妹とゆるゆる同棲生活 〜まさかの幼馴染が居候で修羅場の危機?!〜   作:ひざぎ

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 四月から本格的な仕事も始まった。

 

 本格的な仕事と言っても、大概が運搬の仕事で、それを本格的と言っていいのかはわからない。でも、三月のときより関わる大人の声は、一人間に対しての声かけへと変化していて、俺は尚更仕事に向き合うことの大切さを知った。

 

 自炊をした。最初はコンビニ弁当ばかりに手を出していたけれど、そのうちに食費だけで大半を失いそうであることに気づいて転換した。それで作る飯が美味いわけではなかったもの、それでも腹を満たすことができれば一日動くことができる。だから、特に心配はいらなかった。

 

 関わるべき人間と、関わってはいけない人間がいることを職場で知った。とりあえず、相槌を打つことが多くなった。相槌を打っていれば、俺から話すことは少なくなる。それでも中学を卒業した俺に対して関心を持つものは多い。それを冷たくあしらっていたら話しかけてくるものは少なくなった。唯一、坂口 恭平という先輩がしつこく俺に声をかけてきて、そうして関わることになったけれど。

 

 それでも四月からの生活は苦しいことが拭えなかった。湯船に入ることができない辛さを改めて知った。銭湯にでも行けばいいのだろうが、三月の体験期間で得た給料はそこまで大きな金ではなかった。なにせフルタイムでは働いていなかったし、そもそもが仕事内容の見学だった。それを無駄にすることは控えなければならなかった。

 

 持っていた携帯については、母の庇護を意識してしまうから、仕事が唯一休みの日曜日に、母が住んでいるアパートのポストに入れた。だから、暇つぶしについても存在しなかったし、人と関わる機会も存在しない。

 

 独りでいる空間は静かで、どうしようもなく寂しかった。

 

 いつもなら寝る時間帯、皐が隣にいるはずだった。布団の温もりに包まりながら、互いに耳を塞いでいたことを当時はよく思い出していた。彼女の温もりが欲しい、と考えることもあったし、一度犯した禁忌を反芻して、それが本当に許されるべきことなのか、を何度も自問する。でも、その問いに答えが返ってくることはなく、ただ自己嫌悪だけがかさまししていく。

 

 あの時、本当に俺は皐を受容してよかったのだろうか、行為に及んでしまってよかったのだろうか、最終的な選択をしたのは自分自身だった、だからその罪を償うべきは俺自身だった。

 

 夜になれば、何度もそんなことを頭の中で考える。暇つぶしの道具がない、ということも原因としてあっただろうが、それだけでは理由はつかないだろう。

 

 ひどく孤独だった。だが、人と関わる気も存在しなかった。

 

 あらゆるものが無気力になっていく感覚。何をしても徒労に感じて、動くことに対しての億劫さが働く。

 

 それでも朝になれば起きなければいけなくて、仕事を休むことを頭にちらつかせるけれども、そうしても意味がないことに気づいてしまうから、結局、会社に向かって、乗り合いで現場に向かう。

 

 そんな、虚無のような毎日を送っていた折に、俺は皐と邂逅した。

 

 

 

 

 確か、六月末くらいの時期だったと思う。

 

 仕事が終わり、そうしてくたびれてしまった身体を引きずって、いつも通りに家に帰った。

 

 帰ろうとした。

 

 帰ろうと、社宅アパートの階段を昇っている最中に、すんすんと泣く声が遠く近くで聞こえてきた。

 

 聞き覚えのあるすすり泣く声。

 

 幼い頃に聞いた気もするし、それで区切らずとも身近で聞いたような声。

 

 俺が、ぬくもりの中にいたときの声。

 

「──皐?」

 

 俺は玄関の前に体操座りでいる皐を視界に入れた。

 

 

 

 

 彼女は涙の理由を話さなかった。俺は彼女に何を話せばいいのか迷い続けた。

 

 久しぶりだな、とか、元気にしていたか、とか、いろんな言葉は思いつくけれど、そのどれもを吐き出すことはできなかった。彼女の誕生日に何も言伝をしていなかったことを思い出して、俺にはそんな権利はないということを勝手に認識した。だから、ひたすらに俺は彼女の言葉を待つことしかできなかった。

 

 部屋には何も存在しない。彼女が、ひっくひっく、としゃっくりのような声音をあげる音だけが響いていた。それを緩和してくれるテレビも、ラジオも、電話もなかった。だから、彼女が泣いていることだけしか俺には認識できなかった。

 

 俺は、それから彼女の耳を塞いだ。

 

 なぜそうしたのかは、自分でもわからない。でも、なんとなくそうするべきだと思ったからそうしてしまった。

 

 懐かしい感触だった。でも、彼女の耳を抑えるこの手が仕事で汚れていることが気になった。彼女を汚してしまっていないのか、それだけが気がかりだった。ごわごわしている手の感触を皐に被せるのが申し訳なく感じた。

 

 彼女は、俺の手をさらに包んだ。

 

 ぬくもりがあった。別に、俺はそうしてほしいわけじゃないのに、どこかそれが温かくて泣きそうになってしまった。彼女の泣き声に同調してしまった。

 

 彼女は俺の目を見ていた。久しぶりに見る彼女の表情は、俺の孤独を和らげてくれた。

 

 だから、静かに俺は彼女の目を見つめた。

 

 言葉はなかった。どこまでも、いつまでも言葉はなく、ただ静かな時間だけを彼女と味わった。

 

 

 

 

 父との間に何があったのかはわからない。彼女はそのことを話そうとしないし、そして俺もそれについて聞くつもりはない。彼女も母については聞こうとはしない。

 

 それでイーブンだから、それでいい。

 

 それからなんとなくかけおちのような生活が始まった。それだけの話なのだから、それでいい。

 

 

 

 

「なに黄昏れてんのさ」

 

 ベランダで煙草を吸っていると、皐がじとっとした目をしながらやってくる。

 

 やってきた拍子に、俺がベランダの傍らに置いていた煙草とライターをとると、彼女も慣れたように吸い始める。

 

「別に、昔のことを思い出しただけ」

 

「そっか」

 

 皐は、特に何もない、というように呟いた。

 

 皐の煙草を吸う姿は、絵になっているような感覚がする。

 

 風に靡く髪、煙が揺れる、瞳は火種を見つめている、吐き出される薄くなった白色。

 

 俺も彼女と同じように、深く肺に吸い込んだ。

 

「俺たち、不良だな」

 

「そうだね、不良カップルだね」

 

 皐は俺のそんな言葉に笑った。

 

 俺も、そんな言葉に笑ってしまった。

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