私の上で爺が死んでいる。
背中が生暖かい液体でぐっしょりと濡れている。
見なくてもわかる。これは爺の血だ。
叫びたい。
吐き出したい。
胃を焼く程の恐怖が咽頭まで登ってくる。
私はそれを無理矢理押し込んで、息を潜める。
まだ、敵がそこに居る。
靴底が地面に擦れる音が聞こえる。
じり、じりと鳴る音が次第に近づいてくる。
恐怖が涙となって流れ出る。
目が強張って瞬きも出来ない。
足音が止まった。
ふと、背中が軽くなる。
私は見上げる。
額に硬いものが当たる。
私の目が視野に映る光景を認識する直前
タン、と音が鳴った。
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多重ダムに到着後、我々は破壊された変電施設の上にヘリを止めてすぐさま野営の準備に入った。
若者達が変電施設内に物資を運び込んだり、野外に炊飯設備を設置して行く中、
私は野外で暖を取る為の火を起こしていた。
油を染み込ませたウエスの上で火打石で火花を散らす。
じっ、じっ、と数回。
擦り合わせて散らした火花がウエスの上に落ちる。
火がじわじわとウエスを焦がしていく。
焦がすウエスの火が薪に広がってゆくのを私はじっと見る。
「火、ちゃんと起こせてるかぁ?坊主。」
いつの間にか爺が横にいて、一緒に火を見つめていた。
「もう少しだ。今薪を焚べる所なんだ。」
私は薪を2、3本放り込み、火吹き棒を使って息を吹き入れる。
ふうと息を吹き込むと炎が火の粉を散らして舞い上がった。
「昔より早くなったなぁ、火起こし。」
「優秀な師匠がしこたま訓練してくれたからな。」
「そりゃあ良い師匠だ。」
当の師匠がカラカラと笑う。
私は気にせず火に息を吹き込んでいく。
「無視すんなよ。」
「私は仕事をしてるんだ。あんたも暇なら薪を焚べてくれ。」
「俺は暇じゃねえ。お前が仕事サボってないか監視する仕事があるんだ。あと、お前に吉報を寄越してやる仕事もある。ついさっきだけど、別の町の奴らもここに着いたようだぞ。お前が神隠しに遭ったって言ってた町の奴らだ。」
「本当か?」
私は目を見開く。
「本当だとも!俺がお前を付いたことがあっか?」
「ある。さっき『俺は暇じゃない』って言っただろ。」
そんなの嘘にも入らんとまた爺が笑う。
もう生きていないと思っていたが、皆私達より先に逃げていただけだったのか。
大事に至ってなくて良かった。
「もう生きていないと思ってたんだ。企業の連中に殺されてたと思ってた。」
「俺もだよ。お前の早とちりで良かったじゃねえか。」
「全くだ。」
新たに薪をいくつか焚べて、火が燃え移るのを待つ。
しばらくすると新しい薪にも火が移った。
もう放っておいても当分は火は消えないだろう。
「火起こし終わったか?」
「今終わった。」
「じゃあ、連中を出迎えに行こうじゃねえか。」
「ああ、もちろんだとも。」
衣服に着いた煤を払って歩きだそうとしていたその時、遠くから何者かが一人近づいてきた。
疲れているのか一歩足を踏み出す度に身体が左右にふらついている。
私は立ち上がって彼の身体を支えに行く。
距離が近づいてくると、顔の輪郭が明瞭になっていく。
石レンガのように四角くゴツゴツとした顔、鼻横には大きなコブのような黒子が付いている。
私はこの男を良く知って居る。
仕事仲間の『オーク』。
先日、私が探していた彼岸花の画像データを送ってくれた花屋だ。
「オーク、オークか!」
ふらつく彼の肩に腕を回す。
彼は疲れ果てたのか身体を弛緩させて私に寄りかかってきた。
これでは身動きが出来ない。
「爺、オークだ!疲れ切ってて、私では彼を支え切れん!手伝ってくれ!」
私は大声で爺を呼ぶ。
「わかってるって!年寄りを急かすんじゃねえ!」
年寄りとは思えない俊敏さで爺は私に駆け寄る。
爺は反対側の肩を持つ。
「力、抜くんじゃねえぞぉ」
支えるのがやっとだった肩の重みがすっと軽くなる。
年寄りと自分では言うものの、毎日酒樽を持ち上げては運んでいる身だ。
爺は私なんかより数倍は力がある。
力を抜くなと言った割には重さの殆どを自分で背負ってしまい、私はただオークの腕を肩に置いて移動するだけになってしまった。
オークを運び、焚き木の前に座らせる。
「オーク、大丈夫か?」
倒れないように背中を支えながら様子を見る。
目は虚で声掛けにも反応しない。
じっと空を見つめるだけだ。
「道中で企業の襲撃に遭ったのかも知れねえな。ショックで感情がどっかに飛んでるのかも知れねぇ。」
虚な目で虚空を見つめるオークを見て爺が言う。
「坊主、白湯を作ってやってくれ。とりあえずは身体を温めるのが先だ。」
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炊飯場からカップとヤカンを取りに行っている間に毛布を取りに行ってくれたようだ。オークは毛布に包まっていた。
私はヤカンを焚火の上に乗せる。
オークの今の状態は重度のPTSDの症状に酷似している。
道中に敵に襲われたりなどしたのだろう。
辛い道中察して余りある。
これで良くなるとは思わないが、多少なりとも気を緩めることが出来れば良いのだが。
そんなことを考えている内に、ヤカンが甲高い音を立てて鳴った。
「寒いだろう、白湯を作ったから飲んで暖まれ。」
私はアルミのカップに湯を注ぎオークに差し出す。
オークは何も反応しない。
「今は飲みたくねえだってよ。オーク、白湯くれえ好きな時に飲みてえよな?」
爺がオークに話しかける。
湯呑みを出してもぼーっと空を見つめるだけだった彼が急に立ちあがる。
立つとは思っていなかった私は思わずカップを落とす。
足元に熱湯がかかる。
「あつっ!」
私は慌てて足を押さえる。
ズボンの裾を捲ると皮膚が赤くなっていた。
私は自分の火傷に気を取られていて気付いてなかった。
今、何が起きていたかを。
「危ねえ!」
爺はそう言っていた気がする。
気づいた時には上に爺が覆い被さって、そして鼓膜を破るような『圧』が全身を走った。
衝撃が止む。
背中には何か暖かいものが流れている。
私は何もわからなくなっていた。
何が起こったのか、何が起きているのか。
私はオークが居た場所を見た。
そこには肉の破片が散らばっていた。
胃酸が喉を逆流する。
喉元まで胃の中身が登ってくる。
それと同時に銃声と叫び声が聞こえた。
私の聴覚がいままで聞こえていなかった音を拾い始める。
周囲ではけたたましい爆発音が鳴り響いていた。
私はそこでようやく事態を把握した。
背中に流れるものは爺の血で、肉片はオークで
私達は殺されようとしているということを。
同胞に、ルビコニアンに。
そして
私の脳髄に衝撃が走った。
何かが爆ぜる音が聞こえた。
視界は真っ白で
何も見えない。
誰か