名もなきルビコニアン   作:ぶたたけ

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3月14日 『ブレードランナー』

昔の話をしようと思う。

 

ある娼館に人造人間《レプリカント》が居た。

彼は性処理用のレプリカントで、生まれてから一度も娼館の外へは出たことが無かった。

そしてそれを極々当たり前の事だと思っていた。

 

レプリカントにとって与えられた役割に従うことは息をする事と同じだ。

呼吸をする事をおかしいと思う人間は居ない。

しかし、ごく稀にその当たり前の現実に疑念を覚える個体が存在する。

己の役割に疑問を持ち、確定した人生に息苦しさを覚える者達、

『感情を持ったレプリカント』は自由を求めるが故に有害だ。

有害な模造品《レプリカ》を殺害《解任》するーーそれが捜査官《ブレードランナー》の仕事である。

 

「仔牛の革の財布を送られる。」

「受け取らない、その人を警察に訴える。」

 

「子供が捕った蝶と、毒の入った壺を見せる。」

「その子を病院へ連れて行く」

 

単眼ルーペで拡大された灰色の虹彩が私を見つめる。

私はモアサナイトの瞳が質問の度に揺れ動くのを眺めた。

耳が声の揺れを察知する、鼻は発汗する汗を嗅ぎ取った。

VKテストーー私はこのテストを通して彼がレプリカントかどうか見極めようとしている。

 

「宴会が始まり、生牡蠣の次に茹でた犬が出てくる。」

彼は黙ったまま何も答えない。

 

「テストは終了だ。」

 

私はルーペを外し、軽く伸びをする。

青年の妖艶な唇が吐息を漏らす。

 

「捜査官、俺はレプリカントなのだろう?」

「どうしてそう思う?」

「セリフを覚えているから。ブレードランナーは何回も見ている。」

「……それは大したものだな。」

 

私は我に帰る。

私は彼に花を届けに来た筈なのだが、一体何をしているのだろうか。

 

二人掛けのカウチソファーの上、膝にシルク調のナイトガウンを羽織っただけの青年の頭を乗せて私は呆然とする。

 

「もう遊びは終わりなのか?」

私の膝を枕にして

横たわる青年が私を見上げて私の頬に触れた。

額から腹、そして爪先まで遮る物も無く滑らかに続く肌。

手先や膝の薄い皮膚の下からほんのりと差す朱が艶かしく、同性ながら目のやり場に困る。

 

「あぁ、終わりだ。元々私は仕事中なんだ。それに、客でも無いのに君の時間を奪うのは悪いだろう?」

「悪い?俺の気持ちを煮立たせるだけ煮立たせて、そのまま帰るつもりなのか?」

 

私は頬を撫でる手を掴み、頬から離す。

 

私の古馴染みの客が彼の『主人』で、偶々彼の誕生日に仕事だった。

客が自分の代わりにプレゼントを届けて欲しいと言ってきたから、仕方なく普段しない運送屋をしてやった。

すると配達先で、偶々相手が私の好きな『ブレードランナー』を見ていて、私は彼に『ブレードランナー』が好きなのかと尋ねた。

 

そう、偶然が重なっただけなのだ。

古い映画を観てる同志が居たから、嬉しくてついデッカードの真似をしただけなんだ。

下心は無い、純粋な遊び心だ。

 

しかし、子供のごっこ遊びでは済まなくなってしまったらしい。

帰りたいと思うものの、色恋にはとんと縁が無かった私は抜け出すタイミングも測れず、偽物のシルクガウンを羽織っただけの男娼に身体を囚われたまま此処にいる。

 

「遊びが過ぎてしまったことは謝罪する。だが、私は旧友を裏切る気は無い。君の熱は君の『主人』に冷まして貰ってくれ。」

 

私は横たわる彼の頭から膝をズラし、立ちあがる。

そのまま帰ろうとすると、私の腕を彼が掴んだ。

「行かないでくれ、“デッカード”。」

私は歩みを止める。

「もう少しだけ、此処に居てくれ。」

 

引き止める彼の姿が映画のレイチェルに重なる。

デッカードと呼ばれて、“彼女”を無碍に出来る訳がない。

 

再びソファーに座る私の隣に彼が座り、氷が入ったグラスを手渡す。

グラスを受け取ると、彼はグラスに酒を注いだ。

ジャックダニエルのブラック。

私が彼の主人の代わりに届けた酒だ。

 

「この酒は君へのプレゼントだろう?行きずりの私に飲ませて良いのか?」

「構わないさ。所詮はご機嫌取りの為のプレゼントだ。俺にとってなんの価値も無い。」

 

グラスに口付ける唇に煽られて、私も酒を一口飲み込む。

喉が焼けるように熱い、思わず咳き込む。

咳き込む私を見て彼が笑う。

 

「見た目と違って、下戸なんだな。」

「……ルビコニアンが本物の酒を飲み慣れてると思うか?」

「ハハ、確かにそうだな。」

「で、“レイチェル”。君は何故わたし引き止めたんだ?」

 

氷がカラリと音を立てる。

「……助けてほしいんだ、“デッカード”。俺は感情を持ってしまった。」

 

「この部屋でご主人様が帰ってくるのを待ち続ける。何度も何度も同じ映画を観て、彼が帰って来たら彼の口にキスをして、裸になって抱きしめる。決められた生き方を繰り返していくのに耐えきれなくなったんだ。感情に目覚めたレプリに生きる権利はない。」

 

「私に君を殺害《解任》しろと?」

 

彼は無言で頷く。

彼の持つグラスの中で氷が溶けゆく。

このまま完全に溶けてしまえば、もう何も変化はしなくなるだろう。

新しい展開が欲しいのなら、グラスを破るしかない。

 

「『フレディ』私は“デッカード”じゃない。只の花屋だ。そして私達が会話しているのも映画の脚本ではない。それを踏まえて助言しよう。」

 

「何だ?」

「何時までも模倣を続けるな。同じ脚本を演じるのなら結末は変えられない。」

私は自分のグラスを地面に叩きつける。

 

「シナリオを壊すのは手伝おう。その後のシナリオを創るのは君自身だ。」

私はウィスキーボトルを手に取り、部屋を後にした。

 

ウィスキーのボトルを掴んだまま帰宅した私は、メッセージカードを添えてボトルを古馴染みの客に送り返してやった。

 

“君の愛人は酒に飽きたそうだ。贅沢な部屋の中で古めかしい映画を見る生活にもうんざりしている。フレディは君の仕事に興味があるそうだ。簡単な仕事でもいい、働かせてみてはどうだ?”

 

後日古馴染みが大層複雑な顔をして、私の店を訪れた。

話を聞くと、彼にはACパイロット適正があったようで、愛人業は休業して自社のテスターパイロットをしているとのことだった。

 

「そこまでは良かったんだけど、解放戦線との商談に連れていったら師父に大層気に入られてしまってね。彼も乗り気で止めようが無くて……。」

お前のせいで大事な愛人が取られてしまったではないか、と愚痴りはしていたものの、怒っている訳では無いようだった。

 

「彼を奪われたのは心外だけど、奪われた相手が師父であるなら文句は言えない。むしろ武器屋としては誇らしさも感じてるよ。」

そう言う彼の顔は辛そうではあったが、諦めは付いているようだった。

 

今、彼は解放戦線で前線に立って戦っているらしい。

話の筋は映画のシナリオから大分離れてしまったが、こういう終わり方も悪くは無いだろう。




引用『ブレードランナー』1982年 監督リドリー・スコット 翻訳 岡枝慎二 配給 ワーナー・ブラサーズ
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