メル達が撤退し、逃げ込んだ場所は又しても水辺であった。今度は海が広がっている。見渡しもよく海風が心地良い。そんな呑気な事も言っておられず、安穏な静寂も束の間、脅威は直ぐ近くまで来ている。
辺りに生物の気配は無く、近づくのは強大な殺気だけだ。
座り込んで休憩なんて甘ったるい話も無く、逃走しながらも交えた会話をもう一度、頭に浮かべる。
メルは考えておいれくれ、とだけ言ってから、脅威への警戒に専念している。
水獣にとって尤もな作戦だとは元から心得ている。作戦の起点と発想は正しい、しかし、反撃に転じる潮時は水獣がまだ暴れ狂う時の事。巻き込まれれば重症は免れない、悪くて命を落とす危険性がある。
無謀すぎる、エリーは思う。確かに彼の成長の為に、と言ってこの依頼を受け、遥々やって来た。だが、死ぬ為に来た死亡志願者ではない、愚行が目的ではない。
実力もまだ不十分。これを言えば彼は落ち込むだろう。言葉を選んでから述べる。
「メル君、やっぱり私は反対します」
「理由は?」
「簡単な話です。成功率が低すぎます」
「エリー。今日、航海中に言ったよな。指揮権を俺に譲るって」
確かに言った。試練の為に最善の判断を下せるか、どうか試す為に。しかし、事が事だ。
「確かに言いましたが……」
「なら、言う事を聞いてくれ。俺を信じてくれ」
彼が口にした言葉。自分にとっては不思議と重みのある言葉だった。普段、彼が口にしない様な言葉だったからだろうか、何故か信じようという言葉が頭の隅で湧き上がる。
どうする、時間がない。脅威の足音が聞こえ始めた。
「……分かりました。但し、無茶だけはしないで下さい。それと頑張って下さい」
エリーの励ましの言葉を受けたメルはこれ以上、話す事は無かった。緩慢に近づく気配を察知し、海と気の騒めきを感じ取る。会話中に研いだ腰の双剣の位置を確認、後に前へと歩み出す。
果たして、彼の作戦を成功させることが出来るだろうか。
考える中、《エリア》十へと地を這う水流は現れた。怒りに染まった形相は継続中だ。興奮した声を上げ、波紋を広げる。その姿を視界に捉えた狩人が双剣を抜き放ち、遅れてエリーも銃を構える。
目の前にいた筈の彼が遠退く。脅威へと自ら好んで突き進んでいった。黙って見てはいられない、私も戦地を駆ける狩人だ。
熾烈な死闘の最中で彼は確実に防を優先している、と結論付けたエリーは素早い装填で弾丸を入れ替え、射線上にメルを入れない様に陣取り、銃声を響かせる。数発撃った弾は全て命中し、次なる弾丸を慣れた手付き装着する。
彼が攻を重視せず、防を優先するならばこちらも合わせて数々の刺激を与えるだけ良い。なるべく気を惹き、メルの身の安全を確保する。常に味方の思惑を察知し、合わせて己の動向を変える。これこそが連携だと心得ている。
メルの行動を常に把握しながら装填し終えた銃を構え、射撃。何発か撃ち込まれた敵もその形相を変え、標的を変えた。鬱陶しく思ったのか、怒号を散らす。
「ギュゥオオオ!」
突進してくるそれは至る個所に傷を負いながらも憤怒の表情。好戦的な奴は逃げようとする案は浮かばない様子である。やはり、狩らなければならないのか、と頭の隅で本意無い気持ちを取り払う。
まだ迷っているのか、と自らを叱責し、迫る巨体の大きさと距離を測り、飛び退く。先程、自分が居た場所を巨体が突き通るのを見、適当に射撃。幾つか外したが、今の場合、確実に当てなくもよい。言うなれば射撃の微調整だろうか。
今後の動向を確認し、その場から遠ざかる。離れていく敵を追うのも面倒だったのか、近接戦を好む狩人へと標的を戻した。
双剣を常に振るい、血を浴び、転がって逃げ回る狩人を遠目で見るこの位置は毎度の事ながら冷や汗が止まらない。敵との距離は遠く、己の身は幾分か安全だが、仲間はそうではない。必ず危機的な状況に巻き込まれる可能性が高い。故に怖いのだ、どの瞬間、戦況が一変し、仲間が危機に陥るかが、分からない。これが一番の恐怖であり、最悪な記憶でもある。
幼い頃、経験した目の前の死。あの経験を以来、目の前の死を何度も経験した。遠く離れた場所から見る死は苦痛極まりない。何故なら、助けられず手の施しようがないのだ。つまり、無念さだけが残るのだ。
幾ら経験したくないという願望を持ってもそれは唐突に訪れる。だから、怖いのだ。
何度目だろうか。退いては突っ込み、双剣を振るって横転する。尻尾を避けてから距離を置き、また斬り付けて。今までの中で十分な程に、いや、前線を離脱した。力を抜いて、両腕に剣を構え―――片方を挙げる。
合図だ。好機は二度。自分の眼が作戦の幕開きの良し悪しを決める。
「今です!!」
叫びと共に銃声が響く。一直線を描いた弾丸はロアルドロスを射抜く。
歓喜の刹那、爆破。兇悪な顔が跳ね上がるようにして天を穿ち、悲鳴にも似た咆哮が轟く。
「ギィゥウオォオオオォオ!!」
我を失くした敵は気を取り乱して暴れ回る。まるで、群衆に襲われた様に辺り構わず怒号を散らし、全身を凶器へと化す。
起点は作った。後は暴れ狂う凶器の最中へとメルが勇気を振り絞って突っ込み、一撃を浴びせればいい。躊躇しているのか、機会を探っているのか、彼はその位置から微動だにしない。
暴れ狂うロアルドロスが地面を尻尾で叩き、水辺を横転し、咆哮を上げた―――その瞬間の出来事。
狩人が駆け出す。迷いの無い軌道は一直線で上半身を大いに傾かせ、渾身の叫びを上げる。
随分と危ない賭けをする。繰り出される様々な凶器を掻い潜り、常に黄色い体躯に張り付く。敵を食らい尽くすかのような全く読めない怒涛の猛撃を剣の腹で逸らすか、身を捻って躱し、時に転がって完璧ではないが捌いて見せる。
たったの一回だけ突き刺せば良い。皮膚の皮一枚の身体を駆使して回避しながら確実に仕留める一撃の機会を窺う。互いに生と死の狭間に立ち、どちらに転んでも不思議ではない。
繰り出される数々の猛攻。必殺を狙わんと回避し続ける狩人。狩人なら尖鋭な刃で頭を突き刺す必殺の突き、水獣なら敵の鎧をも押し潰す重圧な一撃で。互いが互いの命を奪おうと試行する。
依然と続く猛烈な攻防の応酬が続く中、メルの動きが変わっていた。身体を捻り上げ、敵の頭部へと駈け出す。兜の突起が重厚な肉壁に引っ掛けられ、兜が吹き飛ぶ。露わとなった顔は兜が取れたことを知ってか知らずか、跳躍する。
片方の剣を逆手に刃を脳天へ、突き刺す。
直後、激しい断末魔と共に身体が浮き上がる。ロアルドロスが急激に頭を持ち上げた事でメルの身体は軽々と宙を舞った。あの高度からの地面へと叩き付けられれば……悪態を突いて最悪の事態を頭の奥底に放る。
急いで装填し、射撃。剣を頭に突き刺され、未だ動こうとするロアルドロスへ止めを加え、絶命を僅かに見届けながら疾駆する。何度も心に言い聞かせ、体躯をよじ登って飛び越える。
倒れ伏す狩人。また、なのか。頭を最悪の記憶が過ぎる。
「……メル君!」
兜が外れ、頭部を晒して横たわる狩人へと歩み寄り、もう一度、呼び掛けた。
「メル君!」
もう一度。
「メル君!」
「……ん、あ」
僅かな声が聞こえた。頭が持ち上がり、身体が起き上がる。
二度と経験したくない記憶が頭から消え去る。安堵の笑みを浮かべ、歓喜の涙に咽ぶ。喜びが後から後から心の底から溢れ、心身を満たした後、外に溢れ出した。
目眩に似た恍惚感が訪れ、気づけば忘我していて何度も打ち据えられて傷ついた彼の身体に構わず、盛大な握手を交わした。
喜悦と気勢が薄れ始めた頃、エリーの脳裏にふと発心した。
謝らなければならない。彼をこうして危険に陥れたのは元を辿れば自分の責任。誤って彼をユクモ村へと導き、師として彼の意見を断固すべきだった。自分にも勝利への岐路はあった筈だ。
口を開こうとしたその時。
「エリー」
「あ……はい」
「悪かった。俺の力がないばかりに重荷を背負わせてしまった。勝手な意見を出して危険に巻き込んでしまった」
「…同じですね」
「何が……」
エリーは立ち上がり、微笑む。屍となった今となっては暴れ回った過去が嘘のようなロアルドロスへと歩み寄る。そうして、その海綿質の表面を撫でて言う。
「私も、謝ろうとしていました。私がメル君をここへ連れてきてしまった。先程のメル君の意見も拒否すべきだったのかもしれません。こうして、狩る事が出来ましたが、もっと良い方法があった筈です」
「でも…」
「それに、私一人ではこのロアルドロスを狩る事も出来なかったと思います。お互い様ですよ」
これ以上は口論しても無意味だ、と感じたのだろうか、メルは納得した様に表情を緩ませた。
メルは黙ったまま、立ち上がって兜を手に取った。そうして、ゆっくりとした足取りで、覚束ない足取りで黄色い頭に刺さった剣を引き抜く。僅かに噴き上がった血は既に冷たく、水辺に混じって薄く。
剥ぎ取り用の小刀を手に黙々と剥ぎ取り始めた。海綿質の表面を切り取り、手に掴む。弾性に富んだ皮は柔らかく感触も良い。素材には十分に使える良質なものだ。焼け焦げて使えなくなってしまった皮を黙認し、次の個所へと移る。
剥ぎ取りの際に彼らに会話は無かった。黙々と剥ぎ取り続けた。疲れからか、はたまた、会話が無くとも気まずくないのか。二人はそんなことを考える事さえせずに黙々と素材を確保する。
エリーは黄色い体に小刀を突き刺しながら思う。二人の間柄はこんなにも親しくなっていたのだと。思えば《ミナガルデ》で出会ってから一ヶ月が経とうとしている。二人はいつの間にか打ち解けていた。
「ふふっ」
「…どうした?」
「いえ、何でもありません」
絶え間なく吹き抜ける気持ちの良い風。聞こえる幾つかの定型を持った波打つ音。沈み掛けた陽が狩りの幕閉じを告げていた。
エリーは帰還中、昵懇となったメルとの心踊る会話に明け暮れた。
一艇の舟艇は船着き場に到着し、馬車へと乗り換える。長い海路を無事に終え、陸路を三日ほど過ごし、再びユクモ村へと顔を出した。
既に狩りの成功は村全体に伝わり、温かい歓迎を受けてから依頼の完了を済ませる。道中に義兄弟のハンターは見られなかったが、村を出ているのだろうか。
帰って来たばかりで直ぐにでも休憩を取りたいところだったが、メル達は呼び止められた。壊れた右足の装備を直しに加工屋へと向かいたい願望を押し止め、渋々エリーと共に《ギルドマスター》の後を追った。
連れられて席に座る。周りには相変わらず卓を囲む村の住民ばかりで割と静かだ。
「よう!」
「二人とも、お疲れ様」
椅子に腰かけ、待っていたのは道中に見かけなかった二人だった。微笑んで狩りの成功を称えてくれた。
積もる狩りの話も用意してあるが、今回はそのような用では無さそうだ。腰掛け、面々を眺める《ギルドマスター》と視線を合わせた。
「集まってもらって、すまんかった。近い内に行商隊が村を訪れる事になっておる。そこで陸路の安全な確保を頼みたい、と思ってのう。どうじゃ、できそうか?」
「私は問題ありません」
「同じく」
「腕が鳴るぜ」
「勿論だよ」
全員が一致で可決した。面々の返答を頼もしく思ったのか、《ギルドマスター》は低く笑いながらその小柄な身体を揺らした。
「狩猟対象はドスジャギィ。目的は陸路の安全確保じゃから、臨機に応じて対応するがよい」
「了解です。出発は早いほうが良いですね、明日の朝でどうでしょう?」
真摯な質問に皆が頷く。
帰って来て僅かに数分にて次の依頼が舞い込んできた。これからも忙しくなりそうだ。
メルは意欲を旺盛に控えめな溜め息を混じらせた。
実を言うと今回はエリー視点です。お気づきになられましたか?
上手く描写できているかどうか、心配です。初めて視点を変えてみたので至らない点があるかと思いますが、温かい目で見守って下さい。
ご指摘などありましたら、喜んで跳び付きますので。