ウマ娘劇場版に登場したペリースチームさんの独自解釈多めのお話です。
劇場版の内容やペリースチーム(クロフネ)の史実とかなりリンクしています
『8月』のカレンダーを破り9月を迎えて、早くも数週間が過ぎた。
太陽から発射される熱は次第に弱まり、生えている木々は赤やオレンジが混じり始めている。
そんなある日のトレセン学園、ウマ娘のトレーニングルームにて。
赤色のジャージに身を包んだ少女、ペリースチームはランニングマシンの上を走っていた。
既に長時間練習をしているのか息はとうに切れており、乳酸の溜まった脚は微かに震えている。走る度に背中で揺れる葦毛には汗がたっぷりと染み込んでいた。
これだけの疲労、そしてピークを過ぎたとはいえ九月の室温はまだまだ侮れるものではない。
なれば、
(これ以上やってもワタシに効果は見込めずリスクが高まるだけデスネ。ここらでやめておきマショウ)
ペリースチームはそう判断し、慎重に走るペースを緩めつつランニングマシンのスイッチを切った。マシンから降りてシューズのつま先で地面を叩きつつ────はて、こういう『やめ時』とは日本語でなんと言うんだったか、とペリースチームは疑問に思う。
コロアイ?ヒキギワ?シオドキ?
単語自体は浮かんでくるのだが使い分けと意味がわからない。どうやらまだ国語の教科書の読み込みが足りないらしい。
しばらく考えてみたが……結局わからないのでペリーは肩を竦めて降参の意を示した。ニホンゴムツカシ。
口の端で呟いてから彼女は排熱処理のように大きく息を吐く。
大気へ溶けていく二酸化炭素を見てから移動していく。数ヵ月前に彼女が着ていた勝負服の色と同じ、黒色のベンチへと腰を落ち着けた。
そこに予め置いていた、トレーナーに買ってもらった水筒を手に取り飲んでいく。氷をたっぷり入れた甲斐があったか、まだ冷たさを保っている麦茶がペリースチームの喉を通り体を冷やしていく。
「Good……ああ、美味しい、でシタネ」
ついアメリカにいた時のように言葉を発してしまい、慌てて訂正する。
……日本に来て既にそれなりの時間が経っているが、未だに日本語には慣れない。来たばかりの頃はもっと悲惨で、しょっちゅう語句やアクセントを間違えてはトレーナーや学友に笑われていた。
今は誰も見ていないからオーケーかとも思うが……いやはやしかし、こういう独り言の段階から意識しておくことが大事なのだ。
もう一口だけ麦茶を飲むと、ふとまつ毛に汗が垂れてくる感覚がした。すぐさま拭き取るべくタオルが置いてあるであろう箇所に感覚だけで手を這わせる。
だが、いつまで経っても手にタオルの感触は伝わってこなかった。
「アラ?」
おかしい。確かに自分はこの辺りに置いていたはずなのだが。目が開きにくくなる中で仄かな焦燥感が出てくる。
すると、不意に隣に誰かの気配がした。
「……探しているのはこちらでしょうか?」
手の甲に乗せるようにしてタオルが渡される。ピコンとウマ耳が動き、ペリースチームは文字通り手のひらを返してタオルを受け取った。一抹の不安もあったが、目元に当ててみるとやはりそれは間違いなく彼女のタオルのようだった。
「Thanks!ありがとうございマス!助かりまシタ!えっと……」
ジクジクと視界に浸水する感触を取っ払ってから、ペリースチームは顔を上げる。そうしてタオルを渡してくれた相手を捉えると、彼女の尻尾が波打った。
「オオー!カフェじゃありまセンカ!」
黄色の瞳。スラリとした体型。ペリースチームの勝負服以上に黒々とした印象を持たせるそのウマ娘は、確かにマンハッタンカフェその人だった。
瞳をキラキラとさせるペリーに、カフェは僅かに口角を上げる。
「……こうして会うのは、久しぶりですね。夏合宿では、同じ部屋というわけではありませんでしたから」
「ハイ!カフェも元気そうであ……アレ?アンシン?アンド?」
「……どちらでも合っていますよ」
「おおー!アンシンアンドアンドしましたー!」
妙な言い回しになりつつもペリーは座ったまま少し横に移動する。そのサインを素直に受け取り、カフェもペリーの隣に腰を下ろした。
見ると、カフェは首元にマフラーのように白いタオルを巻いている。彼女もまた練習を一段落したところだったのかもしれない。
ペリースチームとマンハッタンカフェ。
────特にこれという切っ掛けがあったわけではない。どこかですれ違った拍子にペリーが話しかけたとか、そんな程度だったはず。
『……意外ですね。まさか、アナタに覚えていただけているなんて』
『モチロン!最近のアナタはとてもすごい走りをしますカラっ!この間の模擬レースでもすごかったデース!』
『……それで覚えててくださったのでしょうか?でしたら、光栄ですね……』
『あとあとっ!皐月賞前の練習でアグネスタキオンと一緒にいるところいつも見てまシタ~!』
『…………』
そんな感じのやり取りを経て、二人は夏合宿の手前辺りから交流を持っていたのだった。話してみると意外とウマが合い、ペリーが旧理科準備室に呼ばれてコーヒーをご馳走してもらえることもあった。
「……この前から発注していたアメリカのコーヒー豆ですが……先日、ようやく届きました」
「本当デスカ!?で、ではこの後オジャマさせていただいテモ!?」
「えぇ……問題ありません」
「オオ……!やっぱりカフェはすごいデース!ニホンのウマ娘なのに、ワタシの国と同じ風味のコーヒーを淹れることができマース!」
「やり方を覚えれば誰でもできますが……ペリーさんの舌に合っているのでしたら、何よりです」
そんな風にしばしの雑談をしながら、二人は水分補給をし体を休めていた。
そんな中だった。
唐突にマンハッタンカフェがペリースチームの顔を覗き込んだかと思うと、
「……ペリーさん」
「ハイ?」
「……なにか、ありましたか?」
そんなことを言い出したのだった。
喉で空気が固まったような感覚を覚えつつ、ペリースチームは慎重に返す。
「オー……なぜそう思うのデスカ?」
「……ウマ娘観察が得意であるという自負はありませんが。先程までのペリーさんはどこか……どうにもならない感情を……トレーニングにぶつけていたようにも思えます」
そこまで言った後、カフェは不意にあらぬ方向に目を向け「……うん、そうだね」と何度か頷いた。
「今……『あの子』も語りかけてきました」
「アノコ……?オー!もしかして、カフェの『オトモダチ』デスカ!?」
カフェから度々言及されるにもかかわらず未だに姿を見たことのない存在。それを是非一目見ようとペリーはあちこちに視線を向ける。
……別に幽霊の存在を信じているわけではないが、友人のカフェが嘘をつくとも思えないので、一先ずペリーは『そういうのがいる』ということは受け入れていたのだ。
「こ、この近くにいるのデスカ!?」
「えぇ、います……。ペリーさんの向いている方向にはいませんが……ともかく、そのあの子がペリーさんに言葉を」
「ワタシに?」
小首を傾げるペリースチームに、カフェは一度深呼吸をした。
「『あなたもまた、幻を追いかけているのか』と。そう言っていました」
「────」
キョロキョロとしていたペリーの動きが、止まった。無言のまま、改めてカフェに視線を向ける。
日本語がわからなかったからではない。むしろその言葉は、これ以上なくペリーの心にぶつかってきた。
「……マボロシ、デスカ。確かにある意味では……そうかもしれまセンネ」
数十秒ほど。言葉を吟味するような間を挟んでから、ゆっくりと口を開くペリースチーム。
舌を湿らせるため、水筒のお茶をもう一口飲んだ。
「……今でも思い出せマス。ワタシのG1をハバんだウマ娘。アグネスタキオンと……そしてジャングルポケット。あの二人の走りデス」
視界の端でカフェの耳がほんの少し揺れたのが見えた。
「……ポッケさんも、ですか」
「えぇ。むしろ、ジャングルポケットの方が、ワタシの脳裏には焼き付いているかもしれマセン」
無意識的にだろうか。ペリースチームは前方にある見えないナニかを掴もうとするように、右腕を伸ばした。
「……あのダービー。前を走っていたワタシは、後ろから圧倒的なプレッシャーを感じました。あれは間違いなく、ジャングルポケットが発していたものデス」
「…………」
「そしてその後の彼女の走りを見て、ワタシは確信しまシタ。……ジャングルポケットは、アグネスタキオンと同じ領域に行ってみせたのダト」
返事の代わりだろうか。カフェの尻尾が軽く動き、寄り添うようにペリーの脚に当たった。
「ジッサイ、本人がどう思っているかはわかりまセン。ですがワタシにとっては、ジャングルポケットの走りも強烈なものでシタ。どうやっても追い付けない……あのホープフルステークスでのアグネスタキオンと同じ」
「…………」
「それ以来、あの二人の走りがシカイから離れないのデス。どれだけやってもワタシがワタシを勝者と思えナイ。常にワタシの前にカゲがある、そんな感覚デス」
グッ、と伸ばした掌が握り締められる。だがその手は何も掴むことはなく……ただ隙間から空気が漏れていくだけだった。
「……ならばこういう時は、その相手にリベンジを挑むに限りマス。アグネスタキオンはともかく、ジャングルポケットはまだいるのですカラ。……ですが」
「……なるほど。そういうことでしたか」
そこまで話して、カフェは合点がいったように頷いた。
「菊花賞への出走権を……ワタシは得ることができませんデシタ」
ペリースチームはそこで初めて表情に少しの影を混じらせた。
この前に、ペリースチームは菊花賞の優先出走権が与えられるトライアルレースである『神戸新聞杯』に出場しており……3着となっていた。
再始動の一歩としてはまずまずの結果。だがこのレースにはルールとして……外国産まれのウマ娘は2着以内に入れなければ優先出走権は発生しない、というものがあった。
よってペリースチームには優先出走権が与えられず、菊花賞には出走できなくなってしまったのだ。
菊花賞にはジャングルポケットが、そして隣にいるマンハッタンカフェもいるというのに。
「『郷に入っては郷に従え』というニホンの言葉がありマス。ルールがそうであるならば、ワタシは従いマス。ですが……」
「……納得は、できませんか」
後を引き継ぐカフェの言葉に、ペリースチームは大きく頷いた。
挑みたい。追い付きたい。
なのにその機会すら与えてもらえない。
皐月賞とダービーを療養のために見送った、そして似たような経験をした同期二人の姿を間近で見たカフェにもよくわかる気持ちだった。そのあたりのやるせなさの感情が、きっと練習に出てしまっていたのだろう。
カフェは無言のまま、ペリースチームとの体の距離を縮める。そうして、何か気休めの言葉をかけるか、予定を早めて旧理科準備室へ連れていこうかとした。
「────ですが、同時にワタシはこうも思うのデス」
だが、その前にペリースチームの声が響いた。予想外の声にカフェが視線を向けてみると、いつの間にやら彼女は顔にかかる影を無くして上を向いている。
「マボロシを追いかけるだけがウマ娘ではない、と思いマス」
「……と言いますと?」
「まだトレーナーと話し合ってる段階なのですが……実はワタシ、この機会にダートレースへ転向しようかと話し合っているのデス」
思わぬカミングアウトにさすがにカフェも少し驚いた。そんなことは全く知らな……いや、確かに言われてみれば最近のペリースチームのトレーニングメニューは、従来のものと変わり始めていたかと思い返す。
しかし……
「……良いのですか?アナタ達の意向に口を出すつもりはありませんが……ペリーさん自身は」
「……完全に納得がいっているわけではありまセン。ジャングルポケットにセツジョクを果たしたいデス。この気持ちはまだくすっ……くぶす……くす?」
「……燻る、ですか?」
「ハイ!そうです!クスブってます!きっとこのマボロシは、これからも消えないと思いマス」
また重くなりかける空気。
しかしその空気を切り裂くように……あるいは友達のカフェへと『宣誓』をするように、ペリースチームは声を上げた。
「しかしその一方で、ワタシはもっとワタシ自身の可能性を試してみたいとも思っているのデス!」
「可能性、ですか?」
どこかで聞いた言葉、と思いながら返答するカフェ。
「ハイ!マボロシは、結局はマボロシでしかありマセン。ずっとそれにワタシの道を縛られ、他への挑戦の機会を無くし、可能性を狭めるヒツヨウはないのだと思いマス」
「……なるほど。故に、芝だけでなくダートレースも試してみる、というわけですか」
「ハイ!ダートはアグネスタキオンもジャングルポケットも挑んだことありませんカラ!」
おどけるように言うペリースチームを見ながらカフェは思う。
……彼女のこの選択を『逃げ』だと言う人もいるかもしれない。
だが、人生には負かされた相手を必ず負かし返さなければ、壁には常に体当たりしなければならない、という決まりはない。そんなのを自信満々に主張する人がいたら、それはバトル漫画かスポーツ漫画の読み過ぎだ。
道は一つではない。壁に挑むのは勇気のいることだが、同時に挑まず別の道を模索するのもまた、勇気を必要とすること。
むしろウマ娘の本能を鑑みれば、より決断のいる事柄だろう。
「そうですか……これからあなたとレースで競えなくなるのは残念ですが……頑張ってください」
それを理解しているから、カフェは心からの激励を送る。それをまた理解したかペリースチームは「ハイっ!」と元気良く返事をして────「ですが」と続けた。
「はい?」
「ですが……ワタシは別に諦めたわけではありまセン。闘志はまだまだ燃えていマス!だからいつか必ず、またジャングルポケットに、アグネスタキオンに挑戦しに来ます!そしてその時は……カフェとも競いたいデース!」
ビシィ!と指を突きつけながらのその宣誓に、カフェは心の奥が僅かに震えたのを感じた。
そこまで言われては応じるべきと判断する。彼女の言葉をゆっくりと咀嚼してから……カフェはペリースチームの瞳を正面から見据えた。
「……はい。受けて立ちます。もしまたいつか、あなたとレースで相見える日が来れば」
「フフフ……ニホン風に言うならば、『首を洗って待っていろ』というやつデース!」
言って、二人は拳を軽く合わせる。
それからペリースチームは天井を見上げた。まるでそこに、ここにはいないアグネスタキオンと、そしてジャングルポケットの姿を描き出すように。
────そうだ。ワタシが来るまでの間、悠々と走っていれば良い。
いつか必ず、お前たちに見せつけてやる。
黒船の幻影を。