妹とゆるゆる同棲生活 〜まさかの幼馴染が居候で修羅場の危機?!〜 作:ひざぎ
◇
授業の学習というものが今日から本格的に始まってきた。昨日はそれぞれの強化を担当する教師の紹介だったり、授業の流れだったりした和やかな空気だったのだが、今日に関しては適切に学習ができる環境となっている。
中学生の時に体験した教室の喧騒というものもない。誰かがふざけて会話をすることもない。
静かな沈黙、まぎれているノートに書きこむ音、紙をめくる音。たまに書いていない人間もいるけれど、別になにかサボるというわけでもなく黒板を凝視している。皐については、書かれている黒板の内容をノートに適切に書き写している。俺も彼女を見習って書いていかなければならない。
文字を書くのは苦手だ。どうしても手先が不器用だから、ミミズがのたくったような字を書くことしかできない。
皐は教師が引いた赤い線なども適切にマーカーなどで記している。それを俺も真似するべきなのかもしれないけれど、それをするのはどこか億劫だ。マーカーを引くことでさえ慣れていないのだ。真っすぐに線というものを書くことができない。
学習というものに距離を置いていたから、尚更に劣等感というか、学習というものに対しての距離感を意識してしまう。
でも、今は距離を縮めることを考えなければいけない。
皐と一緒に、笑顔で卒業するために。
◇
「あのぉ……」
休み時間、俺は先ほど食べることのできなかった握り飯を開封していると、前方から控えめな声が届いてくる。その声の方に視線を移した。
「ん?」
俺が視線を移すと、そこには伊万里が立っていた。
何もかもが控えめな様子、吐く息が震えている様も見受けられる。耳に近いわけではないのだけれど、彼女の呼吸の音が五月蠅いから聞こえてくる。
「さ、さっきはありがとうございました……」
いつもよりも落ち着いた口調で、彼女は答えた。
確かに、震えているけれど、吃りについてはひどくない。緊張をかみ殺している口調だとも思った。
「ああ、別に。俺が話しかけたのが悪いからさ」
「そ、そんなことないです。え、えと、先ほどは申し訳ありませんでした」
彼女が頭を下げた。角度をきっちりと四十五度に。
「そんなに謝らなくていいと思うよ。翔也の配慮が足りなかっただけだと思うし」
皐は少しばかり呆れるように溜息を吐いてから、そう声をかける。実際、そうなのだから、返すことも場もない。
「い、いえ。昨日、と、と、友達になったのに、逃げてしまったから」
「……まあ、気にすんなよ。そういうこともあるだろうさ」
俺は握り飯を貪りながら、彼女の言葉に返す。
伊万里は俺の言葉を聞き届けると、頭をあげる。勢いよく上げた頭、髪が靡いて、彼女が隠している目が一瞬覗けた。
綺麗な目をしていると思う。目を隠しているから、勝手な顔の想像をしていたけれど、想像以上に綺麗な瞳をしている。
「なあ」
俺は先ほど彼女に声をかけたように、言葉を出す。
「人は苦手なのか?」
そうして、彼女の地雷をあえて踏むような発言をした。
◆
人との距離感をずっと考えている。
皐との距離感についてを、家族との距離感についてを、恋人との距離感についてを。
もしくは他人との距離感を考えている。どこまで踏み込めばいいのか、ずっと考えている。
人には境界線がある。踏み込んでほしくない境界線が必ず存在する。
俺と皐であれば、関係性についてを他人に踏み込まれることを警戒する。予防線を張る。
昨日の彼女の行動はそういうことだ。あらかじめ宣言を挟んでおくことで、それ以上踏み込まれないと境界線を示した。
踏み込んだと思った伊万里は、即座に謝罪の様子を見せた。
それほどまでに、人に踏み込むということは難しい話であり、人の本質に触れてしまうことは禁忌に近い。
──でも、踏み込むことでしか、人との距離感を縮めることはできやしない。
地雷でも、禁忌でも、それが罪に近いものであっても、踏み込むことでしか、人との関係を営むことはできない。
のらりくらりと躱すことは悪いことではない。でも、それは悪いことではないだけで、正しいことではない。
正しさには罪を内包する性質がある。だから、俺は正しさを振りかざす。
せめて、俺たちの禁忌に、きちんと顔を向けることができるように。
◇
伊万里は絶句した。
皐は、あーあ、と目を逸らすような仕草をした。
俺は彼女の答えを待った。
教室に沈黙が広がる。
俺たち以外で会話を広げようとした輩も、その瞬間に沈黙をした。
静寂は一瞬だった。
正気に戻ったように、また少しだけ喧噪は再開した。
伊万里は絶句していた。
俺は踏み込み過ぎたのかを不安に覚えた。
なにか言葉をかけるべきなのかと迷った。
でも、ここで誤魔化してしまえば、彼女のためにはならない。俺のためにもならない。
皐は傍らで溜息を吐いた。
「ちょっと、席外してみよっか」
仕方ない、というように皐は言葉を吐いて立ち上がる。伊万里は固まったままの仕草を貫いたが、皐がちょんちょんと肩をたたくと、正気に戻って、皐に導かれるままに廊下の方に出ていった。
俺は、それについていく。
教室にある複数の視線が追いかけてくるが、面倒くさいから無視をすることにした。