駄のない動き。華奢な身体からは考えられない見事な動きである。
自分にあの華麗な動きが出来るだろうか。少しでも彼女との差が縮められるだろうか。
(やるしかない。考える時間を動きに費やせば…!)
この判断が果たして無謀な冒険か、勇敢な冒険か。
それは積み重ねられた経験と運が決めることだ。自分の身命をこの先の戦況に託す無骨で荒々しい戦略だ。既知という自分の知識に賭けるより、未知の戦況に賭けたのだ。
合理的で冷静なメルにとって未だ類を見ない愚考な選択。いや、前にも一度、あった。しかし、敷かれた軌道が極少ない為、案外、普段通りの判断かもしれない。
決意新たに、腰を低く落とし、夜行をゆく。
孤独な月が照らすは標的。暗闇に光るは双刃。
慎重に、丁寧に動いていたメルが一転する。冷たくなった外気の中を駆け抜け、暴れ回る双角竜へと肉薄する。
エリーへと向き直り、荒い息を零す双角竜の尾へと剣を叩く。身体に静止を掛け、身体を捻って再び剣を叩き付ける。続いて尾を潜って足下を駆け巡り、素早く離脱する。 エリーから視線を引き剥がし、これ見よがしに身体を揺らす。暗い砂地の上で挑発する狩人に双角竜の双眸が煌く。
「勝負だ」
自分に掛けた、鼓舞の声。
言葉は伝わらずとも態度で示す。挑発に乗ったディアブロスが低く唸り、頭を僅かに低くする。
噛み付きの予見、思うが早いかメルが駆け出す。逃げずに、前へと。迫る口内の下へと滑り込み、転がって駆け抜ける。腹の下で剣を振るい、前脚と後脚の間を通って退避、即座に向き直る。
脚は止めない。身体を一点に留めることは無く、常に駆け回る。掻き混ざる思考の中、 意識は一時も変わらずディアブロスの挙動へと。
引かれた頭を視認し、身を翻す。薙がれた角を肩越しに確認し、足に剣を叩いて通り過ぎる。敵の側方へと回ったところで一度、最前線を脱し、強張っていた筋肉に区切りを付ける。
距離をとったメルに興味を無くし、回転し始める。その視線の先に居るのはラグッドだ。黒い銃を構えるエリーが射撃するのとほぼ同時、メルがまたも駆け出す。躊躇の無い動きだ。彼の勇姿を見て、飛竜との初戦だとは誰も思わないに違いない。
ディアブロスが再びメルに向き直った時にラグッドが駆けた。足下へと飛び込み、大剣を振るう。斬るまでには至らずとも、打撃の有効性は僅かにある。そこへ、間入れずにルークが飛び込んで剣を叩き付ける。
戦いの流れを読み取り、エリーもスコープを覗く。ラグッドとルークが退き、斜線上が空き、延長線からメルが消えた時、撃ち放つ。確実に撃ち出された弾丸は脚に命中する、しかし、跳ね返る。
ディアブロスは散り散りになった狩人らを見回し、低い唸り声を零して、月光によって碧い晴れ夜空を仰いでから、
黒煙を漏らす―――怒り状態の
「気を付けて下さい!」
エリーの忠告によって狩人らの気が引き締まる。回避を重視する為に素早く距離をとって、様子見する。振り返ったディアブロスは先程とは比べ物にならない眼光で狙いを付ける。この戦況を作り出した張本人が、狙いだ。
足裏で砂を削るように動かし、身体を低く保つ。直後、砂が後ろに抉り飛ばされ、巨体が夜風を押し退ける。
「ヴルゥオオオォォーーッ!!」
駆け出した双角竜に対し、慌てて回避へと動くメル。
間に合う。確信を得たメルは横目で彼我の距離を確認した直前期、際立った殺気を脳に直接感じる。
「っ!」
常軌を逸した速度、加えて、その軌道を修正する信じられぬ脚力。軌道は傾き、メルの針路へと向かう。
寸刻の後を予期し、狩人らの背筋が凍る。足を動かすのを止め、双剣を抜き放ったメルに双角が迫る。
メルの身体を容易く覆う様に火花が散り、双角と狩人とが交差する。