私には兄が居た。10歳歳の離れた兄で、一介の坑夫からコーラル鉱山の鉱主にもなった益荒男だ。
誰にでも人当たりが良く、坑夫達の安全と労働の最適化に心血を注いできた彼は同志ダナムのように皆に慕われていた。
私の自慢の兄だ。
しかし、兄は215人の人間を殺した大罪人でもある。
ベリウス847鉱山コーラル逆流事故を知っているだろうか?
それが兄の罪の名前だ。
当時はコーラル採取量拡大の為に坑道の拡張工事を行っていた。
作業人数は274人。
彼らは主にデコットが掘った坑道の保全とコーラル流脈の観測をしていた。
2月29日14時28分、この時間だけは一生忘れることは無い。
ーー突如不活性コーラルが活性化し坑道を逆流した。
逆流自体はありふれたとまでは行かないが、起きる事故ではある。
坑道入り口付近で現場指揮をしていた兄はコーラル逆流の報を聞き、通常の手筈通りデコットの作業区画を閉鎖し、坑内の作業員に退去指示を出した。
封鎖壁は安全の為に3重になっている。
通常の逆流であれば余裕で封鎖できる。
しかしそれでは駄目だった。
この鉱山に埋まっているコーラルは予測していたよりも多く、そして逆流している穴が狭かった。
狭い隙間から高濃度のコーラルが噴き出るとどうなるだろうか。
エネルギーの逃げ道が限定されるため、圧力がかかり、よりエネルギー量が大きくなる。
その威力は、封鎖壁が焼け溶けるほどだ。
兄が続報を聞く頃には3つあったはずの障壁が2つも破られていた。
逆流の知らせを聞いてから障壁が2つ破壊されるまでに経った時間は2分。
どう考えても全員の退去には間に合わない。
更に運が悪いことに、この坑道には隣接してコーラル貯蔵タンクもある。
そこにコーラルが到達してしまえばこの鉱山だけでなく、周囲の居住区も含めて致死量のコーラルに汚染されてしまう。
兄は選んだ。
脱出できなかった215人の命を見捨て、貯蔵タンクを守ことを選んだ。
215人の人間がコーラルに焼かれて死ぬのを選んだ。
兄は出口も含めて全ての区画の封鎖壁を閉じた。
そして貯蔵タンクから離れた箇所にある通気口だけを解放した。
こうすれば、コーラルは安全な場所で大気に希釈される。
コーラルが通気口から噴き出すまでの間、兄は通気口からずっと取り残された人間の悲鳴が聞こえたと言っていた。
聞こえる筈のない悲鳴が。
坑道内部は全て障壁によって閉じられている。
悲鳴をあげていても、その声は封鎖壁内をこだまして永遠に外に出ることは無い。
兄はその事実を否定した。
確かに、聞いたんだ、と。
事件後、人命よりも貯蔵タンクを優先した兄は人より金を取る守銭奴の大悪人として人々から弾糾され続けた。
時には銃で撃たれ殺されそうにもなった。
しかし、それでも兄は死のうとすることはなかった。
むしろ、前よりも明るく、堂々と生きた。
「俺が自殺すれば、俺の行いは確実に悪になる。そうなれば未来に俺と同じ立場に置かれた人間が正しい選択を選べなくなる。俺は生きている限り堂々と生きるつもりだ。俺の後の俺と同じ業を背負う奴らが堂々と生きられるように。」
結局のところ、事故のストレスにより兄は胃ガンを発症して五年で死んでしまったが、彼は胸を張って、まっすぐに生き切ったと思う。
兄の弱音を聞いたのは死ぬ直前のうわ言1回だけだった。
「俺は死んだらあのコーラルの坑の中に行くんだ。そして、永遠にコーラルに焼かれ続ける。ようやく俺は苦しむことができる……。」
ずっと心の中に隠していた本心なのだろう。兄の安堵に満ちた悲しそうな顔は忘れることができない。
兄は死に際に私にレザーのブレスレットをくれた。
兄がいつも身につけていたブレスレット。
裏には「2/29 14:28」と文字が刻まれている。
今そのブレスレットは私の手元には無い。
ブレスレットは解放戦線の若き戦士が身につけている。
凍えたルビコンの地の果てで、兄のブレスレットを身につけた戦士が戦っている。
その戦士のことはまた後日、話すことにしよう。